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有水晶体眼の肺炎球菌性角膜炎が眼内に波及した1例

2020年9月30日 水曜日

《原著》あたらしい眼科37(9):1157.1160,2020c有水晶体眼の肺炎球菌性角膜炎が眼内に波及した1例福澤憲司*1,2吉川大和*1福岡秀記*1永田健児*1外園千恵*1*1京都府立医科大学眼科学教室*2町田病院CACaseofPhakicEyewithPneumococcalKeratitisinWhichEndophthalmitisDevelopedKenjiFukuzawa1,2)C,YamatoYoshikawa1),HidekiFukuoka1),KenjiNagata1)andChieSotozono1)1)DepartmentofOphthalmology,KyotoPrefecturalUniversityofMedicine,2)MachidaHospitalC目的:有水晶体眼にもかかわらず肺炎球菌性角膜炎が眼内に波及したC1例を報告する.症例:77歳の男性.左角膜ヘルペスのため近医通院中であった.2017年C12月中旬に眼痛が出現.角膜病変部の突出を生じ,京都府立医科大学病院に紹介となった.初診時,左眼角膜中央部に角膜穿孔と虹彩嵌頓,穿孔周囲に膿瘍を認めた.細菌性角膜炎を疑いモキシフロキサシンのC1時間毎点眼を開始した.初診後C2日に高度の球結膜浮腫が出現,Bモードで硝子体混濁を認め眼内炎が疑われた.同日角膜移植術と水晶体摘出術を施行し眼内を観察すると,網膜下膿瘍を認め硝子体切除術を施行した.術前に採取した眼脂,術中に採取した硝子体からCStreptococcusCpneumoniaが検出され,初診後C4日よりセフメノキシムの点眼,7日よりアンピシリンの点滴を開始した.速やかに感染は鎮静化したが,視力は光覚弁となった.結論:有水晶体眼でも肺炎球菌性角膜炎が眼内に波及し,重篤な眼内炎へ進展することがあり注意を要する.CPurpose:ToCreportCaCcaseCofCaCphakicCeyeCwithCsevereCpneumococcalCkeratitisCinCwhichCendophthalmitisCdeveloped.Case:A77-year-oldmalewithahistoryofherpetickeratitisinhislefteyewasreferredtoourhospi-talCinCmid-DecemberC2017CafterCexperiencingCpainCandCaCprotrudedCcornealClesion.CUponCexamination,ChisCleftCeyeCshowedcornealperforationandirisprolapse.Wesuspectedbacterialkeratitis,andimmediatelystartedhourlytopi-calCinstillationCofCmoxi.oxacin.CTwo-daysClater,CbulbarCconjunctivalCedemaCdeveloped,CandCultrasoundCindicatedCinfectiousCendophthalmitisCwithCvitreousCopacity.CKeratoplastyCcombinedCwithCcataractCextractionCandCparsCplanaCvitrectomyCwereCperformed.CCulturesCofCaCpreoperativeCeye-dischargeCsampleCandCvitreousCbodyCobtainedCduringCsurgeryCrevealedCStreptococcusCpneumoniae.COnCDayC4,CtopicalCcefmenoximeCwasCstarted,CwithCsystemicCampicillinCaddedonDay7.Endophthalmitisresolved,yetthe.nalvisual-acuityoutcomewaslightperception.Conclusion:CAttentionshouldbepaidtobacterialkeratitis,asendophthalmitiscanrapidlydevelop,eveninphakiceyes.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)C37(9):1157.1160,C2020〕Keywords:有水晶体眼,細菌性角膜炎,角膜穿孔,眼内炎,肺炎球菌.phakiceye,bacterialkeratitis,cornealperforation,endophthalmitis,Streptococcuspneumonia.Cはじめに感染性眼内炎を原因からみてみると術後眼内炎が多く1),角膜炎からの二次的な発症,さらには有水晶体眼における眼内への波及はまれである.今回,有水晶体眼にもかかわらず肺炎球菌性角膜炎が眼内炎に波及したC1例を経験したので報告する.CI症例患者:77歳,男性.主訴:視力低下,眼痛.現病歴:左眼壊死性角膜炎のため,2014年C2月に京都府立医科大学眼科(以下,当院)にて治療され,その後は近医にて経過観察されていた.左眼にヘルペス性角膜炎が何度か再発したがアシクロビル眼軟膏で改善した.その後はベタメタゾン点眼C2回/日,トロピカミド点眼C2回/日にて経過観察されていたが,2017年C12月CX日に左角膜潰瘍を生じ,角膜ヘルペスの再燃を疑われた.アシクロビル眼軟膏点入C5回/日を追加されるも改善せず,12月CX+2日に眼痛が出現し〔別刷請求先〕福澤憲司:〒780-0935高知市旭町C1-104町田病院Reprintrequests:KenjiFukuzawa,MachidaHospital,1-104Asahimachi,Kouchi780-0935,JAPANC0910-1810/20/\100/頁/JCOPY(117)C1157図1初診時前眼部写真図3a初診後2日:前眼部写真図4術中所見虹彩裏面に膿瘍を認める.病変部の突出を認め眼脂も増加したため,同日当院に紹介となった.初診時所見:左眼視力は指数弁であった.細隙灯顕微鏡検査にて角膜中央部の穿孔を認めた.虹彩が嵌頓し,穿孔部周囲に膿瘍を認めた(図1).同日撮影された前眼部光断層計検査(CASIA)では穿孔部の角膜構造は破綻し,浅前房となっ図2初診時前眼部光断層計検査図3b初診後2日:超音波検査図5術後所見ていた(図2).初診後経過:前日まで使用されていたベタメタゾン点眼を中止した.角膜擦過物の検鏡でグラム陽性球菌を認め,眼脂培養を行った.細菌性角膜炎を疑いモキシフロキサシンのC1時間ごとの点眼を開始し,ヘルペスとの混合感染も考えられることからアシクロビル眼軟膏点入C5回/日を継続した.初1158あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020(118)点眼モキシフロキサシンレボフロキサシンセフメノキシム点滴バンコマイシンセフタジジムアンピシリンStreptococcuspneumonia(術中硝子体)図6治療経過0C1C2C3C4C5C6C7C8C9101112131415C初診後日数診後C1日に感染巣の悪化を認めなかったため,眼脂培養の結果次第で角膜移植を施行する方針とした.しかし,初診後C2日の朝に高度の眼瞼浮腫,眼球結膜浮腫が出現し(図3a),超音波検査で硝子体混濁を認め眼内炎が疑われた(図3b).同日全層角膜移植術と水晶体摘出術,硝子体手術を施行した.手術ではまず角膜表面の病巣部を除去し,粘弾性物質で前房を形成.トレパンで角膜を打ち抜き,剪刀で切り取った.虹彩裏面が広範囲に水晶体前面と癒着し,フィブリンを含む多くの膿瘍を認めたため,これらを可能な限り吸引,除去し,水晶体を.外摘出した(図4).移植片を縫合し,その後硝子体手術に移行した.眼内に大量の膿瘍があり,それらを硝子体とともに切除,網膜の色調は白色であった.バンコマイシン,セフタジジムを灌流しながらの硝子体手術および,バンコマイシン,セフタジジムの硝子体内注射を行った.網膜.離を起こしている部位を認めたためレーザー照射を施行.シリコーンオイルを注入し手術を終了した.術後,レボフロキサシン点眼C6回/日,ベタメタゾン点眼4回/日,アシクロビル眼軟膏C1回/日で局所治療を開始し,バンコマイシン,セフタジジムの点滴を開始した.術前に採取した眼脂培養からCStreptococcusCpneumoniaが術後C2日に検出され,セフメノキシムC6回/日の点眼を追加した.また,術後C4日に,術中に採取した硝子体の培養からもCStreptococ-cuspneumoniaが検出され点滴をアンピシリンに変更した.術後C4日の段階で網膜電図にて左眼の反応はみられなかった.移植片に感染の再燃なく経過したが,眼内にフィブリンによる混濁が残存したため,初回手術後C10日に再び硝子体手術を施行した.その後フィブリンは消失し,感染,炎症の再燃なく経過したため,初診後C19日で退院となった(図5).2019年C7月,術後C5カ月時点で状態は安定しているが,視力は光覚弁となった.治療経過は図6のとおりである.CII考按感染性眼内炎は,原因によって外因性と内因性に分けられる.外因性眼内炎は白内障手術などの眼内手術,穿孔性眼外傷,感染性角膜炎などによって起炎菌が直達的に波及して生じる1).内因性眼内炎は遠隔臓器から起炎菌が血行性に移行して生じる2).内因性眼内炎のリスクファクターとしては,糖尿病,高齢者,臓器膿瘍があげられる.膿瘍では肝膿瘍,肺炎,中枢神経系感染,心内膜炎,腎尿路感染の順に頻度が多い3).本症例は,全身の感染精査も行ったが,明らかな感染巣はなく,内因性眼内炎は否定的であった.術前に採取した眼脂培養および術中に採取した硝子体からCStreptococcuspneumoniaが検出されたことから,感染性角膜炎から二次的に眼内炎に波及した外因性眼内炎であると考えられた.本症例では,角膜ヘルペスの治療としてベタメタゾン点眼が長期に使用されていた.ベタメタゾン点眼により易感染性となり,感染が成立しやすい環境であったと考えられる.また,角膜感染症におけるステロイド投与は感染所見をマスクして感染を悪化させる可能性がある4).原因菌はCStreptococcusCpneumoniaであった.Streptococ-cuspneumoniaは上気道などに存在するグラム陽性双球菌である.莢膜を有し,好中球による貪食に抵抗するため,StreptococcusCpneumoniaによる角膜炎は重篤になりやすく,深部まで進展して穿孔しやすいといわれている5).感染性角膜炎から眼内炎に波及する例は少ないが,角膜穿孔すると眼内炎発生のリスクとなりうる6).感染性角膜炎から穿孔に至った原因としては,StreptococcusCpneumoniaが重篤になりやすいという理由が主であると考える.早期発症の眼内炎では,急激な視力低下,眼痛などの自覚症状を伴う7)が,角膜(119)あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C1159ヘルペスによる視力低下がもともと存在したこと,角膜知覚低下も生じていたことなども診断が遅れた一因をなしていると推察された.有水晶体眼であったにもかかわらず眼内へ波及した経路としては,瞳孔を含む領域に角膜感染巣が存在していたことを考えると,角膜穿孔に至り虹彩嵌頓したため,角膜感染巣から直接虹彩上皮側を伝い硝子体側へ病原体が侵入した可能性がある.硝子体手術中に虹彩裏面に著明な膿瘍を認めたことからも,このことが推察される.また,Cloquet管を通る経路も考えられる.毛様体で産生された房水は,胎生期の一次硝子体遺残物と考えられるCClo-quet管を通り,黄斑前の硝子体ポケットに流入することが報告されており8),Cloquet管を通り黄斑前の硝子体ポケットに流入する房水の流れに乗って眼内へと波及した可能性がある.以上,筆者らは眼内炎に進展した肺炎球菌性角膜炎を経験した.有水晶体眼でも角膜穿孔から眼内炎に至る可能性があり注意を要する.文献1)DurandML:BacterialCandCfungalCendophthalmitis.CClinCMicrobiolRevC30:597-613,C20172)喜多美穂里:転移性眼内炎.あたらしい眼科C28:351-356,C20113)JacksonCTL,CEyKynCSJ,CGrahamCEMCetal:EndogenousCbacterialendophthalmitis:AC17-yearCprospectiveCseriesCandCreviewCofC267CreportedCcases.CSurvCOpthalmolC48:C403-423,C20034)外園千恵:角膜感染症の治療におけるステロイドの扱い.眼科グラフィック4:297-301,C20155)感染性角膜炎診療ガイドライン第C2版作成委員会:感染性角膜炎の診断.感染性角膜炎のガイドライン(第C2版).日眼会誌117:472-483,C20136)HenryCR,FlynnHWJr,MillerDetal:Infectiouskerati-tisCprogressingCtoendophthalmitis:aC15-yearCstudyCofCmicrobiology,CassociatedCfactors,CandCclinicalCoutcomes.COphthalmologyC119:2443-2449,C20127)上野千佳子,五味文:硝子体注射後眼内炎.あたらしい眼科28:357-361,C20118)岸章治:黄斑と硝子体.日眼会誌C119:117-143,C2015***1160あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020(120)

