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眼症状を主訴としたセネストパチーの1例

2012年4月30日 月曜日

《原著》あたらしい眼科29(4):573.575,2012c眼症状を主訴としたセネストパチーの1例松本識子中馬秀樹直井信久宮崎大学医学部感覚運動医学講座眼科学分野ACaseofOcularCenesthopathySatokoMatsumoto,HidekiChumanandNobuhisaNaoiDepartmentofOphthalmology,FacultyofMedicine,UniversityofMiyazaki眼症状を訴えるセネストパチーの1例を経験した.51歳,女性.2年前に義母が使用した洗面器で洗顔した.翌日より両眼脂が出現,その後両眼の中を虫がもそもそ這うようになった.多数の眼科を受診するも有意な異常所見を指摘されず,ドクターショッピングを繰り返していた.当科受診され,特に眼科所見に問題ないため精神科・心療内科受診を勧めたところ立腹し,帰宅した.眼症状を訴えるセネストパチーは珍しいが,眼科医もセネストパチーの概念を認識して対応していくことが大切である.Weexperiencedacaseofocularcenesthopathy.Thepatient,a51-year-oldfemale,wasseenwithchiefcomplaintoftinyinsectscreepinginhereyes.Shehadsufferedeyedischargeandocularinfestationfromthedayaftershehadwashedherfaceusinghermother-in-law’swashbashin.Shehadconsultednumerousophthalmologists,butnonefoundanyevidenceofinfectiousdisease.However,convincedthatshehadaninfection,shehadcontinued“doctorshopping.”Whensheconsultedus,wefoundnoevidenceofinfectiousdiseaseandadvisedhertoconsultapsychiatrist.Shereactedangrilyanddidnotreturnforfurtherfollow-up.Ophthalmologistsshouldtoknowwhatcenesthopathyisandhowtohandlesuchpatients.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)29(4):573.575,2012〕Keywords:セネストパチー,ドクターショッピング,眼科-精神科連携.cenesthopathy,doctorshopping,cooperationbetweenophthalmologistsandpsychiatrists.はじめに日常診療のなかで,強い自覚的異常を訴えるが他覚的検査で異常所見を認めない症例にしばしば遭遇する.そのなかに奇妙な異常体感を主症状とするセネストパチー(cenesthopathy)がある1).セネストパチーは,ありえない異物感を執拗に訴え,しばしば手術を要求するという非常に扱いにくい疾患で,その存在を知らないと,患者との間で大きなトラブルになる2).しかし,眼症状を主訴とするセネストパチーの報告例は少なく3),眼科医の間ではまだ十分に認識されていない.今回「両眼の中を虫がもそもそ這う」と訴えるセネストパチーの1例を経験したので報告する.I症例患者:51歳,女性.主訴:頻繁に両眼の中を虫がもそもそ這う,ティッシュで拭いても虫が取れない.現病歴:X-2年11月,義母が使用した洗面器で洗顔した翌日より,両眼性の眼脂が出た.その後,両眼の痒み,霧視,虫が眼の中をもそもそ動く感じが出現した.翌12月,近医眼科を受診した.以後数カ月ごとに居住県内の眼科を回り,慢性結膜炎やドライアイや異常なしの診断で点眼を次々に変更していった.X-1年5月,眼脂は改善したが,虫が動く感じは変わらなかった.X年9月,寄生虫の血液検査受けるも,異常なしであった.同月,某大学医学部附属病院眼科を受診し,異常なしと診断された.X年11月25日,症状が継続するため,当科を自己初診した.