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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて夫,田野保雄の「WOC2014東京」への思い今でもはっきり覚えておりますのは,主人がケープタウンから興奮した声で電話をして来た時のことです.「ママ!2014年のWOCは東京で決まったよ!詳しくは帰ったら話すね!」といった内容でした.そして今年2014年春4月,本当に東京の桜の真っ盛りの折に素晴らしいWOCは開催されました.日本の眼科の先生方の総力で国内,国外から19,600名の参加者があったと聞いております.帝国ホテルのロビーはまるで外国の駅のようで,色々なお国の言葉が飛び交っておりました.4月1日のAOIの同伴者ツアーは晴天で,満開の桜を見ながら皆さま旧交を温めていらっしゃいまし同伴者プログラム委員長田野量子た.主催者側としては,昨年の同じ日に下見をした折,桜は散り,雨は降り続く中を一日下見をして,くたくたになったことを思い出し,本番の今年,このようにすばらしい同伴者ツアーができたことを,本当に神様に感謝をいたしました.次の日の開会式は21世紀のWOCにふさわしく,目を見張る素晴らしいものでした.会長の大鹿先生はじめ,このWOCに携わられた方々のご苦労が思われ,主人の写真をバッグに忍ばせて参加させて頂いておりました.4月3日はJTBさんによる鎌倉一日ツアーに,親友のJeanChangと参加いたしました.総勢41名の参加者で,私以外はすべて海外からの先生とそのご家族でした.オーストラリア,リトアニア,ラトビア,南アフリカと,バスの中の近くの仲間は色々なお国からいらしているお若い先生方でした.昼食の弁当ボックス(松花堂弁当)を美味しい,美味しい!写真1プレジデントディナーの折,友人達と写真2鎌倉1日ツアーのバス車中にて(81)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413290910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真3ジャパンナイトの会場にて,主人の友人の先生方ととお箸で上手に召し上がり,お国では週に1.2度はラーメン屋に行ってラーメンを食べるのだと,楽しそうに話してくださいました.お寿司は好きだけれど,少し高いので月に一度かな.?だそうです.海外へ日本の食文化がどんどん進出していっているのを聞いて嬉しくなりました.今回,東京のこのWOCの前か後に京都に行かれたり,行くという方が多く,美しい桜を東京と京都と両方で満喫なさって帰国されたことと思います.またアカデミックなことも沢山勉強されたことと確信しております.主人,田野保雄が望んだ何十倍,何百倍もの素晴らしいWOCを開催していただき,主人は天国から深々と頭を下げて,皆様方に御礼を申しあげていることと思います.主人の心はきっとあのフォーラムの中庭に咲いていた桜の中にいて,一日中皆さまとご一緒していたことと思います.私のような微力な者が,このような素晴らしい学会に参加させていただきましたこと,心から御礼と感謝を申しあげます.この度は本当に有難うございました.WOCの折の美しかった東京の桜を思い出しながら(2014年4月)1330あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(82)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて恩返しの喜び組織委員会,広報委員会,社交行事委員会岡田アナベルあやめ正直なことを申しますと,オープニングセレモニーが終了した時点で,肩の荷の大半がおりた気分でした.ここに至るまでが,長い年月でした.以前,本紙で,「WOC2014への道…あと10カ月」に記したように,私にとってのWOCは,2006年5月13日に始まりました.その日は土曜日でしたが,故田野保雄先生から運命を変えるお電話がありました.田野先生は「WOCをまた日本でやりたいので,手伝ってくれないか」とおっしゃり,あれから8年がすぐ経ちました.ご存じの通り,WOCが日本で初めて開催されたのは1978年でした.京都の国際会議場でのオープニングセレモニーに当時の皇太子殿下と妃殿下がお見えになりました.皇太子殿下のスピーチは今も動画で(杏林大学)残されています.その36年後,2014年4月2日.6日に東京国際フォーラムと帝国ホテルの両施設を使い,日本で2度目のWOCが開催され,約2万人の方が参加されました.いままで最も参加人数の多いWOCでしたが,日本で開催された国際学会としても歴史上最も大きい規模となったそうです.