視路疾患の視野

2020年9月30日 水曜日

《第8回日本視野画像学会シンポジウム》あたらしい眼科37(9):1153.1156,2020c視路疾患の視野中.村.誠神戸大学大学院医学研究科外科系講座眼科学分野CPatternofVisualFiledLossinVisualPathwayDisordersMakotoNakamuraCKobeUniversityGraduateSchoolofMedicine,DivisionofOphthalmology,DepartmentofSurgeryCはじめに網膜に投影された視覚情報は,視神経,視交叉,視索,外側膝状体,視放線を経由して後頭葉一次視覚野に送られる.このいずれの部位に障害が生じても,何らかの視野障害をきたす.そして,上記視覚経路内を神経線維は明確な規則性をもって走行するので,障害部位に応じて特有の視野欠損パターンを呈する.逆にいえば,視野欠損のパターンをみれば,どこに病変が局在するか推測できる(図1)1,2).MRIやCCTをオーダーする際は,その推定部位を検査員に知らせることで,効率的に病変を描出できる.したがって,視覚経路内の神経線維の走行ならびに各々の部位における視路障害が引き起こす視野欠損パターンを理解しておくことは,日常臨床上非常に重要である.CI視路の部位別障害における視野欠損パターン図12)に視路の部位別障害における視野欠損パターンのシェーマを示す.一側の視神経障害は片眼の視野障害を呈する.おもに病因により,中心暗点,弓状暗点,水平半盲などの特徴的変化をきたす(図2).眼内の神経線維は,中心窩を通る垂直経線を境に,耳側由来であれば同側の,鼻側由来であれば対側の外側膝状体に投射する.鼻側由来の線維は,上方象限由来のものは視交叉を比較的まっすぐ進んで対側の視索に進入するのに対し,下方象限由来であれば,視交叉に入ったのち,いったん対側の視神経に弯入してから視索へ向かうという独特の走行をとる.この弯入のことをCWilbrandの膝とよぶ(図1).視交叉近傍の,この特徴的な神経線維の走行のため,視神経が視交叉に移行する(接合する)部分に障害がみられた場合,障害側の視神経障害のため,同側の視野障害(おもに中心暗点)がみられるだけでなく,対側眼由来のCWilbrandの膝も巻き込まれ,対側眼のC1/4耳上側半盲を呈する(図3).この視野障害の組み合わせを接合部暗点ないし連合暗点とよぶ.視交叉ほぼ中央が障害を受ければ,両眼の交叉線維障害のため,両耳側半盲を呈することはよく知られている.視交叉中央を圧迫する疾患として下垂体腺腫が有名である.しかし下垂体と視交叉の位置関係には個人差があり,なかには下垂体が視交叉より前方に位置したり,後方に位置したりする個人もいる.前者の解剖関係をもった個人に下垂体腺腫が生じると,視交叉に接合する左右どちらかの視神経が圧迫されるため,上述の接合部暗点を呈する.逆に後者の解剖関係をもった個人に同疾患が生じると,左右どちらかの視索が圧迫されるため,以下に記載する視索症候群(病変と対側の同名半盲)を呈する(図4,5).視索は同側眼の耳側由来の神経線維と対側眼の鼻側由来の神経線維から構成される.そして,外側膝状体の手前であるため,中を走行する神経線維は長く伸びた網膜神経節細胞の軸索そのものである.この段階においては,視野を伝達する経路も対光反射の入力経路を構成する経路も共通している.こうした解剖学的特性のため,視索障害は同名半盲を呈するのみならず,つぎのような臨床的所見を示す.まず,病変が一定期間(おおむねC1カ月)以上持続した場合,逆行性軸索変性により,対応する網膜神経線維と網膜神経節細胞の脱落が生じる.具体的には同側眼の視神経乳頭の上下領域に流入する神経線維の菲薄化と,対側眼の耳鼻領域に流入する神経線維の菲薄化が生じる(図5).また,対光反射の入力線維は視交叉において交叉する線維のほうが非交叉線維よりも多いため,鼻側半盲を呈する同側眼に比べ,耳側半盲を呈する対側眼の直接反射が強く障害される.結果として,対側眼に相対的瞳孔求心路障害(relativeCa.erentCpupillarydefect:RAPD)を呈する.〔別刷請求先〕中村誠:〒650-0017神戸市中央区楠町C7-5-1神戸大学大学院医学研究科外科系講座眼科学分野Reprintrequests:MakotoNakamura,M.D.,Ph.D.,KobeUniversityGraduateSchoolofMedicine,DivisionofOphthalmology,DepartmentofSurgery,7-5-1Kusunoki-cho,Chuo-ku,Kobe650-0017,JAPANCWilbrandの膝●①①片眼視野障害Meyer’sloop⑥-a②④⑤③②③連合暗点・接合部暗点両耳側半盲④不調和性同名半盲⑥-b⑤水平性同名性楔状欠損⑦⑥-a上1/4同名半盲⑥-b下1/4同名半盲⑦調和性同名半盲図1視路と障害部位に対応した視野欠損パターンのシェーマ(文献2,p246の図より改変引用)Cab図3接合部暗点のGoldmann視野右眼の耳上側C1/4半盲,左眼の中心暗点を認める.図2左眼視神経炎急性期a:視神経乳頭拡大写真.乳頭腫脹を認める.b:Goldmann動的視野.大きな中心暗点を認める.Cc:眼窩部拡大脂肪抑制冠状断T1強調ガドリニウム造影CMRI,左球後視神経に強い造影効果を認める(.)図4視索障害による左同名半盲を示すGoldmann視野外側膝状体は特有の動脈灌流支配を受けるので,同部位の限局性の病変は,楔状の水平性同名半盲ないし,楔状の水平領域のみ残った同名半盲を生じる.視放線は,外側膝状体の神経細胞の軸索である.その病変は視索障害と同様,対側の同名半盲を呈するが,網膜神経節細胞の軸索ではなく,対光反射線維を含まないため,RAPDは生じない.上方視野に対応する視放線線維は側頭葉のやや前方に回ってから後方へ向かう.これをCMeyerloopとよぶ(図1).したがって,Meyerloopの障害は上側C1/4同名半盲を呈し,他の前部視放線障害では下側C1/4同名半盲を呈する.片側の一次視覚野障害でも同名半盲を呈するが,この際,黄斑部と周辺網膜に対応する,後頭視覚領域の配置に特徴があるため,独特の視野障害を呈することがある.この点は後述する.以下,症例ベースで各部位における視野障害パターンを提示する.CII症例でみる視路疾患の視野障害パターン図2に左眼視神経炎の急性期視神経乳頭写真,Goldmann視野,冠状断脂肪抑制CT1強調造影CMRI像を示す.先に述べたとおり,片眼性の視神経障害では患眼の視野欠損を示す.視神経炎では乳頭黄斑線維束障害が強いため,中心暗点をきたすことが多い.視神経乳頭は腫脹することもしないこともある.近年注目を集めている抗アクアポリンC4抗体による視神経脊髄炎では,中心暗点以外に水平半盲などさまざまな視野変化をきたすこと,視神経乳頭腫脹を伴わないことが多いことが知られている3).図6はエタンブトールによる中毒性視神経症の視野変化の推移である.もともと緑内障に関して前医で経過観察されていたが,ある時期急激に視野変化が進行したため,当科を紹介された.視神経障害は局所障害の場合は,片眼性であるが,中毒性や遺伝性の視神経症の場合は,両眼性となる.近年,非結核性抗酸菌,とくにCMycobacteriumCaviumCcom-plex(MAC)による肺CMAC症が急増しているため,エタンブトールの処方量が増えている.エタンブトールの亜鉛のキレート作用が視神経毒性を発揮するともいわれ,内服期間が長引くと中止後も回復に時間がかかったり,場合によっては改善しないことがあるので注意が必要である.図3は左眼中心暗点と右眼内部イソプターに耳上C1/4半盲を呈するCGoldmann視野である.先に述べたように,このパターンは左視神経が視交叉に接合するあたりの病変により右眼からの鼻下網膜由来の神経線維がCWilbrandの膝となって左視神経に弯入している部分の障害の存在を示すため,MRIならびにCMRangiographyを撮像したところ,図7に示すように巨大な内頸動脈の動脈瘤を認めた.図6は左同名半盲を示している.これだけでは,視索以降のどこに病変が存在しているかはわからない.しかし,このCa右眼左眼b冠状断矢状断図5図4の症例の光干渉断層計RNFLdeviationmap(a)と頭部MRI(b)a:右眼の上下優位の,左眼の耳鼻側優位の神経線維菲薄化を認める.Cb:冠状断(左),矢状断(右)MRIで右後方に屈曲して成長している下垂体腺腫を認める.右眼左眼図6エタンブトール視神経症のHumphrey静的視野の経時的変化図7図4の症例の頭部冠状断MRI(a)とMRangiography(b)a:不規則な造影効果をもつCmass病変が右視神経を鼻側から圧迫している.Cb:巨体動脈瘤を認める.図8右眼の耳側半月を残した右同名半盲のGoldmann視野症例の左眼にCRAPDを認め,図5aに示すような,光干渉断層計所見,すなわち右眼は上下線維有意な神経線維の菲薄化,左眼は耳鼻側有意な神経線維の菲薄化を呈している場合,右の視索障害が推定される.事実CMRIを撮像すると,巨大な下垂体腺腫が右後方に進展し,右視索を圧迫していることが明らかになった(図5b).図8は右同名半盲であるが,右眼の耳側再周辺部のイソプターが温存されている.一次視覚野は黄斑拡大とよばれるほど,後頭葉後極から前方に向かって広い範囲が中心窩周囲のごく狭いエリアに対応する.耳側視野で,両眼視ができる範囲は後頭葉においてその前方が占めており,最周辺耳側視野で単眼しか認知できないエリアは,後頭葉のもっとも前端に対応する.図8の右眼視野のように耳側最周辺部が維持されているということは,この後頭葉一次視覚野の前端が障害から免れていることを意味する(図9).この視野エリアを耳側半月とよび,その存否は病変の局在診断に画像所見よりも威力を発揮する4).図9図8の症例の頭部軸位断CT左後頭葉に低信号領域を認める.おわりに以上述べたように,両眼の視野欠損パターンは視路の神経線維走行にきれいに対応するため,障害の局在診断を行ううえで,画像検査に匹敵するか,それ以上の価値を有していることに留意し,ていねいに所見を読む訓練を行いたいものである.文献1)中村誠:神経眼科疾患の光干渉断層計像.日眼会誌C120:339-351,C20162)関谷義文:神経眼科.視路.眼科診療マニュアル(山本節,久保田伸枝編).南江堂,p246,19983)IshikawaH,KezukaT,ShikishimaKetal:EpidemiologicandclinicalcharacteristicsofopticneuritisinJapan.Oph-thalmologyC126:1385-1398,C20194)LeporeFE:Thepreservedtemporalcrescent:Theclini-calCimplicationsCofCan“endangered”.nding.CNeurologyC57:1918-1921,C2001

網膜疾患と変視

2020年9月30日 水曜日

《第8回日本視野画像学会シンポジウム》あたらしい眼科37(9):1150.1152,2020c網膜疾患と変視岡本史樹筑波大学医学医療系眼科CMetamorphopsiainRetinalDisordersFumikiOkamotoCDepartmentofOphthalmology,UniversityofTsukubaはじめに網膜が障害される疾患は多数存在するが,そのなかでも発症頻度が高く手術や硝子体注射などで治療される代表的な疾患がある.黄斑前膜,黄斑円孔,網膜.離,網膜静脈分枝閉塞症に伴う黄斑浮腫などがそれにあたる.これらはおもに黄斑部が障害される疾患で,視力低下の他に変視や不等像視,色覚異常などさまざまな視機能障害をきたす.その代表が変視=「ものが歪んで見える」である.日常診療では視力低下とともに多く聞かれる愁訴である.変視は片眼で軽度の場合は自覚もされないことが多いが,中等度以上になると日常生活に影響を及ぼす.本稿では変視の自覚や測定法とともに,変視を呈する代表的疾患の特徴,治療成績,網膜形態との関連について概説する.CI変視の自覚と検査法物体の形状が歪んで見えることを変視という.仮説ではあるが,黄斑部の視細胞の配列が乱れることにより変視が起こるとされている.網膜がなんらかの原因で収縮して視細胞配列が比較的均一に密になると,視中枢での空間的対応に乱れが生じ,対象が実際より大きく見える(大視症).逆に網膜が伸展することにより視細胞配列が比較的均一に疎になると小視症を呈する.変視は視細胞配列が密になったり疎になったりするところが混在するために起こるとされている.変視は片眼で,しかも軽度であれば自覚しないことが多い.片眼で中等度以上,あるいは両眼性で変視は自覚され,qualityoflife(QOL)が障害される.変視の測定には以前よりCAmslerchartが一般的に用いられている.Amslerchartは数種類の表で構成されるが,基本的なものはC5Cmm幅の格子状の線が書かれた一辺がC10Ccmの正方形である.そしてC30Ccmの距離で患者に中心を固視AmslerchartM-CHARTS図1AmslerchartとM.CHARTSの指標させ,線が歪んだり波打ったり見えない部分を実際に記入してもらう.この検査は変視の範囲や程度が視覚的にわかり,現在もっとも広く普及している検査法である.しかし,定量評価ができず,検査時間がかかる.定量評価するためにはM-CHARTSを用いる.M-CHARTSは視角C0.2o.2.0oまでC0.1o刻みに間隔を変えたC19種の点線から構成される.30Ccmの距離で患者に中心を固視させ,間隔の細かい点線から間隔の広い点線へ順次呈示し,歪みが自覚されなくなったときの点線の視角をもって変視量とする.縦方向と横方向でそれぞれ検査を行うことができる(図1).Amslerchartはある程度広い範囲の変視を検出することに優れており,逆にCM-CHARTSは固視点近傍の微細な変視を簡便に定量評価するのに優れているため,両検査を使い分けることが必要である.CII黄斑前膜と変視黄斑前膜はその約C8割が変視を訴え,変視の程度は種々の網膜疾患のなかでも強い疾患である.黄斑前膜患者のCQOLは健常者より低下しているが,その原因は視力ではなく変視に依存することがわかっている1)(図2).網膜の微細構造を検討すると,黄斑前膜患者では網膜内層(内顆粒層)の厚さ〔別刷請求先〕岡本史樹:〒305-8575茨城県つくば市天王台C1-1-1筑波大学医学医療系眼科Reprintrequests:FumikiOkamoto,M.D.,Ph.D.,DepartmentofOphthalmology,UniversityofTsukuba,1-1-1Tennodai,Tsukuba,Ibaraki305-8575,JAPANC(110)C11500910-1810/20/\100/頁/JCOPY術前術後VD=(0.8)変視=1.4QOL=71点VD=(0.9)変視=0.2QOL=88点図2黄斑前膜手術でQOLが改善した症例術前は視力C0.8,変視はCM-CHARTSでC1.4と重度の変視を認め,QOLのアンケートによる点数はC71点であった.術後,視力はC0.9とあまり変わらないが,変視はC0.2まで著明に改善し,QOLの点数もC88点と改善した.と変視量が関連することがわかり,内層障害によって変視が惹起される可能性が考えられている2).硝子体手術により前膜を除去することで視力,変視は改善するが,変視を完全に消失させることはむずかしい.前膜を.離除去しても視細胞を正常な解剖学的位置に戻すことは不可能であり,ある程度の変視が残存することは避けられない.多数例での検討では,術前変視がCM-CHARTSでC1.0から術後C1年でC0.3.0.4までは改善するが,0にはならない3).また,術前の網膜内層が厚いほど,術後の変視が強く残ることもわかってきた4)したがって手術の際には,視力は向上し,変視も改善するが,変視は完全に消失しないということを患者に説明することが重要である.CIII黄斑円孔と変視黄斑円孔での変視は見ようとする対象が中心に引き込まれるように歪んで見える,求心性の変視となる.黄斑円孔は中心窩網膜が遠心性に偏位した病態である.偏位した中心窩で像を捉えようとすると,円孔周囲の視細胞で受容された像は本来は中心にあるはずの視細胞であるため,視覚皮質では中心として認識されてしまう.そのために求心性の変視が起こるとされている.黄斑円孔も前膜患者と同じく手術により視力や変視を改善させることができるが,変視はC0にはならない.M-CHARTSで術前C0.8の変視が術後C6カ月で約半分の0.4まで改善することがわかっている.また,術前のC.uidcu.が大きいほど,術後の変視が強い5)(図3).CIV網膜.離と変視網膜.離術後の患者でも変視をきたす.術前に黄斑部.離M-CHARTSでFluidcu.の術後変視大0.9°小0.15°図3黄斑円孔と変視黄斑円孔患者では術前のC.uidcu.が大きいほど術後残存変視量が大きい.上の画像ではC.uidcu.が大きく,術後変視はC0.9であるが,下の画像では扁平な黄斑円孔であり,術後の変視も少ない.となっている患者に変視が出現することが多いが,術前黄斑未.離の患者でも術後の黄斑前膜や黄斑浮腫などで変視をきたすことがある.網膜.離術後の約C4割に変視を認める6).変視を呈していた症例の約C4割はCOCTにて何らかの黄斑部異常(黄斑浮腫,黄斑前膜,黄斑円孔,ellipsoidzoneの欠損)を認めたが,残りのC6割はCOCTにて網膜構造に異常がなかった(図4)1).また,術前黄斑未.離でも術中に黄斑部.離を生じると術後に変視を生じる.一度黄斑部網膜が.離すると変視は長期に残存するため,黄斑部未.離の裂孔原性網膜.離患者では黄斑部が.離する前に手術を行い,術中はなるだけ黄斑部.離を起こさないような手術を心がけることが必要である.(111)あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C1151図4網膜.離術後に変視を呈した患者のOCT形態での分類29例のうち,黄斑部に異常があったものがC12例,残りのC17例の網膜形態に異常はなかった.(文献C6より改変)図5網膜静脈分枝閉塞症(BRVO)患者における抗VEGF薬治療と変視69歳,女性で罹病期間C4カ月のCBRVOを認め,術前視力はC0.15,変視はCM-CHARTSでC1.0であった.複数回の硝子体注射にて黄斑浮腫は改善し,視力もC1.0まで改善したが,変視はC1.2と以前より悪化している.CV網膜静脈分枝閉塞症と変視黄斑浮腫を伴う網膜静脈分枝閉塞症(branchretinalveinocculusion:BRVO)の患者はC9割以上が変視を呈し,垂直方向の変視が水平方向よりも大きい.これは,BRVOの病変が閉塞血管側の上下どちらかに偏在することが多いためと考えられる.また,変視の程度は中心窩網膜厚や網膜内層の.胞に影響を受けるといわれている7).現在,BRVOの治療の第一選択は抗血管内皮増殖因子(vascularendothelialgrowthfactor:VEGF)薬であるが,治療を行い視力が改善しても,少なくともC6カ月は変視が改善しない8)(図5).BRVOで治療を行う患者には,視力は改善する可能性が高いが変視はなくならないことを説明したほうがよいと考えられる.おわりに変視の定義や検査法,そして代表的な網膜疾患と変視とのかかわりについて概説した.疾患によって変視の見え方や治療経過もさまざまであるし,変視に関連する網膜形態も異なる.これらのことを念頭において日常診療にあたれば,患者の変視に関する不定愁訴に対してしっかりとした説明することができ,患者の不安を取り除くことができると考える.文献1)OkamotoF,OkamotoY,HiraokaTetal:E.ectofvitrec-tomyCforCepiretinalCmembraneConCvisualCfunctionCandCvision-relatedqualityoflife.AmJOphthalmolC147:869-874,C20092)OkamotoCF,CSugiuraCY,COkamotoCYCetal:AssociationsCbetweenCmetamorphopsiaCandCfovealCmicrostructureCinCpatientswithepiretinalmembrane.InvestOphthalmolVisSciC53:6770-6775,C20123)KinoshitaT,ImaizumiH,OkushibaUetal:TimecourseofCchangesCinCmetamorphopsia,CvisualCacuity,CandCOCTCparametersaftersuccessfulepiretinalmembranesurgery.InvestOphthalmolVisSciC53:3592-3597,C20124)OkamotoCF,CSugiuraCY,COkamotoCYCetal:InnerCnuclearClayerthicknessasaprognosticfactorformetamorphopsiaafterCepiretinalCmembraneCsurgery.CRetinaC35:2107-2114,C20155)SugiuraCY,COkamotoCF,COkamotoCYCetal:RelationshipCbetweenCmetamorphopsiaCandCintraretinalCcystsCwithinCtheC.uidCcu.CafterCsurgeryCforCidiopathicCmacularChole.CRetinaC37:70-75,C20176)OkamotoCF,CSugiuraCY,COkamotoCYCetal:MetamorphopC-siaandopticalcoherencetomography.ndingsafterrheg-matogenousCretinalCdetachmentCsurgery.CAmCJCOphthal-molC157:214-220,C20147)MurakamiCT,COkamotoCF,CIidaCMCetal:RelationshipCbetweenCmetamorphopsiaCandCfovealCmicrostructureCinCpatientsCwithCbranchCretinalCveinCocclusionCandCcystoidCmacularedema.GraefesArchClinExpOphthalmolC254:C2191-2196,C20168)SugiuraY,OkamotoF,MorikawaSetal:TimecourseofchangesCinCmetamorphopsiaCfollowingCintravitrealCranibi-zumabCinjectionCforCbranchCretinalCveinCocclusion.CRetinaC38:1581-1587,C2018(112)