病歴を聴取中も「同居している義父母に眼脂・充血が強かった.同居している息子も眼脂があり,よく眼を擦っていて近視になった.別居している実母にも自分の眼脂が移ってしまい,申し訳なく思っている.虫が取れずにこんなに自分が〔別刷請求先〕松本識子:〒889-1602宮崎市清武町木原5200宮崎大学医学部感覚運動医学講座眼科学分野Reprintrequests:SatokoMatsumoto,M.D.,DepartmentofOphthalmology,FacultyofMedicine,UniversityofMiyazaki,5200Kihara,Kiyotake-cho,Miyazaki889-1602,JAPAN0910-1810/12/\100/頁/JCOPY(139)573 苦しんでいるのに,今まで受診した眼科の医者は誰も理解してくれない.」涙を流しながら30分間以上訴えた.また,眼の中に寄生虫がいるに違いないから一部とって検査をしてくれと執拗に訴えた.既往歴:47歳時,左膝粉砕骨折手術時に心因性の喘息.家族歴:特記事項はなかった.眼科的所見:視力は右眼0.1(1.5×sph.3.25D(cyl.0.75DAx180°),左眼0.15(1.2×sph.2.50D(cyl.1.00DAx145°).対光反射,眼球運動に異常なし.前眼部・中間部透光体に異常なし,虫は観察されなかった.眼圧は両眼14mmHg.眼底は両眼異常なし.以上より,眼科的異常所見はないことを説明し,精神科・心療内科受診を勧めたところ「ここでも精神疾患で済ませようとするのですか.精神疾患のはずがない.」と立腹して帰宅した.以後当科は受診していない.II考察本症例は,両眼の中を虫がもそもそ這うという独特な体感異常の訴えが強いにもかかわらず眼科的異常所見を認めない,診断に納得されずドクターショッピングを繰り返している,精神科・心療内科受診を頑なに拒否し精神疾患であることを認めない,といった特徴より,セネストパチーと診断した4,5).セネストパチー(cenesthopathy)は,E.DupreとP.Camusによって1907年に初めて提唱された奇妙な異常体感を主症状とする病態である.米国精神医学会の疾患分類,DSM(TheDiagnosticandStatisticalManualofMentalDisorders)-IVではセネストパチーという病名は存在せず,あえて最も近いものをあてはめるとすると,妄想的要素に焦点を当てれば妄想性障害・身体型となり,異常感覚要素に焦点を当てれば鑑別不能型身体表現性障害となるだろう(表1,2)1,3,6).セネストパチー患者は身体の異常な感覚を,奇妙な得体のしれないものとしてさまざまな表現によって訴える.しかしその感覚は患者にとっても異様であるため表現しにくく,正確な言葉が見つからないため種々の言い回しを用いて,何とか自己の体験を伝えようと必死になる1).表1DSM.IV.TRの297.1妄想性障害の診断基準A.奇異でない内容の妄想(すなわち,現実生活で起こる状況に関するもの,例えば,追跡されている,毒を盛られる,病気をうつされる,遠く離れた人に愛される,配偶者や恋人に裏切られる,病気にかかっている)が少なくとも1カ月間持続する.B.統合失調症の基準Aを満たしたことがないこと注:妄想性障害において,妄想主題に関連したものならば幻触や幻嗅が出現してもよい.C.妄想またはその発展の直接的影響以外に,機能は著しく障害されておらず,行動も目立って風変りであったり奇妙ではないD.気分エピソードが妄想と同時に生じていたとしても,その持続期間の合計は,妄想の持続期間と比べて短い.E.その障害は物質(例:乱用薬物,投薬)や一般身体疾患による直接的な生理学的作用によるものではない..