ここまでの大成功を収めた裏側には,多くの方々の知恵と努力,そして時間が惜しげもなく投入されたことはいうまでもありませんが,医師や企業など,日本の眼科業界が力を合わせて日本が誇るチームワークを世界中に披露できたと思います.本当に素晴らしかったです.WOCにおける私の使命は,一言でいうと,海外の目線から日本の良いイメージを作ること,と考えて写真1PresidentsDinnerで司会の姿(79)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413270910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真2千鳥ヶ淵でのRosenbaum先生来年,札幌で行われる第119回日本眼科学会総会で招待講演をされるOregonHealthSciencesUniversityのJamesRosenbaum先生がWOC2014Tokyoにもいらっしゃいました.おりました.約5年前から,組織委員会および広報委員会の委員として,WOCのHP,ポスター,ロゴの作成,宣伝メールの英文チェックや海外学会でのブース運営などの仕事を手伝いました.また,AmericanAcademyofOphthalmology(AAO)やInternationalCouncilofOphthalmology(ICO)との連携のためのさまざまな会議にも出席いたしました.Immunology,MolecularBiologyandMicrobiologyのセクションコーディネーターの一人としては,複数のシンポジウムも企画させていただきました.WOC開催が近づいてきた約2年前からは,社交行事委員会の委員としてオープニングセレモニーとジャパンナイトの企画に携わりました.とくにオープニングセレモニーの映像に出てくる英語やショートフィルムの英語字幕,プロ司会者の英文原稿に関しては学会直前まで修正しておりました.自分のシンポジウムや座長の仕事もありましたが,正直,それどころではありませんでした.そして,学会直前には友人の眼科医を観光に連れて行き,学会中は3日間,夜のイベントの司会を担当しました(写真1).学会中の昼の時間帯には,満開の桜が咲く千鳥ヶ淵公園に数人の外国人眼科医を案内しました(写真2).嵐のような1週間でした.そして,すべてがあっという間に終了し,ちょっと寂しい気持ちでした.WOCが終わったこの時点で,田野先生との繋がりがなくなる,という恐れがあったからです.しかしそれは思い過ごしかもしれません.田野先生に導かれてきた我々が,すばらしい日本版WOCを世界に提供できたことで,田野先生へ恩返しができたようで,大きな喜びを感じています.田野先生の思い出とともに,生涯の宝物として深く心に刻みたいと思います.1328あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(80)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えてWOC2014庶務委員会から私が担当した庶務委員会は2012年10月24日に最初の委員会を開催し,WOC開会まで計7回開催しました.委員はアイウエオ順で,新家眞,石橋達朗,稲谷大,岡田アナベルあやめ,大鹿哲郎,小椋祐一郎,小沢忠彦,近藤峰夫,榛村重人,園田康平,根木昭,前田直之の各先生方です.庶務委員会で話し合った内容は多岐に渡りますが,まず参加カテゴリーと登録料について討議しました.その結果,カテゴリーをInternationalOpthalmologist,JOSmemberOpthalmologist,OpthalmologyResidentMedicalStudentなどに分け,早期事前登録,事前登録,当日登録に分類しました.次にトラベルグラントについて話合い,開発途上国や若手研究者に手厚くすることを基本に,支給額は1,000ドル,対象者を海外の眼科医または眼科研修医300名とし,年齢や対象国に制限は設けず,応庶務委員会委員長下村嘉一(近畿大学)募者の中で得点の高い人を選び,国にばらつきがでないよう調整をしました.学会の記念になるコングレスバッグについては,皆が長期に使えること,ノートパソコン用バッグをつけることをコンセプトに業者に依頼し数点考えてもらい,委員全員で決定いたしました.その結果,なかなか素晴しいものができたと自負している次第です.おもてなし企画としては,筆頭に挙げられるのが,故田野保雄教授が提唱された満開の桜(写真1,2)を会期中に会場と帝国ホテル内に設置することだったでしょう.多くの会員が喜ばれたと聞きます.さらに,餅つき体験(写真3),着付け教室(写真4),折り紙講座(写真5,6),茶道体験などを実施し,海外の方々に好評を博しました.