‘前眼部炎症’ タグのついている投稿

悪性リンパ腫患者に発症した前眼部炎症を伴うサイトメガロウイルス網膜炎の1例

2017年6月30日 金曜日

《第53回日本眼感染症学会原著》あたらしい眼科34(6):875.879,2017c悪性リンパ腫患者に発症した前眼部炎症を伴うサイトメガロウイルス網膜炎の1例谷口行恵佐々木慎一矢倉慶子宮﨑大山﨑厚志井上幸次鳥取大学医学部視覚病態学分野ACaseofCytomegalovirusRetinitiswithAnteriorChamberIn.ammationinaPatientwithMalignantLymphomaYukieTaniguchi,Shin-ichiSasaki,KeikoYakura,DaiMiyazaki,AtsushiYamasaki,YoshitsuguInoueDivisionofOphthalmologyandVisualScience,FacultyofMedicine,TottoriUniversityサイトメガロウイルス(Cytomegalovirus:CMV)網膜炎は免疫不全状態の患者に発症し,通常は前眼部炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しい.今回,前眼部炎症を伴うCMV網膜炎の1例を経験したので報告する.症例は80歳,男性.悪性リンパ腫に対する化学療法中に両眼の霧視にて受診.両眼に前眼部炎症と眼底に出血を伴う白色病変を認めた.Real-timepolymerasechainreaction(PCR)法で前房水中1.4×106コピー/mlのCMV-DNAを認め,CMV網膜炎と診断.ガンシクロビル点滴および硝子体内注射により治療を開始し,前眼部炎症は速やかに消退.網膜病変も3カ月半後には鎮静化した.経過中real-timePCR法にて前房水中のCMV-DNAを測定した.発症時に強い前眼部炎症を伴っていたことは,本症例が後天性免疫不全症候群のように重篤な免疫抑制状態になかったため,免疫回復ぶどう膜炎と類似した反応が起こった可能性が推測された.鑑別診断と治療効果のモニタリングにreal-timePCR法が有用と思われた.Cytomegalovirus(CMV)retinitisoccursinimmunocompromisedpatientsandusuallydoesnothavesigni.cantin.ammatoryreactionssuchasanteriorchamberin.ammationorvitritis.WereportacaseofCMVretinitiswithanteriorchamberin.ammation.An80-year-oldman,whohadunderwentchemotherapyformalignantlymphoma,wasreferredtouswiththecomplaintofbilateralblurredvision.Botheyesshowedanteriorchamberin.ammationandwhiteretinallesionwithhemorrhage.HewasdiagnosedasCMVretinitis,because1.4×106copies/mlofCMV-DNAwasdetectedintheaqueoushumorbyreal-timepolymerasechainreaction(PCR)method.Treatmentwithsystemicandintraocularganciclovirwasstarted,andanteriorchamberin.ammationhadbecomeregressedpromptly,andretinitishadbecomesubsidedwithin3andahalfmonths.Duringthecourse,CMV-DNAamountinaqueoushumorhadbeenmonitoredbyreal-timePCRmethod.Theanteriorchamberin.ammationwasobservedbecausethiscasewasnotsoseverelyimmunocompromisedlikeacquiredimmunode.ciencysyndrome.Thismani-festationispresumedtobesimilartoimmunerecoveryuveitis.Real-timePCRwasusefulfordiagnosingCMVret-initisandmonitoringthee.ectofthetherapy.