———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.24,No.2,2007???私が思うこと●シリーズ③(77)はじめにこのコーナーは好きなことを書いてよいということでしたが,あまり眼科に関係ないことを書いても,今後「あたらしい眼科」から永遠に執筆依頼がこないような状況も予想され,やはり眼科に関係のあることで私が思うことを書かせていただこうと思います.私は,2000年8月にマイアミ大学バスコムパルマー眼科研究所に留学させていただきました.指導教授はSCGTseng先生で,当時東京歯科大学の坪田一男先生の親友というご縁で話がまとまりました.Tseng先生とコンタクトをとらせていただいたのはその2年くらい前で,坪田先生の命により,学会で日本を訪れたTseng先生を成田にお迎えにあがったのが最初でした.東京までの車中1時間ほど,私がほとんど英語をしゃべれない状態であったため,かなりつらい状況が予想され,事実まったくそうでしたが,Tseng先生の,わかりやすい英語での,「英語なんて通じなくても心配ない!研究なんて今の段階でできなくてもまったく問題ない!!」という力強いメッセージ,お人柄に引き込まれTseng先生の下で勉強したいと強く思うようになりました.そしていよいよ留学させていただくことになったわけですが,「英語が通じなくても心配ない!」ということは実際には間違いであると気づかされました.さらに日常生活ではスペイン語がちょっとできないと買い物などで困ったりもしました.しかし親切な人が多く,ありがたいことに言葉が通じなくてもなんとか仲間に入れてもらうことができました.そして少しずつ生活のセットアップをしつつ研究室での生活が始まることになりましたが,「研究なんてできなくてもまったく問題ない!!」ということもやはり誤りでした.当時Tseng先生のラボは,羊膜・角膜幹細胞研究に非常に力を入れており,先任のproductiveな研究者たちに追いつくのは至難のことと思われました.おもにヨーロッパ,イスラエルや南米からきていた仲間ですが皆,素晴らしい友人です.そこで私は何をしていたかというと,最初の1年は朝から深夜までラボにいるにはいましたが,なにも生産的なものはなかったような気分になり非常に落ち込んでいました.土地柄でしょうか,臨床系の医師やproductiveな研究者たちも,「暗くなると0910-1810/07/\100/頁/JCLS後藤英樹(?????????)鶴見大学歯学部眼科学講座角膜カンファランスの雰囲気に惹かれて臨床・研究を続けています.涙液とマイアミビーチが大好きです.ちなみに私が育った藤沢市はマイアミビーチ市と姉妹都市で,鵠沼海岸は東洋のマイアミビーチとよばれています!?(後藤)涙液とマイアミビーチ図1バスコムパルマーでのTseng教授とFellowたちとのひとこま昔の写真を引っ張り出してきました.懐かしい!感慨を覚えます.バスコムパルマーではよくこのような会が催されておりました.この頃は,私の思い込みによるものか,不完全な英語習得によるものか,とにかく勘違いで,アメリカでは相手を?rstnameで呼ばなければ失礼にあたると強く思いこんでおり,Tseng教授を“Sche?er”と呼んでしまっていたり,Tseng先生と坪田先生が一緒にいらっしゃるところでは,こともあろうに坪田先生を“Kazuo”と呼ばせていただいてしまったりして,英語ってヘンな言語だなと思っておりました.後にヘンなのはぼくの英語であることが判明して焦りました.(マイアミでは床屋さんに苦労し,この頃とても長髪になっています.)———————————————————————-Page2???あたらしい眼科Vol.24,No.2,2007危ない!」といって夕方には帰宅していましたが,そうした状況のなかでも日曜日にはFMann先生のラボ仲間(邱彗先生など)とミニサッカーをしたり,Martin先生と格安ゴルフに行ったりしました.そのうち残念ながら,私は足を患いスポーツはあまりできなくなってしまいました.その後,それまでは単身留学でしたが,現静岡赤十字病院医長の許斐健二先生の結婚式に招かれ帰国したときに,今度は家族を伴って再びマイアミに戻りました.そこでゴージャスなNorthBeachのコンドミニアムから,ショボいSouthBeachのアパートに移りました.家族に評判は悪かったのですが,これがマイアミの生活を楽しむうえでなかなかよかったのです.マイアミビーチマイアミビーチ市はマイアミ本土から橋を渡ったところにある島です.ARVO(AssociationforResearchinVisionandOphthalmology)が毎年開催されるFortLauderdaleからは車で南に1時間ほどであり,ARVOに行かれる際には足を伸ばしてみることをお勧めします.表参道,六本木,江ノ島を足して3で割ったようなイメージの町です.ラテンアメリカ,ヨーロッパ,北米のテイストが混ざっています.OceanDriveとLincolnRoad(ここに住んでいました)が中心街です.ラボとの往復に明け暮れていた私もせっかく留学したマイアミの雰囲気を楽しもうというムードが盛り上がってきました.残念なことに,危険なところとのイメージが強いせいか,日本人はあまり住んでいませんでした(少なくとも最近は,気をつければあまり危険でないと思います).ここで生活スタイルを少し変えてみました.夕食を家族と食べることにしたのです.これは非常に新鮮でよい習慣でした.そして,夕食後家族でLincolnRoadに散歩がてらコーヒーでも飲みに行くことにしたのでした.コーヒーはアイスクリームでもいいわけですが,とにかくoutgoingな変化であり,SouthBeachの雰囲気を満喫できました.CubanCaf?