あたらしい眼科Vol.28,No.8,201111470910-1810/11/\100/頁/JCOPYこの本が出版されたのは平成8年7月です.私の購入したのは初版第一刷発行の本ですから,多分,平成8年か9年頃に読んでいるのでしょう.昭和63年に京都府立医科大学勤務を辞して,城陽の地で開業した私は,医療訴訟を抱え込みながら少し医療漬けの人生に疑問をもつようになり,平成4年から,ある師のもとで仏教の教えを請うようになりました.いろいろと学ぶうちに仏教とは単なる宗教ではなく,科学,医学,芸術などすべての要素が盛り込まれたものだということに気が付いてきました.釈尊は宇宙の,というより自然の真理を悟られたのかもしれません.とはいえ,その教えは深遠すぎて,私などが容易に理解できるものではありませんし,別の方法で仏教にアプローチしようという思いもあって,「死と生」について書かれたエドガー・ケイシーやキュブラー・ロスなどの本も読み始めました.そうした過程のなかで,臨死体験について書かれているカール・ベッカー著の『死の体験』(法藏館)に出会うことになります.仏教の基本は六道輪廻であり,われわれは過去の行いによる業の深さによって来世の行き先が決まり,その六道輪廻を離れることが究極の悟りであり涅槃であるということになるのでしょう.ここで問題となるのは,死はすべての終わりか,単なる肉体の消滅で『魂』は不死の存在であるのか,という点です.なぜなら,死がすべての終わりなら,仏教のみならずすべての宗教は意味のないものになるからです.彼は著書のなかで,「臨死体験は非常に現実的であり,死後の存在の可能性をも強く感じさせてくれるのである」と書いています.この文章に意を強くした私は,どうしても彼に会いたくなり,浄土宗関係の知人を介してアポイントを取って頂きました.それが平成8年の5月になります.現京都大学大学院人間・環境学研究科教授(当時は京都大学総合人間学部助教授)のカール・ベッカー氏との会談の内容にはここでは触れませんが,とても興味深く,また,彼の仏教に関する造詣の深さには感心させられたものです.少し話が横道に逸れましたが,輪廻転生あるいは六道輪廻に興味が増してきていた私にとって,飯田史彦氏(当時は福島大学経済学部・経営学科助教授)の『生きがいの創造』との出会いはまさに「目からうろこ」というものでした.『第一章過去生の記憶』この章で彼は「退行催眠」という精神医学の治療法を通して明らかになった「過去生の記憶の存在」をさまざまな症例を紹介することによって示しています.どの症例もドラマチックでとても興味深く,私自身は素直に信じましたが,著者も述べているように「このような事例は証拠に値しない,と判断されるのも読者のみなさんのご自由です」ということになるのでしょう.『第二章「生まれ変わり」のしくみ』それでは,私たちはどのようにして「死」を迎え,どのようにして,また生まれてくるのでしょうか.この章では「生まれ変わりのしくみ」をさまざまな科学的研究の成果にもとづいて,整理・統合しています.この章のなかで興味を引く文章があります.『その魂の姿は,しばしば「光のようだ」と表現されます.私たちの本来の姿は「光」であり,正確な表現ではありませんが,わかりやすくいうと,波動あるいは波長の高さ(強さ)によって,そのまぶしさが異なるようです.そのため,臨死体験者の証言では,魂としてのレベルが高いほどまぶしく光り輝き,レベルが低いほど暗く沈んで見えるのだそうです.それでも,私たちはだれもが「光」であり,ただ,その波動によって,輝きの程度が異なるだけなのです.どのような人も,本来はみな「光」なのです.』と(87)■8月の推薦図書■生きがいの創造〝生まれ変わりの科学"が人生を変える飯田史彦著(PHP研究所)シリーズ─98◆小玉裕司小玉眼科医院1148あたらしい眼科Vol.28,No.8,2011いう一節ですが,この文章を目にした私は,『観無量寿経』のなかで釈尊が韋提希夫人(いだいけぶにん)に浄土を観ずる方法を教えるくだりがあり,その9番目の観法が説かれた部分との共通性に驚きました.9番目の観法は真身観と呼ばれ,無量寿仏の身相は光明だと説かれています.