●連載144緑内障セミナー監修=岩田和雄山本哲也144.糖尿病は緑内障の危険因子か?千原悦夫京都府宇治市・千原眼科糖尿病患者では神経症に伴う網膜神経線維層の萎縮がもともと存在し,これに線維柱帯の機能異常による高眼圧が加わるため,糖尿病は従来緑内障の危険因子と考えられてきた.しかし,近年糖尿病による神経保護作用が報告され,疫学的調査の結果も混乱するようになった.本稿では対立する2学説の白熱した議論を紹介した.糖尿病はわが国における患者数が800万人を超える重要な全身疾患であり,その三大合併症は糖尿病網膜症,腎症,神経症で眼科との関連も深い.糖尿病網膜症の発症は全身における脳血管障害,心臓血管障害のリスクが上がっていることを示す兆候として重視され,また眼科では硝子体出血,牽引性網膜.離,血管新生緑内障の発症を経て失明に至る病態として臨床的にも注目度が高い.その一方で,糖尿病神経症は後天性色覚異常,コントラスト感度の低下などの眼症状はあるが,失明に至らないものとして眼科ではあまり興味をもたれなかった.しかし,近年緑内障と糖尿病の関係が話題になり,この糖尿病神経症と緑内障性視神経萎縮との関係について激しい議論が展開されるようになってきている.●視神経における糖尿病神経症糖尿病神経症は全身の神経組織を侵すが,人体最大の神経である視神経も例外ではない.基礎医学的には細胞の自殺といわれるapoptosisについて糖尿病の動物あるいはヒトの網膜を調べると,網膜の内層(神経節細胞層)で,網膜神経節細胞やアマクリン細胞が減少し,その結果,網膜神経線維層が20%程度減る.このようなapoptosisは外胚葉の細胞のみならず血管系の中胚葉の細胞でも起こり,全身的な問題でもある1).神戸大学の報告図2単純糖尿病網膜症患者における網膜神経線維層欠損この患者では外下方に欠損を認める(矢印).:NDR(n=50):PDR(n=20)80:mode-NPDR(n=25):mildNPDR(n=33)7060NFLT(μm)50p=0.016p=0.008p=0.003p<0.001p=0.039p=0.024p<0.00150404030302020101000TSNITave.Superiorave.Inferiorave.NFIp=0.0019p=0.0045p=0.0010p<0.0001NFIscore図3文献4に報告された糖尿病による網膜神経線維層厚の減少網膜症が悪化するほど神経線維層は菲薄化するが,網膜症がない患眼でも菲薄化が起こっていることがわかる.NDR:網膜症なし,mildNPDR:初期の単純糖尿病網膜症,mode-NPDR:中期単純糖尿病網膜症,PDR:増殖糖尿病網膜症,NFLT:網膜神経線維層厚,TSNITave.:全周平均神経線維層厚,Superiorave.:上半周平均神経線維層厚,Inferiorave.:下半周平均神経線維層厚.(73)あたらしい眼科Vol.29,No.6,20127950910-1810/12/\100/頁/JCOPY図1網膜症のない糖尿病患者における網膜神経線維層欠損無赤光撮影で乳頭の外上側に欠損を認める(矢印).では糖尿状態で眼圧を上げると,さらに多くのapoptosisが起こる.筆者らは以前糖尿病家兎の視神経において軸索輸送量が減少することを報告したが,軸索輸送の減少による栄養因子の減少が神経節細胞のapoptosisにつながるということも考えられる2).臨床的に糖尿病患者の網膜神経線維層を観察すると,血管障害が起こる前から神経線維層の欠損が発見され,それはscanninglaserpolarimeter(GDx)においても確認されるが,乳頭の陥凹拡大は伴わない(図1.3)3,4).●糖尿病患者における高眼圧一方,糖尿病になると蛋白質のクロスリンクが増え,またムコ多糖代謝に異常が起こることが知られており,このことがSchlemm管とぶどう膜強膜流出路における房水排出機能を低下させると考えられている.実際に糖尿病患者における高眼圧を報告する論文は多い5).これまでの議論をまとめると糖尿病では神経線維(細胞)の脱落があり,しかも,この患者群では眼圧が高いので緑内障の頻度が高いであろうと推測され,実際BlueMountainEyeStudyをはじめとしてヒスパニックや看護師を対象にした研究など,いくつかの疫学的な研究で糖尿病患者における緑内障の頻度が高いことが報告された6).●反論:糖尿病は神経保護作用をもつのか?ところが,2002年になってOHTS(ocularhypertensiontreatmentstudy)で,糖尿病群においては眼圧が高いことが確認されるにもかかわらず,緑内障の発生頻度が低い〔Hazardratio0.37(range0.15.0.90,p<0.05)〕という結果が発表された7).