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)34(6):875.879,2017〕Keywords:サイトメガロウイルス網膜炎,悪性リンパ腫,前眼部炎症,real-timepolymerasechainreaction(PCR)法.cytomegalovirusretinitis,malignantlymphoma,anteriorchamberin.ammation,real-timepolymerasechainreaction(PCR)method.はじめに症候群(acquiredimmunode.ciencysyndrome:AIDS)患サイトメガロウイルス(Cytomegalovirus:CMV)網膜炎者においては主たる眼合併症である.CMV網膜炎はウイルは免疫不全状態にあるものに発症し,とくに後天性免疫不全スの直接的な網膜での増殖による病変であり,通常は前眼部〔別刷請求先〕谷口行恵:〒683-0826鳥取県米子市西町36-1鳥取大学医学部視覚病態学分野Reprintrequests:YukieTaniguchi,M.D.,DivisionofOphthalmologyandVisualScience,FacultyofMedicine,TottoriUniversity,36-1Nishicho,Yonago-shi,Tottori683-8504,JAPAN炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しいといわれている1).しかし,近年ではAIDS患者のみならず,血液腫瘍性疾患や臓器移植,抗癌剤治療による免疫不全に伴うものや,明らかな免疫不全のない健常者といった,非AIDS患者におけるCMV網膜炎の報告も多数ある2.9).さらに,非AIDS患者におけるCMV網膜炎では,眼内炎症などの多様な臨床所見が認められている2,4,6.8).今回,筆者らは悪性リンパ腫に対する化学療法中に前眼部炎症を伴うCMV網膜炎を発症した1例を経験したので報告する.I症例患者:80歳.男性.主訴:両眼の霧視.既往歴:60歳代,両眼白内障手術.79歳,悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫).現病歴:近医血液内科で悪性リンパ腫に対し,2015年4月下旬よりリツキシマブ,エトポシド,プレドニゾロン,ビンクリスチン,シクロフォスファミド,ドキソルビシンを用いた化学療法(R-EPOCH療法)を施行中.著明な骨髄抑制を認め,顆粒球コロニー刺激因子(granulocyte-colonystimulatingfactor:G-CSF)の投与および輸血を施行しながら化学療法を継続していた.2015年6月下旬より両眼の霧視あり.10日後に近医眼科受診.両眼とも前眼部に角膜後面沈着物(keraticprecipitate:KP)を伴う前房内炎症所見を認め,眼底にはCMV網膜炎を強く疑わせる白色病変が著明であった.翌日当科を紹介受診した.初診時所見:視力は右眼0.07(0.8),左眼0.09(1.2).眼圧は右眼16mmHg,左眼12mmHgであった.角膜内皮細胞密度は右眼1,610/mm2,左眼1,988/mm2.両眼に右眼優位に小さな豚脂様KPと前房内細胞を認めた(図1).右眼眼底には,下方アーケード血管に沿って出血を伴う白色病変を認めた.また,鼻側上方には顆粒状の白色病変を認め,病型としては後極部劇症型と周辺部顆粒型であった(図2a).左眼眼底には,上方アーケード外にわずかに出血斑を伴う白色病変を認め,病型としては周辺部顆粒型であった(図2b).両眼ともに硝子体中に細胞を認めた.右眼の前房水よりreal-図1初診時前眼部写真a:右眼.小さな豚脂様角膜後面沈着物を認める.b:左眼.小さな豚脂様角膜後面沈着物を軽度認める.図2初診時眼底写真a:右眼.後極部劇症型+周辺部顆粒型病変.b:左眼.周辺部顆粒型病変.ab右眼左眼図3治療中の眼底写真a:治療6日目.出血性変化が目立つ.b:治療112日目.病変部位の網膜は極度の菲薄化を残し鎮静化した.timepolymerasechainreaction(PCR)法で1.4×106コピー/mlのCMV-DNAを認めた.