監修=坂本泰二◆シリーズ第158回◆眼科医のための先端医療山下英俊インスリンによる糖尿病網膜での血管透過性亢進杉本昌彦(三重大学大学院医学系研究科臨床医学系講座眼科学教室講師)はじめに糖尿病(diabetesmellitus:DM)は先進国における失明原因の上位に位置する.過去の研究が示すように,血糖コントロールは糖尿病網膜症(diabeticretinopathy:DR)や糖尿病黄斑浮腫(diabeticmacularedema:DME)の進行阻止に重要である.とくにインスリンはコントロールに欠かせない薬剤である.ノーベル賞受賞となったBantingとMacleodによるインスリンの発見は,それまで致死とされたDMの治療に革命をもたらした.しかし興味深いことに,疫学研究で有名な糖尿病トライアルデータベースWESDRでは2型糖尿病の長期経過観察ではDMEの発症がインスリン投与群では25%,非投与群では14%と投与群で増加するという結果が示されている1).また,急激な血糖コントロールにBRBの綻破50.0040.0030.0020.0010.000.00*****DM―+―+インスリン――++図1インスリンによる網膜血管透過性は亢進するマウス網膜における血管透過性を定量評価した.糖尿病ならびにインスリン投与糖尿病マウス群において有意な透過性亢進を認めた.(文献9より転載)**:p<0.05,***:p<0.01.(71)0910-1810/14/\100/頁/JCOPY伴い網膜症が急速に進行するearlyworsening(EW)も広く知られ,急激なコントロールを受けた症例の13.1%に生じたとされている2).経口血糖降下薬をインスリンに変更することでDRが進行するという報告もあり3),インスリンの使用がDR/DMEの管理においてピットフォールとなってしまう側面もある.Blood.retinalbarrierとベタセルリンBlood-retinalbarrier(BRB)は網膜を外界と隔絶する壁であり,電解質バランスの維持や毒性からの保護など,ホメオスターシス維持に貢献している.BRBは網膜血管内皮細胞からなるinnerBRBと,網膜色素上皮からなるouterBRBの2つがある.BRBを考えてゆくうえで構成コンポーネントであるtightjunction(TJ)は重要である.さまざまな分子がその維持に関与しており,この破綻による透過性亢進はDRやDMEの原因である.ベタセルリン(Betacellulin:Btc)はepidermalgrowthfactor(EGF)ファミリーに属する32kDaの分子で,マウス膵b腫瘍細胞の培養上清から発見された4).強い血管新生作用を有し5),筆者らは糖尿病マウスモデルにARPE-19PBS1ng100ngBtc図2ベタセルリン(Btc)によりTightjunction(TJ)は傷害される培養網膜色素上皮細胞ARPE-19にBtcを投与し,ZO-1染色(赤色)で評価した.ZO-1はTJ構成蛋白質であり,従来は細胞間をシールする形で局在している(上段).Btcにより濃度依存性に局在がまばらになり(下段)TJの傷害を反映している.(文献9より転載)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014231a.コントロールb.コントロールインスリン(-)インスリン(+)インスリン(-)インスリン(+)インスリン(+)SiBtc(+)インスリン(-)AG1478(+)インスリン(+)AG1478(+)図3ベタセルリン(Btc)の阻害はTightjunction(TJ)を保護する同様にTJの変化をZO-1染色で評価した.a:未処理のコントロールではTJは健常である(左上).インスリンを投与するとTJが傷害される(右上,矢頭).BtcsiRNAで処理した後にインスリンを添加するとTJの傷害は消失する(下段).b:選択的EGFR阻害薬であるAG1478で処置した後にインスリンを投与すると同様にインスリンによるTJ傷害(右上,矢頭)は消失した(右下).(文献9より転載)おいて網膜血管透過性を亢進することを見いだした6).1,200.00また,インスリンレセプターはEGF伝達系とクロストークして,成長や分化に作用することが報告されてい1,000.00****800.00600.00400.00る7).このことから,BtcがインスリンによるDR/DMEの増悪に関与していると考えた.インスリンはBtcを介して細胞間接着装置を破壊するインスリンがDMEを増悪させるならば,BRBが破網膜血管からの漏出(%)綻されるはずである.Poulakiらは,DMモデルラットにインスリンを投与することで網膜血管透過性が亢進していることを示した8).筆者らは,DMモデルマウスでも同様に網膜血管透過性が亢進しており,その際に網膜でBtcの発現が増強していることを見いだした9)(図1).つぎに網膜に発現したBtcはどのようにBRBに作用するのだろうか.培養網膜色素上皮細胞ARPE-19にBtcを添加したところ,BtcはTJを傷害した(図2).また,ARPE-19にインスリンを添加すると,濃度依存性にBtcの発現は増強していた.以上から,インスリンにより増えたBTCがBRBを傷害すると考え,Btcの抑制がBRBを保護するのではないかと考えた.siRNAを用いてBtc発現をmRNAレベルで抑制した後にインスリンを投与すると,インスリンによるTJへの傷害から保護することができた(図3a).以上からBtcの抑制232あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014200.000.00図4EGFRに対するモノクローナル抗体製剤セツキシマブはインスリンによる網膜血管透過性を抑制するDMならびにインスリン投与DMモデルマウスにセツキシマブを腹腔内投与し,網膜血管透過性を定量評価した.セツキシマブ投与により,網膜血管透過性は有意に低下した.(文献9より転載)**:p<0.05.がTJ,つまりBRBの維持に重要であることが示唆された.BtcをはじめとするEGFfamilyはEGFRを介した情報伝達により機能している.TyrosinekinaseinhibitorであるAG1478はEGFRの選択的阻害薬である.(72)DM+インスリンErbituxDM+インスリン+ErbituxAG1478を添加したARPE-19にインスリンを投与すると,BTCsiRNAでみられた結果と同様にTJは保護された(図3b).セツキシマブ(アービタックスR)はEGFRを標的とするモノクローナル抗体製剤で,結腸・直腸癌に対し承認されている.薬剤によりBtcを抑制することがBRB保護につながることがわかったが,BtcsiRNAもAG1478も臨床使用することは現実的にまだむずかしい.