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初診時眼底に異常を認めなかった網膜中心動脈閉塞症の1例

2009年11月30日 月曜日

———————————————————————- Page 1(113) 15530910-1810/09/\100/頁/JCOPY あたらしい眼科 26(11):1553 1555,2009cはじめに網膜中心動脈閉塞症(central retinal artery occlusion:CRAO)は,網膜中心動脈が閉塞し,急激で重篤な視力障害をきたす疾患である.この疾患は,高齢者では動脈硬化,糖尿病が多くみられ,若年者では全身性の血管炎や血液疾患などの特殊な基礎疾患が存在する1).通常の CRAO であれば眼底所見として桜実紅斑という特徴的な所見を示すことにより診断は容易である.不完全なCRAO の場合でも,軽度の網膜混濁と散在する軟性白斑が認められるとされる2,3).しかし,桜実紅斑を呈していない場合は,診断は決して容易ではない.今回,筆者らは初診時眼底に桜実紅斑がみられず,CRAO の確定診断が遅れた症例を経験したので報告する.I症例患者:70 歳,男性.初診日:2005 年 10 月 20 日.主訴:急激な右眼視力低下.〔別刷請求先〕岡本紀夫:〒663-8501 西宮市武庫川町 1-1兵庫医科大学眼科学教室Reprint requests:Norio Okamoto, M.D., Department of Ophthalmology, Hyogo College of Medicine, 1-1 Mukogawa-cho, Nishinomiya-city, Hyogo 663-8501, JAPAN初診時眼底に異常を認めなかった網膜中心動脈閉塞症の 1 例岡本紀夫大野新一郎大出健太鈴木克彦三村治兵庫医科大学眼科学教室A Case of Central Retinal Artery Occlusion with Normal Fundus Appearance on First ExaminationNorio Okamoto, Shinichirou Oono, Kenta Oode, Katsuhiko Suzuki and Osamu MimuraDepartment of Ophthalmology, Hyogo College of Medicine背景:初診時に桜実紅斑を呈しなかった網膜中心動脈閉塞症を経験したので報告する.症例:70 歳,男性.主訴は右眼の視力低下.視力は初診時指数弁で,対光反応は消失していた.眼底検査では特に異常を認めなかった.夜間であり,全身合併症を複数有していたため,翌朝に内科医と相談のうえで精査,加療をすることになった.しかし,11時間後の翌朝に再診したときには明らかな桜実紅斑を呈する網膜中心動脈閉塞症であった.結論:明らかな桜実紅斑がある場合は診断が容易であるが,網膜中心動脈閉塞症の極早期にはこの所見を呈しない可能性がある.さらに,急激な視力低下をきたし,かつ,既往歴に動脈硬化や糖尿病,心疾患などを有する場合は,たとえ眼底検査で桜実紅斑がなくても網膜中心動脈閉塞症を疑うべきであることが示唆された.Background:We report a case of central retinal artery occlusion(CRAO)in which no cherry red spot was observed at initial examination. Case:The patient, a 70-year-old male, complained mainly of poor vision in his right eye. At the initial examination, on the basis of nger counting it was found that the eye had lost reaction to light. Fundus examination did not show any speci c abnormalities. Because it was night and the patient had multi-ple systemic complications, we decided to examine him closely and provide treatment on the following morning, after consulting with an internal medicine specialist. However, when we examined the patient again 11 hours after his initial visit, a clear cherry red spot was visible