なお,前房水中の単純ヘルペスウイルスDNA,水痘帯状疱疹ウイルスDNAは陰性であった.血液検査では白血球数41.7×103/μl,分画は好中球97%,リンパ球1%,単球0%,好酸球1%,好塩基球1%とリンパ球数の低下を認めた.CD4陽性Tリンパ球数は未測定.白血球の著明な増多はG-CSF投与による一時的なものと考えられた.CMV抗原血症検査(CMVアンチゲネミア)は陰性であった.II治療および経過眼底所見および前房水real-timePCRの結果よりCMV網膜炎と診断.全身投与としてガンシクロビル点滴600mg/日(5mg/kg,1日2回)を3週間継続の後,300mg/日(5mg/kg,1日1回)に減量し1週間,その後バルガンシクロビル内服900mg/日に切り替えた.なお,ガンシクロビル投与開始より5日目,6日目の2日間は化学療法による著明な骨髄抑制を認めたため,ガンシクロビルは半量投与とした.局所投与としては,ガンシクロビル750μg/0.15mlの硝子体内注射を両眼に週1回(合計12回)行い,硝子体注射時に前房水を0.1ml採取しreal-timePCRにてCMV-DNA量をモニタした.また,前眼部炎症も伴っていたことより0.5%ガンシクロビル点眼を両眼に1日6回,0.1%ベタメタゾン点眼を両眼に1日4回行った.治療開始2日目より両眼底の出血性変化が目立ち,右眼の後極部劇症型部位はかなりの範囲が出血で覆われ,黄斑下方は網膜下出血となった.治療20日目には両眼ともに白色病変は徐々に消退し,同部位の網膜の菲薄化を認めた.右眼後極の出血も吸収傾向となった.治療112日目には病変部位の網膜は極度の菲薄化を残し鎮静化した(図3).また,化学療法による骨髄抑制のため,治療開始5日目より末梢血中リンパ球数が100/μl台まで一時低下したが,その後のリンパ球数の回復と同時期に硝子体混濁の増強を認めた.なお,前眼部炎症は約1カ月をかけて徐々に軽快し,経過中に眼圧上昇や角膜内皮細胞密度の減少は認めなかった.前房水中CMV-DNA量は,眼底の出血性変化が目立っていた治療開始後8日目時点では右眼が6.8×106コピー/ml,左眼が3.9×106コピー/mlと一時的に増加を認めたが,その後は低下を認め,治療開始91日目の最終の硝子体注射時点では両眼とも1.1×102コピー/mlであった(図4).↑↑入院退院図4治療経過と前房水中CMV.DNA量の推移III考按本症例は悪性リンパ腫に対し化学療法中であり,著明な骨髄抑制が認められていた.2015年6月末の自覚症状が現れた時点での白血球数は,前医のデータより0.8×103/μl(リンパ球26.2%)と低下しており,免疫抑制状態であったことが推察された.眼底所見とreal-timePCRにて前房水中のCMV-DNA高値を認めたため,CMV網膜炎と診断した.CMV網膜炎では,通常は前眼部炎症や硝子体炎などの炎症所見に乏しいといわれているが,本症例では前眼部炎症と硝子体混濁を伴っていた.近年では,非AIDS患者におけるCMV網膜炎の報告も多数あり,重要性を増している4,5,9).柳田らは,2003.2013年の10年間に東京大学医学部附属病院眼科を受診したCMV網膜炎の症例36例53眼につき,臨床像および視力予後の検討をしているが,基礎疾患は36例中22例(61%)を血液腫瘍性疾患,8例(22%)をAIDSが占め,AIDSと血液腫瘍性疾患が大半を占めた.また,36例中糖尿病を有する症例は9例あり,そのうち1例はHbA1c5.9%と血糖コントロール良好で,他に明らかな全身疾患のない患者であったと報告している3).非AIDS患者においては眼内炎症などの多様な臨床所見が認められるとの報告もある.Pathanapitoonらは,非AIDS患者でCMVによる後部ぶどう膜炎あるいは汎ぶどう膜炎を起こした18例22眼の臨床像を検討しているが,18例中13例17眼は免疫抑制状態の患者で,17眼中10眼で汎ぶどう膜炎を認めている.18例中5例5眼は糖尿病または明らかな基礎疾患のない患者であったが,5眼中4眼で汎ぶどう膜炎が認められ,全体としては22眼中14眼(64%)に汎ぶどう膜炎を認めていた.免疫抑制状態の患者の中に非ホジキンリンパ腫は5例含まれていた2).このように明らかな免疫不全が認められない患者を含む非AIDS患者におけるCMV網膜炎では,眼内炎症を認めるなど,典型的なCMV網膜炎とは異なり,より多様な臨床所見を呈する可能性が示唆される.