自覚的応答困難な症例に対する視野測定

2020年9月30日 水曜日

《第8回日本視野画像学会シンポジウム》あたらしい眼科37(9):1145.1149,2020c自覚的応答困難な症例に対する視野測定藤原篤之川崎医療福祉大学リハビリテーション学部視能療法学科CVisualFieldMeasurementforCaseswithDi.cultofSubjectiveResponseAtsushiFujiwaraCDepartmentofOrthoptics,FacultyofRehabilitation,KawasakiUniversityofMedicalWelfareCはじめに1960年代にCWieselらにより動物モデルを使用した視性刺激遮断の実験的研究1,2)が行われ,弱視の病態生理と,その発生に対する危険期間の解明がなされてきた.そしてヒトの弱視発生に対する危険期間,未熟視覚の可塑性,感受性期間が明らかになり,視覚発達期における早期視機能評価の重要性が唱えられるようになった.視機能を代表する視力は,数多くの著名な報告に基づき正常な視的環境下にあればC3歳頃にはC1.0に達することが明らかにされている3).視力で着目すべきことは,視運動性眼振(optokineticCnystagmus)4),視覚誘発電位(visualCevokedpotential)5),そしてCpreferen-tiallooking法6)を代表とする自覚的応答困難な乳幼児を対象とした測定法が確立をしており臨床普及に至っていることである.その一方で視野については,Goldmann視野計による動的視野計測法,そしてCHumphrey視野計やCOctopus視野計などによる静的視野計測法が臨床で広く普及をしているが,自覚的応答困難な症例を対象とした手法は確立されていないのが現状である.現在筆者は,自覚的応答が困難な症例,とくに乳幼児を対象とした視野測定に取り組んでいるので報告を行う.CI早期視野評価を行う目的一般的な視野計による早期視野測定の試みとして,動的視野計測ではC4歳からの報告があり7,8)5歳以上の健常小児では視野の年齢的発達はないこと,そして静的視野でもC4歳からの報告があり9)8歳以上の健常小児において成人同等の閾値と検査信頼性を示すことが報告されている.臨床においても,測定可能,不可能にかかわらずC4歳前後から視野検査を試行することが一般的と考える.以上より一般的な視野計での測定は,信頼性の問題は伴うがC4,5歳から可能と考えられる.そして,視野検査は自覚的応答が可能な年齢になってから施行するというのが一つの見解とされている.一般的な測定対象年齢の考え方と比較をして,より早期から視野評価を行う目的としては,山本10)がつぎのC2項目をあげている.1つめは,ヒトの視機能(視野)の正常発達を明らかにすること,2つめは,明らかにされた正常発達を基準に,乳幼児期に視野欠損を正確に評価可能になれば価値ある診断情報となるばかりではなく,患児の医学的,教育的な管理に資することになる.CIIこれまでに報告された乳幼児視野測定法過去には,各報告者が独自に開発を行った視野測定装置を用いて乳幼児を対象とした早期視野評価が試みられてきた.3つの代表的な報告を基に,装置の特徴と測定法を中心に解説を行う.1つめはCHarrisらによって報告11)された装置である.評価対象は生後C1.6日の健常乳児である.装置は半径C39Ccmの艶消し黒色をした半円筒の形状をしている.装置内部には移動可能な光刺激用の電球がC2個装着されている.2個の電球のうちC1個は乳児の中心固視を促すために装着されたものである.測定はまずC17°傾斜をさせた台に対象児を仰向けに寝かせる.その後,検者は眼前C19Ccmの距離に装置を保持する.装置の準備ができてから,検者は周辺部から求心性に電球を移動させ,周辺視標に対する固視移動を観察する.そして,検者は装置を手動で回転させて各方向での固視移動を目視で判定し定量化を行う.2つめはCSchwartzらによって報告12)された装置である.評価対象は生後C8週以下の健常新生児と乳児である.装置は2本の弓状アーム(半径C36Ccm,幅C3Ccm)からなり,double-arcperimeterと名づけられたものである.測定はまず対象〔別刷請求先〕藤原篤之:〒701-0193岡山県倉敷市松島C288川崎医療福祉大学リハビリテーション学部視能療法学科Reprintrequests:AtsushiFujiwara,C.O.,Ph.D.,DepartmentofOrthoptics,FacultyofRehabilitation,KawasakiUniversityofMedicalWelfare,288Matsushima,Kurashikicity,Okayama701-0193,JAPANC図1筆者が過去に製作をした乳幼児視野測定装置直径C100Ccmの透明半球ドームからなる.装置内部にはCLEDが装着されており,パーソナルコンピュータ制御により任意箇所のLEDを点滅可能である.児の眼前C36CcmにCdouble-arcperimeterの中心固視標が位置するよう対象児を抱き抱える.その後,検者は周辺部から白色視標を求心性に移動させて,周辺視標に対する反応を評価する.そして,検者はCdouble-arcperimeterのアームを手動で回転させて各方向での固視移動を目視で判定し定量化を行う.Schwartzらは,周辺視標に対する反応を,視野内に光刺激が呈示されると反射的にそちらの方向に体を向けたり視線を移動させたりする定位反射(orientingre.ex)13)であると述べている.Double-arcperimeterはのちに白色視標からCLED視標に高機能化(double-arcCLEDperimeter)されている14,15).そして,LED視標の大きさや点滅頻度を変化させた追加検討が行われている16,17).3つめは筆者が過去に報告18)した装置である.筆者らはSchwartzらの報告12)に基づき,定位反射を原理とした装置を報告した.評価対象は生後C5カ月からC5歳以下の乳幼児である.装置は直径C100Ccmの透明半球ドームからなる(図1).装置内部にはC8方向,計C72カ所にCLEDが装着されており,パーソナルコンピュータ制御により任意箇所のCLEDを点滅可能な仕様となっている(図1).検者は装置背後に設置されたデジタルビデオカメラと接続をされた観察用モニターにより対象児の様子を観察し,そして動画記録を行うことができる.測定はまず対象児の眼前C50Ccmに中央モニターが位置するよう対象児を抱き抱える.装置の準備ができたら,検者は中央モニターから音声付き動画を流し,装置中央に対象児の注意を促す.その後,周辺CLED視標を点滅させ,各箇所への定位反射を観察用モニターを通じて観察し,定量化を行う.以上の報告に共通していることは,見える範囲の広がりの評価を目的としていることであり,その測定原理は周辺視標に対する乳幼児の反応を観察し定量化を行うもので,一般的な「一点をみつめて見える範囲」という視野測定の原理とは異なる.CIII見える範囲の正常発達先述したように過去には,各報告者が独自に装置を開発し報告を行っている.現在までに臨床への普及に至っている装置はないものの,独自に開発した装置を用いて正常発達の検討がなされている.代表的な報告をもとに,新生児から幼児までの見える範囲の発達について解説を行う.C1.生後8週以下の新生児から乳児期における見える範囲の広がりSchwartzら12)は,独自の装置を用いて生後C8週以下を対象に両眼解放下における見える範囲の広がりを検討している.それによれば,生後C1日において水平垂直視野の非対象性が検出された.そして,見える範囲の広がりは,成人を100%として換算した結果,生後C1日でC42.2%,生後C4週で25.0%,そして生後C8週でC30.5%の広がりを示し,発育に伴う拡大は示さず,新生児よりも乳児で狭小化をしていた.この発育に反した狭小化の要因としては,装置中央に注意を促すための中心固視標の影響を指摘しており,注意(attention)の精度が生後C4週頃より向上することが根拠として示されている12,19).C2.3.5カ月,7カ月児における見える範囲の広がりMohanら15)は,独自の装置を用いてC3.5カ月,7カ月児を対象に単眼視下における見える範囲の広がりを検討している.それによれば,見える範囲の広がりは,成人をC100%として換算した結果,3.5カ月でC32.4%,7カ月でC70.3%の広がりを示し,7カ月で鼻側の広がりと比較をして耳側で有意に広い広がりを示した.また,成人では影響のない二つの移動速度で視標を呈示した結果,視標の移動速度が早いと有意に見える範囲の広がりは狭小化を示し,その傾向はC3.5カ月と比較をしてC7カ月で有意であった.C3.5カ月から5歳10カ月児における見える範囲の広がり筆者ら18)は定位反射を原理とする独自の装置を用いて,5カ月からC5歳C10カ月児を対象に両眼解放下における見える範囲の広がりを報告した.この報告18)では,過去の報告と比較して,同一条件下かつ同一装置にてもっとも幅広い年代を対象に評価を行っている.見える範囲の広がりは,他の報告者と比較して成長は緩徐であったが,3歳代で成人域に近づき,5歳代では安定した応答のもとで成人同等の広がりを示した.以上,過去の報告を参考に大まかにまとめると,見える範囲の発達は,出生直後で成人の約C50%の広がりを示し,その後,対象児の視標に対する応答精度が向上し,3歳で成人の広がりに近づくと考えられる.さらに,網膜は中心窩付近よりも先に周辺網膜の解剖学的,神経学的構造が成熟に達することが報告20)されており,視野は中心視力よりも早期に発達している可能性があると考える.CIV現在検討中の乳幼児視野測定法筆者ら18)の過去の検討では,対象児の注意をC1カ所に集中させ,その瞬間に周辺視標を呈示するという手法に限界があり,測定可能率が低下する一要因となっていた.そのため現在,一点を注視させる必要のない,周辺視標をランダムに呈示して視線移動量から広がりを評価する視線視野測定を試みている.乳幼児を対象とした視線視野測定のために用いている機器は,ヘッドマウント型視野計アイモCR(クリュートメディカルシステムズ)である.アイモは両眼解放下での測定が可能で,アイトラッキング機能が備わった視野計である21).視線視野測定のために,アイモのアイトラッキング機能を応用し,視線移動の定量化を行うための独自プログラムを構築し評価を行っている.C1.視線移動定量化のための測定プロトコル筆者が視線移動定量化のために用いている測定プロトコルの例を示す(図2).視標配置は中心C0°を基準にC7°外方の座標軸に位置するC5カ所とした.各視標はC2秒間呈示され,その後C0.1秒間隔でつぎの視標に移動をさせ,各視標への追従視線を記録する.測定は両眼解放下にて片眼ずつ測定を行い,約C30秒で測定が完了する.なお,視標の配置,呈示の順番,そして呈示法(大きさ,輝度,呈示時間,移行間隔時間)は任意に変更可能である.視標配置がC7°と限定的である理由は,アイモの光学的特性に基づくアイトラッキング精度の限界であることが要因である.現仕様で評価可能な最大角度は,水平垂直方向が約C14.0°,斜め方向が約C19.8°である.C2.アイモによる視線視野測定で得られる評価指標アイモによる視線視野測定ではC4つの評価指標を得ることができる(図3).1つめの評価指標は視線位置である(図3a).視線位置では周辺視標を追従しているかどうか,さらには視線が定まっているかどうかを定点群で確認することが可能である.2つめの評価視標は視線移動量である(図3b).視線移動量は視野の広がりに相当する,各方向への定量的情報を解析することが可能である.3つめの評価指標は時系列変化である(図3c).時系列変化では呈示視標に対して視線移動するまでの反応時間の定量的情報を解析することが可能である.そして,4つめの評価指標は画像記録である(図3d).画像記録では視線移動を静止画で記録し客観的判断材図2視線移動定量化のための視標呈示位置(イメージ)視標配置は中心C0°を基準にC7°外方の座標軸に位置するC5カ所である.各視標はC2秒間呈示され,その後C0.1秒間隔でつぎの視標に移動をさせ,各視標への追従視線を記録する.料とすることが可能である.アイモによる視線視野測定では,四つの評価指標を組み合わせて評価を行うことで,自覚的応答が困難な症例に対する評価結果の信頼性を高めることが可能と考えている.C3.乳幼児への視線視野測定の試み現在までに,19名を対象にアイモによる視線視野測定を試みており,測定可能率はC73.7%である(表1).図4は2歳C6カ月(健常男児)の視線視野測定結果(左眼)である.視線位置は安定感の欠如が確認されるが,各方向への視線追従を確認することができる(図4).また,視野の広がりに相当する視線移動量は,波形がもっとも顕著に突出した上鼻側は約C11°であった.このように,アイモによる視線視野測定は幼児において評価可能であった.C4.乳幼児への視線視野測定における今後の課題アイモを用いた視線視野測定は,定量的かつ客観的な評価指標に基づき,自覚的応答が困難な症例に対する評価結果の信頼性を高めることが可能と考えている.しかし,アイモはヘッドマウント型であり装置への恐怖や不安感に伴う強い抵抗が乳幼児の測定困難の一因となるという問題があった(図5).そのため,乳幼児への検査中ストレスを軽減させ,より日常に近い条件下での測定が必要である.今後はディスプレイ型の装置などを活用して乳幼児の視線視野測定に応用をしたいと考えている.おわりに早期視野評価の結果は価値ある診断情報となるばかりではなく,患児の医学的,教育的な管理上からも価値の高い臨床情報となる.今後,早期視野評価を行うための測定手技の確立,そして正確な正常値を明らかにし早期臨床普及に努めたいと考えている.abcd図3視線視野測定装置で得られる四つの評価指標7歳,健常女児の視線視野測定結果を示す.Ca:視線位置.視線位置と周辺視標への視線安定性の評価を行う.Cb:視線移動量.各方向への視線移動量の定量的評価を行う.Cc:時系列変化.視標への反応時間の評価を行う.Cd:画像記録.視線移動の様子を画像で記録する.図4乳幼児視線視野測定の1例2歳C6カ月,健常男児の視線視野測定結果(左眼)を示す.視線にばらつきがみられるが各方向への視標追従を確認できた.視線移動量の定量化が可能で,最大移動量は上鼻側C10.6°を示した.表1ヘッドマウント型視野計アイモによる視線視野測定可能率年代(歳代)年齢人数(名)測定可能率(%)C22歳5カ月.2歳11カ月C650.0(C3/6名)C33歳1カ月.3歳11カ月C771.4(C5/7名)C44歳2カ月.4歳9カ月C6100(C6/6名)全対象2歳5カ月.4歳9カ月C1973.7(C14/19名)図5測定不可能であった2歳5カ月(女児)の測定風景ヘッドマウント型装置への恐怖や不安感に伴う抵抗が測定困難の一因となることがある.乳幼児への検査中ストレスを軽減し日常に近い測定環境の構築が今後の課題と考える.文献1)WieselCTN,CHubelDH:E.ectsCofCvisualCdeprivationConCmorphologyCandCphysiologyCofCcellsCinCtheCcatsClateralCgeniculatebody.JNeurophysiolC26:978-993,C19632)HubelCDH,CWieselTN:ReceptiveC.eldsCofCcellsCinCstriateCcortexCofCveryCyoung,CvisuallyCinexperiencedCkittens.CJNeurophysiolC26:994-1002,C19633)粟屋忍:乳幼児の視力発達と弱視.眼臨C79:1821-1826,C19854)GormanCJJ,CCoganCDG,CGellisSS:AnCapparatusCforCgrad-ingthevisualacuityofinfantsonthebasisofopticokinet-icnystagmus.PediatricsC19:1088-1092,C19575)SokolS,DobsonV:Patternreversalvisuallyevokedpoten-tialsCininfants.InvestOphthalmolC15:58-62,C19766)FantzRL:Patternvisioninnewborninfants.ScienceC19:C296-297,C19637)QuinnCGE,CFeaCAM,CMinguiniN:VisualC.eldsCinC4-toC10-year-oldCchildrenCusingCGoldmannCandCdouble-arcCperimeters.CJCPediatrCOphthalmolCStrabismusC28:314-319,C19918)友永正昭:小児の量的視野について.日眼会誌C28:482-491,C19749)AkarCY,CYilmazCA,CYucelI:AssessmentCofCanCe.ectiveCvisual.eldtestingstrategyforanormalpediatricpopula-tion.OphthalmologicaC222:329-333,C200810)山本節:小児の視野.眼科CMOOK38:166-171,C198911)HarrisP,MacFarlaneA:Thegrowthofthee.ectivevisu-alC.eldCfromCbirthCtoCsevenCweeks.CJCExpCChildCPsycholC18:340-348,C197412)SchwartzCTL,CDobsonCV,CSandstromCDJCetal:KineticCperimetryCassessmentCofCbinocularCvisualC.eldCshapeCandCsizeinyounginfants.VisionResC27:2163-2175,C198713)SokolovEN:HigherCnervousfunctions;theCorientingCre.ex.AnnuRevPhysiolC25:545-580,C196314)DobsonV,BrownAM,HarveyEMetal:VisualC.eldextentinchildren3.5-30monthsofagetestedwithadouble-arcLEDperimeter.VisionResC38:2743-2760,C199815)MohanCKM,CDobsonCV,CHarveyCEMCetal:DoesCrateCofCstimulusCpresentationCa.ectCmeasuredCvisualC.eldCextentCininfantsandtoddlers?OptomVisSciC76:234-240,C199916)DobsonCV,CBaldwinCMB,CMohanCKMCetal:TheCin.uenceCofstimulussizeonmeasuredvisual.eldextentininfants.OptomVisSciC80:698-702,C200317)DelaneyCSM,CDobsonCV,CMohanKM:MeasuredCvisualC.eldextentvarieswithperipheralstimulus.ickerrateinveryyoungchildren.OptomVisSciC82:800-806,C200618)藤原篤之,田淵昭雄:乳幼児視野測定装置の開発.神経眼科C26:145-154,C200919)DelaneyCSM,CDobsonCV,CMohanKM:MeasuredCvisualC.eldextentvarieswithperipheralstimulus.ickerrateinveryyoungchildren.OptomVisSciC82:800-806,C200520)HendricksonCA,CDruckerD:TheCdevelopmentCofCparafo-vealCandCmid-peripheralChumanCretina.CBehavCBrainCResC49:21-31,C199221)MatsumotoC,YamaoS,NomotoHetal:Visual.eldtest-ingCwithChead-mountedCperimeter‘imo’.CPLoSCOneC11:Ce0161974,C2016C***