オプショナルツアーとしては箱根ツアー,鎌倉ツ写真1帝国ホテルのロビーに設置された約10種類の桜写真2有楽町フォーラム前の満開の桜(77)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413250910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真3餅つき体験写真4着付け体験写真5折り紙教室アー,江戸下町ツアー,屋形船,京都観光ツアーを企画し,総計376名の参加者が得られました.また,東京観光財団には無料の都内半日ツアー(明治神宮,スカイツリー,浜離宮,東京国立博物館)を提供していただきました.参加者サービスとしてはシャトルバス,Suicaなど写真6会場前に設置された折り紙の見本の記念品を用意し,点数の余ったSuicaは回収して現金化いたしました.以上が庶務委員会が担当した主たる仕事です.最後になりますが,委員の先生方,参加された皆様に心から感謝して筆を擱きたいと思います.1326あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(78)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて日本の魅力を世界へ発信―広報委員会―桜のきれいな東京で開催されたWOC2014が終了して数カ月が過ぎた.2万人の眼科医が世界中から訪れた空前の大規模学会は,今後長く日本中の眼科医の記憶に残るであろう.東京国際フォーラムは,自分にとっては何度も学会で訪れた馴染みの場所だが,今回は沢山の外国人参加者がどこの会場にも一杯で,国際色豊かな光景が周りに広がり,いつもと違う別世界に来たような感じがした.昭和53年に京都で開催されたWOC(私はまだ医学部の学生だったので参加していない)について,大先輩の先生方が熱く語っておられた気持ちがわかるような気がした.初日のオープニングセレモニーには皇太子殿下が参列され,自分がこれまで東京で参加してきた国内学会とはまったく異なる,国を挙げてのイベントであることが印象づけられた.広報委員会委員長吉冨健志(秋田大学)広報委員会としては,ベルリン(2010年)やアブダビ(2012年)のWOCにそれぞれブースを出して東京WOC2014の広報活動をしてきた.また,AAOやARVOをはじめとしたさまざまな国際学会にもブースを出したりパンフレット配布を行って,地道に宣伝活動をしてきた.ニュースレターやFacebookなどのインターネットを介した広報活動も行ってきた.日本の魅力をアピールするために,魅力的な写真や画像を,眼科学会会員から募集して使わせていただいたり,さまざまな活動を通じて日本の魅力をアピールし,多くの国の方に来ていただけるよう,宣伝をしてきた.結果的には100カ国以上の国々から1万人以上の外国の方々が訪れてくれて大成功に終わったが,実のところ広報活動で本当に沢山の外国人が来てくれるのか,心配になったこともあった.写真1Timeisrunningoutandregistrationnumbersaregrowingrapidly!RegisterbyMarch3rdtogetthebestrates.http://www.woc2014.org/contents/register.htmlPhotobyJoshBerglund19.Facebookへの投稿(2014年2月22日)(75)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413230910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真2DidyouknowthatTokyohasmoreMichelin-starrestaurantsthananyothercityintheworld,includingParis,Rome,andNewYork?Facebookへの投稿(2013年9月28日)2011年3月11日の東日本大震災直後,日本に来る外国人観光客が激減した時期があり,WOCも大丈夫だろうかと不安になった.WOC2014までに首都直下型地震が起こるのではないかと本気で心配する人もおり,原発事故などもあって外国からの参加者が減ってしまうのではないかと考えた.その後,徐々に観光客も戻ってきたとの報道があり,オリンピックが日本で行われるというニュースもあって状況は少しずつよくなっているようにも感じた.とにかく地道に広報活動を行ってゆくしかない.国外学会に行って海外の先生からWOC2014を楽しみにしているといわれたときはうれしかった.2014年に入っても,本当にどれくらいの海外の先生が来てくれるのか不安だったが,2月,3月と事前登録者がどんどん増えてきて,今度はコングレスバッグの数が間に合うかどうかという,まったく想定外の心配をしなければならなくなった.