わが国において健常成人に発症したCMV網膜炎の報告でも,前眼部炎症や高眼圧などが認められている6).近年,AIDS患者に対して多剤併用療法(highlyactiveantiretroviraltherapy:HAART)導入後にCMV網膜炎罹患眼の眼内炎症が悪化することが知られ,免疫回復ぶどう膜炎(immunerecoveryuveitis:IRU)とよばれる.IRUの発症機序は明確に解明されていないが,HAARTによりCMV特異的T細胞の反応が回復すると,すでに鎮静化したCMV網膜炎病巣辺縁の細胞内でわずかに複製される残存CMV抗原が,免疫反応によりぶどう膜炎を顕在化させるとの説が有力である10).AIDS以外の疾患では免疫機能障害の程度がAIDSと異なっており,IRU様の反応が同時に起きているために眼内炎症が随伴すると推測される7).本症例は悪性リンパ腫に対する化学療法を契機に発症したCMV網膜炎であり,化学療法により一時的に著明な骨髄抑制を生じていた一方で,その後のリンパ球増加もあり,免疫状態は不安定であった.AIDSのように重篤な免疫抑制状態でなかったために,前述のIRUに類似した病態により前眼部炎症と硝子体混濁が生じた可能性が考えられる.治療経過において硝子体混濁が増強した時期と末梢血中リンパ球が増加した時期が一致していたことも矛盾しないと考えられる.なお,治療開始後の一時的な前房水中CMV-DNA量の増加と眼底出血の増加は,眼底の壊死性変化を反映したものと思われたが,治療との関連性は不明である.ただ,緑膿菌による細菌性角膜炎では,治療開始後に免疫反応により一時的に所見が悪化するケースがあることが知られており,免疫不全によるCMV網膜炎と異なり,今回のように免疫が関与しているCMV網膜炎では治療への反応性が単純ではないケースがありうると推測された.以上より,非AIDS患者におけるCMV網膜炎では典型的なCMV網膜炎とは異なり,より多様な臨床所見を呈する可能性を念頭に診療を行う必要があると考えられる.また,完全な免疫不全によるCMV網膜炎では,眼底の所見がそのままCMVの量を反映していると考えられるが,今回の症例のように同時に免疫反応が生じていると,臨床所見がウイルス増殖によるものか,免疫反応によるものか判断することがむずかしい.そのような場合,ウイルスの有無だけでなく量的評価のできるreal-timePCR法が診断および治療効果の評価において有用である.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)竹内大:ウイルス性内眼炎(ぶどう膜炎).あたらしい眼科28:363-370,20112)PathanapitoonK,TesabibulN,ChoopongPetal:Clinicalmanifestationsofcytomegalovirus-associatedposterioruveitisandpanuveitisinpatientswithouthumanimmuno-de.ciencyvirusinfection.JAMAOphthalmol131:638-645,20133)柳田淳子,蕪城俊克,田中理恵ほか:近年のサイトメガロウイルス網膜炎の臨床像の検討.あたらしい眼科32:699-703,20154)上田浩平,南川裕香,杉崎顕史ほか:非Hodgkinリンパ腫患者に発症した虹彩炎と高眼圧を併発したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科31:1067-1069,20145)相馬実穂,清武良子,野村慶子ほか:サイトメガロウイルス網膜炎を発症した成人T細胞白血病の1例.あたらしい眼科26:529-531,20096)堀由起子,望月清文:緑内障を伴って健常成人に発症したサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科25:1315-1318,20087)吉永和歌子,水島由佳,棈松徳子ほか:免疫能正常者に発症したサイトメガロウイルス網膜炎.日眼会誌112:684-687,20088)北善幸,藤野雄次郎,石田政弘ほか:健常人に発症した著明な高眼圧と前眼部炎症を伴ったサイトメガロウイルス網膜炎の1例.あたらしい眼科22:845-849,20059)多々良礼音,森政樹,藤原慎一郎ほか:骨髄非破壊的同種骨髄移植後にサイトメガロウイルス網膜炎を発症した成人T細胞白血病.自治医科大学紀要30:81-86,200710)八代成子:HIV感染症に関連した眼合併症.医学と薬学71:2281-2286,2014***