寄稿 私の視点 東京地下鉄サリン事件への眼科での対応-24年前を振り返って-

2020年9月30日 水曜日

寄稿私の視点東京地下鉄サリン事件への眼科での対応─24年前を振り返って─山口達夫*はじめに最近,3人の若い先生方から別々に「サリン事件の時に随分苦労されたと聞きましたが,どんな状況だったのか話してもらえませんか」と頼まれ,また「機会があればどのように対応したのかを,どこかに執筆してほしい」と言われた.1995年3月20日にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件は,地下鉄日比谷線,丸ノ内線,千代田線の車内で猛毒の神経ガスのサリン1,2,4~6)が散布され,14人が死亡,約6,300人以上が負傷する大惨事となった.大都市の東京で行われた一般市民を標的とした無差別化学テロは,世界中を震撼させた.未曾有のテロ事件から24年が経過し,事件のことは聞いてはいるが実情を知らない若い人たちが増えてきたことを実感する.オウム事件の裁判がすべて結審し,死刑囚13人全員の刑の執行が行われたこともあり(2018年7月),若い先生方が当時の状況を知りたくなったのかと思われる.思い返せばこの事件後,いくつかの報告はしたが7,8,12,13,16,19~21,23,25),実際の生々しい状況や,どう対処したかなどの話は事件後15日目に執筆し,日本眼科医会の編集部のご厚意で『日本の眼科』にすぐに掲載していただいたもの以外は執筆していなかった7).そのときの文章に少し加筆し,若い先生方に読んでもらえれば今後の参考になるかと思い筆をとった.1.経過1995年3月20日(月),事件は起こった.地下鉄の3つの路線の車内でサリンが散布され,多数の人が被曝し緊急停車した駅(築地,小伝馬町,霞ヶ関等)で事件が発生した.日比谷線築地駅(聖路加国際病院より徒歩5分)では午前8:06,電車内で事件が発生した.また小伝馬町駅では被曝した人が薬物の入った袋をプラットホームに移動させ,ガスが車外に拡散された.霞ヶ関駅は日比谷線,丸ノ内線,千代田線が交叉する駅であるが,多数の人が受傷し,駅職員や乗客に多数の死者が出た.聖路加国際病院を受診した人は,築地駅と小伝馬町駅で受傷された人がほとんどであった(図1).8:10A.M.筆者はいつものように中目黒から日比谷線に乗り,銀座の二つ先の築地駅で降車したところ,反対ホームに電*TatsuoYamaguchi:聖路加国際病院眼科,新橋眼科〔別刷請求先〕山口達夫:〒104-8560東京都中央区明石町9-1聖路加国際病院眼科0910-1810/20/\100/頁/JCOPY(91)1131図2救急車で搬送されて来た重症患者(朝日新聞社提供)車(上野から銀座方面に行く電車)が停車しており,人がぞろぞろとゆっくり出口に向かって歩いていた.また,人身事故でも起きたために当分の間,電車が動かないので,皆,降車しているのだろうと想像しながら筆者も出口に向かい,地上に出た.地上に出ると周りはいつもの景色だったが,いつもと違うのは地下鉄の出口からたくさんの人が出てきていることで,特別な緊張感はなかった.8:15A.M.聖路加国際病院に到着し医局でコーヒーを入れはじめた.8:20A.M.院内放送で「地下鉄で爆発事故があり,今後,多数の負傷者が搬送されて来る可能性があるので各科で準備をしておいてください」とのアナウンスがあった.爆発と聞いて,手術が必要な患者が多数来院したらどうしようかと不安が一瞬頭を横切り,アドレナリンが全身に周り,身のひきしまる感じがした.8:30A.M.地下鉄内で刺激臭を伴うガスが漏れ,救急外来に多数の患者が来ているとの情報が入った.8:35A.M.あとで知ったが,最初の心肺停止の患者が聖路加国際病院に搬送されてきた(図2).8:40A.M.眼科外来に最初の患者が単独歩行で来て,主訴は全体が暗く見える,ぼけて見えにくい,であった.築地駅から一人で歩いて来たようで,見えないために不安気で青白い顔をした青年だったが,外傷は認められず,爆発によるものではないと思った.眼を観ると両眼に充血(軽い毛様充血と結膜充血)を認め,瞳孔は今までに見たことのない縮瞳で,pinhole状を呈していた(図3).ピロカルピンやウブレチッドの点眼を使用したときにみられる縮瞳とは比較にならないほどの「極小」の瞳孔だった.気分は悪くないとのことだったが急変を考慮し,すぐに点滴を確保し(ソリタT3),ミドリンPの点眼をして椅子に座って待ってもらうことにした.この患者を診ている間にも,外来に次々と患者が現れ,皆同様に「見えない」「暗い」「眼が痛い」「視野が狭い」などの訴えで「頭痛」を訴える患者もいた.これらの患者は全員外傷がなく,これは爆発事故ではないと安心した.その時点では今後どのくらいの数の患者が来るのかまったく見当がつかず,当日の午前の予約の外来患者が120名ほどあり,その中の少数ではあるが予約の患者がすでに外来に来ていた.緊急の患者の正式なchart(カルテ)を作る時間がないので予約の患者と区別する目的で,眼科の事務員と相談し,緊急患者には黄色い2号用紙(入院用)をカルテとし,名前と生年月日を上方に記入し,受付順に1番から通しナンバーを右上方に記入し使用することにした.その後,数百人の患者が病院に運び込まれるとの情報が入った.医局員は11名だったが,当日の出務者は6名であった.眼科としてすでに来院している一般外来の患者を断るわけにはいかず,筆者以外にスタッフ一人を緊急患者専任として対応することにし,その下にレジデント一人を専任とし予診を取ってもらい,手持スリットを持たせ診察後に点滴を確保してもらった.ささいな事だが,こういう決定も瞬時に行わなければならなかった.10人ほどの患者を診察したら,全員,軽度から中等度の結膜充血と極小の瞳孔が共通した所見であった.外傷が認められないことから,これはガスなどの化学物質によって引き起こされたものだと確信した.このような極小の縮瞳をきたす薬物を調べたいと思い急いで医局に行き,日本語の教科書をいくつか見てみたが記載はなく,祈るような思いで“ToxicologyoftheEye”を見たが,残念ながら,そのような記載はなかった.次々に来る被害者を医長の大越貴志子先生らと3人の医師で診察し,診察後,患者全員に点滴を確保した.病院中から点滴をぶら下げる台を持ってきてもらい,1本を2人で使用するようにした.中には昭和の初期から使われて来た錆びた点滴台も混ざっていた.次々と患者が来て,眼科外来は患者で溢れてきた.9:15A.M.教科書が頼れないのなら人に頼ろうと思い,北里大学眼科に薬物中毒の専門家である石川哲教授がおられるとひらめき,直ちに病院に電話をかけたところ,運良く石川先生がおられ暗黒の中に一条の光を見出した感じがした.石川先生に所見を伝えたところ「農薬中毒3)の症状に似ているが,農薬中毒ではそのような強度の縮瞳は起こさないので,自分の知らない物質によるものと思われる.お役に立てなくて申し訳ない」とおっしゃられ先生との会話は終わった.原因物質が不明であり,縮瞳に対しミドリンP,サイプレジンを点眼しても瞳孔はびくとも動かず困り果て「このままで良いのか?」「ステロイドを点滴で使用していれば毒物による視神経の障害は防げたのにと,後日,後悔することにならないか?」など,頭に浮かんできた.9:30A.M.そこで看護師に患者を診察室に入れないよう指示し,診察室の室内灯を消し,室を真っ暗にして,点滴にステロイドを注入するか否か瞼を閉じて黙考した.将来,万一視覚に障害が発生したならば,すべて筆者の責任である.眼科の責任者として大きな判断をしなければならないと考えた.ステロイドの功罪を5分ほど考えた.筆者の人生で,一つの物事を短い時間で,あのように深く考え抜いたことはなかった.そして出した結論は,「点眼薬の効果が出るのをもう少し待ち,その時点でもう一度考えても良図42階の外来の待合フロアは患者と職員で溢れているいのではないか」であった.10:00A.M.図書館から原因物質はアセトニトリルであるとの情報が入り,資料や論文が配布されてきた.原因物質がわかったぞと喜び勇んですぐに“ToxicologyoftheEye”のアセトニトリルの箇所を読んだが「マウスの腹腔に注射をすると結膜充血が起こる」との記載のみで瞳孔に関しては記述がなく,アセトニトリルは原因物質ではないと直感した.原因物質がわかれば治療法がわかると思っていたので,これには本当にがっかりした.患者の状態が気になり,廊下に出てみると廊下は患者で溢れかえっており,点滴をぶらさげている患者にその後の病状を聞いてまわったところ,診察時と同じ自覚症状で,全身的にも悪い徴候は起こっていないとのことで,ほっとした.瞳孔の所見から,副交感神経が異常に刺激された状態と考え,また神経内科からの助言もあり,全員にソリタT3の点滴の側管から硫酸アトロピン1mgの入った生理食塩水10mlを30分かけて点滴することにした.緊急に来院した患者は救急科の医師,内科医,レジデントが診察し,眼だけの訴えの人は直に眼科を受診するようトリアージされていたようだ.外来のフロアがある2階と3階の廊下は,救急外来を受診した全身症状を訴える患者でいっぱいだった(図4).あとで知ったがその頃,自衛隊中央病院の青木晃医師(サリンを専門に研究していた)が,テレビ報道を観て原因物質はサリンではないかと考え病院に連絡をくださったとのことである.後日談だが,信州大学内科の柳澤信夫教授(松本サリ表1事件当日東京都眼科医会のFAX網を使って,会員に送った症状と治療法東京都眼科医会会員各位サリン中毒について今回のサリン事件被災者の診察について,聖路加国際病院,山口先生のご経験を参考のためにとりあえずお伝えします.(山口先生ご了解済)症状1)毛様充血(かなりの多数)2)極度の縮瞳(大多数)3)浅前房(少数)4)KSD様の変化(少数)5)アレルギー性結膜炎(多数)治療縮瞳している例には(生食100ml,アトロピン1~1.5mg)点滴しています.縮瞳は5~6時間経って治ってくる方と,まだ縮瞳の続く方とあります.6時間~24時間で変化する可能性もあるようです.以上別紙3枚はつくばの日本中中毒情報センターより得た情報で千代田区医師会で取り寄せ,島崎先生ご提供のものです.FAXを繰り返して少し読みにくいのですが,参考にして下さい.東京都眼科医会会長原田住江ン事件で多数の患者を診察された先生)が,テレビ報道を見て,松本サリン事件の患者の症状に似ているので原因物質はサリンであると考え,聖路加国際病院に9時過ぎから何度も電話をかけてくださったのだが,回線が混んでいて通じず,結局11時頃にやっと電話が通じ,サリンの話を伝えてくださったとのことであった.松本サリン事件は9)東京の地下鉄サリン事件よりも9カ月前の1994年6月27日に神経ガスが散布され,死者8人,負傷者600人の大惨事となった事件であった.事件発生6日後に原因物質がサリンであることが判明した.のちにこの事件もオウム真理教の犯行であったことが明らかになった.10:45A.M.ミドリンP,サイプレジン,1%アトロピンを点眼した患者の中で数名,瞳孔が「極小」から「小」になって来て,自覚的にも「少し明るくなって来た」とのことで点眼を続行し,ステロイドの点滴静注はせずに様子をみることにした.11:00A.M.原因がサリンであるという情報とともに治療薬のPAM(pralidoximeiodine)が各科に配布され,サリン中毒への治療が本格的に開始された10).神経内科医の指示により,図書館から配布された資料を読むとすべての症状が合致し,サリンによるものと納得した.眼科はアトロピン点滴静注のみで対応することにした.PAMは農薬中毒の治療に使われるため,地方の基幹病院には常備されているそうだが,どういうわけか当日,都心の聖路加国際病院に偶然,大量に備蓄されており,幸運なことであった.点滴にアトロピンが投与された患者は瞳孔がほんの少し開き,毛様充血や眼痛も軽減してきたが,瞳孔が少し開いてきても対光反応は認められなかった.数名に視力と視野検査を行ったが,数値は0.1~1.0と患者によって差が認められ,視野検査では求心性に20~30°の狭窄を示す例が多く認められた.当初はこの結果をどう解釈すべきか悩んだが,瞳孔が少し開いてきてから再検査したところ,視野が著明に改善されたので,胸をなでおろした.11:30A.M.原因物質がサリンと確定し自覚症状,他覚症状も判明し,治療法も確定したので,都内の眼科の先生方に参考にしていただければと思い,東京都眼科医会会長の原田住江先生に症状と治療法を手書きし,FAXで送った(表1).東京都眼科医会は,当時会員数1,866名で都内23区と多摩地区(7地区)の各支部長に連絡をすれば,各地区の会員に情報が伝わるようにFAX網ができており,原田会長の御判断で,筆者からの情報と,学術部の宇多重員常任理事と総務部の島崎哲雄常任理事からのサリンに関する文献も一緒にFAXされた.後日,会員の先生方から,情報が乏しい中どうしてよいのかわからなかったが,FAXを受取りとても助かったと感謝された.12:00A.M.原因物質が判明し治療中の患者も明るさを取り戻しはじめたこともあり,筆者自身,精神的余裕が出たので2階にある教会(普段は患者の祈りの場であり,職員の集会場でもある)に行ってみたところ,木製の長椅子はすべてベッドになり,患者が横たわっており,医師,看護師も大勢おり,足の踏み場もない状態であった(図5).図52階の教会の長椅子は患者のベッドになり,職員が治療にあたっている1階に降りてみたところ,エントランスは人で溢れており,野戦病院とはこういうものなのだと実感した.聖路加国際病院は1902年に創立され,現在の建物は1992年に建て替えたもので,設計の段階で1923年に起きた関東大震災や1945年の東京大空襲の時に多数の患者が病院に来院した経験を生かし,1階のエントランス部分は,非常時に備え広く作られている.これはエントランス部分もベッドやマットを置けば,病室として使えるという発想である.2階,3階の外来の廊下も同じ考えで広く作られており,今回のサリン事件では設計者の考え通りに,それが機能したといえる.