———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.27,No.4,2010499(83)テニュア米の医学研究システムニューヨークのアインシュタイン大学の友人から,半年でもいいから何とか研究費を捻(ねん)出してくれという電話がかかって来た.私にはその力はないが,このような依頼はしょっちゅうである.当地の医学研究者の大多数を占めているのは,彼のように,これといった大業績はないが,大学の研究室に居ついて何とかやっているPDの連中である.一見のんきそうだが,彼らの生存競争は容易ではない.州立大学のハード・マネー(予算できめられた堅実な資金)で雇われている数少ない幸運な連中を除いて,大部分の研究職員は,ソフト・マネー(本人の努力で集めてくる予測の出来ない資金)で賄われている.私立名門校では,学校は教授とか助教授という名前こそ提供するが,月給を含めて,研究室経営費はびた一文も出さず,研究者自身で,診療の収入の一部とか,政府の補助金等で,金額を作らねばならないのが普通である.ここでテニュアという言葉が出て来る.テニュアとは,給料の保証のある終身任命である.ところがこれを得るには,血の出るような競争に勝つか,大変に運が強くなくてはならない.先述のテニュアのない友人は,国費からもらっていた研究費の打ち切りを言い渡されたのである.それは彼の給料も無くなった事を意味している.私の居たハーバード大学ではこの制度がとくに厳しく,有名な11年システムとして知られている.簡単に説明すると,以下のような具合である.ハーバードに採用された最初の3年間は1年更新の助手の席がもらえる.しかし,この席は三度以上は繰りかえす事が出来ず,助教授に昇進しないときは職から去らねばならない.また,3年任期の助教授は,二度以上繰りかえせない.すなわち,助教授は6年以上出来ない.次は準教授または正教授にしてもらうのだが,大学に最初に採用されてから,11年目にテニュアになれないときは,理由の如何(いかん)に関せず,ハーバードを去らねばならないことになっている.実際には,10年間,ハーバードに居られた学者は仕事の上で第一人者となっているから,他の大学からひっぱりだこになるので,職を見つける事に心配はない.テニュアを勝ち取るためには,先任者をけとばすか,または運よく先任者に停年退職してもらったり,死んでいただくかしなければならない.こんなときによく,他で名をなした一流教授が,ポコッと上に入って来ることもあるのである.最も確実な一つの方法は,だれか大富豪に大金の寄付をお願いして,その寄贈者の名前のついた研究室と,一つのテニュアを誕生させてもらうのである.1970年ころ,一つのテニュアを作るには約50万ドルの寄付を基0910-1810/10/\100/頁/JCOPY眼研究こぼれ話桑原登一郎元米国立眼研究所実験病理部長●連載④▲ハーバード大学構内古いキャンパスの中で中央にジョーン・ハーバードの座像が見える.———————————————————————-Page2500あたらしい眼科Vol.27,No.4,2010眼研究こぼれ話(84)として,同額を他の財源から加えるようなしきたりであった.既存のテニュアの椅(い)子も,教育必須(─す)の教室(基礎医学教室)を除いては,大部分このようにして作られたものである.しかし,やっとテニュア教授になっても安心は出来ない.自分自身の給料はこの基金の利子から出るけれども,活発な研究のための大きな運営費は自分でかせがねばならない.私の場合を述べると,私がテニュア教授になった後,毎年約20万ドルの研究費を政府資金からもらっていた.大学にはこの金額の40%の頭金を別に払ってくれるので,研究室として使っている建物の家賃を払い,10人近くの技術員と,数人の助教授をかかえることが出来た.人材と費用を確保すれば,次々と成績を出すことが出来るから,次年度の研究費を申請するための材料にはこと欠かない.一度うまく軌道に乗れば,後はしめたものである.しかし,のんびりしたり,病気になったりすると,大変な事になる.テニュア教授なら,手下を首にすれば(と言っても,やめさせられた若い人々は途方にくれるが),自分の家族の生活に困ることはないが,テニュアのない連中は,研究費の切れたその瞬間から給料が止まるのである.資金と人材を失うと,次回の費用申請が困難となり,大変な悪循環が生じてくる.このような繁雑さにかかわらないように,助教授も技術員もおかないで,ただ一個人の研究者として,そっと一生を送っているような人も居る.華やかに聞こえる学者生活も,他の職業よりも厳しいと思えるような試練を受けているのである.(原文のまま.「日刊新愛媛」より転載)☆☆☆