成人斜視の治療方法ClinicalManagementofAdultStrabismus宇井牧子*はじめに成人斜視は,小児期からの斜視が遺残・再発したものに加え,生活習慣,加齢,近視,視力低下,脳神経疾患,甲状腺眼症,重症筋無力症,外傷,眼科手術後など,多様な要因によって生じる眼位異常を含む広い概念である.近年では,後天共同性内斜視(いわゆるスマホ内斜視)やsaggingeyesyndrome(SAS)といった,現代の生活様式や加齢変化に関連した斜視を診断する機会が増加している.成人斜視は決してまれな疾患ではなく,日常診療において遭遇する頻度の高い病態として,眼科診療のなかで重要な位置を占めている.成人斜視の診療において重要なのは,単なる眼位異常としてではなく,複視,眼精疲労,異常頭位,視野障害といった機能的問題,さらに対人関係や就労機会に影響する心理社会的問題を引き起こしうる疾患として捉えることである.米国眼科学会(AmericanAcademyofOphthalmology:AAO)による成人斜視診療ガイドライン1)では,成人の斜視は生活の質(qualityofLife:QOL)に深刻な影響を及ぼしうる疾患であり,適切な治療介入によって機能的・心理社会的両面で有意な改善が得られることが強調されている.一方で,成人では感覚適応の可塑性が乏しく,小児斜視と同様の治療戦略が必ずしも適用できない.斜視角が病期によって変動したり,治療によって新たな複視が出現する可能性もあるため,治療方法の選択には慎重な判断が求められる.本稿では,成人斜視の治療方法について,保存的治療,ボツリヌス毒素療法,手術治療の位置づけと考え方を概説する.I治療選択の基本的な考え方1.成人斜視治療のゴール設定成人斜視治療は目標指向型(goal-directedmanage-ment)で行われるべきであり,そのゴールは症例ごとに異なる.治療目標として以下があげられる.・複視の軽減または消失・異常頭位の改善・眼精疲労の軽減・両眼視機能の回復または改善・両眼視野の拡大・眼位ずれによる心理社会的負担の軽減とくに成人では,完全な正位よりも,患者が日常生活を支障なく送れるかどうかが治療成否を判断する重要な指標となる.2.治療方針決定前に整理すべき要素治療方法を選択する前に,以下の点を体系的に評価することが不可欠である.第一に,斜視の原因と病態である.小児期発症斜視の遺残や再発,生活習慣・加齢・近視に関連する斜視,感覚性斜視,麻痺性斜視,甲状腺眼症,重症筋無力症など,原因により治療のタイミングと有効性は大きく異なる.第二に,発症様式と経過である.急性発症の麻痺性斜視や外傷後斜視では自然回復が*MakikoUi:CS眼科クリニック〔別刷請求先〕宇井牧子:〒113-0033東京都文京区本郷3-15-1美工本郷ビル5F・8FCS眼科クリニック(1)(23)3650910-1810/26/\100/頁/JCOPY期待される場合があり,一定期間の経過観察が推奨される.一方で,慢性期に入り斜視角が固定している症例では,積極的治療の適応となる.第三に,斜視角の大きさと安定性である.斜視角が変動している時期に恒久的治療を行うことは,過矯正や低矯正のリスクを高める.第四に,患者の症状,患者の意向と社会的背景である.複視の有無,職業上の支障,整容面への影響などを十分に把握し,患者と治療目標を共有することが重要である.CII保存的治療成人斜視の治療は,必ずしもただちに外科的介入が適応されるものではない.病態の安定性,自然回復の可能性,患者の症状や意向を踏まえたうえで保存的治療を選択することは合理的なアプローチである.とくに急性発症例や軽度偏位で外科的介入を希望しない例では,保存的対応が治療戦略の第一段階となる.C1.プリズム療法プリズム眼鏡は成人斜視における非侵襲的治療の中心的手段であり,おもに複視の軽減または消失を目的として用いられる.Ca.