また,病院中の廊下,ラウンジ,教会の壁には「酸素」と「吸引」の配管が設置されており,今回これらが実際に使用され役に立ったということである(図6).この病院を設計したのは当時の脳外科の部長で建築の専門家でもあったので,欧米のおもだった病院を見学して得たアイデアで設計したものである(後年,日野原重明院長がご自分で設計したようにテレビなどで発言されていましたが,それは事実と異なります).当日の予約の患者は215名であったが,30名がキャンセル(一部の方は自発的に診療を辞退してくださった)となり,残りの185名を6名の医師でサリン患者と一緒に2:00PMまでかかって診察した.2:00P.M.細隙灯顕微鏡による診察では,まだほとんどの患者が縮瞳していたが,少数例で対光反応がわずかに認められだし(受傷後6時間),また毛様充血も徐々に軽減しだ図6病院中の廊下,ラウンジ,教会の壁に設置されている「酸素」と「吸引」の配管した.中野11)らは事件当日38例を診察し,81.6%に3mm以下の縮瞳を認め,対光反応は63.2%に消失していたと報告している.筆者らは全員に縮瞳と対光反応の消失を認めたが,中野らは事件現場から1時間以上都心から離れた世田谷区の病院で診察しており,そのためにこの差が生じたものと思われる.聖路加国際病院に多数の被害者が来院しているとの報道で,聖路加国際病院に行けばより適確な治療が受けられると考えられたのか,午後になっても患者が次々に来院した.患者には不安にならぬようにサリン事件の情報がわかりやすく書かれた「ミニかわら版」が配布された.5:00P.M.東京都から40台の簡易ベッドが貸し出され病院に到着した.神経内科より患者に全身的な異常が認められなければ帰宅させて良いという指示があり,酸素飽和度をチェックし正常であれば点滴を抜去し,受傷後6~24時間で急変する可能性があるので,万一そのような事態が起きたら早めに最寄りの医療機関を訪れるよう指示し,帰宅させた.事件当日,病院に来院したサリンの患者は640名で救急車搬入99名,心停止,呼吸停止患者5名(1名は来院直後死亡,1名は脳死状態でその後死亡,3名は回復し生存)であった.病院全体としては予約患者1,642名とサリン患者640名で総計2,282名を診察した.眼科外来で診察したサリン患者は112名であった.当夜,聖路加国際病院に入院した患者は110名で,比較的症状の軽い23名は病院内の教会で東京都から供与された簡易ベッドで一夜を過ごした(図7).入院患者図7比較的症状の軽い患者は東京都から供与された簡易ベッドで一夜を過ごすことになったのすべての衣類はビニール袋に入れ密封し保管された(あとで述べるが,後日,聖路加国際病院に視察に来た米国からの視察団のメンバーから,この「密封」が絶賛された).当日,事件に対応した職員は1,063名で,医師129名,レジデント36名,看護師477名,看護助手68名,事務職員など323名だった.当院はベッド数520床の中規模の病院であるが,全職員が懸命に活動し総力戦の一日であった.7:00P.M.眼科外来では,急変する患者もなくほっとし,診察が終わったあとの医局では皆グッタリしていた.ただ,外傷を伴う事故ではなかったことは幸いであった.もし,これが爆発などによる外傷も伴った事故であったら,多数の患者をどう診療できたのか,想像もできない.また,テロなどにより電力の供給がストップする状況が生じたとしたら,筆者らの活動は極端に制限されてしまうことになり,想像しただけでも恐ろしいことである.3月21日(火・祝日)(事件発生翌日)9:00A.M.休日ではあったが,院内の医師,看護師,事務職員などの責任者約50名が1階のエントランスホールに集ま表2事件当日退院の患者に渡した注意書サリン中毒による眼の症状についてサリン中毒による眼の症状は,主として縮瞳と言って瞳が極端に小さくなる事です.そのため,ピントが合わせられなくなり,視力低下し,暗い感じがします.また,縮瞳によって痛みや充血が起こります.この状態は2週間くらいかかって徐々に改善いたします.時間が経過していますので特に洗眼の必要はありません.すでに点眼など初期治療を受けている方は心配ありませんので,1週間程度様子を見て,症状が持続するようであれば受診して下さい.読書などの近業作業は程ほどにして下さい.聖路加国際病院眼科1995.3.21り1日の計画を討議した.9:30A.M.サリンで入院した110名の回診を,神経内科,脳外科,眼科(筆者)の3人の医師で行い,問題がなければ退院とした.その際,受傷当日よりも結膜充血が増加している症例が多く認められた.縮瞳は全員に認められた.80名の退院患者には,表2のような通知書を渡し,万一の場合は近医を直ちに受診するように注意をうながした.眼科外来には,医師2名,ORT1名,看護師1名,事務1名が待機し,28名の新たなサリン患者を診察した.外部からの電話での相談には内科の医師2人が対応し,1日で約200件の患者に指示を与えたとのことである.電話の問い合わせでは眼科に関することが多かったようで,①暗さ,②不快感,③頭痛などが主なものであり,①~②に対しては退院患者に渡したものと同じ内容(表2)のことを患者に伝えてもらった.5:00P.M.1日が終り医局に戻ったところ,軽い頭痛を感じ,日頃頭痛を感じることはないので不思議に思い,ひょっとしてと思いレジデントの先生に細隙灯顕微鏡で観てもらったところ「先生,縮瞳していますよ!」といわれびっくりした.2日間緊張しながら忙しく働いていたので,頭痛に気づかなかったのであろう.思い返せば,昨日築地駅で反対側のホームに停車していた電車からのサリンに曝露したものと思われる.筆者の症状は軽微であったが,筆者も被害者の一人だったということである.そうなると,筆者のように自覚症状が軽微で病院を訪ねていない被害者は数多くいたものと思われる.3月C22日(水)(事件発生C2日目)130名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.内科よりCICUに入院している患者を診て欲しいとの依頼があり病室を訪ねると,ベッド上にC23歳位の若い女性が人工呼吸器をつけて横たわっており,ベッドの脇にお母さんが座っておられた.Handy-slitで観ると瞳孔は既にC8割散大していた.診察後,お母さんが「どんな状態でしょうか?」と心配そうに尋ねてこられた.正直に病状を話すことが出来ず,「内科の先生方の治療に期待しましょう」と言って逃げるように病室を出た.切なさと悔しさで廊下の景色が滲んで見えた.この患者さんは数日後に亡くなられた.1週間前に職場が変わり,日比谷線を使うようになり小伝馬駅で被曝されたとのことであった.もし生きていれば,幸せな人生が待っていただろうと思うと胸が痛む.今でも,時々,あの時の病室の情景が思い出される.3月C23日(木)(事件発生C3日目)81名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.1:00P.M.他施設の眼科や他科の先生方より,治療法に関し問い合わせを多くいただいたので,表3のような文章を書き,京橋眼科医会の葉田野雅夫先生(中央区医師会副会長)と日本橋眼科医会会長の川口國臣先生にお願いし,中央区の眼科の先生方にCFAXしていただいた.この文章はのちに,両先生のご配慮により,中央区の医師会を通して他科の先生方にも送っていただいたとのことである.3月C24日(金)(事件発生C4日目)25名の新たなサリン患者が眼科外来を受診した.3月C29日(水)(事件発生C9日目)厚生省から聖路加国際病院に,米国政府からサリンの専門家が病院を訪問しアドバイスをしたいとの申し出があった.当院は元々,米国のキリスト教聖公会が設立した米国との結びつきに強い病院であり,また筆者らも何か新しい情報がもらえると思い受けることになった.表3事件3日後に東京都中央区の医師会の会員に送った眼症状と治療法会員の皆様会員の皆様より,サリンの患者さんの眼症状に関して問い合わせを多数頂きました.本日まで,当眼科で約C480人の患者さんを診察致しました.私共の判断が正しいか否か分かりませんが,現時点での我々の治療方針を会員の皆様にお知らせし,それが診療のお役に立てれば幸いです.受傷後C3日経った現在,自覚症状は1)瞳孔の問題(縮瞳,暗さ,見にくさ)2)充血3)眼痛4)頭痛が主なものであると思われます.1)瞳孔の問題ですが,極度の縮瞳は少しずつ緩んできており,もし対光反応が認められるようであれば,そのまま放置して構わないと思われます.まだ縮瞳していてなおかつ眼痛を訴える症例では,ミドリンCPの点眼(3~4回/日)を使用させてください.2)充血ですが,結膜充血であればC0.02%フルメトロン点眼(3回/日)を使用させてください.症例によって,受傷後C2~3日目より毛様充血を認めることがあります.この例ではミドリンCPを使用させてください.3)眼痛に関しては,ミドリンCPの使用と,重症例に対しては鎮痛剤を使用させてください.4)頭痛に関しては,軽度と思われますので様子を見ていただいて良いと思われます.以上,何かご質問がございましたら電話C5550-7050(眼科直通)迄御連絡ください.聖路加国際病院眼科部長山口達夫3月23日午後2時現在3月C30日(木)(事件発生C10日目)米国より保健福祉省の役人,軍関係の役人(陸軍化学物質防衛医療研究所の医師),駐日アメリカ大使館員ら10人ほどが来院した.聖路加国際病院からは日野原重明院長,各科の部長,看護師長数名が会議室に集合し,病院全体の活動が説明された後,各科でどのような活動をしたかをC10分程度で発表した.筆者らの発表が終わると,米国側から次々に質問があり,細かいことまで聞いてきた.被害者の衣服をビニール袋に入れて密封して保管したと報告されると,その行為がさらなる被害を防いだと,彼らから賞賛されたことが印象的であった.筆者らへアドバイスをする人達の訪問と聞いていたのだが,彼らからのアドバイスは一切なく,会は終了した.あとで気づいたのだが,彼らの目的はアドバイスをすることではなく,今回の事件に関する一切の情報を入手することであったと確信した.忙しい中,会に出席して半日を費やし,何のための会だったのかと疲労感のみが残った.しかしながら,後日,駐日米国大使館を通し米国保健福祉省よりワシントンCD.C.に来て,講演をして欲しいとの連絡が入った.演者は,信州大学内科:柳澤信夫教授,聖路加国際病院神経内科医長:大生定義先生,そして筆者であった.どういう理由で眼科医である筆者が選ばれたのか不明であった.1995年C7月C10日,ワシントンのダラス国際空港に到着すると保健福祉省の職員が出迎えてくれ,パスポート審査と税関はフリーパスで通過し,その後,用意されたホテルに到着し他の二人の先生方と合流し,本当に「招聘されて講演する」ことを実感した.ただ筆者はC50~60人の保健福祉省の役人がサリン事件の情報を聞きたくてこのような会を聞くのだろうと軽く考えていた.7月C12日,会場のあるCBethesdaのビルに入ると,会場は保健福祉省の大きな講堂で出席者は約C550人とのことであった.会場に入ると予想以上の参加者で,その人数の多さにびっくりし,これはしっかりやらないといけないなと気持ちを新たにした.参加者はワシントンの連邦政府の役人と各州の衛生部とテロ対策の人たちとのことで,会場は熱気に溢れていた.あとで知ったが,東京のサリン事件のC1カ月後のC1995年C4月C19日に,オクラホマ州のオクラホマシティー連邦政府ビルがテロリスト達により爆発され,死者C167人,総被害者C759人という大惨事が起きたばかりであり,サリンのような化学テロも含め非常事態が起きたとき,どのように対処すべきかを国を挙げて対策を練りたいとのことでこの会が催されたようであった.イラク政府がクルド人に対しサリンを使用し多量殺戮を行ったとの情報はあったが詳細はわかっておらず,多数の一般の市民を対象にこれだけの多量のサリンを使用した事件は世界で例がないことから,松本市と東京で起きた事件の情報を筆者らから得たかったのだと思われた.会は最初に保健福祉大臣が挨拶したことにびっくりし,連邦政府の力の入れ具合を肌で感じ,この会はなまじの会ではないと再認識した.その後,筆者らがC45分ずつ講演したあと,質疑応答があり,柳澤先生と大生先生への全身的なことに関して多くの質問があった.質疑応答が終わりほっとし,これで終わりだと帰ろうとしていると,司会者から筆者らC3人に壇上の前に出るように促された.何だろうと思いつつ前に出ると,司会者が「日本から来たC3人のヒーローに盛大な拍手を送りましょう!」と言った直後,会場全体の参加者全員が立ち上がりCstandingovationとなった.予想もしていない出来事であり,感謝の気持ちで筆者らC3人が日本式のおじぎを深々としたら,また盛大な拍手が起こりしばらく鳴り止まず,生まれて初めてのCstandingovationであり期待もしていないことことが起こりびっくりし,感激で涙ぐんでしまった.出席者の皆さんからすれば,東京では6,300人余りの被害者が出たにもかかわらず,たったC14人の死者しか出さなかった「日本人の努力」「日本社会の規律あるシステム」への賞賛であったように思われた.その日の夕方,保健福祉省(?)の役人の方がホワイトハウスの中を案内してくれるとのことで大生先生とC2人で行き,「普通の人達には絶対見せないのだが,あなた方は特別な方達だから」といって,クリントン大統領の私的な室以外をすべて丁重に案内してくれた.テレビで報道官が記者たちを前にしてスピーチをするのをよく見かけるが,その室では「報道官がスピーチする所に立ってスピーチしてもよいですよ」といってくれ,スピーチのマネをして写真を撮ってもらった.こういった経験は一生でもうC2度とないと思い,感慨深いものがあった.C2.サリンガス受傷後3カ月の眼所見(表4)事故後,当院眼科を受診した患者の中から無作為に41人(全体の約C1割)を抽出し,受傷後C3カ月となる1995年C6月末に眼科外来を受診してもらい検査を行った(無料).受傷後C3カ月の自覚症状としては,疲労感,不快感などの不定愁訴的な訴えが主なものであった17).