このOHTSの結果は2008年になって著者のGordon自身が糖尿病の検出率に問題があったことを認め有意差はなかったと修正されたが,それでも眼圧が高いにもかかわらず発生頻度に有意差がないということは,糖尿病が神経保護的に作用するのであろうと解釈された.さらに,この発表と相前後していくつかの疫学的な調査で糖尿病と緑内障の関係が否定され5,8),2009年にはQuigleyのような大物が糖尿病は緑内障の危険因子ではないとして論陣を張るに至った9).Quigleyは糖尿病患者において緑内障の発見が多いとされる理由は,眼圧が高く,しかも網膜症に関する検診を受ける機会が多いためであるとしており,糖尿病そのものは逆に神経保護的に作用する可能性があるとしている.彼は糖尿病による神経保護に関して以下の3つの論点を強調した.1)糖尿病患者における血管バリアの破綻に伴って細胞間に漏出するVEGF(血管内皮増殖因子)に神経保護作用があること,2)中枢神経において前虚血状態にさらされた神経組織はサバイバル機構が働くようになることが知られており,網膜でも神経が緑内障性視神経障害に対する防御機能を備える可能性があるということ,3)糖尿病患者においてはコラーゲンのクロスリンキングが起こるので強膜組織が強化され,視神経篩状板におけるストレスに耐えやすい視神経乳頭ができるというものである.実際にそのことを示すような報告もなされている.日本では糖尿病と緑内障の関係について早くから研究が行われ,糖尿病は緑内障の危険因子であるとする論調が強かった.糖尿病で神経症が網膜神経線維層に起こるということについては間違いがないと思われるが,緑内障の危険因子であるかについては白熱した議論が展開されており,今後どうなるのか興味深い.文献1)BarberAJ,LiethE,KhinSAetal:Thesignificanceofvascularandneuralapoptosistothepathologyofdiabeticretinopathy.InvestOphthalmolVisSci52:1156-1163,20112)ChiharaE:Impairmentofproteinsynthesisintheretinaltissueindiabeticrabbits;secondaryreductionoffastaxonaltransport.JNeurochem37:247-250,19813)ChiharaE,MatsuokaT,OguraYetal:Retinalnervefiberlayerdefectasanearlymanifestationofdiabeticretinopathy.Ophthalmology100:1147-1151,19934)TakahashiH,GotoT,ShojiTetal:Diabetesassociatedretinalnervefiberdamageevaluatedbyscanninglaserpolarimetry.AmJOphthalmol142:88-94,20065)TanGS,WongTY,FongC-Wetal:Diabetes,metabolicabnormalities,andglaucoma.ArchOphthalmol127:13541361,20096)MitchellP,SmithW,CheyTetal:Open-angleglaucomaanddiabetes:theBlueMountainEyeStudy,Australia.Ophthalmology104:712-718,19977)GordonMO,BeiserJA,BrandtJDetal:Theocularhypertensiontreatmentstudy.ArchOphthalmol120:714-720,20028)DeVoogdS,IkramMK,WolfsRCetal:Isdiabetesmellitusariskfactorforopen-angleglaucoma?TheRotterdamStudy.Ophthalmology113:1827-1831,20069)QuigleyHA:Candiabetesbegoodforglaucoma?Whycan’twebelieveourowneyes(ordata?).ArchOphthalmol127:227-229,2009796あたらしい眼科Vol.29,No.6,2012(74)