適応プリズム療法のおもな適応は以下である・小角度の水平または垂直偏位・麻痺性斜視の急性期から回復期・手術適応となるまでの待機期間・手術を希望しない症例麻痺性斜視の急性期においては,自然軽快を待ちながら日常生活機能を維持する目的でプリズム眼鏡が有用であるが,斜視角が変化した場合にはプリズムがあわなくなる可能性について伝えておく必要がある.Cb.処方上の留意点プリズム眼鏡の処方においては,「理論的正位」(眼位ずれが完全に補正された状態)を目標とするのではなく,「症状軽減」を最優先とする.必要以上のプリズム度は融像力の低下や不快感を招く可能性があるため,患者がもっとも快適に単一視を維持できる度数を選択する.斜視角が変動している症例では,Fresnel膜プリズムを用いることで度数調整を柔軟に行うことが可能である.しかし,膜プリズムは整容面の問題や視界のぼやけを伴うため,斜視角が安定した段階で研磨プリズムへ移行することが望ましい.Cc.限界プリズム療法には以下の限界があり,患者も理解のうえで処方する必要がある.・中等度以上の偏位では補正困難・回旋偏位は補正不可能・あくまで第一眼位での症状軽減である・眼位ずれ自体を治療しているわけではない・整容的改善は得られない・長期使用でプリズム量が増大する例があるプリズム眼鏡は根治的治療ではなく,症状緩和を目的とした対症療法として位置づけることが適切である.C2.経過観察成人斜視における「経過観察」は,ただ漫然と様子をみることを意味するものではない.病態の自然回復可能性を評価すると同時に,発症要因となりうる要素の是正を含めた指導を行うことが重要である.Ca.急性期の麻痺性斜視動眼神経麻痺,滑車神経麻痺,外転神経麻痺といった急性脳神経麻痺では,自然回復する例が少なくない.微小血管性単神経麻痺の多くはC3カ月前後で自然軽快し,報告によりC60.80%程度が改善するとされている2,3).発症早期に恒久的手術を行うことは推奨されず,通常は最低C6カ月間の経過観察が行われる.画像や病歴から原因が明らかでない麻痺性斜視では微小循環障害が疑われるため,高血圧や糖尿病といった生活習慣病の確認とともに他科と連携してその治療を行う.Cb.発症早期の後天共同性内斜視後天共同性内斜視,とくにデジタルデバイスの長時間使用と関連する斜視では,生活習慣の是正のみで症状が改善する例がある.わが国で行われた多施設前向き研究では,5.35歳の後天共同性内斜視患者C156例のうち,デジタルデバイスの使用制限によって治癒がC6%,改善がC37%で得られた4).発症C3カ月以内の受診,遠見での斜視角が小さいこと,および良好な立体視が良好な転帰と関連していた.自験例でも,生活習慣のみで緩解した366あたらしい眼科Vol.43,No.4,2026(24)症例はC314例中C5例(1.6%)あり,そのC5例の受診までの中央値はC3カ月であった.JCaiらは発症のリスクファクターについて,「近見時に眼鏡装用をしないこと」と「寝転がっての近業」が独立した後天共同性内斜視のリスクファクターであるとしている5).とくに,中等度以上の近視があり,寝転がって,裸眼による至近距離でデジタルデバイスを見る習慣が問題である.具体的には以下のような指導を行う.・30cm以上視距離を保ち,30分間画面を見たら,30秒遠方を見る(30-30-30ルール)・適切な屈折矯正を行い,中等度.強度近視者が裸眼で至近距離を見ない近視を有する人が老視になるとより裸眼で近業を行うため,後天共同性内斜視は若年層だけでなく中高年層にも発症しうる.当院で診断した後天共同性内斜視C228例のうち,23%がC40歳以上であった.持続的な輻湊位の固定を解除し開散刺激を適切に与えることが,眼位制御機構の再調整に寄与すると考えられる.この生活習慣指導は続いて述べるボツリヌス毒素注射や手術となる症例にも行うことが,後天共同性内斜視の管理としてきわめて重要なポイントである.Cc.眼科手術後斜視他の眼科手術後に発症する斜視は,白内障手術,緑内障手術,強膜バックリング術,硝子体手術,翼状片手術,眼瞼手術などの後に生じる医原性斜視である.