そして結果的に2万人の参加者を集めて大成功だった.2万人の参加者は,過去に日本で開かれた国際学会の中で最も多いといわれている.2012年秋に同じ東京国際フォーラムで開かれた国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会の参加者が,約1万1,600人だったということなので,眼科だけでなく,あらゆる分野で日本の歴史に残る学会であったといえる.このような学会の運営に一部でも関わらせていただいたことを,大鹿会長,石橋理事長をはじめ,参加してくださった世界中の眼科医の方々にお礼申し上げたい.写真3Tokyoatsunset…onlineregistrationfortheWOC2014opensinApril2013!Facebookへの投稿(2012年12月22日)1324あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(76)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて日本の眼科とWOC2014日本の眼科を世界にアピールする機会であるWOC2014が盛況のうちに終了しました.開会式で会長の大鹿哲郎教授が挨拶されたように,故田野保雄教授(大阪大学眼科学)のご尽力の成果として日本で開催されたWOCの意義は,大鹿会長の稿で述べられると思いますが,日本の眼科の世界における立ち位置を改めて考える良い機会となったと考えます.眼科学が現代社会で直面する大きな課題は,世界で進行する高齢化にともなう眼科疾患に向き合い,いかに人類の視覚障害を少なくするかという問題解決の戦略を示すことです.この目的のためには,眼科学のみの発展ではなく,他の医学・医療の世界との共同作業をしつつ,バランスの中で眼科学が発展することが望まれています.また,日本の眼科が世界の眼科のなかで上記の目標を達成するために,日本の眼科のプレゼンスを示すことが必要ですが,これについては日本眼科学会,日本眼科医会を中心に十分な成果を上げたといっても良いと考えます.このような大切なWOC2014の開催に際しては,財務的にも日眼会員からの特別会費の積立,種々の団体からの寄附,そして,2万人にも及ぶ参加者からの会費などで健全に行われたと考えています(最終的な財務報告はこれからですが).田野先生が招致され,企画され,その後の歴代の日眼理事長(新家眞教授,根木昭教授,石橋達朗教授)のご尽力,そして財務委員会委員長山下英俊(日本眼科学会常務理事/山形大学)日本眼科医会(三宅謙作前会長,高野繁会長)の絶大なご協力による成功と考えております.予算ベース(第3次予算)でいいますと,参加登録料は予算総額の約3割弱,会員積立金は約2割弱,合わせると約5割弱が日眼会員および世界の眼科医,眼科研究者の浄財によって成立した学会であったことがわかります.今回の参加者の割合では,日本からの参加者は約半数(正確には49%)を占めていました.日眼総会が並行して開催されたとしても,日本の眼科医がこれほど多く国際的な眼科学会に出席したことはおよそなかったのではないでしょうか?今後の日本の眼科学の発展を考えると,これは未来に残せる大きな財産になると思われます.若い眼科医が国際会議を経験したこと,専門医となっている多くの眼科医が世界の眼科の在り方,方向を把握できたことにより,国際的な視野で眼科医療を考えることができるような素地が日本の眼科医,その連合体たる日本眼科学会,日本眼科医会にできあがったことが想像されます.今後は日本の眼科学をさらに発展させると同時に,世界に日本の眼科として情報を発信し,先進的な取り組みで世界をリードしていくこと,日本から眼科の種々の分野においてスタンダードを提供していくことなどが期待されます.(73)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413210910-1810/14/\100/頁/JCOPY
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて社交行事委員会からのご報告1万9千人を超える参加者の中,WOC2014は成功裏に幕を閉じました.洗練された運営の中,眼科医療の先進性,社会貢献,先端研究の成果など,最新の情報が余すところなく披瀝され,京都で開催された1978年大会と同様,「日本ここにあり!」という心意気を世界に示すことができました.さて,私は今回のWOC2014では社交委員会を担当させていただきました.他のメンバーは山本哲也教授と村上晶教授というお二人の副委員長,前田直之教授,アナベル岡田あやめ教授,小沢忠彦常任理事の学会運営委員の各先生方で,WOCの呼び物の一つであるOpeningCeremony,それに引き続いて開催されるWelcomeReception,大会の総仕上げとなるJapanNightの企画に専念して活動しました.