視力の低下はなかった.縮瞳は全体のC29.3%に認められた.対光反応の欠如あるいは遅延はC7.3%に認められた.網膜電図の変化がC15.9%に認められたので,その結果を国立リハビリテーションセンターの簗島謙次先生に見ていただいたところ,縮瞳がおもな原因であろうとの表4受傷後3カ月の眼所見(41人)表5受傷後1年の眼所見(26人)視力低下0/82眼(0%)24/82眼(2C9.3%)(瞳孔径C4Cmm以下または左右差C0.5Cmm以上)6/82眼(7C.3%)13/82眼(1C5.9%)4/82眼(4C.8%)(うっ血:2眼,境界不鮮明:2眼)3/82眼(3C.6%)2/82眼(2C.4%)2/82眼(2C.4%)縮瞳対光反応の遅延網膜電図の異常視神経の異常視野異常角膜厚の増加アレルギー性結膜炎眼疲労感18/52眼(3C4.6%)9/52眼(1C7.3%)8/52眼(1C5.4%)8/52眼(1C5.4%)4/52眼(7.7%)0/52眼(0%)0/52眼(0%)0/52眼(0%)28/52眼(5C4.0%)縮瞳視力低下対光反応の遅延網膜電図の異常視神経の異常視野の異常角膜厚の異常調節力の異常表6受傷後2年,眼科を受診した40人の自覚症状診断であった.谷らは17)サリン曝露C3カ月後に両眼の瞼球癒着を生じた症例を報告しているが,筆者らの症例の中には外眼部の異常をきたした症例は認められなかった.野原らは15,18)瞳孔径はC1週間後にはほぼ正常になったと報告しているが,筆者らの症例では受傷後C3カ月経ってもC29.3%に縮瞳が認められた.これは用いられたサリンの成分や濃度,散布方法などの違いによるものだった可能性が考えられる.Katoらは14)サリン曝露C2時間後の眼圧の平均値はC11.6±1.9CmmHgであったが,瞳孔径が改善した後の眼圧はC14.6C±1.8CmmHgに上昇したと報告している.筆者らは眼圧に注意を払っていなかったので,比較するデータを持っていない.視野の異常がC3.6%に認められた.C3.サリンガス受傷後1年の眼所見(表5)受傷後C1年が経過しても通院している患者はC26人であった.眼所見では,自覚症状としては眼疲労感(34.6%),視力低下(15.4%)などが主なものであった.他覚症状としては縮瞳(17.3%),対光反応の遅延(15.4%),網膜電図の異常(7.7%)などが主なものであった19,20).調節力の緊張がC54.0%と比較的多数例に認められたが,サリン中毒によるものか否か断定することは困難であった.対光反応の遅延については,縮瞳がC5~6週間続いたとのCSidellらの報告4)があるが,筆者らは受傷後1年経ってもC2名に縮瞳と対光反応の欠如を認めた.サリンによる障害が従来の報告よりも長く続くことが判明した19).C4.サリンガス受傷後2年の自覚症状と眼所見(表6)当院救急部のアンケート調査に応じ,全身検査を希望した患者のうち眼科的検査を希望した患者C40名(自覚症状のある例C23人,自覚症状のない例C17人)を観察した20).症状の中では視力の低下(27.5%),疲れやすい(22.5%)などが主なものであった.疲れやすい,違和感がある,疲れると瞼が重い,などの自覚症状は機能的な障害では説明できず,不定愁訴的な自覚症状と思われた.視力低下,焦点が合わない,かすむ,などの訴えは調節力の異常と関連していると考えられた.細隙灯顕微鏡で対光反応を調べてみると,反応の遅い症例や虹彩の一部が反応していない症例などC6眼(7.5%)に異常を認めた.網膜電位(ERG)では,11眼(13.8%)に異常を認めた.野原らは24)受傷後C1年後の患者でC1名に視野の狭窄を認め,また受傷後C3年半の患者C1名に縮瞳とCERGがsubnormalな症例を報告している.サリン受傷後C2年以上経過してもまだ多数の患者に眼科的障害が残っていることがわかる.C5.サリンガス受傷後16年の眼所見受傷後C16年経過し眼科を受診している患者はC6名で,そのうち自覚症状を有している者はC2名である.1名は強い羞明を自覚しており,体調の良いとき以外はまぶしさで窓のカーテンが開けられず,外出もままならないと表7サリンの急性中毒患者の眼科的治療直接曝露洗浄,洗眼,PAMまたは硫酸アトロピン点滴曝露C7分以内─洗眼曝露C7分以降─結膜充血なければ洗眼不要PAMまたは硫酸アトロピン点滴ミドリンCP(トロピカミド+フェニレフリン)点眼またはサイプレジン点眼毛様充血─ミドリンCP点眼結膜充血─C0.02%フルメトロン点眼毛様充血─ミドリンCP点眼結膜充血─C0.02%フルメトロン点眼点状表層角膜症─眼軟膏,0C.1%ヒアレイン点眼ガスの吸引縮瞳充血異物感(治療薬は商品名で記載)のことである.体温調節も困難で自律神経の失調も伴っていると思われる.被曝前はまったく健康体であったとのことである.真面目な方で詐病の可能性はなく,眼科学的な検査では異常な所見は認められなかった.もうC1名は眼の疲労感,体の不調を訴えているが,眼科学的な検査では異常を認められなかった.他のC4名は自覚的にも,他覚的にも異常を認められなかった.岩佐らは26)被害後C7~15年の患者C305名を検査し,主訴では眼疲労感,焦点が合わない,羞明感,眼痛などが多く,過縮瞳などの眼異常が全体のC19%に認められたと報告している.いずれにしてもサリン受傷後,長期にわたり障害が残ることが判明したことにより,明るさと瞳孔径の対応を制御する中枢機能の破綻と,また調節障害は毛様体筋に対する中枢制御の破綻の可能性があるのではないかと推論している.C6.サリン患者への眼科的治療(表7)治療は,サリン事件直後に筆者らが報告したように,直接曝露では洗浄,洗眼をする.ガスの吸引後,患者自身で来院し,全身状態がよく曝露C7分以内であればまず洗眼を行い,7分以上経過している場合には結膜充血がなければ洗眼は不要である7).全身状態が悪ければCPAM(1Cgを点滴に入れC30分かけてゆっくり静注,その後C1時間ごとにC1Cgを計C4回行う)または,硫酸アトロピン(2~4Cmgを静注,その後30分ごとにC2Cmg静注,その後は全身状態をみながら10~30分ごとにC2Cmg追加する)を点滴する.縮瞳に対しては,ミドリンCP点眼またはサイプレジンを点眼する.充血に対しては,毛様充血にはミドリンCP点眼を,結膜充血にはC0.02%フルメトロンを点眼する.異物感では毛様充血,結膜充血に対しては上記と同じで,点状表層角膜症に対しては眼軟膏,0.1%ヒアレイン点眼などの人工涙液を用いる.被曝直後の自覚症状の中で,縮瞳に伴う「暗さ」「視野狭窄」に対し患者の不安が強いので,散瞳薬を点眼すると少しずつ軽快することを伝え,精神的な不安感をやわらげることは大事であると考える.事件後C15年以上経過しても眼症状や不定愁訴を訴える患者もあり,精神的なものも含めた長期の経過観察とケアーが必要であると考える.C7.今後への提案筆者らの反省点としては,1)災害に備えて非常時の体制を構築しておく.2)病院であれば事故後,院内に核となる対策センターを迅速に設置する.3)各科に対する情報伝達は対策センターを通して出し,迅速に行う.4)状況により一般外来診察の中止を決断する.5)医師会,眼会医会,眼科学会を介して情報を迅速に伝達してもらい情報を共有する.などである.C8.まとめ1995年C3月C20日に東京で起きた地下鉄サリン事件では事件が起きた場所が当院に近く,多数の被害者を診察することになり,サリンが多彩な臨床像を呈することが判明した.サリン中毒患者の急性期の自覚症状としては,「暗い」「見にくい」「近くを見ると眼が痛い」「眼痛」「頭痛」「見ようとしても集中力がない」「異物感」「視野が狭い」などであった.急性期の他覚症状としては,強度の縮瞳,毛様充血,結膜充血,視力低下,視野狭窄,浅前房,角膜と結膜のびまん性表層性のフルオレセインの染色,網膜電図の変化,眼圧の低下,調節力の緊張などが主なものであった.中でも強度の縮瞳がサリン中毒の特徴と思われた.その後の観察で,文献で報告されていたよりも一部の症状は長期に及ぶことが判明した.筆者らが観察した患者の障害の程度は,軽度~中程度のものであったと思われ,さらに重症な症例ではこれらの他覚的症状も変わる可能性があると考えられる.眼科的治療は全身症状が伴わなければ,縮瞳と充血に対する処置を主に行えば良いと考える.受傷後C2年が経過しても対光反応が不完全な患者は少数ながらおり,調節力が不安定な患者はかなりの数にのぼった.受傷後C16年が経過しても,眼科的に積極的な治療を要する患者はいないが羞明や眼精疲労などの不定愁訴的な訴えは続いており,外傷後精神的ストレス症候群などの精神的な障害をもっている方の社会復帰なども含め,今後とも長期の観察が必要であると考える.最後に,この事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし,二度とこのような事件が起こらないことを切に願い筆を擱く.(2019年C11月C16日)文献1)GrobD:TheCmanifestationsCandCtreatmentCofCpoisoningCdueCtoCnerveCgasCandCotherCorganicCphosphateCanticholin-esteraseCcompounds.CAMACArsCInternCMedC98:221-239,C19562)GrobD,HarveyJC:E.ectsinmanoftheanticholinester-aseCcompoundsarin(isopropylCmethylphosphono.uori-date).JClinInvestC37:50-368,C19583)石川哲:公害と眼,有機燐と眼.慢性有機燐中毒症の疫学,臨床および実験的研究.日眼会誌C77:1835-1886,C19734)SidellFR:SomanCandsarin:clinicalCmanifestationsCandCtreatmentCofCaccidentalCpoisoningCbyCorganophosphates.CClinToxicolC7:1-17,C19745)DunnCM,CSidellFR:ProgressCinCmedicalCdefenseCagainstCnerveagents.JAMAC262:649-652,C19896)Rengstor.RH:VisionCandCocularCchangesCfollowingCacci-dentalCexposureCtoCorgano-phosphates.CJCAppliedCToxicolC14:115-118,C19947)山口達夫,眞鍋洋一,大越貴志子ほか:サリン中毒患者の眼科での対応.日本の眼科66:343-349,C19958)山口達夫:聖路加国際病院サリン患者診療報告会から.三.眼症状の取り扱い.日本医事新報3706:47-56,C19959)MoritaH,YanagisawaN,NakajimaTetal:Sarinpoison-inginMatsumoto,Japan.LancetC346:290-293,C199510)大生定義ほか:サリン中毒対応の実状.日内会誌C84:152,C199511)中野栄子:サリン中毒による眼症状.眼科C37:1533-1536,C199512)YasudaCA,CYamaguchiCT,CManabeCYCetal:SarinCterror-ismCinCTokyo,C3CmonthsCfollow-up.CInvCOphthalmCVisCSciC37(suppl):A943,199613)眞鍋洋一,山口達夫,大越貴志子ほか:サリン患者急性期の眼症状と経過.臨眼50:765-767,C199614)KatoT,HamanakaT:OcularsignsandsymptomscausedbyCexposureCtoCsarinCgas.CAmJOphthalmC121:209-210,C199615)野原政彦,中村道紀,中村公俊ほか:松本市における有機リン系ガス(サリン)中毒の眼症状の解析.臨眼C50:769-774,C199616)山口達夫:サリンガスによる急性中毒の眼症状.臨眼C50:C1444-1449,C199617)谷瑞子,秦誠一郎,清水敬一郎ほか:サリン曝露後にみられた瞼球癒着.臨眼50:1845-1848,C199618)NoharaCM,CSegawaK:OcularCsymptomsCdueCtoCorgano-phosphorusgas(Sarin)poisoningCinCMatsumoto.CBrCJOpthalmC80:1023-1027,C199619)YasudaCA,CYamaguchiCT,CManabeCYCetal:SarinCterror-ismCinCTokyo,C1CyearCfollow-up.CInvCOphthalmCVisCSciC38(suppl):A60,199720)聖路加国際病院:地下鉄サリン事件二年後の患者臨床経過報告.眼科からの報告.日本醫事新報3828:42-48,C199721)山口達夫:サリン中毒の眼症状と治療法.有機リン中毒(サリン中毒)─地下鉄サリン事件の臨床と基礎(家城隆次編著),p50-57,診断と治療社,199722)家城隆次:地下鉄サリン事件の概要.有機リン中毒(サリン中毒)─地下鉄サリン事件の臨床と基礎(家城隆次編著),p1-3,診断と治療社,199723)OhbuCS,CYamashinaCA,CTakasuCNCetal:SarinCpoisoningConCTokyoCsubway.CSouthenCMedicalCJournalC90:587-593,C199724)野原雅彦,関島良樹,中島民江ほか:松本サリン事件後の健康診断における眼科所見.臨眼53:659-663,C199925)山口達夫:サリン中毒の眼症状と治療.あたらしい眼科C25:491-496,C200826)岩佐真弓,井上賢治,若倉雅登:サリン被害後の眼科的後遺症.あたらしい眼科29:1435-1439,C2012