原因は開瞼器や手術操作による外眼筋の損傷,麻酔による筋毒性,瘢痕や癒着による拘縮,インプラントやバックルによる機械的制限,優位眼の変化や融像破綻など多岐にわたる.麻痺性か拘縮性かの鑑別が治療方針決定に重要である.術後複視は一過性のこともあるため,症状に応じて経過観察やプリズム眼鏡を選択する.6カ月以上持続する場合は自然軽快が期待しにくく,ボツリヌス毒素療法や手術を検討する.Cd.中心窩牽引性複視中心窩牽引性複視(dragged-foveaCdiplopiaCsyn-drome)は,網膜上膜,中心窩を含む網膜.離術後などにより中心窩が牽引・偏位することで両眼の中心窩像の位置が一致しなくなり,融合が破綻して生じる両眼性複視である1,6).多くは黄斑疾患の進行に伴って数日.数週間の比較的急性の経過で発症し,明らかな眼位異常を認めないにもかかわらず中心視で強い複視を自覚する.遮閉検査では斜視が認められないか,あっても小角度の垂直偏位にとどまることが多く,斜視角と症状の強さが一致しない.片眼バンガーターフィルターは中心窩間の競合を軽減することで症状緩和に有効な場合がある.網膜上膜などの器質的病変が明らかな場合には網膜手術によって改善することもあるが,新たな複視を生じる可能性もあり,慎重な適応判断が求められる.本疾患は自然軽快することが少なく,症状が持続または進行する可能性があるため,患者には病態の機序と治療の限界を十分に説明する必要がある.CIIIボツリヌス毒素療法成人斜視治療において,ボツリヌス毒素療法は保存的治療と手術治療の中間に位置づけられる可逆的介入法である.侵襲が少なく,外来中に短時間で施行でき,症状の固定していない発症早期から介入できる点が大きな特徴である.とくに複視を強く自覚する後天発症の斜視においてその有用性が高い.成人斜視では早期に症状の軽減をはかることがCQOLに直結するが,本療法はその目的に合致した選択肢であり,適切な症例を選択することで手術を回避できる可能性がある7.10).C1.作用機序外眼筋にCA型ボツリヌス毒素(botulinumCtoxinCtypeA:BTX-A)を注射することで,神経筋接合部におけるアセチルコリン放出を抑制し,対象筋の収縮力を減弱させる.斜視手術における弱化術に類似した効果を得ることが可能であるが,その作用は通常C3.4カ月で減弱し,可逆的である.しかし,外眼筋は繊細な筋線維を多く含むため,注射後筋に軽度の萎縮や線維化が生じるとする報告もある11).実際,注射によってCBTX-Aの薬効期間をはるかに超える残存効果が得られる症例も多い.したがって,本療法は単なる一時的対症療法ではなく,場合によっては長期的眼位安定化に寄与する治療法である.(25)あたらしい眼科Vol.43,No.4,2026C367図1ボツリヌス毒素(BTX-A)注射に必要な物品(a)と内直筋にBTX-Aを注射している様子(b)筋電図ガイド下で行うため,ポータブル筋電計(ニューロパックCn1)を用いる.電極兼注入針(27.30G)を筋内に挿入し,筋活動電位を確認しながら薬液を注入する.皮膚電極は前額面をアルコール消毒のうえ乾いたこと確認して貼付する.薬液は0.05Cml以下を目安に調整する.表1斜視角と初回投与量斜視角初回投与量C12Δ未満1.25単位C12Δ以上C20CΔ未満2.0単位C20Δ以上C30CΔ未満2.5単位C30Δ以上C45CΔ未満4.0単位C45Δ以上5.0単位て低く,有害事象が起こっても可逆的であることを事前に説明することが重要である.CIV手術治療成人斜視に対する手術治療は,保存的治療やボツリヌス毒素療法によっても十分な改善が得られない症例,あるいは恒久的な眼位矯正が必要と判断される症例において検討される.C1.手術適応の判断手術適応を判断するうえで重要なのは,以下の要素を総合的に評価することである.第一に,斜視角の安定性である.麻痺性斜視や甲状腺眼症などでは,一定期間の経過観察を経て偏位が安定したことを確認してから手術を検討することが望ましい.