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縫合可能であった外傷性下直筋断裂の幼児の1例

2012年5月31日 木曜日

《原著》あたらしい眼科29(5):711.715,2012c縫合可能であった外傷性下直筋断裂の幼児の1例三浦瞳羽根田思音菅野彰山下英俊山形大学医学部眼科学講座InfantCaseofTraumaticLacerationofInferiorRectusMuscleHitomiMiura,ShionHaneda,AkiraSuganoandHidetoshiYamashitaDepartmentofOphthalmologyandVisualSciences,YamagataUniversityFacultyofMedicine目的:外眼筋断裂は幼児では診断が困難である.また,断裂した筋の中枢側断端の同定が困難な場合も多い.今回筆者らはコンピュータ断層撮影(CT)で外眼筋断裂を疑い,術中診断し縫合可能であった外傷性下直筋断裂の幼児例を経験したので報告する.症例:1歳5カ月の男児.転倒し,フックに左眼を強打した.受傷同日の初診時左眼瞼腫脹が著明であったが,眼瞼裂傷は認めなかった.眼窩部CTでは左下直筋周囲の炎症所見および眼窩内の気泡を認めた.下直筋断裂を疑い全身麻酔下で手術を施行した.術中所見では下方円蓋部の結膜裂傷および下直筋腱の断裂を認めた.中枢側断端を同定でき,断端の中枢側と遠位側を6-0バイクリルR糸で縫合した.術後1日目は10°の左上斜視を認めた.術後1カ月では眼位は正位となり,眼球運動制限を認めなかった.結論:CTは幼児の外傷性外眼筋断裂の診断に有用であった.断裂した筋の縫合を行うことで良好な結果が得られた.Withlacerationofanextraocularmuscle,itisoftendifficulttoidentifythemuscle’sproximalend.Wereportthecaseofa17-month-oldmalewithtraumaticlacerationoftheinferiorrectusmuscleofthelefteye,duetoinjurybyahook.Nowoundwasdetectedonthelefteyelid.Computer-aidedtomographyshowedinflammatoryfindingsaroundtheinferiorrectusmuscleandfreeairintheorbitalspace.Aconjunctivaltearandlacerationoftheinferiorrectusmuscleweredetected.Weidentifiedtheproximalendofthemuscleintheintermuscularseptum.Bothendsofthemuscleweresuturedwith6-0absorbablesutures.Onedaylater,eyepositionwas10°lefthypertropia.Atonemonthlater,eyepositionhadimprovedtoorthophoriaandeyemovementhadnormalized.Inpediatriccases,itisnecessarytosuturelaceratedmuscles,soastoavoidstrabismusandamblyopia.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)29(5):711.715,2012〕Keywords:下直筋断裂,乳幼児,外傷.inferiorrectusmuscle,infant,trauma.はじめに外眼筋の断裂は外傷あるいは斜視,網膜.離のバックル手術の術中などにしばしば認める.外眼筋断裂では,断裂した筋肉の断端を同定し,中枢側と遠位側を縫合することが最も推奨される手術法と考えられるが,断裂した筋の中枢側が収縮して奥に入り込んでしまうため,断端を同定するのが困難な場合が多い.中枢側の断端が同定できない場合は外眼筋の移動術が必要になる.しかし,移動術はさらなる直筋への負担から前眼部虚血の可能性があり,さらに定量性に欠け,複視が残存する場合も少なくない.さらに,無治療のまま放置すると上下斜視や複視,眼球運動障害が生じうる.幼小児の症例では上下斜視や下転制限が残存すると弱視を発症する危険性も出現するため,手術による根本的な治療が不可欠であり,術後も視力や眼位に注意して経過観察を行う必要がある.