そこで,すでに市販されているセツキシマブをマウス腹腔内に投与したところ,網膜血管透過性は有意に抑制された(図4).以上から,インスリンによるBRB傷害はセツキシマブにより防止できる可能性があり,臨床応用が期待される.まとめインスリンはBtcを介してBRBを傷害することを明らかにした.しかし,この結果はインスリンの有効性を否定するものではない.インスリンは糖取り込みを促進する作用,すなわち血糖降下作用がよく知られているが,蛋白の合成や組織成長の促進という作用も併せもつ.あらゆる薬剤の作用は単一ではなく,その有効性の裏に思わぬ作用を孕んでいることがあり,インスリンのこのような作用は結果として網膜に影響を与えているのかもしれない.なじみ深いインスリンも思わぬ合併症を起こすかもしれず,注意が必要である.以上,インスリンによる糖尿病網膜における血管透過性亢進と,これが薬剤により防止できる可能性を示した.これは,眼科医のみならず内科医も悩ませるEWの治療に今後応用が期待され,安全な血糖コントロールに結びつくと考えている.文献1)KleinR,MossSE,KleinBEetal:TheWisconsinepidemiologicstudyofdiabeticretinopathy.XI.Theincidenceofmacularedema.Ophthalmology96:1501-1510,19892)TheDiabetesControlandComplicationsTrialResearchGroup:EarlyworseningofdiabeticretinopathyintheDiabetesControlandComplicationsTrial.ArchOphthalmol116:874-886,19983)HenricssonM,JanzonL,GroopL:ProgressionofretinopathyafterchangeoftreatmentfromoralantihyperglycemicagentstoinsulininpatientswithNIDDM.DiabetesCare18:1571-1576,19954)ShingY,ChristoforiG,HanahanDatal:Betacellulin:amitogenfrompancreaticbetacelltumors.Science259:1604-1607,19935)KimHS,ShinHS,KwakHJetal:Betacellulininducesangiogenesisthroughactivationofmitogen-activatedproteinkinaseandphosphatidylinositol3’-kinaseinendothelialcell.FASEBJ17:318-320,20036)Anand-ApteBA,EbrahemQ,CutlerAetal:Betacellulininducesincreasedretinalvascularpermeabilityinmice.PLoSOne5:e13444,20107)Murillo-MaldonadoJM,ZeineddineFB,StockRetal:Insulinreceptor-mediatedsignalingviaphospholipaseC-gregulatesgrowthanddifferentiationinDrosophila.PLoSOne6:e28067,20118)PoulakiV,QinW,JoussenAMetal:Acuteintensiveinsulintherapyexacerbatesdiabeticblood-retinalbarrierbreakdownviahypoxiainduciblefactor-1alphaandVEGF.JClinInvest109:808-815,20029)SugimotoM,CutlerA,ShenBetal:InhibitionofEGFsignalingprotectsthediabeticretinafrominsulin-inducedvascularleakage.AmJPathol183:987-995,2013■「インスリンによる糖尿病網膜での血管透過性亢進」を読んで■今回は三重大学の杉本昌彦先生による,インスリン臨床的な観察から推測されてきたことによります.この生物学的な作用と糖尿病網膜症病態の関連についてのような臨床的な観察は大変重要な側面をとらえていの分子生物学的な研究の紹介です.糖尿病網膜症とイる反面,なかなか分子レベルでの病態解明に結びつきンスリンとの関連の研究はこれまでにもいろいろと報ません.それは,いろいろな因子が同時に動く臨床例告されてきました.それは杉本先生も紹介していらっで,分子ターゲットを絞り込むことのむずかしさを示しゃる2型糖尿病における長期経過観察で,DMEのしているのかもしれません.杉本先生の研究では,ベ発症とインスリ治療が関連すること,急激な血糖コンタセルリンの作用が血液網膜柵を傷害するメカニズムトロールに伴い網膜症が急速に進行するearlyworsが網膜症の病態に関連するというものです.そして,ening(EW)が起こることといった臨床的な観察結果インスリンがベタセルリンを介して網膜症の病態を惹から,インスリンは糖尿病治療に有益である反面,網起するとの仮説は大変魅力的で,上記のような臨床的膜症発症,進展の病態に関連するのではということがな観察結果を説明できるものです.網膜症の病態は現(73)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014233在,血管内皮増殖因子(vascularendothelialgrowthトカインとして作用する原因物質とするメカニズムfactor:VEGF)を中心とし,炎症性のサイトカインは,臨床的な観察を出発点としていることから臨床的などをからめて解明が進んできました.これは抗な意義が明確であり,分子ターゲットとして糖尿病網VEGF薬やステロイドの治療効果により病態を説明膜症治療戦略に加えることが有用と考えられます.わできることがわかりましたが,これだけですべての網れわれ臨床医のもつ臨床経験は臨床研究の出発点であ膜症を治癒に導くことはできません.多様な病態を積り,また,エンドポイントでもあります.杉本先生のみ重ねることにより,糖尿病網膜症というきわめて複研究が発展して,新しい治療薬が開発されることを,雑な分子病態をもつ疾患の全体像に迫ることができる一臨床医として心から願っています.と考えられます.今回の杉本先生のインスリンをサイ山形大学眼科山下英俊☆☆☆234あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(74)