病型を特定せよ(以下の各病型は優勢な妄想主題に基づいてのものである)色情型妄想が他の誰か,通常社会的地位が高い人が自分と恋愛関係にあるというもの誇大型妄想が,肥大した価値,権力,知識,身分,あるいは神や有名な人物との特別なつながりに関するもの嫉妬型妄想が,自分の性的伴侶が不実であるというもの被害型妄想が,自分(もしくは身近な誰か)がなんらかの方法で悪意をもって扱われているというもの身体型妄想が,自分に何か身体的欠陥がある,あるいは自分が一般身体疾患にかかっているというもの混合型妄想が上記の病型の中の2つ以上によって特徴づけられるが,どの主題も優勢ではないもの特定不能型表2DSM.IV.TRの300.82鑑別不能型身体表現性障害の診断基準A1つまたはそれ以上の身体的愁訴(例:倦怠感,食欲減退,胃腸系または泌尿器系の愁訴)B(1)か(2)のどちらか(1)適切な検索を行っても,その症状は,既知の一般身体疾患または物質(例:乱用薬物,投薬)の直接的な作用によって十分に説明できない(2)関連する一般身体疾患がある場合,身体的愁訴または結果として生じている職業的障害が,既往歴,身体診察所見または臨床検査所見から予測されるものをはるかに超えているC症状が,臨床的に著しい苦痛,または社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしているD障害の持続期間は少なくとも6カ月であるEその障害は,他の精神疾患(例:他の身体表現性障害,性障害,気分障害,不安障害,睡眠障害,または精神病性障害)ではうまく説明されないF症状は,(虚偽性障害または詐病のように)意図的に作り出されたり捏造されたりしたものではない574あたらしい眼科Vol.29,No.4,2012(140) 患者は精神障害とは決して考えず,器質的な異常として確信する.そのため可視的な検査方法を求める.ドクターショッピングをし,満足することができない.異常体感は生活の中心に居座り,それを周囲に向かって訴え続けるが,理解されず人格は保たれたまま社会から逸脱していくとされる3).本症例でも,義母からの眼脂が自分に移り,それを息子や実母に移してしまったという誤った妄想を信じ込んでおり,修正不能であった.義母への不満という精神的問題が背景にあるのであろう.「両眼の中を虫がもそもそ這う」という異常感覚を確信しており,症状を詳細に説明した.多数の病院をドクターショッピングして,眼科検査・寄生虫検査の他覚検査の異常なしという結果を否定し続けており,当科でも眼科検査を希望した.検査所見に異常がないことを不服とし,精神疾患であることを断固として拒否した.セネストパチーに対する効果的な治療法はまだ確立されていない.定期的な身体的診察,傾聴,薬物療法にて加療を行う.薬物はおもに抗うつ薬,抗精神病薬の報告が多いため,やはりこのような症例はいかにして精神科への受診をさせるかが困難で,重要であると考える.稲田は,精神科との連携がうまくいくためのポイントとして,患者と眼科医の間で信頼関係をもつということと,眼科医と精神科医が知り合いであるということをあげている(表3)7).まとめとして,眼症状を主訴とするセネストパチーの報告例は少ないが,眼科医もその疾患概念を認識しておくことが必要であろう.また,加療にあたっては精神科との連携が必要であるため,患者と良好な関係を構築したうえで精神科受診を勧めることが重要であると考えた.表3精神科との連携がうまくいくためのちょっとしたポイント患者と眼科医の間で信頼関係をもつ・患者に“見捨てられた”という印象を抱かせない・眼科での診療を続ける,あるいは戻ってきて良いと保証する眼科医と精神科医が知り合いである・精神科のアプローチ(原因を追求するよりも対処法を考える)を理解している・過大な期待を抱かせない.「別のアプローチを試してみましょう」くらいの説明が良い・どのように説明したか,精神科受診をどのようにとらえているかを知らせてほしい・心理的要因でわかっていることがあれば知らせてほしい文献1)松下正明:精神症候と疾患分類・疫学第1巻.p130-131,中山書店,19982)若倉雅登:心療眼科とは.実践!心療眼科,p3-9,銀海舎,20113)気賀沢一輝:長期経過を観察し得た眼科領域セネストパチーの1例.神経眼科25:358-364,20084)ShermanMD,HollandGN,HolsclawDSetal:Delusionsofocularparasitosis.AmJOpthalmol125:852-856,19985)大野京子:眼の周りに虫がいる.実践!心療眼科,p155156,銀海舎,20116)高橋三郎,大野裕,染矢俊幸(訳):DSM-Ⅳ-TR精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,20027)稲田健:連携がうまくいった例.実践!心療眼科,p157160,銀海舎,2011***(141)あたらしい眼科Vol.29,No.4,2012575