JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑲責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑲責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生から学ぶこと木下茂(ShigeruKinoshita)京都府立医科大学視覚機能再生外科学1974年大阪大学医学部卒業,1979年米国HarvardMedicalSchoolに留学,1984年大阪労災病院眼科部長,1988年大阪大学医学部眼科講師,1992年京都府立医科大学眼科学教室教授,2003年AdjunctClinicalSeniorScientist,TheSchepensEyeResearchInstitute,USA,2008年HonoryDistinguishedProfessor,CardiffUniversity,UK,2011年京都府立医科大学副学長.●JinH.Kinoshitaという偉大な先生★2010年の夏,JinKinoshita先生は89歳で他界されました.1989年にNationalEyeInstitute(NEI)ScientificDirectorという重要な職責を去られましたので,今活躍の,そしてこれから活躍するであろう日本の眼科医や視覚研究者にはJinKinoshitaの名前は余りなじみが無いかもしれません.しかし,現在のNEIDirectorであるDr.PaulSievingのような立場の先生であったといえば,わかりやすいかもしれません.JinKinoshita先生は,サンフランシスコでお生まれになった日系2世の米国人です.1941年に太平洋戦争が勃発した後,多くの日本人が強制収容所に入れられました.Jin先生の家族も例外ではありませんでした.しかし,Jin先生は大学に通うことができた特別な青年の一人でした.1944年にColumbia大学を卒業し,1952年に生物化学の博士号をHarvard大学から授与されています.その後,HarvardMedicalSchool眼科の一員として研究に勤しんで教授に就任したのちに,1971年,新設されたNEIに異動し,1981年にはNEI科学研究部門の最高責任者に就任されました.JinKinoshita先生は,水晶体の生理学と白内障の生化学に関する研究で優れた足跡を残しておられ,AldoseReductaseInhibitorを白内障予防点眼薬として世に出すために努力されました.さらに,日本の眼科・視覚研究を政府間協議などをとおして積極的にサポートされました.現在の日本の眼科・視覚研究がきわめて高いレベルにあるのは,JinKinoshita先生のサポートのお蔭といっても過言ではないと私は思っています.(89)●Jin先生と日本とのかかわり,私とのかかわり★JinKinoshita先生がNEIDirectorであった頃,日本から数多くの優秀な研究者がNEIに留学し,数多くの業績をあげて帰国されました.これらの先生方が中心となって,戦後の,そして学園紛争後の日本の大学の眼科研究体制を立て直し,今に繋がっているのです.当時,日本の眼科研究を国や大学間を超えて大所高所からサポートしてくださった先生方はといえば,米国在住のJinKinoshita先生,ToichiroKuwabara先生,日本の三島済一先生が代表であったと思います.さて,私が最初にJinH.Kinoshita先生とお会いしたのは,1978年,水川孝先生を学会長として第3回InternationalCongressofEyeResearch(ICER)が大阪で開催されたときです.私はなぜか,その学会でSecretaryGeneralをさせていただきまして,会長招宴のときに,名前が同じだからということで,Jin先生が私を出席者の皆さんに公式に紹介されたことを覚えています.私は1979年9月から1982年8月までBostonのRetinaFoundation,HarvardMedicalSchoolに留学しました.研究室代表者はRichardA.Thoft.彼は当時42歳でAssistantProfessor,やっとNEIから基盤研究費をもらい始めた眼科医でした.当然,彼のNEIへの研究費申請書には私を研究者の一員として記載してくれていたのですが,なかなかに難しい状況でした.私はというと,親から留学費用(当時は1ドル230円)を借りて,グラントのサポートがなくても2年間は石にかじりついても米国に居ようと決めていました.今の日本のようにあたらしい眼科Vol.31,No.7,201410150910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真ニューヨークで開催されたICERにて(1980年)JinH.Kinoshita先生と筆者数多くのfellowshipprogramがあるわけではなく,また円ドルレートもまだまだ不安定な頃でした.いろいろなことがありましたが,1979年12月24日,クリスマスイブに,申請していた基盤研究を承認するという非公式な電話がJin先生からThoftにあり,私の研究員としての費用も認めるとのことでした.このエピソードは一つの例でして,Jin先生は人を優しく包み込む素晴らしいパーソナリティをもつ方でした.写真は,1980年,ニューヨークで開催されたICERでご一緒したときのも●★のです.当時,米国の眼科研究者は私の名前をすぐに覚えてくれました.私が“IamasortofJin’srelatives”といえば,皆さん,大いに和んでくれました.●今,何故,JinH.Kinoshita先生を思い出す必要があるのか?★JinKinoshita先生は教授であり,研究者であり,管理者であり,そして若手研究者の良きアドバイザーでした.前NEIDirectorのCarlKupfer先生は,Jin先生の最も素晴らしいところは,若く可能性のある研究者に自由と場所と勇気を与え,必要なときには時間を惜しまずにアドバイスを与えたことであると評していました.一方で,Jin先生は研究に対して厳しい側面もあり,今,日本国内で大問題となっている論文ねつ造問題と同様のことが日本の大学で生じたとき,非常に厳しく対処された先生でした.これから日本の若手眼科研究者を国際的なレベルに育成するためには,我々もJin先生のように広い視野と優しさで若手に向き合う必要があるのではないでしょうか?今でも,我々はJin先生から学ぶことがきわめて多くあると感じています.最後に,本シリーズを責任編集していただいた堀田喜裕先生に深謝します.●★1016あたらしい眼科Vol.31,No.7,2014(90)