白内障手術後のI/Aハンドピースの洗浄剤残留により発生したと考えられるTASS症例

2013年5月31日 金曜日

《原著》あたらしい眼科30(5):695.698,2013c白内障手術後のI/Aハンドピースの洗浄剤残留により発生したと考えられるTASS症例御子柴徹朗小坂晃一川島晋一藤島浩鶴見大学歯学部眼科学教室ACaseofToxicAnteriorSegmentSyndrome(TASS)afterCataractSurgery,PossiblyAssociatedwithI/AHandpieceSterilizationMaterialTetsuroMikoshiba,KoichiKosaka,ShinichiKawashimaandHiroshiFujishimaDepartmentofOphthalmology,SchoolofDentalMedicine,TsurumiUniversity目的:白内障術後にI/A(灌流/吸引)ハンドピースの洗浄剤に関連すると考えられるtoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)症例について報告する.症例:85歳,女性で,特に合併症なく角膜切開法による超音波乳化吸引術および眼内レンズ挿入術を施行されたが,手術翌日に前房内に前房蓄膿を伴う重度の炎症を発症した.I/Aハンドピースの洗浄剤に類似した油滴状物質が虹彩の前面に認められたことが特徴的であった.ステロイド薬点眼治療によく反応した.結論:以上からI/Aハンドピースの洗浄剤残留によるTASSが疑われた.Wereportacaseoftoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)thatdevelopedaftercataractsurgeryandwaspossiblyassociatedwithI/A(irrigation/aspiration)handpiecesterilizationmaterial.Thepatient,an85year-oldfemale,underwentuneventfulphacoemulsificationviaclearcornealincisionwithintraocularlensimplantation.TASSoccurredthedayaftercataractextraction,thepatientdevelopingsevereanteriorchamberinflammationwithhypopyon.AtypicallyoilysubstanceverysimilartoI/Ahandpiecesterilizationmaterialwasfoundtobepresentwithintheanteriorchamber.Theconditionimprovedwithlocalsteroidtreatment.ItissuggestedthattheoilysubstancewastheetiologicfactorinthiscaseofTASS.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)30(5):695.698,2013〕Keywords:TASS,無菌性,前眼部炎症,ハンドピース,洗浄剤.toxicanteriorsegmentsyndrome(TASS),sterilitas,anteriorchamberinflammation,handpiece,materialforsterilization.はじめに1980年以来白内障手術後に無菌性の起炎物質による重症前眼部炎症が報告されるようになり,1992年Monsonらによってこれらはtoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)と命名され,まれな術後合併症の一つと認知されるようになった1).確定診断につながる特徴的所見はなく,細菌性の術後眼内炎と同様の自覚症状(霧視,眼痛,結膜・毛様充血など)を認め,初期にはフィブリン析出や前房蓄膿,角膜浮腫などの前眼部炎症所見がみられる.