無量寿仏の全身の毛穴からは光明が放たれ,その一つひとつの光明の大きさは須弥山(すみせん)の如し,と書かれています.つまり,仏様は光明そのもので,仏の世界は光明に満ちあふれていることになるのでしょう.仏教では往生した人しか浄土には行くことができないので,上述した臨死体験者の証言とは矛盾しますが,死後の世界でわれわれはさまざまな旅をし続け,その魂のレベルの違いによって,明るさに差があるにしろ光の世界や暗闇の世界に入っていくのかもしれません.『輪回転生』の著でも知られるトロント大学精神科主任教授のホイットン博士は,数々の事例研究をもとにして,「中間生(あの世)に戻って終えてきた人生を見せられ,後悔を体験することは,一種の地獄を体験することと同じである.」と結論づけています.後悔の終わった魂は中間生において,自分で次の生まれ変わりの人生計画を立てるそうですが,この時,何度もの人生を通じて太いきずなを築き上げてきた,ほかの魂たち(ソウルメイト)と相談をし,グループ転生をすることもしばしばあるようですし,ソウルマスター(指導役の魂)と呼ばれる存在からいろいろとアドバイスを受けることもあるようです.そして,前生と次の人生の間には,仏教でもよく使われる言葉の「因果応報」の法則がしっかりと存在しているようです.また,ホイットン博士の被験者の場合,死んでから次の転生までの間は,最短で十カ月,最長で八百年以上とのことです.仏教では六道輪廻を経て次の人間に生まれ出るには三千年以上かかると言われていますので,ここにも矛盾がありますが,人間界以外の生を営んでいる間の記憶が消えているのだとすれば,あるいは人間界の時の長さとその他の界の時の長さの基準が異なるとすれば,矛盾はなくなるのかもしれません.『第三章死者とのコミュニケーション』『第四章「死後の生命」を科学する意味』『第五章「生まれ変わり」の生きがい論』第三章,第四章に続く第五章こそ著者がもっともこの本で伝えたかったことだと思います.「生きがい感」とは「自分は何者か」「自分はなぜ生きているのか」「自分は人生において何をすべきか」といった問題意識が明確であり,できればそれらに対して自分なりの解答をもっていることだとしています.そして,「死後の生命」や「生まれ変わり」の知識をもつことが,私たちに「生きがい感」を与えてくれたり,生きることの意味を見直させてくれるという考えは,本当に正しいのか,この章では,このような疑問に答えてくれる事例をいくつか紹介しています.また,かのアインシュタイン博士の『科学を真剣に追究している者は,誰であれ,宇宙の法則の中に,神の魂が明らかに存在していることを確信するようになる.神の魂は,人間の魂をはるかにしのいでおり,神の魂を前にして,人間は自らの力がいかに小さいかということを知り,謙虚にならざるを得ないのである』という言葉を引用しています.自分よりもはるかに大きな存在,それを神と呼ぶのか,仏と呼ぶのか,本書のようにソウルマスターと呼ぶのか,それは個人の自由だと思いますが,そのようなわれわれをはるかにしのぐ存在に導かれて,現世を修行の場として,ソウルメイトと呼ばれる仲間たちと切磋琢磨しながら魂を磨いているのが,今の人生であるとすれば,それはとても意味のあることだと思いますし,本書に接したときに,私はとても救われる思いがしたことは事実です.そして,著者が精神科医でも宗教家でも哲学者でもなく,経営学に携わる人だということに驚いたものです.『眼科医にすすめる100冊の本』ももう終盤に差し掛かりました.これまでにも何冊か図書を推薦したのですが,最後に1冊ということになると,本書しかないと思い,推薦させて頂きます.(88)☆☆☆