雲井弥生連載⑳二次元から三次元を作り出す脳と眼淀川キリスト教病院眼科はじめに外界の景色が反転せず網膜に映る「逆さめがね」をかけると,当初世界は倒立して見えるが,徐々に正立して認識できるようになる.私たちが生後体得した視覚の三次元地図と脳の適応力について考える.逆さめがね外界の景色は網膜に上下左右反転して映るが,私たちが認識するのは正立の景色である.もし反転せず網膜にそのまま映ったらどのように見えるだろうか.Strattonは100年ほど前に実験を行っている1).彼は凸レンズやプリズムを組み合わせて網膜に正立の像が映るような眼鏡を作り,自分で試した.その様子が『動物は世界をどう見るか』(鈴木光太郎著,新曜社,1995)2)に詳しく記載されているので引用する(一部省略).「逆さメガネとは,プリズムや鏡などを使って網膜に正立の(そして左右も逆転していない)像を映し出すしかけだ.このメガネをかけると,当然ながら,外界は上下左右とも逆転して見える.…右足を踏み出せば,足が視野の中で左側の向う側からこちらに向かって踏み出されるように見え,右に見えるものに目を向けようとすると,視線は思いもよらず,左に行ってしまう.視覚的な位置や方向は,実際の位置や方向と対応関係が逆になって,混乱した状態に陥ってしまう.ところがである.このメガネをかけたまま1週間や数十日といった期間生活してゆくと,逆さの世界が不自然ではなく感じられてくるのだ.自分の手足が視野のなかでどの位置にあり,どう動かせばどの方向に動くという対応関係がふたたび身につくようになれば,世界は逆さではないように見えてくるのである.」つまり網膜に映る反転像をもう一度反転させて認識していたが,そのやり方が通用しなくなったため,反転せずに認識するやり方を脳が始めたのである.逆さめがねの世界は,実は眼科医にとって身近なものである.倒像鏡を使いレンズを通して浮かぶのはちょうど逆さめがねの世界なので,その感覚に慣れていく過程を思い出していただければどうだろう.(111)0910-1810/18/\100/頁/JCOPY図1視覚に基づく三次元地図XYZ軸方向の情報を統合して視覚による三次元地図を脳内に再現し,物の位置を定める.F:中心窩.視覚に基づく三次元の地図自分を原点としてXYZ軸方向に広がる三次元の空間を,私たちは両眼の網膜像をもとに再現している(図1).基準となるのが固視点と両眼中心窩Fを結ぶ線であるが,両眼を合成したような一つの目を両眼の間に想定する方がイメージしやすい.このような一つの眼を重複眼とよぶ.重複眼の中心窩と固視点を結ぶ線はZ軸と一致し,「真正面」の基準となる.網膜に像の映る場所が位置情報となり,XY平面での位置を定める.Z軸方向の位置を定めるのが,両眼情報として両眼視差や輻湊角,単眼情報として単眼の手がかりや運動視差(連載⑥参照),水晶体による調節などの要素である.両眼視差については,融像による凸凹の感覚以外に,たとえば生理的複視のような融像できないほどの大きな視差も奥行き情報として利用される(連載③参照).これが視覚に基づく三次元の地図である.その他の感覚(聴覚・体性感覚・前庭平衡感覚など)についてもそあたらしい眼科Vol.35,No.1,2018111れぞれの地図があり,それらが頭頂連合野で統合され(連載⑲参照),違和感なく行動できる.逆さめがねをかけると視覚地図が反転し,他の感覚と乖離してしまう.しかしその世界で体を動かし周囲に働きかけていくと,他の感覚地図とのすり合わせが進み,やがて正立した像を得られるようになる.三次元地図の体得自分が使っている視覚の三次元地図は,その存在も知らされず誕生と同時にこの世界に放り出され,無我夢中で一から体得したものである.その作業は逆さめがねの世界に慣れるより,もっと困難なものだっただろう.視覚地図の体得には,実際に動き回り,物に働きかけることが鍵となると以下の実験で示された3).生直後から約10週間暗室で育てた2匹のネコをメリーゴーランドのような装置につなぐ(図2).1匹は自由に動ける.もう1匹はバスケットに入れられ自分では動けないが,もう1匹のネコの動きに連動して運ばれる.2匹とも1日3時間を装置で,残りの時間を暗室で自由に動き回れる環境で数日から数週間過ごさせる.バスケットネコは,たとえば眼前の机の角に前肢を伸ばすような動作が正確にできず,障害物をうまく避けて歩けないなど,視覚による行動の制御ができなかった.自分の手足や体の動きとそれによる網膜像の変化とを対応づけて行動することを「視覚・運動協応」とよぶ2,3).能動的に周囲に働きかけられる環境が大切である.固視・定位脳内に三次元空間を再現し物の位置を定めるには,安定した固視が必要である.眼・頭・身体が動いても目の前の景色が揺れないように補正する前庭系との協調が必112あたらしい眼科Vol.35,No.1,2018a.中心窩固視b.傍中心窩固視c.傍黄斑固視d.周辺固視e.固視不良f.固視不良図3固視の分類重度の弱視で固視不良状態(e・f)であっても,早期治療によりd→c→b→aと改善する例もある.要である.「見たい物に目を向ける・対象物を両眼の中心窩でとらえる」という普通のことが実は訓練を要することなのだ.強度の弱視では自分の中心窩がどこを向いているかがわからない.そのため意識的に眼を動かすことができず,眼球は小刻みに揺れ内転したままとなる.早期発見と治療により固視は改善する(図3).治療が遅れると視力は改善しても不安定な固視が残り,視覚地図の基準が定まらず,空間知覚にも影響を及ぼす.文献1)StrattonGM:Visionwithoutinversionoftheretinalimage.PhycholRev4:341-360,463-481,18972)鈴木光太郎:ものの位置を知る.動物は世界をどう見るか,p219-246,新曜社,19953)HeldR,HeinA:Movement-producedstimulationinthedevelopmentofvisuallyguidedbehavior.JComp&Physi-olPsychol56:872-876,1963(112)