また,乳幼児の外傷例では患児の協力が得られず,診察が困難であることも多く,手術の適応の有無などの臨床的な診断がむずかしい場合がある.今回筆者らは術前のコンピュータ断層撮影(computeraidedtomography:CT)にて外眼筋断裂を疑い,術中に下直筋断裂を確認し,断端を縫合した外傷性の下直筋断裂の小児の症例を経験したので報告する.〔別刷請求先〕三浦瞳:〒990-9585山形市飯田西2-2-2山形大学医学部眼科学講座Reprintrequests:HitomiMiura,M.D.,DepartmentofOphthalmologyandVisualSciences,YamagataUniversityFacultyofMedicine,2-2-2Iida-Nishi,Yamagata990-9585,JAPAN0910-1810/12/\100/頁/JCOPY(131)711 I症例患者:1歳5カ月の男児.主訴:左眼痛,左眼瞼腫脹.現病歴:2010年12月9日,ショッピングセンターで転倒した際に,陳列棚のフックに左眼を強打した.出血が止まらなかったため,同日山形大学医学部附属病院の救急部を受診した.初診時所見:著明な左眼の眼瞼腫脹を認めたが,眼瞼の皮膚側に裂傷は認めなかった.細隙灯顕微鏡では両眼ともに角膜,前房および水晶体を含めた前眼部に異常所見を認めなかった.患児の協力が得られなかったため,術前の眼位,眼球運動の評価は困難であった.また,1歳5カ月のため,視力検査も施行できず,それ以上の詳細な診察や検査は困難であった.左眼以外に打撲した部位もなく,全身的に異常所見を認めなかった.眼窩部のCTでは,眼球の形態の異常および眼窩壁骨折は認めなかった.左眼下直筋の著明な腫脹および下直筋周囲の炎症所見,眼窩内の気腫を認め,これらの所見から外眼筋断裂を疑い,同日全身麻酔下で手術を予定した(図1).術中所見:開瞼器で眼瞼を開けたところ,左眼は上転しており,6時方向の結膜円蓋部に裂傷を認め,その周囲に著明な結膜下出血および結膜浮腫を認めた.結膜を展開し,血腫で腫脹したTenon.を.離したところ,断裂した下直筋の遠位端を認めた.明らかな強膜の裂傷や内直筋,外直筋の損傷は認めなかった.眼窩下壁側に沿って,腫脹したTenon.の.離を丁寧に進めると,筋鞘の袋状の端を認め,その中に下直筋の中枢側の断端を同定できた(図2).同定した下直筋の中枢側を把持鉗子で把持し,6-0バイクリルR糸を通糸して,遠位側断端と中枢側断端を縫合した(図3).結膜の裂傷は8-0バイクリルR糸で縫合した.また,術中に眼底検査を施行したところ,硝子体出血は認めず,網膜および視神経に異常所見を認めなかった.経過:手術翌日は正面視で10°の左上斜視と右側への頭位傾斜を認めた.術後1カ月では眼位は正面視で正位となり,眼球運動も制限を認めなかった.術後10カ月(2歳3カ月)図1CT所見左:冠状断(術前),右:矢状断(術前).灰色矢印:左眼の下直筋の著明な腫脹および炎症所見を認めた.白矢印:眼窩内の気腫.図2術中所見白矢印:下直筋中枢側断端.灰色矢印:下直筋遠位側断端.図3術中所見下直筋の中枢側断端と遠位側断端を縫合した(白矢印:下直筋縫合部).712あたらしい眼科Vol.29,No.5,2012(132) 図4術後10カ月のCT所見左:冠状断,右:矢状断.図5術後10カ月の眼位(正面視)の眼位は正位で,眼球運動制限を認めなかった(図5).視力は両眼ともに0.8(n.c.)で左右差を認めなかった.CT所見でも左下直筋の腫脹および炎症所見は改善していた(図4).術後12カ月(2歳5カ月)の視力は右眼0.8(1.0×.0.50D),左眼1.0(n.c.)と左右差を認めなかった.II考按外傷性の外眼筋損傷のなかでも下直筋の断裂は頻度が高い.HelvestonとGrossmanは,直筋のほうが斜筋と比較して角膜輪部に近く,解剖学的に外界に曝されているため外傷で損傷しやすいと報告している.彼らはさらにBell現象によって,外傷の衝撃による閉瞼および眼球が上転あるいは外転するため,直筋のなかでも特に下直筋と内直筋が断裂する頻度が高いと述べている1).今回の症例は幼児であったため,術前の詳細な診察が困難であった.CT所見で外眼筋断裂の所見は明らかでなかったが,左眼下直筋の著明な腫脹と下直筋周囲の著明な炎症所見,および眼窩内に気腫を認めたことで下直筋断裂を疑うことができた.