連載⑲二次元から三次元を作り出す脳と眼雲井弥生淀川キリスト教病院眼科はじめに草食動物は周囲の危険を察知するため,眼は顔の横につき,単眼ずつ広い視野をカバーする.その分,両眼の視野の重なりは狭い.霊長類では樹上での移動,肉食動物では狩りのために,両眼の視野の重なる部分で距離をつかむようになった.視野の重なりは拡大し,眼は顔の前に移動して脳の構造にも変化が起きた.ヒトでは二足歩行により手を使えるようになったことが脳のさらなる変化につながった.視覚の進化――視蓋と上丘生物にとって最優先の課題は生命の存続である.敵から逃げ食料を確保する.そのため周囲の環境に身体を適応させていくなかで,視覚も進化をとげた.両生類や爬虫類などの下等な動物にとって視覚の中枢は視蓋である(図1a).その視覚はわたしたちの視覚とは大きく異なり原始的である.カエルでは視野に動く物が入ってきたとき,大まかな形と動きによって逃避か捕食か行動が決定される1).動かない物は認識できない.本物の虫でなくても小さな横長の長方形が横に動くと身体をそちらに向け捕食行動を起こす.縦長の長方形やその縦方向の動きには,警戒か逃避行動をとる.頭をもたげたヘビに似ているからである.哺乳類では視覚の最終中枢は大脳へ移る.新天地の大脳で視覚野が拡大する一方,視蓋に相当する上丘は縮小した(図1b,c).しかし,視蓋の特徴を引き継ぎ,原始的な反射に関与し動きを見るのを得意とする.上丘の深層には体性感覚や聴覚の入力があり,これらの感覚と視覚が統合される.ネコやげっ歯類では視野に動く物が入ってくると反射的に眼・頭・身体をそちらに向ける.眼球の動きが発達しているヒトでは,視野内の動きに対して衝動性眼球運動(saccade)で眼を向け固視する.これらの行動には上丘が関与する.鳥類の視覚の最終中枢は視蓋だが,タカやハヤブサなど猛禽類では,ヒトと同程度の小さな視差の検出ができるなど高度な視覚や立体視をもつ.ヒトとは異なり視蓋を発達させた成果である.両眼視野の重なりと視交叉の変化草食動物は周囲の危険を察知するため,眼は顔の横につき,単眼ずつ広い視野をカバーし,両眼の視野の重なりは狭い.ウサギでは単眼ずつの視野は170°,両眼の視野の重なりは前方10°と後方9°である(後ろが見えるのかと驚くが,後方から迫る敵との距離を測るため,後ろ上方は両眼視できるようだ).肉食動物では広い視野をもつよりも,獲物と自分の距離をつかむほうが有利になる.両眼の視野の重なる部分では単眼視の部分より距離をつかみやすい.両眼は前方を向き視野の重なりが増える(図2).霊長類の祖先はネズミのような小さな夜行性の動物だった.樹上で暮らしていたため,樹から樹へうまく飛び移り,木の実や虫を採ることが広い視野をもつより有利であった.肉食動物とは別の理由で両眼視を発達させてa.カエルb.ウサギc.ヒト小脳中脳間脳中脳間脳図1視覚の進化―視蓋と上丘視覚の中枢は両生類,爬虫類,鳥類では中脳の視蓋であるが,哺乳類では大脳に移る.哺乳類の大脳は拡大し,視蓋に相当する上丘は縮小する.a,b:脳外観,c:脳矢状断.(109)あたらしい眼科Vol.34,No.12,201717470910-1810/17/\100/頁/JCOPYウサギウマネコヒト↑前方後方↓両眼視野10°+9°65°120°120°交叉線維:非交叉線維9:18:26:455:45図2両眼視野の重なりと視交叉の変化以内では耳側にあっても交叉するもの,鼻側にあっても交叉せず同側に進むものがあり,互いに重複している.これを鼻側耳側重複(naso-temporaloverlap)とよぶ.サルの視索にマーカーを注射し,網膜に逆行性に運ばれたマーカーの観察により証明された.したがって中心窩2°以内の情報は左右の第一次視覚野V1で共有される.手の発達と精密立体視4)樹上生活で発達した両眼視は,物を握るのに適した形になった手の能力と相まって,さらに精密な立体視へと注)視覚前野は以前に後頭連合野とよばれたが,視覚情報のみに関係するため近年前者が使われる.図3連合野による異種感覚の統合いく2).枝をたぐり寄せて確実につかむために手の形も変わる.横並びの5本の指は,親指がほかの4本の指と向かい合う形に変化した.両眼視野の重なりと視交叉における非交叉・交叉線維の割合は相関する(図2)3).完全交叉では,左右の眼の情報を照合するには脳の左右を連絡する交連線維(脳梁)が必要である.同側に進む線維(非交叉線維)が増えると脳梁なしに脳の同じ側で左右眼の情報を照合したり,融合したりが可能となる.両眼に反応する細胞や視差選択性細胞が出現したと考えられる.非交叉線維の割合が増えるほど両眼視野の重なりが増える.交叉線維と非交叉線維との割合はウサギで9:1,ウマで8:2,ネコで6:4,ヒトで55:45である.非交叉線維の増加は外側膝状体の層構造(ネコでは4層,霊長類で6層)の出現,第一次視覚野V1での眼優位コラムの出現につながった.両眼視のために,脳はその構造を長い時間かけて再構築していった.げっ歯類では非交叉線維は1割程度で,外側膝状体の層構造も眼優位コラムも認めない.注:ヒトや霊長類での半交叉は中心窩を通る垂直線を境に交叉・非交叉が分かれるが,実は中心窩を含む2°1748あたらしい眼科Vol.34,No.12,2017発展する.後に霊長類の祖先が樹上から降りて地上で暮らし始めたこと,二足歩行を始め前肢(両手)が自由になったこと,中心窩の発達で視力を向上したことから脳の構造はさらに変化した.大脳皮質,なかでも連合野とよばれる部分がヒトでは拡大していった.連合野(asso-ciationarea)とは,運動野と一次感覚野以外の大脳皮質の部分である.前頭・頭頂・側頭連合野に分けられ,異種類の感覚間の相互作用や統合に携わる(図3).頭頂連合野では視覚(空間知覚,形態覚),聴覚,体性感覚などが統合される.空間視の最終ステージである後頭頂葉(postparietalcortex)(連載⑫)は頭頂連合野に属する.異種感覚の統合は上丘でも行われるが,こちらではさらに高い精度で感覚統合が行われる.文献1)鈴木光太郎:形をとらえる.動物は世界をどう見るか.p109-134,新曜社,19952)NHKエンタープライズ21:大陸大分裂目に秘められた物語.NHKスペシャル地球大進化46億年・人類への旅,第5集,DVD,NHKソフトウェア,20053)Duke-ElderS:Theeyeinevolution.In:Systemofoph-thalmology(editedbyDuke-ElderS),vol.5,Mosby,StLouis,19634)入來篤史:知性の起源─未来を創る手と脳のしくみ.脳研究の最前線上(理化学研究所脳科学総合研究センター編),ブルーバックス,p132-181,講談社,2007(110)