社交行事委員会委員長大橋裕一(愛媛大学)中でもOpeningCeremonyには一番力を入れました.JTBやロボットという映画制作チームの方々とも打ち合わせを重ね,「アブダビに負けるな!」を合い言葉にオープニングビデオやコンセプトビデオの作成に精魂を傾けました.当日,会場のホールAは超満員となりました.オープニングビデオでは「目」をテーマに日本の四季をお届けした後に現代日本をフィーチャーした「CoolJapan」へと展開,最後は桜吹雪で締めさせていただきました(写真1).その後は,大鹿会長の開会宣言に引き続いて多くの学会表彰が行われ,最後に皇太子殿下からも温かいメッセージをいただくことができました.写真1OpeningCeremonyでの一コマ.桜吹雪が実に華やかです(71)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413190910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真2WelcomeReceptionの様子シンボルの桜が美しくライトアップされています.眼科医療の継続性をテーマにしたフィナーレのコンセプトビデオ『VisionofLife』では,30年後の眼科診療風景というサプライズ映像もあって,みなさまにお楽しみいただけたのではないかと考えております.お陰様で国内外の先生方からも素晴らしいご評価をいただけました.これもすべて委員会メンバー,そして制作チーム,日眼事務局の努力の結晶であり,素晴らしいチームワークで仕事ができたことを幸運に思っています.OpeningCeremonyの後は会場をフォーラム広場に移してのB級グルメパーティ.特別に準備した桜の大木がライトに浮かび上がる中,大勢の先生方で賑わいました(写真2).初日から参加者同士が和気藹々と語らえたことで,いい雰囲気作りができたのではないかと思います.もう一つの企画であるJapanNightも日本の文化,とくに「祭り」に焦点を当て,海外からのお客様に日本の良さを堪能していただきました.場所は有明の東京ビッグサイト,チケット完売の中,日本酒をはじめとする日本の食材の素晴らしさ,繊細さを堪能していただきました(写真3).幸いにも桜は満開!ほんとによかったですね!写真3JapanNightの一コマ日本のお祭りがテーマでした.1320あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(72)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えてWOCプログラム委員会報告とおもてなしWOCが2万人近い参加者を集めて,成功裏に終わったことにほっとしています.大鹿哲郎会長を補佐して,組織委員会副委員長,プログラム委員会委員長という大役を無事務められたのも,お世話になりました皆様のおかげです.日本眼科学会戦略企画会議の第一委員会を中心としてWOC組織委員会が設置され,数年前からいろいろ準備をしてきました.また,ICOのプログラム委員会ではPeterWiedemann委員長の下,副委員長を務め,日本からの意向を多く取り入れていただきました(写真1,2).今回のWOCでは,シンポジウムが204企画されて,1,300題を超える演題が発表されました.その他に,インストランクションコースが120コース行われ,ビデオシンポジウムも3つありました.一般演題は,口演が588題,ポスターが1,885題,ビデオが128題の採択があり,すべての演題を合計すると4,000題以上となり,WOC史上過去最高の演題数でプログラム委員会委員長小椋祐一郎(名古屋市立大学)した.講演会場も多くの会場がほぼ満員の状態で,とくに海外からの参加者が目立ち,みんな非常に熱心に聴講されていました.今回は,プログラム委員長としての役目とは別に,PresidentialDinnerの飲み物のセレクションも担当しましたので,番外編として書かせていただきます.特別なディナーに飲み物のチョイスは非常に重要です.あとで,思い返してみると,その時何を食べたかは覚えていなくても,どんなワインを飲んだかは結構記憶に残っているものです.とくに感動するようなワインに出会ったときには,その感動は一生続きます.そのような訳で,大鹿会長にお願いしてPresidentialDinnerのワインを担当させていただきました.パーティーでのワインセレクションは,お料理に合わせてシャンパンのようなスパークリングワイン,白ワイン,赤ワインと順序があります.今回は日本でのWOCということもあって,外国の先写真1左から,筆者,PeterWiedemann教授(ICOプログラム委員長),SebastianWolf教授(スイス,ベルン大学).