眼窩は閉鎖空間であるため,本来眼窩内に気腫は存在しないはずである.眼窩壁骨折や頭蓋底骨折なども認めないにもかかわらず,このような所見を認めた場合,外傷による損傷が大きいことが予想でき,筋の断裂も念頭に入れて手術を検討すべきであると考えられた.今回CTで下直筋断裂の所見が明らかでなかったのは,受傷直後で筋の腫脹や炎症が著明であったためと考えられた.今回の症例のように眼位や眼球運動などの詳細な診察が困難な幼児の外傷例ではCTの所見が診断に有用であると考えられた.わが国の下直筋断裂に関しての報告は13例13眼(11報告)2.12)であった.全例外傷によるもので網膜.離や斜視の術中の症例はなかった.下直筋の中枢側断端を同定できた症例は13例中10例であった.下直筋の中枢側断端が同定できた場合には断端の縫合が施行されていた.下直筋の中枢側断端の同定が不可能であった場合には,水平筋の全幅筋移動術や下直筋の短縮前方移動術が施行されていた.わが国の報告では小児の下直筋断裂の報告はなかった.山尾らの報告では受傷当日の緊急手術では下直筋の中枢側の断端を同定できず,2日後の再手術で下直筋の断端を同定,縫合することが可能であった.術後下転障害が残存したものの,術前より眼位の改善を認めた2).鈴木らの報告では受傷後5カ月経過した例であったが,断裂した下直筋の断端を縫合し,術後良好な結果を得ている3).下直筋断裂の場合はLockwood靱帯が下直筋と下斜筋の共通の筋鞘として存在しているため,中枢側の断端が後退しにくく,他の外眼筋断裂と比較して同定しやすい場合がある.この症例では断裂の部位が眼窩深部でなく,筋付着部の近くであった.そのため,Lockwood靱帯が損傷を受けず,中枢側断端が収縮して眼窩深部に落ち込んでしまうことがなかったため,同定可能であったと述べている.術前は25Δの左上斜視および下転障害を認めていたが,術後眼位は正位となり,下転障害も改善した.下直筋断裂に対する手術では,できるだけ受傷後早期に下直筋の同定を試み,断端を同定できた場合には縫合するのが原則である.しかし,受傷後長期間経過しても,下直筋の解剖学的特性から,まず中枢側の断端の同定を試みる価値があると考えられる.今回の症例はフックによる眼外傷であり,Lockwood靱帯より前方の位置で断裂を認めた.そのためLockwood靱帯の存在により断端の同定ができた可能性が高く,その結果筋の縫合ができ,良好な結果を得られたと考えられる.(133)あたらしい眼科Vol.29,No.5,2012713 下直筋の中枢側の断端を同定することができなかった症例では,下斜筋短縮前方移動術や水平筋全幅移動術などが施行されている.下斜筋短縮前方移動術は上斜筋麻痺や下斜筋過動,交代性上斜位の治療として広く行われている下斜筋前方移動術に短縮を加えた術式である.斜筋手術であることから前眼部虚血の可能性がないことが利点である.直筋の手術と比較すると定量性に欠けるが,短縮を行う量を調節することや受傷眼の上直筋後転を追加することなどにより,ある程度定量性を補うことが可能である.水平筋全幅移動術は外眼筋の完全麻痺の際に施行されることが多い術式である.筋の付着部での切腱や分割が不要で,筋の辺縁を結紮するため,前眼部虚血の危険性が少ない.これらの術式は眼位矯正に有用であると考えられるが,定量性に欠けるため,術後複視が残存する可能性も考慮して術式を選択する必要がある.上記のような術式はいずれも下直筋以外の筋の作用する方向を変えることによって,下転に作用する力を補うものである.断裂した下直筋の中枢側が同定できず縫合不可能であった場合や,断裂した筋を同定できても損傷が強く,筋の張力が低下し拘縮しているような場合にはこのような術式が有用であると考えられる.本症例のような小児の下直筋断裂の症例は非常に少なく,筆者らが調べた限りでは以下の3例であった.断裂した下直筋の断端を縫合できたのはHelvestonらの報告のみで,それ以外の症例では下斜筋前方移動術が施行されていた.Helvestonらの症例では前医から紹介されたのが受傷3カ月後であったため,手術も受傷3カ月後に施行されていた.手術まで時間が経過していたが,下直筋断端を同定し,縫合することができ,眼位および下転障害の改善を認めている.術後正面視での眼位も正位となった1).Gamioらの症例は前医で3歳時に左眼の上斜筋麻痺に対する手術を施行されている症例で,左上斜視が出現してきたため,5歳時に再手術を施行した.術中に下直筋が同定できず,外直筋が下方に偏位して付着していた.