●序説あたらしい眼科33(9):1243?1246,2016眼科疫学研究の意義と将来SignificanceandFutureofEpidemiologyinOphthalmology坂本泰二*石橋達朗**疫学とは疫学(epidemiology)とは,epi=広範な,demos=人間の,logos=学問という言葉の通り,人間集団におけるあらゆる因果関係を確認する学問である.狭義には,疾病の発生や健康に関する研究に限られていた.しかし,疫学研究が社会に及ぼす影響の広さと深さが認識されるようになり,最近は人間の疾病に関するものは,経済学,工学,理学などから医療政策決定までを含む広範な領域を疫学に含めることが多い1,2).とくに,患者中心の医療解析法の決定(patient-centeredoutcomesresearch)という概念が出現したことを受けて,今後の疫学研究の重要性は一層増すだけでなく,その内容も変化してゆくと思われる3).疫学の起源と役割ご存知の読者も多いであろうが,疫学という学問は,ロンドン市で多発したコレラの防疫に成功したJohnSnowの研究にその起源が求められる.1830年代に,ロンドンではコレラが猛威を振るい治療手段が限られていたため状況は猖獗をきわめた.当時,コレラは空気感染すると考えられていたが,患者の発生分布が空気感染では説明できないことに着目したSnowは,ロンドンのブロード街にて患者発生状況の調査を行った.その結果,ある井戸が汚染源であると推測し,多くの事例について調査を行い,「汚染された井戸水を飲んでいる人とコレラの発生は関連がある」と結論づけた.この結論に従い,問題の井戸を使用禁止にした結果,流行の蔓延を防ぐことができた.これは,RobertCochがコレラ菌を発見する30年も前である.伝染病以外にも,疫学研究は疾患の原因特定にきわめて有効であった.たとえば,日本における疫学研究の金字塔といわれるものが,脚気の原因を特定した研究である.1900年代初頭,日本海軍では,脚気が軍事活動に支障をきたすほど多発していた.ドイツでは脚気は伝染病と考えられていたため,ドイツ陸軍を範とする日本陸軍は感染予防対策しか採らなかったが,高木兼寛が中心となり観察および実験疫学研究を行った結果,白米食が脚気の発生に関係が深いことを見いだした.そして,麦を主食とすることで脚気の発生を大幅に減少させることに成功した.これもビタミンB1の発見の30年以上前である.医学の目的が,人々の健康の回復とその維持であることを考えると,疫学とはまさにその目的をかなえることができる学問・研究分野であるといえる.このように,疫学研究は,従来から疾患予防,治療の発展に大きな役割を担ってきていたが,最近この領域はとくに注目されている.疫学がますます重要になっている理由その理由のひとつに,インターネットによって,遺伝子などの精緻な個体情報のデータを収集し,集まった大規模なデータを処理することが可能になり,従来は不可知であった疾患関連因子の発見が容易になったことがあげられる.医学の発展の上で,決定的に重要な役割を果たした研究方法をまとめると表1のようになる.現在,医学の核心的価値と考えられている「エビデンス」という概念もさほど古いものではない.そのエビデンスを得るために最適な方法がランダム化比較試験であるされているが,そのことが広く認識されたのも1990年代からである.しかし,この考え方も変化してきている.たとえば,現在はランダム化比較試験を網羅したメタ解析がもっとも強いエビデンスを示すとされているが,実際のランダム化比較試験の施行状況とその結果の関係を調べた結果,大きな問題が指摘されはじめている.ランダム化比較試験は数多く行われているが,その結果が論文として発表されるものは限られる.これは何も研究者がさぼっているのではない.ポジティブな結果が出ない試験結果は論文化されにくいのである.たとえば,Aという治療法について,3つのランダム化比較試験が別々に行われて,1つの試験がポジティブに出て,2つの試験がネガティブに出た場合,ネガティブに出た試験は論文にならずに,ポジティブ試験のみが発表されることになる.そのような試験結果を網羅的に解析したメタ解析が,果たして治療Aの効果を本当に示しているかは大いに疑問であるからである.また,グローバリゼーションが拡大した結果,近代科学・経済学の基礎理念である「資源は無限である」という考え方が壊れ,限られた医療資源を最大限有効活用することが避けられず,そのためには疫学的アプローチが必須になったという事情もある.治療効果を科学的に検証するためには,ランダム化比較試験が最適の方法である.しかし,施行にはきわめて多額の資金が必要である.