治療は,細菌性の術後眼内炎を考慮しつつ,炎症に対する対症療法的なものが主体となるが,前眼部炎症による角膜内皮細胞のバリア機能低下やポンプ機能の破綻から恒久的な角膜内皮障害をきたすこともある2).今回,手術翌日に発症し,著明な炎症反応を認めながら抗菌薬点眼投与の効果が認められず,ステロイド薬点眼投与が著効した1例を経験したので報告する.I症例患者:85歳,女性.主訴:白内障による視力低下.家族歴:特記事項なし.現病歴:他院で2011年12月中旬に白内障手術を施行された.当日同院で行われた6例の白内障手術の1例目の症例〔別刷請求先〕御子柴徹朗:〒230-8501横浜市鶴見区鶴見2-1-3鶴見大学歯学部眼科学教室Reprintrequests:TetsuroMikoshiba,M.D.,DepartmentofOphthalmology,SchoolofDentalMedicine,TsurumiUniversity,2-1-3Tsurumi,Tsurumi-ku,Yokohama-shi,Kanagawa230-8501,JAPAN0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(117)695 であった.アルコン社の白内障手術装置(インフィニティRビジョンシステム)を用いての左眼超音波乳化吸引術+眼内レンズ挿入術を2.8mm角膜耳側切開で実施し,術中合併症はなかった.眼内レンズは,アルコン社のプリセットタイプのSN6CWF,粘弾性物質はプロビスクR(アルコン社)のみを使用した.術翌日,眼痛,霧視などの自覚症状は特になく,左眼視力0.9(1.0×.0.25D(cyl.0.50DAx160°)と良好であったが,前房内に前房蓄膿とフィブリン析出を伴う眼内炎を認め,左眼眼圧25mmHgであった.セフカペンピボキシル3.5g分3内服,レボフロキサシン点眼,トブラマイシン点眼,ベタメタゾン点眼をいずれも1時間ごと投与,同日午前と午後にゲンタマイシン,ベタメタゾンの結膜下注射,同日午後にフロモキセフナトリウム1g点滴投与を行った後に,12月下旬,当院眼科紹介受診.当院初診時,細隙灯顕微鏡(以下,細隙灯)にて,前房内に光沢感のある小球状油滴様物質が虹彩の前面および小窩に散在し,同物質は.と眼内レンズの間にも認められた(図1a).炎症所見は前眼部限局性であり,細隙灯にてcell(3+),flare(+),Descemet膜皺襞(+),前房蓄膿(+),虹彩前面にフィブリン(+)が著明に認められた(図1b).同日入院にて,レボフロキサシン1.5%点眼,セフメノキシム0.5%点眼を1時間ごと,カルテオロール塩酸塩点眼1日2回,入院にてパニペネム1g点滴1日1回投与.感染症を考慮し,ベタメタゾン点眼は中止した.翌日,パニペネム1g点滴1日1回を継続.細隙灯にてcell(2+),flare(+),角膜後面沈着物(+),Descemet膜皺襞(+),前房蓄膿(+).油滴様の物質はやや減少傾向を認めた.明らかな増悪はなく,硝子体腔内への波及も認めなかった.以上の経過から非感染性炎症を考慮し,同日昼よりベタメタゾン点眼を2時間ごとに開始したところ,夕方の診察にて炎症徴候の改善傾向が明らかに認められた.抗炎症薬による症状改善を期待し,さらにブロムフェナクナトリウム点眼1日2回を追加し経過をみた.術後4日,左眼視力0.1(0.6×.1.50D(cyl.0.50DAx180°),左眼眼圧17mmHg,細隙灯にてcell(2+),flare(±),角膜後面沈着物(±),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(±)で,炎症反応の著明な改善を認めたため,退院とした.左眼視力については眼内レンズ上のフィブリン付着の残存の影響が考えられた.退院時処方はセフジニル300mg内服4日分,ベタメタゾン点眼1日4回,ブロムフェナクナトリウム点眼1日2回,レボフロキサシン点眼,セフメノキシム点眼をそれぞれ1日4回継続した.2011年12月下旬(術後8日),外来診察時,左眼眼圧13696あたらしい眼科Vol.30,No.5,2013abc図1当院初診時(術後2日)の前眼部写真a:虹彩に付着した油滴様物質(矢印).b:前房蓄膿著明(矢印)(結膜下出血は,前医での抗生物質結膜下注射による).c:炎症反応著明(散瞳).mmHg,細隙灯にてcell(+),角膜後面沈着物(±),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(.)