(69)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413170910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真2組織委員会メンバーで記念撮影.生に日本を代表する美味しい日本酒を飲んでいただこうと考えました.最近,発泡性の日本酒が少しブームになっていますので,ウェルカムドリンクは「梵」という酒蔵が出している「プレミアムスパークリング」を選択しました.外国の先生は日本酒のスパークリングの存在をほとんどご存じなかったので,たいへん好評でした.続いて乾杯のお酒ですが,パフォーマンスとして鏡割りが予定されていたので,「黒龍酒造」にお願いして「いっちょらい」という吟醸酒の樽酒を特別に造っていただきました.「黒龍酒造」は福井県にありますが,「いっちょらい」というのは福井の方言で「一張羅」のことで「自分にとって一番いいもの」という意味です.鏡割りの後,WOCのロゴの入った枡で「いっちょらい」を全員に配り,乾杯が行われました.次は,通常は白ワインですが,オードブルを日本食にしたので,黒龍の「しずく」という大吟醸酒を合わせました.通常,日本酒はその製造過程で酒袋に重しをのせて絞るのですが,「しずく」はその名前の通り,重しを使わずに酒袋より自然に滴り落ちる一滴から造られる大吟醸酒です.香りも良く,透き通るような味わいです.「しずく」は日本の先生にも大好評でした.その後は,ブルゴーニュの白ワイン(モレサンドニクロ・デ・モンリュイザン・ブラン2003),赤ワイン(オスピス・ド・ボーヌボーヌ・プルミエクリュニコラ・ロラン2006,クロ・ド・ヴージョドメーヌ・ジャングリヴォ2004)と続きました(写真3).今回のWOCの大成功を今後の日本の眼科医療の発展につなげていくことができれば,企画したものの一人として望外の喜びです.本当にどうもありがとうございました.写真3PresidentialDinnerで談笑するDavidParke先生(AAOのCEO),筆者,大鹿哲郎WOC会長.1318あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(70)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて第29回APAO会長の立場からと少し昔の話今回の国際眼科学会(WOC)日本開催が決まったのは2007年3月23日のケープタウンでのICOの会議の時でした.当時としては7年も先の遠い未来の話であり,実感も湧かねば,イメージも浮かばないという状況でしたが,終わってみれば文字通りあっという間の7年でした.WOCは第1回がブリュッセルで1859年開催と,臨床医学系では最も古い国際学会で,前回日本で行われたWOCは第23回(1978年)でした.往時の事務局長をされた三島済一教授の下の研修医であった自分の記憶は,日本で国際眼科学会を開催するのはとても大変!ということでした.当時はほとんど現地(日本眼科学会)の手作りに近かったはずで,我々下っ端もシンポジウムの会場係とスライド係をやらされた訳で,講師や助教授の先生方は,当然もっと大変,教授ともなればさらに大変,事務局長でもやろうものなら死ぬほど大変というのがWOC主催の印象でした.プログラムを決める現地プログラム委員会(当時はWOCのプログラム委員会などはなかったはずです)に関して「そんな所に入れるなんてHoytはとても難しい人だということを知らんからだ!」とたまたま呼ばれて入った教授室で三島教授が電話に怒鳴っていたことがとても印象に残っています.開催があと2年と迫った夏(1976年)に,突如三島先生が「自分が国際眼科学会準備でこんなに忙しいのに,研修医の夏休みが長すぎるのがけしからん!」といったため,研修医の夏休みは1週間短縮となってしまいました.なぜこんな36年も前のことを述べたかというと,(67)0910-1810/14/\100/頁/JCOPY第29回APAO会長新家眞(公立学校共済組合関東中央病院病院長,東京大学名誉教授)実は2007年か2008年のある時に,田野先生から「今度の日本でのWOCでの事務局長をやってくれない?」と依頼されたからです.常務理事会に来るのが何時も一番遅い私ごときが最初の候補になるはずはない訳で,「誰か複数に依頼して断られたな」が次の瞬間に頭に浮かんだことで,その次が前回日本でのWOCでの三島先生の「大変そうさ」でした.「とても自分には向かない.O先生はこういったことには適任ですよ!」といったせいか,最初から田野先生もそう思っていたのかは知りませんが,それが大正解であったことは今更いうまでもないことだと思います.学会開催で一番大事なことは事務局長のMotivationとAbilityにあることは論を待たず,私に功績が有るとしたら,間違いなく事務局長を自分で引き受けず,O先生を推薦したことにあると思います.