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白内障手術後のI/Aハンドピースの洗浄剤残留により発生したと考えられるTASS症例

2013年5月31日 金曜日

《原著》あたらしい眼科30(5):695.698,2013c白内障手術後のI/Aハンドピースの洗浄剤残留により発生したと考えられるTASS症例御子柴徹朗小坂晃一川島晋一藤島浩鶴見大学歯学部眼科学教室ACaseofToxicAnteriorSegmentSyndrome(TASS)afterCataractSurgery,PossiblyAssociatedwithI/AHandpieceSterilizationMaterialTetsuroMikoshiba,KoichiKosaka,ShinichiKawashimaandHiroshiFujishimaDepartmentofOphthalmology,SchoolofDentalMedicine,TsurumiUniversity目的:白内障術後にI/A(灌流/吸引)ハンドピースの洗浄剤に関連すると考えられるtoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)症例について報告する.症例:85歳,女性で,特に合併症なく角膜切開法による超音波乳化吸引術および眼内レンズ挿入術を施行されたが,手術翌日に前房内に前房蓄膿を伴う重度の炎症を発症した.I/Aハンドピースの洗浄剤に類似した油滴状物質が虹彩の前面に認められたことが特徴的であった.ステロイド薬点眼治療によく反応した.結論:以上からI/Aハンドピースの洗浄剤残留によるTASSが疑われた.Wereportacaseoftoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)thatdevelopedaftercataractsurgeryandwaspossiblyassociatedwithI/A(irrigation/aspiration)handpiecesterilizationmaterial.Thepatient,an85year-oldfemale,underwentuneventfulphacoemulsificationviaclearcornealincisionwithintraocularlensimplantation.TASSoccurredthedayaftercataractextraction,thepatientdevelopingsevereanteriorchamberinflammationwithhypopyon.AtypicallyoilysubstanceverysimilartoI/Ahandpiecesterilizationmaterialwasfoundtobepresentwithintheanteriorchamber.Theconditionimprovedwithlocalsteroidtreatment.ItissuggestedthattheoilysubstancewastheetiologicfactorinthiscaseofTASS.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)30(5):695.698,2013〕Keywords:TASS,無菌性,前眼部炎症,ハンドピース,洗浄剤.toxicanteriorsegmentsyndrome(TASS),sterilitas,anteriorchamberinflammation,handpiece,materialforsterilization.はじめに1980年以来白内障手術後に無菌性の起炎物質による重症前眼部炎症が報告されるようになり,1992年Monsonらによってこれらはtoxicanteriorsegmentsyndrome(TASS)と命名され,まれな術後合併症の一つと認知されるようになった1).確定診断につながる特徴的所見はなく,細菌性の術後眼内炎と同様の自覚症状(霧視,眼痛,結膜・毛様充血など)を認め,初期にはフィブリン析出や前房蓄膿,角膜浮腫などの前眼部炎症所見がみられる.治療は,細菌性の術後眼内炎を考慮しつつ,炎症に対する対症療法的なものが主体となるが,前眼部炎症による角膜内皮細胞のバリア機能低下やポンプ機能の破綻から恒久的な角膜内皮障害をきたすこともある2).今回,手術翌日に発症し,著明な炎症反応を認めながら抗菌薬点眼投与の効果が認められず,ステロイド薬点眼投与が著効した1例を経験したので報告する.I症例患者:85歳,女性.主訴:白内障による視力低下.家族歴:特記事項なし.現病歴:他院で2011年12月中旬に白内障手術を施行された.当日同院で行われた6例の白内障手術の1例目の症例〔別刷請求先〕御子柴徹朗:〒230-8501横浜市鶴見区鶴見2-1-3鶴見大学歯学部眼科学教室Reprintrequests:TetsuroMikoshiba,M.D.,DepartmentofOphthalmology,SchoolofDentalMedicine,TsurumiUniversity,2-1-3Tsurumi,Tsurumi-ku,Yokohama-shi,Kanagawa230-8501,JAPAN0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(117)695 であった.アルコン社の白内障手術装置(インフィニティRビジョンシステム)を用いての左眼超音波乳化吸引術+眼内レンズ挿入術を2.8mm角膜耳側切開で実施し,術中合併症はなかった.眼内レンズは,アルコン社のプリセットタイプのSN6CWF,粘弾性物質はプロビスクR(アルコン社)のみを使用した.