as part of CRAO. Conclusion:It is easy to diagnose CRAO when a clear cherry red spot is evident, but some cases may not present with this symptom at a very early stage of the condition. It is suggested that when sudden visual degradation occurs and multiple systemic complications are present in the medical history, CRAO should be suspected, even if no cherry red spot is evident during fundus examination.〔Atarashii Ganka(Journal of the Eye)26(11):1553 1555, 2009〕Key words:網膜中心動脈閉塞症,極早期.central retinal artery occlusion, very early stage.———————————————————————- Page 21554あたらしい眼科Vol. 26,No. 11,2009(114)現病歴:2005 年 10 月 13 日頃より右眼の眼鏡が合わないことを自覚していたが,顎を上げることにより見えていたので放置していた.しかし,2005 年 10 月 20 日昼頃より顎を上げても右眼が見えにくくなり,20 時半頃入浴中にさらに急激かつ高度な右眼の視力低下を自覚したため,兵庫医科大学病院眼科を 21 時 50 分に受診した.既往歴:ぶどう膜炎(1998 年),高血圧症,完全房室ブロック,右頸動脈狭窄(73%),拡張型心筋症,ペースメーカー.家族歴:特記すべきことなし.初 診 時 所 見: 視 力 は 右 眼 指 数 弁, 左 眼 0.2(1.0×sph+2.00 D)で,右眼の直接対光反射は消失していた.眼圧は右眼16 mmHg,左眼 15 mmHg.限界フリッカ値は右眼測定不能,左眼 41 46 H zであった.細隙灯顕微鏡所見で両眼とも水晶体の軽度の混濁がみられた.眼底検査では網膜血管に異常を認めず,視神経乳頭の色調も正常であった(図 1).高齢であり後部虚血性視神経症の発症などを疑ったが,夜間であり重篤な全身疾患があるので CT(コンピュータ断層撮影),MRI(磁気共鳴画像)などの検査を行うにあたって内科医の許可が必要と考え,翌日に再診させ精査することになった.経過:翌日の 10 月 21 日午前 10 時の視力は右眼眼前手動弁,左眼(1.0×sph+2.00 D)であった.眼底検査で右眼は網膜静脈の蛇行・拡張を認め,桜実紅斑を呈していた(図2).左眼は軽度の網膜動脈硬化症を認めるのみであった.蛍光眼底検査で腕網膜循環時間は 40 秒と遅延していた(図 3).右眼の CRAO と診断し,ただちに入院のうえ,ウロキナーゼの点滴加療を行うため内科医に相談したところ右頸動脈狭窄,拡張型心筋症に対してパナルジンR 200 m g/日とドルナーR 60 μg/日内服中であると指摘されたので予定していた線溶療法を中止した.そこで眼球マッサージと星状神経節ブロックの治療を考え,ペインクリニック科に星状神経節ブロックを依頼したところ,パナルジンR, ドルナーRの内服があるので施行できないとのことであったので,最終的に眼球マッサージのみを実施した.10 月 28 日に脳外科で頸部を再度精査したところ内頸動脈狭窄率が 80%であったため頸部手術が必要であるとの連絡があった.10 月 31 日に退院となり,そのときの視力は眼前手動弁のままであった.11 月 4日の再診時の右眼視力は 0.01(矯正不能),12 月 1 日の再診時は 0.02(矯正不能),この翌日に内頸動脈狭窄に対してステント術が行われる予定であったが心疾患のため中止となった.2007 年 3 月 25 日再診時の右眼視力は 0.03(矯正不能)図 110月20日の右眼眼底写真桜実紅斑はみられない.網膜血管,視神経に異常を認めない.図 210月21日の右眼眼底写真網膜静脈の蛇行・拡張と桜実紅斑を認める.図 310月21日の右眼蛍光眼底写真40 秒以上経って造影が開始されている.———————————————————————- Page 3あたらしい眼科Vol. 26,No. 11,20091555(115)であった.2009 年 2 月 23 日に心不全にて永眠された.II考按CRAO のは動脈硬化を基盤として発症する疾患である1).代表的な基礎疾患をあげると,高血圧,糖尿病,高脂血症,虚血性心疾患,脳血管障害などがある.本症例は高血圧症,完全房室ブロック,右頸動脈狭窄(73%),拡張型心筋症があり,CRAO のハイリスクの患者であった.