誰もが予想もせず,そしてとても不幸なことに,田野先生が2009年1月に急逝された時,「熟練の棹使いの船頭が突如いなくなった天竜下りの船のような状況!この先の急流難所即ち5年後のWOCはどうなるんだろう?」と思った訳ですが,その次に思ったことは「事務局長をもし受けていたら,自分も死んだな」でした.AsiaでWOCが行われる時は,APAOを併催することが決まっており,自然第29回APAO2014は東京でやることになりました.APAOは1958年のブリュッセル(第1回と同じ)での第19回WOCの際に設立が合意され,1960年に第1回がマニラで,1991年第13回は三島東大名誉教授会長の下,京都で開かれています.当時はまだ日本はAsiaでは大きあたらしい眼科Vol.31,No.9,20141315な顔をできていたはずですが,23年後の今は違います.また,近場ということもあり,当然APAO諸国からの出席は当てにしなければいけません.今度WOCのプログラム委員長が,APAOのSecretaryGeneralである香港のクレメント・タム(譚智勇)になったことからもわかるようにAPAOのレベルアップ(勢力拡大)は目覚ましいものがあり,日本がAPAOの中で重んじられないようなら世界で重んじられるということはあり得ないという事実を認識せざるを得ません.終わってしまえば,過去の一事象にすぎませんが,今回のWOC/APAO2014の「HugeSuccess」を当初の目的通り,これからの日本の眼科にどう生かすか,すなわち,どのように国内的に役立てるか?日本の国際的presence向上にどう寄与させるかが今後の課題とし残っています.しかし,「今回のHugeSuccess」は,のこれら課題遂行に対しての大きな自信となったと思います.1316あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(68)
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2014年9月30日 火曜日
〈特別企画〉監修小椋祐一郎木下茂WOC2014を終えて日本の力を世界に示したWOC2014WorldOphthalmologyCongressR(WOC)2014,無事に終えることができました.多大なご支援とご協力をいただいた先生方および関係の皆様に厚くお礼を申し上げます.約2万人(135カ国)という,予想を遙かに超える多数の方々にご参加いただきました.これは,WOCとして過去最大であるだけではなく,日本で行われた医学関係の国際学会でも最大,さらには医学のみならずすべての分野を含めても,単一の会で最大の規模ということです.過去のWOCの参加者数は概ね1万人程度で,2008年香港の1万3千人というのがこれまでの最大でした.今回は島国・日本での学会であり,また福島原発事故の影響が心配される時期であったため,1万2千人を目標として計画を立てました.そこに約2WOC2014会長大鹿哲郎(筑波大学)万人の方においでいただいたのですから,嬉しい悲鳴です.ネームタグやプログラム,コングレスバックなど,あらゆる物が不足しました.ご不便をお掛けした先生にお詫び申し上げます.参加者数だけでなく,内容や質についても最大級の賛辞をいただきました.今まででベストのWOCである,これまで参加した中で最高の学会である,といった嬉しい声が我々の元に数多く届けられています.まさに,日本の力を世界に示したWOCといっていいでしょう.運営に関しては,細部に対する心配りや,きめの細かさという点で,日本に比肩する国はありません.正確・確実な学会運営は,我々が最も得意とするところです.プログラム内容に関しては,ICO学術委員会と日本人を含むコーディネーターが協力し,素写真1オープニングセレモニーでの挨拶(65)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413130910-1810/14/\100/頁/JCOPY写真2皇太子殿下のスピーチ晴らしいものを作ってくれました.学会場の広さや便利さというハード面では,海外に比べて我々は圧倒的に不利です.物価も決して安いとはいえません.その中で,なぜこれだけ成功したのか.それは我々が日本人であるからだと思います.すなわち,日本人の勤勉さ,実直さ,細部へのこだわり,おもてなしの心,優しさ,遵法精神がダイレクトに参加者に伝わったのでしょう.各種行事の中で特筆すべきはやはり,オープニングセレモニーです(写真1).皇太子殿下のご臨席を賜り,荘厳な中にも華やかに行われました(写真2).日本の伝統文化と最新テクノロジーの両者を含む“クール”な映像をふんだんに使用しました.