第二に,保存的治療やボツリヌス毒素療法に対する反応である.これらの治療で十分な改善が得られない場合,恒久的矯正を目的として手術が選択される.第三に,患者の症状,患者の意向と生活背景である.複視によって就労や日常生活に支障をきたしている場合や,整容面の問題が心理的負担となっている場合には,手術による改善が大きな意義をもつ.C2.成人斜視手術の特徴成人では感覚適応が限られているため,術後に新たな複視が出現する可能性がある.このため,術前には融像能や複視の出現範囲を十分に評価し,術後に予想される変化について患者と共有することが不可欠である.ただし,筆者の経験上,術前検査において異常対応と考えられる症例であっても,患者の希望で全斜視角を矯正目標として眼位を正位に持ち込んだとして実生活では問題にならないことが多い.患者が整容面での改善を期待している場合術前に術後複視の可能性について説明し,それでも正位に近づける術量を希望するのか,共通のゴールを設定しておく必要がある.成人斜視手術では術後眼位の調整が必要となる場合があり,調節糸法を活用すると過矯正や低矯正への対応が可能となる.術後過矯正に対してCBTX-A注射も有用である.3.成人斜視手術の進め方成人斜視は小児と比較して病態が多様であり,症状や既往歴も複雑である.局所麻酔で行われることが多いため,一般に小児より難易度は高い.したがって,より慎重な術前評価と周到な手術計画が求められる.Ca.術前評価と手術計画術前には第一眼位における水平斜視角のみならず,回旋偏位,筋の遅動・過動,網膜対応を含む両眼視機能,頭位異常について入念に評価し,術式を検討する.手術計画においては,過去の斜視手術,眼窩手術,網膜硝子体手術,緑内障インプラント,眼瞼手術歴の有無を必ず確認する.これらは外眼筋の瘢痕,拘縮,付着異常などを引き起こし,術中所見や術後経過に大きく影響する.手術歴がある場合は,その医療機関に診療情報提供の依頼を行うが,十年以上前の手術であったりするため診療録が残っておらず,情報が得られないことも多い.細隙灯顕微鏡で結膜瘢痕の有無を確認し,現在の状態を可能な限り評価する.眼球運動制限を認める場合には遅動筋のCslippedmuscle(筋滑落)やCstretchedscar(伸展瘢痕),拮抗筋の拘縮の可能性を考える.術前の眼窩CMRIの撮像が有用なこともある(図2a,b).麻酔の方法も重要な検討事項である.小児と異なり,成人では局所麻酔下手術が可能ではあるが,麻痺性斜視や強度近視性内斜視で筋移動術が必要な場合や,バックル術後で高度な癒着が予想される場合は,前述のような筋肉の異常が疑われる場合などでは全身麻酔を選択するほうが無難である.ただし,基礎疾患のために全身麻酔がハイリスクと判断される場合では,球後麻酔を行うことで比較的難易度の高い手術も局所麻酔で可能である.筆者は経CTenon.下球後麻酔を用いており,この方法であれば結膜切開創からガイド針を用いて球後に到達できるため,痛みが少なく安全性の高い球後麻酔を行うことができる16).Cb.術中の注意点成人では,小児に比べて術中に遭遇しやすい特有の問題に十分注意する.必要に応じて熟練した助手を確保し,十分な手術時間を確保することが望ましい.CPulled-in-two症候群は,脆弱性を有する筋肉に牽引が加わることで,付着部から約8.10Cmm後方で筋腹が(27)あたらしい眼科Vol.43,No.4,2026C369a図2過去の手術歴が不明な成人外斜視症例(a)と眼窩MRI(b)a:62歳,女性.大斜視角の恒常性外斜視.過去にC2回斜視手術を受けたとのことだが,40年以上前のため詳細不明.両眼の鼻側・耳側結膜に手術痕を認めた.右眼固視であるが,両眼の内転制限を認めた.Cb:眼窩MRIでは右内直筋のCstretchedscarが疑われた().術中所見は両眼ともに内直筋が瘢痕組織で付着しており,正常な筋線維は付着部より約C10Cmm後方に存在した.C–