眼底検査で桜実紅斑があれば診断は容易であるが,不完全型 CRAO ではまだらな網膜白濁を認める3).最近では高度近 視 眼 に CRAO を 発 症 し た 症例4)や,脈絡膜萎縮眼にCRAO を発症した症例では明らかな桜実紅斑を呈しないことが報告されている5).渡辺は CRAO の極早期には桜実紅斑を呈しないと報告している6).本症例は近視ではないことと,臨床経過から初診時の眼底所見で異常がないことから極早期の CRAO と診断した.また,後部虚血性視神経症が先行して発症し,その後 CRAO をきたした可能性は動脈系が異なることから可能性としてはきわめて低いと考えた.初診時の 10 月 20 日の時点で CRAO での確定診断を行うには蛍光眼底検査が有用であったと考えられるが,高度の全身合併症があり,受診が夜間であったため蛍光眼底検査を施行できなかった.眼底に変化がみられなくとも蛍光眼底検査を施行していれば腕網膜循環時間は遅延していた可能性がある.つぎに,なぜ初診時に桜実紅斑を呈しなかったか,その理由について検討する.Hayreh ら7)はサル 26 眼に対し網膜動脈の血流を 7 分から 113 分間遮断後の眼底所見について報告しており,70 分以上遮断したものではほとんどが重度の網膜白濁をきたしたとしている.しかし,本症例は発症から受診まで約 80 分であったにもかかわらず桜実紅斑を呈していなかった.これは Hayreh らの報告はあくまでも動物実験でありクランプによる完全な血流遮断であるのに対し,ヒトの通常の CRAO であればどこからか血栓,塞栓が飛来し不完全なかたちで網膜動脈を閉塞させている可能性がある.池田ら8)も CRAO では完全閉塞例が少ないことを示唆している.本症例の CRAO の発症原因としては心臓からの血栓の飛来か,頸動脈からの塞栓が考えられた.患者の心臓は拡張型心筋症のため血栓ができやすい環境であり,内頸動脈の狭窄も 80%と高度の狭窄が塞栓源となっている可能性がある.しかし,今回の症例ではどちらが原因であるとは断定できなかった.森本ら9)は,全身合併症の数と視力の改善度との間に相関があると報告している.彼らは 2 つ以上の全身合併症を有する症例は視力予後が不良であると述べている.実際,本症例では循環器系に複数の全身合併症が存在した.石田ら10)は,腕網膜循環時間の著明な延長が認められた症例は初診時視力が不良で,治療にも反応せず,視力予後も不良であったと記載している.本症例の腕網膜循環時間は 40 秒以上と遅延し,右眼視力は最終的に 0.03 に留まった.本症例では複数の全身合併症を有し,網膜の循環不全もあったため,きわめて予後不良であったといえる.本症例は発症して極早期に来院し,眼底は桜実紅斑の所見がみられなかったことから CRAO の確定診断が遅れ,さらに,全身合併症のため積極的な治療の介入ができなかった.今後,このようなハイリスクの症例に遭遇した場合の治療法の検討が必要である.文献 1) 張野正誉:網膜動脈閉塞症.眼科診療プラクティス 85,眼疾患診療ガイド,p38-41,文光堂, 2002 2) Matsuoka Y, Hayasaka S, Yamada K:Incomplete occlu-sion of central retinal artery in a girl with iron de ciency anemia. Ophthalmologica 210:358-360, 1996 3) 上田美子,木村徹,岡本紀夫ほか:視力良好な網膜中心動脈閉塞症の 1 例.眼科 51:443-446, 2009 4) 井上亮,生野恭司,沢美喜ほか:強度近視眼に発症した網膜中心動脈閉塞症の 1 例.眼紀 58:549-552, 2007 5) 松葉真二,岡本紀夫,三村治:桜実紅斑を呈しなかった網膜中心動脈閉塞症の 1 例.眼臨紀 2:140-142, 2009 6) 渡辺博:高齢者に多い眼疾患─診断と治療,予防─.7)-2 網膜動脈閉塞症.Geriat Med 44:1256-1257, 2006 7) Hayreh SS, Weingeist TA:Experimental occlusion of the central artery of the retina. I. Ophthalmoscopic and uo-rescein fundus angiographic studies. Br J Ophthalmol 64:896-912, 1980 8) 池田誠宏,佐藤圭子:新鮮な網膜動脈閉塞症に対する処置.臨眼 45:198-199, 1991 9) 森本健司,福本光樹,吉井大ほか:10 年間に経験した網膜動脈閉塞症の治療経過.眼科 38:825-830, 1996 10) 石田みさ子,沖坂重邦:網膜中心動脈閉塞症の視力予後.眼臨 80:495-498, 1986***