JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑨責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑨責任編集浜松医科大学堀田喜裕恩師Kinoshita先生を偲んでSanaiSato(佐藤佐内)医療法人出田会呉服町診療所院長金沢医科大学(眼科)客員教授1978年弘前大学大学院医学研究科卒業.山形大学医学部(眼科)助手.1980年同大学講師.1984年NationalEyeInstitute,NIH.1995年NIH終身在職権(Tenure)授与.2002年米国オクラホマ大学医学部(糖尿病内分泌学)教授.2006年出田眼科病院.2007年金沢医科大学(眼科)客員教授.2008年東北文化学園大学客員教授,奈良県立医科大学(生化学)非常勤講師,呉服町診療所院長.現在に至る.私自身のことを話すのは恐縮ですが,私は1986年より18年間Dr.JinH.Kinoshita(Jin先生)がScientificDirectorをされていたNationalEyeInstitute(NEI),NIHにお世話になりました.その後,よく竜巻(Tornado)で話題になるオクラホマ(Oklahoma)に移り,オクラホマ大学医学部で4年間過ごさせていただきました.“誰に会うかで人生が変わる”とよくいわれますが,Jin先生にお会いできたこと,先生に特別のサポートをいただいたことに感謝しております.Jin先生に最初にお会いしたのはもう30年前になります.先生が仙台に来られたときにお会いする機会をいただきました.そのときのお話では,最近Awardをいただいたとのことで,それがちょうど1年分の給料になるので1年で良ければNIHに来ないかと誘っていただきました.結局1年のはずが18年にもなってしまいました.NIHでは多くの日本人研究者にお会いしました.ほとんど例外なく,できればもう少し残りたいといいながら帰っていかれました.よほどNIHの研究環境が良かったのだろうと思います.私が最も印象に残ったのは,Jin先生が自分でプロジェクターを持って来られセミナーをされたときでした.米国では上に立つ者は自分の下の人を教育する義務と責任をもつという意識が強いと感じます.日本では,“とにかく自分で苦労しろ.それが勉強だ.必ず将来役に立つ.”とよく励まされました.ある意味で事実ですが,ときに責任逃れの口実に使われることもあるように感じます.この教育に対しての意識の差が存在する限り日本が米国に追いつくのは難しいと実感しました.研究者としてのJin先生の功績はご存知のとおりであ(79)0910-1810/13/\100/頁/JCOPYります.眼科領域で最も権威のあるProctorMedalとFriedenwaldAwardの両方を受賞されたのはおそらく今でもJin先生が唯一ではないかと思います.NIHは大きく2つのプログラム(IntramuralandExtramuralPrograms)に分けられます.Instituteによっても異なりますが,全予算の約80.90%が全国各地の大学や研究機関,それに研究者個人へのGrant(研究費)として使われます(ExtramuralProgram).米国ではこのNIHgrantは研究者としての生死を決めるとまでいわれます.どんなに有名な教授であっても例外ではなく,それほどNIHgrantは重要であります.残りの予算がNIH内での研究費として使われます(IntramuralProgram).ScientificDirectorとはDirector,IntramuralProgramをさします.Grantの決定には直接関与しませんが,現実には米国全体の医学研究に多大の影響力をもっています.米国ではGrant申請もせずに自由に研究ができるNIHでTenureを取ることは一般的な研究者にとっての憧れの的ともいわれています.同時に厳しい非難の目に耐えなければなりません.NEIScientificDirectorであるJin先生はNEI内での研究に絶対的な権限をもっていました.同時にその研究結果や業績に対し責任を共有し,さらに眼科領域の研究の将来を見据えた方向性を常に考慮すべき立場にありました.このシリーズの最初の筆者である矢部(西村)千尋教授が書かれているように,不本意な形でNEIを去って行った研究者もたくさんおられたことは事実であります.Jin先生にとってどんなにか辛かったろうと思います.Jin先生は私と個人的に話されるときは白内障や糖尿病網膜症に偏っていましたが,分子生物学や遺伝学にその将来をみられていたようあたらしい眼科Vol.30,No.9,20131279写真1NIHのあるベセスダ郊外のレストランで写真1NIHのあるベセスダ郊外のレストランでに感じます.ちょうど私のTenureの話が始まった頃,一度Jin先生の部屋に呼ばれました.その頃の私は網膜毛細血管のPericye細胞培養やAldosereductaseの酵素学的な研究に没頭していました.Jin先生がまずいわれたのが,“今の研究テーマでいくら頑張ってもDr.Satoの業績にはならない.Tenureとして認められるには研究におけるIndependencyとOriginalityを示す必要がある.何か新しいことを初めてほしい.もし,特に希望やアイデアがないのであれば,Neutrophilsをテーマにしたらどうだろうか.”とのことでした.早速,当時好中球と癌細胞の研究で有名な山形大学寄生虫学の仙道富士朗教授に手紙を書かせていただき,私の新しいプロジェクトをスタートしました.その後,骨髄幹細胞(特にMesenchymalstemcells)の仕事へと発展していく第一歩となりました.Jin先生には個人的にもいろいろお世話になりましたが,学問研究でも生涯の恩人であります.眼科医局に入局される学生のほとんどは将来臨床医を目ざしており,基礎研究よりは高度な手術手技の習得に関心をもっています.図1は基礎医学の奨励の目的で学生の講義に使っていたスライドです.基礎研究に携わる人が経済的に優遇されることはまずありえません.将来教授になるほど成功することはごくまれで,ノーベル賞をいただけるような優れた業績を残すこともほとんど不可能であります.好きなことができるから研究生活は楽●★写真2Dr.KinoshitaのRetirementParty図1学生への講義に使うスライドからしいといわれる人もいますが,現実には自分の好きな研究をさせてもらえません.日常の診療で経験する達成感や満足感はまずあり得ないといってよいでしょう.非常に地味で,仕事が楽しいとは信じがたいと思います.それなら基礎医学を志す理由はあるのでしょうか.私自身は医学の進歩は基礎医学の進歩なしにはありえないと考えています.Jin先生もそのことを私たちに教え続けてきたと思います.Jin先生のご冥福を祈るとともに,これからも機会があるたびに基礎医学の重要性を伝え続けていきたいと願っています.●★1280あたらしい眼科Vol.30,No.9,2013(80)