術翌日,眼痛,霧視などの自覚症状は特になく,左眼視力0.9(1.0×.0.25D(cyl.0.50DAx160°)と良好であったが,前房内に前房蓄膿とフィブリン析出を伴う眼内炎を認め,左眼眼圧25mmHgであった.セフカペンピボキシル3.5g分3内服,レボフロキサシン点眼,トブラマイシン点眼,ベタメタゾン点眼をいずれも1時間ごと投与,同日午前と午後にゲンタマイシン,ベタメタゾンの結膜下注射,同日午後にフロモキセフナトリウム1g点滴投与を行った後に,12月下旬,当院眼科紹介受診.当院初診時,細隙灯顕微鏡(以下,細隙灯)にて,前房内に光沢感のある小球状油滴様物質が虹彩の前面および小窩に散在し,同物質は.と眼内レンズの間にも認められた(図1a).炎症所見は前眼部限局性であり,細隙灯にてcell(3+),flare(+),Descemet膜皺襞(+),前房蓄膿(+),虹彩前面にフィブリン(+)が著明に認められた(図1b).同日入院にて,レボフロキサシン1.5%点眼,セフメノキシム0.5%点眼を1時間ごと,カルテオロール塩酸塩点眼1日2回,入院にてパニペネム1g点滴1日1回投与.感染症を考慮し,ベタメタゾン点眼は中止した.翌日,パニペネム1g点滴1日1回を継続.細隙灯にてcell(2+),flare(+),角膜後面沈着物(+),Descemet膜皺襞(+),前房蓄膿(+).油滴様の物質はやや減少傾向を認めた.明らかな増悪はなく,硝子体腔内への波及も認めなかった.以上の経過から非感染性炎症を考慮し,同日昼よりベタメタゾン点眼を2時間ごとに開始したところ,夕方の診察にて炎症徴候の改善傾向が明らかに認められた.抗炎症薬による症状改善を期待し,さらにブロムフェナクナトリウム点眼1日2回を追加し経過をみた.術後4日,左眼視力0.1(0.6×.1.50D(cyl.0.50DAx180°),左眼眼圧17mmHg,細隙灯にてcell(2+),flare(±),角膜後面沈着物(±),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(±)で,炎症反応の著明な改善を認めたため,退院とした.左眼視力については眼内レンズ上のフィブリン付着の残存の影響が考えられた.退院時処方はセフジニル300mg内服4日分,ベタメタゾン点眼1日4回,ブロムフェナクナトリウム点眼1日2回,レボフロキサシン点眼,セフメノキシム点眼をそれぞれ1日4回継続した.2011年12月下旬(術後8日),外来診察時,左眼眼圧13696あたらしい眼科Vol.30,No.5,2013abc図1当院初診時(術後2日)の前眼部写真a:虹彩に付着した油滴様物質(矢印).b:前房蓄膿著明(矢印)(結膜下出血は,前医での抗生物質結膜下注射による).c:炎症反応著明(散瞳).mmHg,細隙灯にてcell(+),角膜後面沈着物(±),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(.)で炎症反応の改善を認めた.2012年1月上旬(術後17日),外来診察時,左眼視力0.3(0.8×.1.00D),左眼眼圧は17mmHg,細隙灯にてcell(.),flare(.),Descemet膜皺襞(.),前房蓄膿(.)と(118) abab図2外来通院時(術後17日)の前眼部写真a:前眼部炎症改善.b:油滴様物質消失.改善した(図2a).油滴様物質は消失した(図2b).2012年1月上旬(術後18日),紹介元受診時,左眼視力0.3(0.9×.0.75D(cyl.0.50DAx90°)とさらに改善を認めていた.角膜内皮細胞数は2,788cell/mm2であり,術前からの減少は認めなかった.2012年9月上旬(術後9カ月),紹介元受診時,左眼視力0.4(1.0×.0.50D(cyl.0.50DAx80°)と良好であった.II考按TASS発症は白内障手術の0.22%と比較的まれな疾患2)でありながら,TASSとして認知されている症例の原因物質は多岐にわたる.眼内に使用した粘弾性物質,前.染色に用いたトリパンブルー3),インドシアニングリーン4),術直後に使用した眼軟膏5),硝子体手術のシリコーンオイル6),硝子体手術キット7),I/A(灌流/吸引)ハンドピースに付着した残留物8)に至るまでのさまざまな原因物質の報告がある.今回のケースでは,光沢感のある小球状油滴様物質が虹彩の前面に付着していた(図1c)ことが特徴的で,同物質は.と眼内レンズの間にも認められた.この物質の存在部位にフィブリンが多く局在したこと,こ(119)図3洗浄剤を金属皿上に滴下して撮影した写真の物質の消退とともに症状が著明に改善していることなどから関連性が示唆された.虹彩表面に散在していた油滴様物質は,オートクレーブの洗浄剤に酷似しており(図3),この物質を採取していれば細かな分析も得られたのであるが,今回は実施しなかった.同日6例の白内障手術の1例目の手術症例にのみ今回の症状をきたしていることから,I/AハンドピースもしくはUS(超音波)ハンドピースに洗浄剤の洗浄不足による残留が疑われた.洗浄剤メーカーの品質管理責任者に問い合わせたところ,この洗浄剤(イナミクリーンPR)は医療機器の範疇ではなく,行政への事故報告自体の存在がないものではあるが,1990年くらいからの同洗浄剤の販売実績のなかで今回のようなケースの事故の報告はなかったこと,洗浄剤の使用説明書どおりの器具洗浄を行えば器具の洗浄剤は残留しないとの回答であった.洗浄剤は,蛋白分解酵素,高級アルコール系非イオン界面活性剤,水溶性溶剤,金属腐食防止剤,防腐剤,酵素安定化剤,ミント香料,着色料(緑色),水の混合物質で,その化学的性質は,pH7.2,比重1.035.1.075,水,湯に溶解性をもつ不燃性の液体である.