で炎症反応の改善を認めた.2012年1月上旬(術後17日),外来診察時,左眼視力0.3(0.8×.1.00D),左眼眼圧は17mmHg,細隙灯にてcell(.),flare(.),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(.)と(118) abab図2外来通院時(術後17日)の前眼部写真a:前眼部炎症改善.b:油滴様物質消失.改善した(図2a).油滴様物質は消失した(図2b).2012年1月上旬(術後18日),紹介元受診時,左眼視力0.3(0.9×.0.75D(cyl.0.50DAx90°)とさらに改善を認めていた.角膜内皮細胞数は2,788cell/mm2であり,術前からの減少は認めなかった.2012年9月上旬(術後9カ月),紹介元受診時,左眼視力0.4(1.0×.0.50D(cyl.0.50DAx80°)と良好であった.II考按TASS発症は白内障手術の0.22%と比較的まれな疾患2)でありながら,TASSとして認知されている症例の原因物質は多岐にわたる.眼内に使用した粘弾性物質,前.染色に用いたトリパンブルー3),インドシアニングリーン4),術直後に使用した眼軟膏5),硝子体手術のシリコーンオイル6),硝子体手術キット7),I/A(灌流/吸引)ハンドピースに付着した残留物8)に至るまでのさまざまな原因物質の報告がある.今回のケースでは,光沢感のある小球状油滴様物質が虹彩の前面に付着していた(図1c)ことが特徴的で,同物質は.と眼内レンズの間にも認められた.この物質の存在部位にフィブリンが多く局在したこと,こ(119)図3洗浄剤を金属皿上に滴下して撮影した写真の物質の消退とともに症状が著明に改善していることなどから関連性が示唆された.虹彩表面に散在していた油滴様物質は,オートクレーブの洗浄剤に酷似しており(図3),この物質を採取していれば細かな分析も得られたのであるが,今回は実施しなかった.同日6例の白内障手術の1例目の手術症例にのみ今回の症状をきたしていることから,I/AハンドピースもしくはUS(超音波)ハンドピースに洗浄剤の洗浄不足による残留が疑われた.洗浄剤メーカーの品質管理責任者に問い合わせたところ,この洗浄剤(イナミクリーンPR)は医療機器の範疇ではなく,行政への事故報告自体の存在がないものではあるが,1990年くらいからの同洗浄剤の販売実績のなかで今回のようなケースの事故の報告はなかったこと,洗浄剤の使用説明書どおりの器具洗浄を行えば器具の洗浄剤は残留しないとの回答であった.洗浄剤は,蛋白分解酵素,高級アルコール系非イオン界面活性剤,水溶性溶剤,金属腐食防止剤,防腐剤,酵素安定化剤,ミント香料,着色料(緑色),水の混合物質で,その化学的性質は,pH7.2,比重1.035.1.075,水,湯に溶解性をもつ不燃性の液体である.洗浄後に洗浄剤がハンドピース内に残留する可能性は完全に検証されているわけではなく,手術1例目に臨む際にハンドピース使用時に灌流を少し多めに施行してから開始することなどの対策が必要と考えられた.自覚症状としては「痛みを伴わない霧視」が術後1日後までにきたすことが多い9)ようで,今回のケースでも同様であった.しかし自覚症状もさまざまであり,単に自覚症状のみでTASSを判断するのは危険である.典型的なTASS発症の時期は,白内障術後の12.72時間(多くは術後48時間以内10))で発症するものが多い.TASS発症時には,多くの症例で急性眼内炎と診断され,所見上,びまん性角膜浮腫,重度の前部ぶどう膜炎をきたす.そのほとんどは局所のステロイド薬投与で改善を認めるあたらしい眼科Vol.30,No.5,2013697 が,ときに慢性的な眼圧上昇や,恒久的な角膜浮腫,内皮細胞の障害を残すことがある.ただし,TASS治癒後の遠見の矯正視力はTASS発症前のものと比較しての有意差は認められていない2).今回の症例においても治癒後の矯正視力は良好である.日本でのTASS症例の報告が少ないのは,術後の抗生物質点眼とステロイド薬点眼が通常使用されていることで未然に抑えられている可能性が考えられる.術中の粘弾性物質や術直後の抗生物質眼軟膏5)など手術に必須とするものを含めた原因物質の多様性11,12)を考えると,原因物質の排除を可及的に徹底することが必要である.TASSの後遺症としては萎縮性虹彩変化(24%),後.