下直筋の縫合が不可能であったため,下斜筋を少量短縮し,前方移動した.下斜筋は以前に手術された形跡はなかった.偏位していた外直筋はもともとの付着部に縫合しなおした.術後眼位は正面視で10Δの内斜視と4Δの右上斜視となったが,術前と比較すると著明に改善した13).Asadiらの症例はもともと術前の眼位は正面視では正位であったが,上方視時に15Δの外斜視,下方視時に10Δの内斜視および両眼の下斜筋過動を認めた.左眼の下斜筋前転術を施行した後,右眼の下斜筋前転を施行しようとした際に下直筋断裂が生じた.下直筋の断端の同定が不可であったため,内直筋の付着部を下直筋の付着部付近に移動させた.正面視では8Δの左上斜視および30°下方視時の3Δの左上斜視,30°上方視時の25Δの左上斜視を認めた14).受傷機転や筋の損傷の程度,手術までの時期もさまざまであり,一概に比較するのはむずかしいが,下直筋を縫合可能であった例とできなかった例を比較すると,いずれも術後眼位と眼球運動は術前と比較して改善している.しかし,正面視の眼位は縫合できた症例で正位となっており,良好な結果を得ている.このことは下直筋を縫合できた症例のほうが他の筋で下方への動きを補うより,下直筋をもともとの位置に戻すほうがより生理的な眼球運動を得られたためと考えられる.今回の症例でも受傷当日に断裂した下直筋を縫合し,生理的な位置に戻すことができたため,術後の眼位および眼球運動において良好な結果を得られたと考えられる.小児の外眼筋断裂では斜視や眼球運動障害に伴う弱視の危険性があるため,受傷後早期に手術による根本的な治療を積極的に検討するべきである.特に今回の症例のような視機能の発達段階の乳幼児の症例では,術後も弱視になる可能性を常に念頭に置きながら,視力や眼位を注意深く経過観察していく必要がある.III結論CTは幼児の外傷性外眼筋断裂の診断に有用であった.外傷性下直筋断裂に対して断裂した断端を同定し縫合することは,もともとの筋の生理的な位置に近づけられるため,術後眼位の改善を認める可能性が高いと考えられる.現時点ではまだ短期の経過であるため,今後の予後については経過観察が必要である.文献1)HelvestonEM,GrossmanRD:Extraocularmusclelacerations.AmJOphthalmol81:754-760,19762)山尾信吾,菅澤淳,辻村総太ほか:縫合可能であった高齢者の外傷性下直筋断裂.臨眼56:1767-1771,20023)鈴木由美,山田昌和,井之川宗佑ほか:陳旧性下直筋断裂に下直筋縫合が有効であった1例.眼臨紀4:254-258,20114)金子敏行,花崎秀敏,田辺譲二ほか:サーフボードによる下直筋断裂の例.眼科31:89-93,19895)森田一之,佐藤浩之,伊藤陽一ほか:下直筋断裂の1例.臨眼96:104-106,20026)大島玲子,當間みゆき,植田俊彦ほか:下直筋断裂の2症例.日本災害医学会会誌42:562-566,19947)山内康照,大野淳,泉幸子ほか:下直筋完全断裂を伴った眼窩底骨折症例の検討.日本職業・災害医学会会誌50:135-140,20028)河本重次郎:外傷II(眼科小言).日眼会誌13:144-145,19099)河本重次郎:奇ナル眼外傷.眼臨26:564,1931714あたらしい眼科Vol.29,No.5,2012(134) 10)坂上直道:下直筋外傷の1例.診断と治療25:436,1938transposionoftheinferiorobliquemuscle[RATIO]to11)西村香澄,彦谷明子,佐藤美保ほか:外傷性下直筋断裂にtreatthreecasesoftheinferiorrectusmuscle.Binocul対する下斜筋短縮前方移動術の効果.眼臨紀2:249-255,VisStrabismusQ17:287-295,2002200914)AsadiR,FalavarjaniKG:Anteriorizationofinferior12)西川亜希子,西田保裕,村木早苗ほか:外傷性下直筋断裂obliquemuscleanddownwardtranspositionofmedialrecに用いた水平筋全幅移動術.眼臨紀3:145-148,2010tusmuscleforlostinferiorrectusmuscle.JAAPOS10:13)GamioS,TartaraA,ZelterM:Recessionandanterior592-593,2006***(135)あたらしい眼科Vol.29,No.5,2012715