によくいっていましたが,ラジオでかかっていたサルサと,あのCafeconLecheの味は忘れられません.そしてさらなる生活の変化としては,8時ごろ家族を家に送って行き,私は再び夜のビーチに旅立つのです.マイアミビーチではあちこちのカフェで勉強している人が結構いるのです.ScienceCaf?どころの騒ぎではありません.電源がとれて,BGMがうるさくないお店を探します.コーヒー一杯で粘ります.机にある程度長い時間座っているという状態が,良くも悪くも臨床漬けであった日本での状況とギャップが大きく,新鮮でした.眼科の患者さんや研究のこともいろいろ考えましたし,帰国したらどのような構想で自分のアイデアを実現していこうか?などの夢想をする時間ももてました.今だから白状いたしますが,ほとんど読んだことのなかった英語の論文もなんとか通読できるようになりました(大学の眼科図書館の司書のおばさま,お姉様方にも感謝!).ほとんど物書きをしたことがなかった私も少しずつ書くことに慣れていったようです.Tseng先生はいつも唱えておられました.Writeeveryday!またThink,otherwiseyouare?nish!とも.細かい指示はよく理解できなかったこともありましたが,これらのストレートなメッセージはうなされるほど強烈でした.昼食時などには留学生仲間といつもTseng先生のものまね大会で盛り上がりました.用法としては,“Let?sgoouttoArgentinaRestaurant,OTHERWISEYOUAREFINISH!”などです.子供が地元のナーサリースクールに通っていたため,家族にはそれなりにお友達ができていたようで,町で会うと楽しそうにしていました.公園などでも仲良くしてもらっていました.はっきりいってジモティー度は私より高く,少しうらやましかったくらいです.マイアミ大学に勤務・留学されていた日本人の先生方,企業駐在員の方々との交流も楽しかった日々として思い出されます.(78)図2マイアミビーチの風景SouthBeach,LincolnRoadのVanDykeCaf?です.いい雰囲気です.日本でも今後もぜひoutgoingしていきたいと思います.———————————————————————-Page3あたらしい眼科Vol.24,No.2,2007???訪ねてきてくれて行方不明になったり,ダウンタウンで迷子になったりした人騒がせな学友たちにも,夢にまで見たメーヤウのおみやげカレーを持ってきてくれたので感謝でした.Tseng先生宅でのホームパーティーや,連れていっていただいた在マイアミの台湾系の方々のクリスマスパーティーも忘れ得ぬ思い出です.マイアミの奇跡“マイアミの奇跡”は,一般的には,1996年アトランタオリンピック・男子サッカー第一次リーグにおいて,日本代表がブラジル代表を1対0で下した試合の日本における通称ですが,私たちの間ではマイアミに留学して無事に帰国すると“奇跡”だと称してふざけあっています.バスコムパルマー眼科研究所が眼科界では世界的に有名な施設であるため,私たちの身近でも多くの先生が留学されています.最近では私のほかに吉野健一先生,大高功先生,川北哲也先生,松本幸裕先生などがいらっしゃっています.大抵ちょっとしたトラブルを経験しているようですが,皆“奇跡的”に無事に帰ってきたと,集まると大概そういう話題になって盛り上がります.NeuroanatomicIntegrationofOcularSurface;眼表面の神経解剖学的統合話は急にかわりますが,眼の乾きとは,涙の供給が足りないか,喪失の過剰により,潤い不足である状態と思われます.これらが眼の乾き症状をひき起こし,病気になるとドライアイとよばれています.ドライアイにはさまざまな病態があり,その病態にアプローチする方法はいくつかあると思います.個人的に最もピンときているのがTseng先生の“neuroanatomicintegrationofocu-larsurface”の説明です.この説明では,この眼の湿潤を維持するシステムを,compositionalfactor(構成要(79)素:涙液の3層構造構成要素である脂質,水成分,ムチン,それぞれの分泌組織,分泌刺激,神経伝達,大本の神経刺激)とhydrodynamicfactor(動的要素:瞬目,閉瞼それぞれの神経伝達,大本の神経刺激)の双方から考えるものであり,眼の乾燥がある場合,どこが障害されているかを考える助けとなるものです.ドライアイおよび眼の乾きの病因,原因を探るのに非常に有用な考え方だと思っております.この考え方と,東京歯科大学で坪田先生を中心に教えていただいたドライアイに対しての考え方が合わさって,今の私の考え方の基礎をなしていると思っております.現在,涙液油層,涙液メニスカスともに非侵襲的な評価方法が発展してきており,ムチンに関してもブレークスルーが期待されています.評価が発展すれば,治療にも新しいアイデアが反映されることとなり,ドライアイ診療のさらなる発展が期待される今日このごろです.まとめマイアミビーチと涙液はあまり関係ありません.しかしマイアミで涙液専門の偉大な先生に指導していただき大変勉強になりました!後藤英樹(ごとう・えいき)1970年生まれ1994年慶應義塾大学医学部卒業,眼科学教室入局1996年東京歯科大学市川総合病院眼科2000年マイアミ大学バスコムパルマー眼科研究所留学(SCGTseng教授)2002年OcularSurfaceResearchandEducationFoundation(SCGTseng先生)・マイアミ大学バスコムパルマー眼科研究所(JMParel教授)2003年飯田橋眼科クリニック2004年慶應義塾大学医学部眼科学教室2006年鶴見大学歯学部眼科学講座現在に至る☆☆☆