基礎研究コラム 40.酸化ストレスと防御

2020年9月30日 水曜日

酸化ストレスと防御酸化ストレスとは酸素は生体内において,外部からのさまざまな刺激に反応して活性酸素に変化します.活性酸素は反応性が高く,細胞間のシグナル伝達・細胞の分化・アポトーシスなどの生理活性物質やマクロファージによって産生され,免疫反応や感染防御として働きます.しかしながら,過剰に産生されると細胞を傷害してさまざまな疾患をもたらす要因となります.生体内には活性酸素に対抗する抗酸化防御機構がありますが,「活性酸素の産生が抗酸化防御機構を超えたため,均衡が崩れて生体に障害を与えている状態」となり,これが酸化ストレスとして定義されます.活性酸素は体内に必須な要因であり,活性酸素をすべて消去すればいいということではありません.酸化ストレスを引き起こす外的因子としては,紫外線・放射線・大気汚染・喫煙・薬剤ならびに酸化された物質の摂取などがあり,内的因子として過度な運動・運動不足・心理的および肉体的ストレスがあります.抗酸化因子としては,superoxidedismutase,catalase,glutathioneperoxidaseなどの内因性の抗酸化酵素や,酸化ストレスに応答して核内に移行して防御遺伝子の発現を誘導するCKeap1-Nrf2経路に加え,ビタミンCC,ビタミンCE,カロテノイド類,カテキン類など外因性の抗酸化物質があります.眼科領域においては酸化ストレスは老化現象を引き起こし,全身性疾患として腫瘍・心疾患・生活習慣病に関与します.眼科領域においては,糖尿病網膜症・高血圧性網膜症などの生活習慣病に伴う網膜疾患や,角膜疾患・白内障・ぶどう膜炎・加齢黄斑変性(age-relatedmaculardegeneration:AMD)・緑内障との関連が報告されています1).とくに,眼組織は角膜・水晶体・図1網膜内の酸化ストレス蓄積とその機序ヒトCAMD眼では網膜/脈絡膜に酸化ストレスの代謝産物であるマロンジアルデヒドが蓄積(青染色部分)する(Ca,b:正常眼,Cc,d:wetAMD眼,Ce,f:dryAMD眼).マロンジアルデヒドは分子式CCH(CHO)で示される反応性の高い化合2物で,体2内で多価不飽和脂肪酸が活性酸素により酸化されて生成され(Cg),酸化ストレスの指標としても用いられる.(文献C3より改変引用)髙山圭防衛医科大学校眼科学講座硝子体と透明な組織であり,短波長・高エネルギーで細胞障害性が強い紫外線や青色光が網膜まで直接照射して酸化ストレスが発生します(図1)2,3).今後の展望活性酸素をすべて消去することは生存するうえでは不可能ですので,生活習慣や外的環境を改善して活性酸素を減らすことも当然ですが,いかに抗酸化防御機構を強化するかが課題となります.AMDや緑内障へのサプリメントは抗酸化物質を含有して活性酸素を減少させますが,最近,多発性硬化症に対する薬剤としてCNrf2activatorが認可されました.CNrf2activatorは抗酸化作用のみならず炎症性サイトカインの上昇を抑制する効果を示し,眼科疾患の新しい治療法となる可能性があります.一方,ある種の悪性腫瘍ではCKeap1変異体によってCNrf2が常時活性化されることで腫瘍細胞が免疫反応や抗癌剤に「強くなる」可能性があり,Nrf2inhib-itorが抗癌剤として研究されています.今後,これら薬剤による新しい眼科領域での副作用が起きる可能性もあり,注目する必要があります.文献1)KrukCJ,CKubasik-KladnaCK,CAboul-EneinHY:TheCroleCoxidativestressinthepathogenesisofeyediseases:Cur-rentCstatusCandCaCdualCroleCofCphysicalCactivity.CMiniCRevCMedChemC16:241-257,C20152)TakayamaK,CKanekoCH,CKataokaKCetal:NuclearCfactor(erythroid-derived)C-relatedCfactorC2-associatedCretinalCpig-mentCepithelialCcellCprotectionCunderCblueClight-inducedCoxi-dativeCstress.COxidMedCellLongevC2016:8694641,C20163)YeCF,CKanekoCH,CHayashiCYCetal:MalondialdehydeCinducesautophagydysfunctionandVEGFsecretionintheCretinalCpigmentCepitheliumCinCage-relatedCmacularCdegen-eration.FreeRadicCBiolMedC94:121-134,C2016Cg酸化ストレスO2+O2CystelineGlycineSODGlutamateGCSGSHsynthaseNADP+GSHH2O2G6PDCAT6PGDGRGPxNADPHGSSGH2O+O2OH-マロンジアルデヒド(89)あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C11290910-1810/20/\100/頁/JCOPY

硝子体手術のワンポイントアドバイス 208.糖尿病網膜症における網膜血管の石灰化(研究編)

2020年9月30日 水曜日

硝子体手術のワンポイントアドバイス●連載208208糖尿病網膜症における網膜血管の石灰化(研究編)池田恒彦大阪医科大学眼科●はじめに糖尿病患者における血管病変の特徴に血管の石灰化があり,とくに冠動脈での石灰化は生命予後に関連するため重要視されている.従来,血管の石灰化は動脈壁の変性・壊死過程で生じるものと考えられていたが,最近では血管壁細胞(おもに血管平滑筋細胞)が低酸素や炎症などによって形質転換をきたし,その結果として石灰化を生じることが報告され注目されている1).筆者らは,石灰化が原因と思われる網膜動脈の著明な白鞘化を硝子体手術後にきたした増殖糖尿病網膜症のC2例C3眼を経験し報告したことがある2).C●代表症例65歳,女性.右眼の増殖糖尿病網膜症による網膜前出血と牽引性網膜.離(図1)のため硝子体手術を施行したが,術後に網膜再.離をきたした.その際にそれまでは認めなかった網膜動脈の白鞘化を認めた(図2).再手術にてシリコーンオイルタンポナーデを施行し復位を得たが,術後も網膜動脈の白鞘化は残存していた(図3).術後の蛍光眼底造影検査では網膜血流は保たれており,血管からの漏出は認めなかった(図4).また,白鞘化は動脈のみで静脈には認めなかった.術後の光干渉断層計(OCT)では,白鞘化した網膜動脈は通常の網膜動脈よりも高輝度を呈していた(図5).C●網膜血管の石灰化を生じるメカニズム血管の石灰化部位では軟骨様組織の存在が確認されており,血管石灰化は骨形成ときわめて類似した病態を呈していることが示唆されている3).基礎実験においても酸化ストレスや炎症,低酸素などの変化が血管の石灰化に関与することが報告されている4).眼科領域では,慢性腎症において網膜動脈に石灰化をきたした報告はあるが,今回の症例はその所見に酷似しており,OCTで高輝度を呈していたことからも,網膜再.離による低酸素や炎症によって誘発された網膜動脈の石灰化である可能性が高いと考えられる.(87)C0910-1810/20/\100/頁/JCOPY図1術前の右眼眼底写真右眼は下方血管アーケード周囲に網膜前出血を認めるが,血管の白鞘化は認めない.(文献C2より引用)図2再.離時の右眼眼底写真境界明瞭で断続的に網膜動脈の白鞘化を認める().網膜静脈には明らかな異常を認めない.(文献C2より引用)図3再手術後の右眼眼底写真シリコーンオイル下での写真.術後半年以上経過しているが網膜血管の白鞘化は残存している().(文献C2より引用)図4再手術後の右眼フルオレセイン蛍光眼底造影写真網膜白鞘化部位の血流は保たれている().(文献C2より引用)図5再手術後の右眼OCT血管壁の反射亢進とCacousticshadowの増強を認める().(文献C2より引用)文献1)GiachelliCM:Ectopiccalci.cation:gatheringChardCfactsCaboutCsoftCtissueCmineralization.CAmJCPatholC154:671-675,19992)NishikawaCY,CMorishitaCS,CNakamuraCKCetal:TwoCcasesCofCproliferativeCdiabeticCretinopathyCwithCmarkedCsheath-ingCofCtheCretinalCarteriesCfollowingCvitrectomy.CCaseCRepCOphthalmol8:40-48,C20173)DemerLL,TintutY:Mineralexploration;searchforthemechanismCofCvascularCcalci.cationCandbeyond:TheC2003Je.reyM.HoegAwardlecture.CArteriosclerThrombVascBiolC23:1739-1743,C20034)SenguptaCS,CParkCSH,CPatelCACetal:HypoxiaCandCaminoCacidCsupplementationCsynergisticallyCpromoteCtheCosteo-genesisofhumanmesenchymalstemcellsonsilkproteinsca.olds.TissueEngPartA16:3623-3634,C2010あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C1127

抗VEGF治療:遺伝子多型を用いた黄斑疾患の予後予測

2020年9月30日 水曜日

●連載監修=安川力髙橋寛二79.遺伝子多型を用いた黄斑疾患の細田祥勝京都大学大学院医学研究科眼科学教室予後予測山城健児大津赤十字病院眼科ゲノムワイド関連解析(GWAS)の登場により,遺伝子多型と疾患の関連を網羅的に検討することが可能となり,数多くの遺伝子多型と眼疾患との関連が報告されている.近年では,遺伝子多型が疾患発症のみならず,その予後や治療反応性に関連することが報告されており,実臨床への応用が期待されている.本稿では遺伝子多型を用いた滲出型加齢黄斑変性および中心性漿液性脈絡網膜症の予後予測について概説する.加齢黄斑変性の遺伝的背景加齢黄斑変性(age-relatedCmaculardegeneration:AMD)は欧米先進諸国における失明原因の第C1位であり,遺伝子研究も古くから行われてきた.2016年には1万人以上の大規模なゲノムワイド関連解析(genomeCwideCassociationstudy:GWAS)により,34ものAMD関連遺伝子が報告された.AMD発症の関連遺伝子としてもっとも広く知られているのはCCFHとARMS2であり,人種を問わずCAMD発症に強く関連することが報告されている.加齢黄斑変性の予後に関連する遺伝子滲出型(wet)AMDに伴う脈絡膜新生血管(choroidalneovascularization:CNV)の治療は,抗CVEGF薬が第一選択としてあげられる.WetAMDに対する抗VEGF療法の効果と遺伝子多型の関連についての日本からの前向き研究では,ARMS2Crs10490924Tアレルが,ラニビズマブ追加治療のリスクとなることが示唆された1).別の日本からの報告では,KCNMA1,PLXNC1,EXOC5,ZPLD1の四つの遺伝子領域におけるリスク変異の数がラニビズマブ治療後の視力に関連するという結果であり2),欧州からの報告では,CCT3遺伝子が治療後視力に関連しているという結果であった3).また,片眼性CAMD患者の僚眼にCCNVを発症するリスクを研究した報告では,ARMS2およびCCFHがCCNV発生のリスクとなることが報告されている4).上記の報告より,CFHおよびCARMS2はCAMDの発症のみならず,AMD患者の予後を決める因子として重要である可能性はある.しかしながらCAMD患者の予後に関連する遺伝子については未だ確立されたものはないのが現状であり,今後,表1に示した遺伝子の一塩基多型(singlenucleotidepolymorphism:SNP)の再現性の確認を含め,さらなる研究が必要である.中心性漿液性脈絡網膜症の遺伝的背景中心性漿液性脈絡網膜症(centralCserousCchorioreti-nopathy:CSC)は,30~50歳の男性に好発する疾患で表1AMDの予後に関連する遺伝子ARMS2Crs10490924CT・AMD発症のリスク上昇・ラニビズマブ追加治療を必要とするリスク上昇・片眼性CAMD患者で,僚眼にCCNV発症のリスク上昇CFHCrs800292CG・AMD発症のリスク上昇・片眼性CAMD患者で,僚眼にCCNV発症のリスク上昇CCT3Crs12138564CT・AMD患者で治療後視力を改善させるKCNMA1Crs76150532CAC・左記のリスクアレルの数が多いほど,ラニビズマブ治療PLXNC1Crs17296444CTC後の視力が低いEXOC5Crs75165563CCCZPLD1Crs17822656CC(85)あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C11250910-1810/20/\100/頁/JCOPY表2CSCの予後に関連する遺伝子CFHCrs800292CA・CSC発症のリスクCG・CSC発症を抑制・CSC患者におけるCCNV発症のリスク・漿液性網膜.離遷延のリスクCARMS2Crs10490924CT・CSC患者におけるCCNV発症のリスクあり,黄斑部の漿液性網膜.離を特徴とする.自然寛解することが多いとされているが,近年のCCSCの長期予後に関する報告では,平均C10年間の経過により慢性CSC患者のC12.8%が社会的失明(両眼とも矯正視力C0.1以下)したと報告された.CSCに続発するCCNVは視機能障害の重要な原因であり,この報告ではC24%の患者に経過中のCCNV発症を認めている5).AMDと比較して,CSC発症に関連する遺伝子の報告は非常に少ない.2015年にCCFH領域におけるCAMDのリスク遺伝子多型がCCSC発症のリスクを減らすことが報告され,その後多くの研究で同様の結果が確認されている.またCGWASにより,SLC7A5,TNFRSF10A,GATA5近傍の遺伝子領域がCCSC発症に関与していることが報告されている.中心性漿液性脈絡網膜症の予後に関連する遺伝子CSCは長期的に失明につながる重要な疾患であるが,その予後と遺伝子の関係について研究した論文は少ない.CSCの予後に関連する重要な因子として,上記で述べたCCNVがあげられるが,近年,AMDのリスク遺伝子多型であるCCFHrs800292のCGアレルとCARMS2rs10490924のCTアレルが,CSCにおけるCCNV発症に寄与しているということが報告された6).また,CFHrs800292のCGアレルは,CSCにおける漿液性網膜.離遷延にも関連していることが報告された.つまりCCFHrs800292のCAアレルはCCSC発症のリスクとなるものの,CSC患者においてCAアレルは患者の予後を良好にするという結果であった.CFHとCARMS2の二つの遺伝子は,CSC患者の予後を規定する重要な因子であると考えられるが,現時点ではCCSCの臨床経過と遺伝子型の関連はほとんど研究されていない.今後はCCSCの臨床経過を前向きに検討することにより,予後関連遺伝子を解明することが期待される.文献1)YamashiroK,MoriK,HondaSetal:Aprospectivemul-ticenterstudyongenomewideassociationstoranibizum-abCtreatmentCoutcomeCforCage-relatedCmacularCdegenera-tion.SciRepC7:9196,C20172)AkiyamaCM,CTakahashiCA,CMomozawaCYCetal:Genome-wideCassociationCstudyCsuggestsCfourCvariantsCin.uencingCoutcomesCwithCranibizumabCtherapyCinCexudativeCage-relatedCmacularCdegeneration.CJCHumCGenetC63:1083-1091,C20183)Lores-MottaCL,CRiazCM,CGruninCMCetal:AssociationCofCgeneticvariantswithresponsetoanti-vascularendothelialgrowthCfactorCtherapyCinCage-relatedCmacularCdegenera-tion.JAMAOphthalmolC136:875-884,C20184)MiyakeCM,CYamashiroCK,CTamuraCHCetal:TheCcontribu-tionCofCgeneticCarchitectureCtoCtheC10-yearCincidenceCofCage-relatedmaculardegenerationinthefelloweye.InvestOphthalmolCVisSciC56:5353-5361,C20155)MrejenCS,CBalaratnasingamCC,CKadenCTRCetal:Long-termvisualoutcomesandcausesofvisionlossinchroniccentralCserousCchorioretinopathy.COphthalmologyC126:C576-588,C20196)HosodaCY,CYamashiroCK,CMiyakeCMCetal:PredictiveCgenesCforCtheCprognosisCofCcentralCserousCchorioretinopa-thy.OphthalmolRetinC3:985-992,C2019☆☆☆1126あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020(86)