海外の方にはもちろん,日本人にも日本の良さを改めて感じていただけたのではないでしょうか.日本の眼科が世界に果たしてきた功績を紹介し,最後には老眼科医が未来の眼科医にバトンを繋ぐ過程を描くオリジナル映画を公開しました.映画には多くの観衆が真剣に見入り,終了後には涙を流している方も少なくありませんでした.また,JapanNightにも実に多数の方々がご出席くださいました(写真3).1978年の京都国際眼科学会に出席された先生方は,素晴らしい学会だった,いろんな人に会えたと,36年経った今でも嬉しそうに懐かしそうに語ってくれます.WOC2014に出席された先生方にも,これから将来にわたって,今回の経験を後輩達に語り伝えていただければと思います.写真3JapanNightでの乾杯1314あたらしい眼科Vol.31,No.9,2014(66)
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2014年9月30日 火曜日
人人の時東邦大学医学部眼科学講座(大森)教授ほりゆういち堀裕一先生東邦大学医学部は来年創立90周年を迎える.前身の帝国女子医学専門学校時代からの伝統は眼科学教室にも脈々と受け継がれ,歴代教授には大岡良子,河本道次,松橋正和,杤久保哲男といった錚々たる名前が並んでいる.その東邦大学医学部眼科学教室(大森)の新教授に本年4月に就任したのが,大阪生まれで大阪大学医学部出身の堀裕一先生(45歳)である.*堀先生は京都の洛星高校から大阪大学に進学し,1995年同大医学部卒業後,故・田野保雄教授の主宰する大阪大学眼科学教室に入局した.専門分野は「その頃に多くの角膜疾患患者の主治医になった関係で興味をもった」ことから,角膜疾患,とくに角膜移植である.2001年から3年間在籍したHarverd大学Schepens眼研究所では,IleneGipson教授のもとで「眼表面におけるムチン発現」をテーマに基礎研究に打ち込み,これがライフワークとなった.帰国後は大阪大学に戻り,西田幸二先生(現・大阪大学眼科学教授)のもとで培養口腔粘膜上皮シート移植の臨床研究を,前田直之先生のもとで角膜内皮移植術(DSAEK)を手掛けるなど,臨床と研究の両面で研鑽を積んだ.2009年,同大の前野貴俊先生が東邦大学医療センター佐倉病院(千葉県佐倉市)眼科教授に就任したのを機に,一緒に同病院に移った.ここで約5年間,角膜外来の立ち上げや角膜移植のシステムの構築などに携わったことで,同大の医師だけでなく,関東一円に人脈が広がったという.とくに竹内忍・同大佐倉病院初代眼科教授の存在が大きく,「竹内先生は田野保雄先生の大親友でいらしたご縁もあって,ことあるごとに声をかけていただき,多くの先生方をご紹介いただきました」.また,前野貴俊・現教授からは「自分のもつ知識のすべてを後進に伝えるべく指導する姿を学び,教育の重要性を再認識しました」.*東邦大学医療センター大森病院は東京都大田区にあり,地域の眼科医療の中心として緑内障,網膜硝子体疾患,水晶体疾患,小児眼科など幅広い分野に対応している.年間手術件数は約1,500件.堀先生の赴任以降は角膜・前眼部の診療も本格的に始動し,本年7月からは本格的に角膜移植手術を行えるようになった.そのため,現在,手術紹介の患者さんが急増しているそうである.堀先生は大森教室を主宰するにあたって,3つの目標を掲げた.「明るく楽しい眼科」「皆様に愛される眼科」「情報を発信できる眼科」である.この目標には,「医局員だけでなく,眼科に携わるスタッフ全員が幸せに毎日を過ごせるように環境を整えることが私の使命だと思っています.それにより,大学病院として患者に良質の医療を提供することが可能となり,社会に情報を発信できると考えています」という堀先生の気持ちが籠められている.また,東邦大学眼科全体の教育方針について,「東邦大学には3病院があり,大橋病院(東京都目黒区)の富田剛司教授は緑内障,佐倉病院の前野貴俊教授は網膜硝子体,それに大森病院の私が角膜と,教授の専門が分かれていますから,今後は3病院で充実した研修システムを構築し,人事交流を積極的に行いながら,視野の広い,高い志をもった若手眼科医を育成していきたいと考えています」と抱負を語ってくれた.*中学高校時代は野球部,大学時代はボート部とずっと体育会系だったという堀先生だが,「今はもっぱら見る方に専念しています」.普段はテレビ観戦だが,昨年のシカゴのAAOでは,シカゴブルズの試合に足を運んだそうだ.「ただ,これからは体力勝負の仕事なので,なにかスポーツをはじめようと思っています」とのこと.一層パワーアップされた堀先生の縦横の活躍が期待される.(63)あたらしい眼科Vol.31,No.9,201413110910-1810/14/\100/頁/JCOPY
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