製薬企業は開発資金を回収する必要があるため,回収の見込みのない薬,たとえば患者数の少ない疾患や途上国を中心として広がっている疾患への薬剤開発が行われなくなってきている.ランダム化比較試験にかかる時間と経費は,医療資源が限られている現在,限界を超えつつある.そこで,疫学研究,なかでも多数のサンプル調査するほうが実態を把握するのに適していると考えられるようになってきた.とくに,ビッグデータを処理する方法が一般化されてくると,ランダム化比較試験の数十分の1の時間と経費で同程度の「エビデンス」が得られることがわかってきた.現在,世界中の企業や研究者が疫学研究に参入してきているのは,そのような理由である.さらに重要なのは,人工知能などの導入により,この領域は今後飛躍的に発展すると予想されていることである.折しも,世界最大手の眼科関連企業とグーグル社が共同事業を開始することが発表され,多くの資金と才能が疫学分野に投入されつつある.わが国の眼科でも,新たに多くの疫学研究が始まっており,この分野の発展に大きな貢献をすることが期待される.Patient?CenteredOutcomesResearchという新しいコンセプト米国では2012年にPatient-CenteredOutcomesResearchInstitute(PCORI)が,患者を中心に考える医療研究の方法について公式見解を示した.これはもっとも新しい医療の考え方である.ランダム化比較試験,ベイジアン統計など,過去20年間に疫学・医学研究の方法論は大きな進歩が見られた.以前は,医学のエビデンスに関して,純粋に科学的側面から方法論が議論されてきた.しかし,本当にそれだけで良いのであろうか.最近の統計学,解析学の進歩は著しいものがあるが,複雑になりすぎている.そのため,最新の方法による解析結果は,一般の臨床家や患者を助けるのではなく,むしろ混乱を助長している.また,科学的合理性は重要であるが,疫学や医学研究が社会に与える大きさを考えると,研究内容,研究方法を医学者あるいは統計学者だけで決定することに対する批判も起きてきている.医療費のコストは世界中で上昇している.一方,薬物を開発,販売する側からも意見はあるはずである.そこで,患者,医師,研究者,製薬関係者,政策決定者などが集まり,その意見が集約された医学研究法こそが,真に患者のためになる.これがPCORIのコンセプトである.もちろん,政策決定者や製薬業界関係者,あるいは逆に患者が研究法の策定に参加することへの批判もある.しかし,新しいコンセプトであり,従来の疫学研究法が適切であったかが議論されており,今後の疫学研究に影響を及ぼすことは避けられない3).世界の眼科疫学研究前述のように,疫学研究は疾患理解の最初のステップであるために,世界中で疫学研究が行われてきた.FraminghamEyeStudyは1948年から米国で行われてきた循環器関連のpopulation-basedの疫学研究であるが,1970年代から眼科疾患についても調査が開始され,多くの成果が発表されている.FraminghamEyeStudyは現在の眼科疫学研究の端緒となるものであったが,疾患の進展率,危険因子の解析は十分になされていなかった.そこで,1980年代後半にBeaverDamEyeStudyがウィスコンシン大学で開始された5).この研究の先進的な点は,対象を長期間追跡することで,多くの疾患の発症危険因子,進展率などを明らかにしたことである.これが,現在の臨床研究設計の基礎データになっていることや,その後も200を超える論文が報告され続けていることを考えると,現代眼科医療にもっともインパクトを及ぼした研究の一つといっても過言ではない.その他,RotterdamEyeStudy,LosAngelesLatinoEyeStudy,SingaporeMalayEyeStudy,ReykjavikEyeStudyなどの多くの疫学研究が世界中で行われている5).とくに重要なことは,中国,台湾,香港などでは,それらを凌駕するような意欲的な疫学研究がスタートしている点である.疫学研究は,最初は地味であるが,結果が出始めてからのインパクトが大きいことが特徴でもある.わが国の眼科疫学研究わが国でも,諸外国と同様に眼科疫学研究が活発に行われており,今回の特集ではその一部を紹介する.久山町研究は九州大学で50年以上前から行われている前向きコホート疫学研究であり,わが国の成人性眼疾患の有病率のみならず進展率,危険因子など多くの点を明らかにした.この現状を九州大学の安田美穂先生が述べる.舟形町研究は,1979年に山形県舟形町で始まった糖尿病疫学研究である.2000年から眼科検診が開始され,糖尿病のみならず,心血管因子と眼疾患の関係,メタボリックシンドロームと網膜所見など,多くの重要な発見があった.そのことを山形大学の難波広幸先生,川崎良先生,山下英俊先生が解説する.