緑内障:流出路手術

2020年9月30日 水曜日

●連載243監修=山本哲也福地健郎243.流出路手術井上俊洋熊本大学大学院生命科学研究部眼科学講座流出路手術は生理的な房水流出を促進する手術であり,濾過手術と比較して重篤な合併症のリスクが低い.加えて,近年の新しい術式群は,短時間,小侵襲であることも利点である.一方で,対象が限られること,効果がやや劣ることが欠点である.新しい術式間の成績比較は十分ではなく,さらなるエビデンスの蓄積が望まれる.●はじめに流出路手術は生理的な房水流出を促進することで眼圧下降を図る手術であり,レーザー手術と観血的手術に大きく分けられる.ここでは誌面の都合から,後者のみを取りあげる.観血的手術は,生理的な房水流出路に見切りをつけて新たな人工的流出路を作製する濾過手術と比較して,重篤な合併症のリスクが低いことが大きな利点である.これに加えて,近年のCMIGS(minimallyinva-siveCglaucomasurgery)とよばれる術式群では,短時間で終了し,結膜への影響が最小限であることも利点として数えられる.一方で,対象の病型が限られること,眼圧下降効果が濾過手術と比較して劣ることが欠点である.各術式の詳細は成書を参照していただくとして,本稿では各術式の特徴と使い分けに焦点を合わせて検討した.C●古典的流出路手術古典的な流出路手術として,線維柱帯切開術眼外法,隅角癒着解離術,隅角切開術があげられる.線維柱帯切開術眼外法は角膜の透明性にかかわらず実施できることが利点で,とくに原発先天緑内障に対しては著効し,第一選択となる場合が多い術式である.一方,結膜・強膜に大きな瘢痕を残すため,事後の濾過手術には障害となりうることが欠点である(図1).また,術中のCSchC-lemm管同定にはある程度の経験を要する.近年,同等の効果を有する眼内法が普及したことで,隅角の視認性が良好な症例に対して行う機会は激減した.ほとんどの流出路手術が開放隅角緑内障に対して線維柱帯とCSchlemm管内皮の流出抵抗を減じることを奏効機序としているのに対し,隅角癒着解離術は虹彩前癒着を解除することで線維柱帯以前の流出抵抗を減じることを目的とし,閉塞隅角緑内障を対象とする点が異なっている.隅角鏡を用いて行うことが一般的だが,内視鏡を用いた方法も報告されている1).この方法の利点は,角(83)C0910-1810/20/\100/頁/JCOPY図1線維柱帯切開術眼外法金属製のトラベクロトームをCSchlemm管に挿入し,回転させることで切開する.膜混濁が障害とならないうえに,隅角鏡を用いるより広い範囲の癒着を解除できることである.隅角切開術はもともとわが国での件数は少なかったが,上位互換の線維柱帯切開術眼内法の普及によってほぼ行われる機会がなくなったと思われる.C●新しい流出路手術新しい流出路手術は白内障手術併用眼内ドレーンと,線維柱帯切開術眼内法に大別できる.Canaloplastyやスーチャートラベクロトミー眼外法など,これらに属しない術式もあるが,わが国における近年の件数は多くないと推測されるため割愛する.眼内ドレーンはCiStentとよばれる全長C1Cmmのチタン製インプラントによって前房とCSchlemm管を交通させる術式である(図2).使用基準がC2020年に改定され,適応が広がった2).また,新しい形状のCiStentinjectが2019年C10月に承認されており(実際に導入されるのはCiStentCinjectWの予定.図3),今後術式選択が変化すあたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C1123図2白内障手術併用眼内ドレーン挿入術中空のCiStentをCSchlemm管に刺入し,房水流出抵抗を減弱させる.図4KahookDualBladeによる線維柱帯切開術眼内法る可能性がある.線維柱帯切開術眼内法は,トラベクトーム,ナイロン糸,KahookDualBlade(KDB,図4),マイクロフックなどを用いる方法があり,いずれも角膜サイドポートから施行でき,侵襲が少ない一方で,隅角鏡における視認性が必要である.このなかでナイロン糸を用いる方法は技術的にややむずかしいが,360°切開可能な点が他の方法と異なる.C●流出路手術の使い分け古典的流出路手術のなかでの使い分けや,古典的か新しい流出路手術かの使い分けは,前述の特徴によってむずかしくない.一方で,多くの選択肢がある新しい流出路手術のなかでの使い分けは,厳密にはむずかしい.iStentは線維柱帯・Schlemm管内皮の抵抗を減弱できる範囲が狭い一方で安全性は高いので,最新の使用基準に従う症例には良い適応であろう.これに当てはまらなC1124あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020図3新しいインプラントiStentinjectWの外観2個挿入が基本となる.(Glaukos社より許可を得て転載)い症例でどの手技を適用するかは,効果の面から判断するにはエビデンスがとぼしい.シングルユースのCKDBやトラベクトーム(販売中止)はナイロン糸より格段に高価であるし,再滅菌して使用可能なマイクロフックと比較すると高くつくので,選ぶ場合は面状に線維柱帯を除去できることに利点を見出すかどうかであろう.切開範囲と眼圧下降効果の関係はヒト摘出眼を用いた実験で検証されており,25CmmHgで灌流したときの房水流出抵抗変化は,360°切開に比してC30°切開でC41%,120°切開でC79%と見積もられている3).理論上,広範囲に切開することによって,より多くの集合管を開放したほうが眼圧下降効果は高くなるが,実臨床上の差については報告によって異なり,エビデンスレベルの高いデータはまだない.C●おわりに流出路手術の新しい術式は広く普及している.従来の術式と比較して利点は多くあるが,客観的にデータを確認すると,術式間の比較が十分ではないことがわかる.適応を正しく判断するために,さらなるエビデンスの蓄積が望まれる.文献1)MaedaCM,CWatanabeCM,CIchikawaK:GoniosynechialysisCusingCanCophthalmicCendoscopeCandCcataractCsurgeryCforCprimaryCangle-closureCglaucoma.CJCGlaucomaC23:174-178,C20142)白内障手術併用眼内ドレーン会議:白内障手術併用眼内ドレーン使用要件等基準(第C2版).日眼会誌C124:441-443,C20203)RosenquistR,EpsteinD,MelamedSetal:Out.owresis-tanceofenucleatedhumaneyesattwodi.erentperfusionpressuresCandCdi.erentCextentsCofCtrabeculotomy.CCurrCEyeResC8:1233-1240(84)

屈折矯正手術:円錐角膜診断におけるPlacido型角膜形状解析装置の役割

2020年9月30日 水曜日

●連載244244.円錐角膜診断におけるPlacido型角膜形状解析装置の役割監修=木下茂大橋裕一坪田一男糸井素啓京都府立医科大学大学院医学研究科視覚機能再生外科学Placido型角膜形状解析装置は,今もなお,円錐角膜のスクリーニング検査機器としての役割が期待できる.角膜前面に形状変化を有する症例を見逃さないために,円錐角膜診断補助プログラムに頼りきらず,元データとなるCMeyerringの配列に注意を払い,適切なスケールでカラーマップを読むことがポイントである.●はじめに1880年代にCPlacidoが同心円像を角膜に投影し,その反射像から角膜形状を観察する装置を発明した1).この装置は,発明者の名前からCPlacido角膜計とよばれ,角膜全体の形状を測定する機器の基礎となった.その後,角膜反射像を写真に記録するフォトケラトスコープ,角膜反射像をコンピューター解析するビデオケラトスコープが登場し,Placido型角膜形状解析装置として現在に至るまで使用されている.近年は技術の進歩により,スリットスキャン型やCScheimp.ug型角膜形状解析,前眼部光干渉断層計といったさまざまな角膜形状解析装置が出現している.しかし,もっとも多く普及しているのは今でもCPlacido型角膜形状解析装置ではないだろうか.本稿ではCPlacido型角膜形状解析装置について,その原理と機能,および現在の円錐角膜診断で担う役割について解説する.C●Placido型角膜形状解析装置の原理と機能Placido型角膜形状解析装置は,同心円像を角膜に投影し,得られた反射像から角膜形状を観察する.この同心円像はCMeyerringとよばれ,リングの歪み・間隔から角膜形状を類推できる(図1A).また,機種によって詳細は異なるが,Meyerring上には放射状に測定点が設けられており,その測定結果から平均角膜曲率が算出され,スケールに基づいてカラーマップが作成される(図1B).一部の機種では,角膜の不整性を示す形状指数や,円錐角膜の診断補助プログラム(図1C),角膜不正乱視を定量化するCFourier解析,Meyerringの経時的な変化を利用した涙液安定性を評価するシステムを備えている.C●円錐角膜診断とPlacido型角膜形状解析装置の役割円錐角膜は,角膜実質の菲薄化と角膜の前方突出をき(81)C0910-1810/20/\100/頁/JCOPY図1円錐角膜眼のTMS.4撮影結果A:角膜中央下方にCMeyerRingが収束し,間隔の狭小化がみられる.CB:カラーマップでは,突出部位に一致して高屈折域を意味する暖色系を示す.CC:円錐角膜診断補助プログラムであるCKlyce/MaedaおよびCSmolek/Klyceによる解析結果.いずれも赤・黄色・緑に色分けされており,それぞれ,異常・注意・正常を示す.たし,角膜不正乱視を生じる進行性の疾患で,診断は古くから細隙灯顕微鏡検査に基づいて行われてきた.その後,角膜形状解析装置の出現により,角膜形状を画像化し定性的に解析することで,従来では困難であった円錐角膜の診断と重症度分類2)(図2)が可能となった.また,技術の進歩に伴い角膜形状の定量化が可能となり,円錐角膜に特徴的な形状変化をとらえることで,診断に活用する試みが行われてきた.現在,円錐角膜の診断に有効とされる角膜形状解析装置由来の指数についてはさまざまな報告があり,それらは大きく,角膜前面形状・角膜後面形状・角膜厚(上皮厚も含む),生態力学特性,角膜高次収差に分類される3).Placido型角膜形状解析装置は非常に精緻な角膜前面データを得られるという長所をもつ一方で,一部機種を除き,角膜後面形状・角膜厚・生態力学特性,角膜高次収差といった情報が一切得られないという短所をもつ.現在,円錐角膜の診断は,角膜前面ないし後面の突あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020C1121図3軽度円錐角膜眼のTMS.4撮影結果円錐角膜診断補助プログラムであるCKlyce/Maeda法ではC0.0%,Smolek/Klyce法ではC21.0%と低値を示している(右).しかし,カラーマップでは高屈折域を意味する暖色系が歪んだC8の字を描いており(左下),円錐角膜を疑う必要がある.軽度中等度重度角膜耳下側の急峻化と,これに起因するリン中央の所見に加え,周辺角膜にも急峻化中央の急峻化が著しいため周辺にリンググの歪みを認める.周辺には変化を認めない.を認める.を認めない.図2円錐角膜の重症度分類出,および角膜の菲薄化というC3要素からなる4)と考えられており,角膜前面形状のみを評価可能なCPlacido型角膜形状解析装置だけでは診断に苦慮する症例も存在する.そのため,円錐角膜の診断という観点からは,角膜前面に加えて角膜後面や角膜厚を評価可能な他機種に比較して力不足といわざるをえない.しかし,角膜前面形状に関する情報量は非常に多く,スクリーニングに関してはCPlacido型角膜形状解析装置は今もなお主力といえる.円錐角膜の見逃しを防ぐために大切なのは,円錐角膜診断補助プログラムに頼りきらず,オリジナルデータに注意を払うことである.元データとなるCMeyerringの配列に注意を払い,カラーマップをしっかり読めば,角膜前面に形状変化を有する症例を見逃すことはほとんどない(図3).スケールのステップ・カラー分布を変更すC1122あたらしい眼科Vol.37,No.9,2020ると,マップが与える印象は大きく異なってしまう.ぶれることのない診断のためには,常に同じスケール設定の画像を読むことも大切である.円錐角膜診断補助プログラムは非常に有用だが,あくまでも診断の補助であり,最終判断を下すのは医師であることを忘れてはいけない.また,必要に応じて,他の角膜形状解析装置を併用するという判断も必要となる.C●おわりにPlacido型角膜形状解析装置は,一部機種を除いて角膜前面の解析のみ可能であり,角膜後面形状・角膜厚・生態力学特性,角膜高次収差といった情報は得られない.そのため,現在の円錐角膜診断基準に照らすと,Placido型角膜形状解析装置のみでは診断に苦慮する症例が存在する.しかし,角膜前面形状に関する情報量はもっとも多く,注意深く使用することで,十分にスクリーニング検査機器としての役割が期待できる.Placi-do型角膜形状解析装置は,その長所・短所を理解し,他の角膜形状解析装置と併用することで,今後も円錐角膜スクリーニング検査の基本となることが推測される.文献1)PlacidoA:NovoCinstrumentoCperCanalyseCimmediateCdasCirregularitadesdecurvaturadacornea.PeriodicoOftalmolPracticaC6:44-49,C18802)前田直之,岩崎直樹,細谷比左志ほか:円錐角膜の角膜形状分類と臨床所見.臨眼45:1737-1741,C19913)MasiwaCLE,CMoodleyV:ACreviewCofCcornealCimagingCmethodsCforCtheCearlyCdiagnosisCofCpre-clinicalCkeratoco-nus.CJOptom.CaheadCofCprint.doi:10.1016/j.optom.2019.C11.0014)GomesJA,TanD,RapuanoCJetal:GlobalconsensusonkeratoconusCandCectaticCdiseases.CCorneaC34:359-369,C2015(82)