洗浄後に洗浄剤がハンドピース内に残留する可能性は完全に検証されているわけではなく,手術1例目に臨む際にハンドピース使用時に灌流を少し多めに施行してから開始することなどの対策が必要と考えられた.自覚症状としては「痛みを伴わない霧視」が術後1日後までにきたすことが多い9)ようで,今回のケースでも同様であった.しかし自覚症状もさまざまであり,単に自覚症状のみでTASSを判断するのは危険である.典型的なTASS発症の時期は,白内障術後の12.72時間(多くは術後48時間以内10))で発症するものが多い.TASS発症時には,多くの症例で急性眼内炎と診断され,所見上,びまん性角膜浮腫,重度の前部ぶどう膜炎をきたす.そのほとんどは局所のステロイド薬投与で改善を認めるあたらしい眼科Vol.30,No.5,2013697 が,ときに慢性的な眼圧上昇や,恒久的な角膜浮腫,内皮細胞の障害を残すことがある.ただし,TASS治癒後の遠見の矯正視力はTASS発症前のものと比較しての有意差は認められていない2).今回の症例においても治癒後の矯正視力は良好である.日本でのTASS症例の報告が少ないのは,術後の抗生物質点眼とステロイド薬点眼が通常使用されていることで未然に抑えられている可能性が考えられる.術中の粘弾性物質や術直後の抗生物質眼軟膏5)など手術に必須とするものを含めた原因物質の多様性11,12)を考えると,原因物質の排除を可及的に徹底することが必要である.TASSの後遺症としては萎縮性虹彩変化(24%),後.混濁(16%),前.収縮(12.5%),.胞様黄斑浮腫(4%)などが主たるものである2)が,今回は特に明らかな後遺症は認めていない.ただ,後遺症として視力予後は基本的に良好であるTASSに対しては,感染との鑑別が困難であることも併せ,術後感染を制御するなかで改善が得られない症例での対応というスタンスで十分と考えられる.そのうえで改善が得られない症例ではTASSを考慮して速やかに対応することが,初期治療の開始時期が予後に影響する9)ことからも大切である.今回の経験から,TASS発症を未然に防ぐ対策として,USハンドピースとI/Aハンドピースを十分に生理食塩水などで洗浄すること,手術に臨む際には灌流液を流すことを実施することが一助となると考えられた.また,白内障手術時にI/Aの丁寧な実施で眼内に「異物」を残さないように注意することが大事であると改めて認識させられた.文献1)MonsonMC,MamalisN,OlsonRJ:Toxicanteriorsegmentinflammationfollowingcataractsurgery.JCataractRefractSurg18:184-189,19922)SenguptaS,ChangDF,GandhiRetal:Incidenceandlong-termoutcomesoftoxicanteriorsegmentsyndromeatAravindEyeHospital.JCataractRefractSurg37:1673-1678,20113)BuzardK,ZhangJR,ThumannGetal:Twocasesoftoxicanteriorsegmentsyndromefromgenerictrypanblue.JCataractRefractSurg36:2195-2199,20104)渡邉一郎,越智順子,家木良彰:前.染色に用いたインドシアニングリーンが原因と考えられた白内障術後toxicanteriorsegmentsyndromeの1例.臨眼65:1105-1109,20115)WernerL,SherJH,TaylorJRetal:Toxicanteriorsegmentsyndromeandpossibleassociationwithointmentintheanteriorchamberfollowingcataractsurgery.JCataractRefractSurg32:227-235,20066)MoisseievE,BarakA:Toxicanteriorsegmentsyndromeoutbreakaftervitrectomyandsiliconeoilinjection.EurJOphthalmol22:803-807,20127)AriS,CacaI,SahinAetal:Toxicanteriorsegmentsyndromesubsequenttopediatriccataractsurgery.CutanOculToxicol31:53-57,20128)川部幹子,近藤峰生,加賀達志ほか:I/Aハンドピースへの付着残留物により発生したと考えられるTASSのoutbreak.眼臨紀4:216-221,20119)YangSL,YanXM:Retrospectiveanalysisofclinicalcharacteristicsoftoxicanteriorsegmentsyndrome.ZhonghuaYanKeZaZhi45:225-228,200910)EydelmanMB,TarverME,CalogeroDetal:TheFoodandDrugAdministration’sProactiveToxicAnteriorSegmentSyndromeProgram.Ophthalmology119:12971302,201211)CutlerPeckCM,BrubakerJ,ClouserSetal:Toxicanteriorsegmentsyndrome:commoncauses.JCataractRefractSurg36:1073-1080,201012)CornutPL,ChipuetC:Toxicanteriorsegmentsyndrome.JFrOphtalmol34:58-62,2011***698あたらしい眼科Vol.30,No.5,2013(120)