混濁(16%),前.収縮(12.5%),.胞様黄斑浮腫(4%)などが主たるものである2)が,今回は特に明らかな後遺症は認めていない.ただ,後遺症として視力予後は基本的に良好であるTASSに対しては,感染との鑑別が困難であることも併せ,術後感染を制御するなかで改善が得られない症例での対応というスタンスで十分と考えられる.そのうえで改善が得られない症例ではTASSを考慮して速やかに対応することが,初期治療の開始時期が予後に影響する9)ことからも大切である.今回の経験から,TASS発症を未然に防ぐ対策として,USハンドピースとI/Aハンドピースを十分に生理食塩水などで洗浄すること,手術に臨む際には灌流液を流すことを実施することが一助となると考えられた.また,白内障手術時にI/Aの丁寧な実施で眼内に「異物」を残さないように注意することが大事であると改めて認識させられた.文献1)MonsonMC,MamalisN,OlsonRJ:Toxicanteriorsegmentinflammationfollowingcataractsurgery.JCataractRefractSurg18:184-189,19922)SenguptaS,ChangDF,GandhiRetal:Incidenceandlong-termoutcomesoftoxicanteriorsegmentsyndromeatAravindEyeHospital.JCataractRefractSurg37:1673-1678,20113)BuzardK,ZhangJR,ThumannGetal:Twocasesoftoxicanteriorsegmentsyndromefromgenerictrypanblue.JCataractRefractSurg36:2195-2199,20104)渡邉一郎,越智順子,家木良彰:前.染色に用いたインドシアニングリーンが原因と考えられた白内障術後toxicanteriorsegmentsyndromeの1例.臨眼65:1105-1109,20115)WernerL,SherJH,TaylorJRetal:Toxicanteriorsegmentsyndromeandpossibleassociationwithointmentintheanteriorchamberfollowingcataractsurgery.JCataractRefractSurg32:227-235,20066)MoisseievE,BarakA:Toxicanteriorsegmentsyndromeoutbreakaftervitrectomyandsiliconeoilinjection.EurJOphthalmol22:803-807,20127)AriS,CacaI,SahinAetal:Toxicanteriorsegmentsyndromesubsequenttopediatriccataractsurgery.CutanOculToxicol31:53-57,20128)川部幹子,近藤峰生,加賀達志ほか:I/Aハンドピースへの付着残留物により発生したと考えられるTASSのoutbreak.眼臨紀4:216-221,20119)YangSL,YanXM:Retrospectiveanalysisofclinicalcharacteristicsoftoxicanteriorsegmentsyndrome.ZhonghuaYanKeZaZhi45:225-228,200910)EydelmanMB,TarverME,CalogeroDetal:TheFoodandDrugAdministration’sProactiveToxicAnteriorSegmentSyndromeProgram.Ophthalmology119:12971302,201211)CutlerPeckCM,BrubakerJ,ClouserSetal:Toxicanteriorsegmentsyndrome:commoncauses.JCataractRefractSurg36:1073-1080,201012)CornutPL,ChipuetC:Toxicanteriorsegmentsyndrome.JFrOphtalmol34:58-62,2011***698あたらしい眼科Vol.30,No.5,2013(120)