いずれも長期にわたるpopulation-based研究であり,世界に誇るべき研究である.検討内容が重なる部分もあるが,疫学研究では異なるpopulation同士を比較することにより,問題点がより鮮明になることが多いので,その点に注意して参照していただきたい.一方,一つのpopulation-based研究では検出力が十分でないので,いくつかの研究の統合解析する方法も最近重要になりつつある.そのことを,糖尿病網膜症を例にとって慶応義塾大学の佐々木真理子先生が解説する.久山町研究や舟形町研究も含まれているので,統合解析の意味がより深く理解できるであろう.多くの眼科疾患が克服されつつあるなかで,近視はこれからきわめて重要な研究領域になる.近視は環境と遺伝が相互に働き長期にわたって変化してゆく性質のものであり,疫学的アプローチは必須である.この点について,東京医科歯科大学の横井多恵先生,大野京子先生が解説する.加齢黄斑変性は,疾患の同定,予防,治療などまさに現代疫学のすべてを使って解明された代表的疾患である.その歴史的経緯と,今後の在り方を東京大学の小畑亮先生,柳靖雄先生が解説する.とくにゲノム疫学により,AMDの病態解明がどのように進んでいるかについては,多くの医師が知るべきである.緑内障の疫学研究は日本の多治見スタディが,世界的にも有名である.そして,それに終わらず緑内障学会が中心となり,現在も多くの疫学研究が進んでいる.わが国の眼科が世界をリードしている数少ない領域である.その点について秋田大学の藤原康太先生が紹介する.最後に,狭義の疫学研究とは異なるが,日本網膜硝子体学会が主導する網膜?離登録システムについて,鹿児島大学の山切啓太先生が解説する.前向き介入試験はますます困難になりつつあり,今後は症例登録研究が臨床研究の主流になる.その最初の試みについてわかりやすく解説する.ここに紹介した研究以外にも,世界的に注目を集めている日本の優れた眼科疫学研究は多数あるが,誌面の都合上今回は取り上げられなかったことをお詫びしたい.しかし,多くの読者にとって,本特集が眼科疫学研究の重要性とその未来についての理解あるいは関心を高める一助になれば幸甚である.文献1)平塚善宗,山下英俊:眼科における疫学研究の重要性と課題.あたらしい眼科28:1-3,20112)AyanianJZ,VanderWeesPJ:TacklingrisinghealthcarecostsinMassachusetts.NEnglJMed367:790-793,20123)GabrielSE,NormandSL:Gettingthemethodsright–thefoundationofpatient-centeredoutcomesresearch.NEnglJMed367:787-790,20124)LeibowitzHM,KruegerDE,MaunderLRetal:TheFraminghamEyeStudymonograph:Anophthalmologicalandepidemiologicalstudyofcataract,glaucoma,diabeticretinopathy,maculardegeneration,andvisualacuityinageneralpopulationof2631adults,1973-1975.SurvOphthalmol24(Suppl):335-610,19805)KleinR,KleinBE,LintonKL:Prevalenceofage-relatedmaculopathy.TheBeaverDamEyeStudy.Ophthalmology99:933-943,19926)川崎良:世界の眼科疫学研究.あたらしい眼科28:41-47,2011*TaijiSakamoto:鹿児島大学大学院眼科学**TatsuroIshibashi:九州大学病院病院長0910-1810/16/\100/頁/JCOPY表1臨床研究に大きな影響を及ぼした疫学的・統計学的解析方法とそれが報告された年代年代事象や方法1940年代初の大規模ランダム化比較試験1950年代ケースコントロール試験カプラン・マイヤー法1960年代臨床試験モニタリングの概念の確立1970年代コックス比例ハザードモデルメタ解析1980年代Propensityscore(傾向スコア)医療効果とコスト分析法1990年代エビデンスに基づく医療ベイジアン統計のためのマルコフ連鎖モンテカルロ法電子カルテによる情報集積2000年代臨床研究登録の義務付け2010年代Patient-centeredoutcomesresearch(2)(3)あたらしい眼科Vol.33,No.9,201612451246あたらしい眼科Vol.33,No.9,2016(4)