監修=大橋裕一連載.MyboomMyboom第45回「江口洋」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)連載.MyboomMyboom第45回「江口洋」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)自己紹介江口洋(えぐち・ひろし)近畿大学医学部堺病院所属,眼科20年目私は1995年に徳島大学医学部を卒業し,すぐに徳島大学眼科学教室に入局しました.豪州留学から帰国した2003年以後は前眼部専門医をしています.今春,大阪の近畿大学医学部堺病院に異動し,臨床8割・基礎研究2割のclinicianscientist生活を満喫しつつ,週末に子供たちと一緒に愛犬の世話をして癒されています.医局の偉大な先輩私が入局する前の徳島大学眼科には,眼感染症の権威であった三井幸彦先生や内田幸男先生がご在職でした.入局当時は三村康男先生が教授,のちに教授になられた塩田洋先生が助教授であられました.三村先生も塩田先生も眼炎症・眼感染症分野の権威でしたので,当時の徳島大学眼科は,自ずと眼感染症・眼炎症にうるさい眼科医が育つ医局でした.同時に,医局員の教育体制がきっちりと構築された組織でもありました.おかげで常識知らずの劣等医学生であった小生も,まっとうな社会人,かつ眼感染症にこだわる眼科医に育ててもらいました.医局員として直接指導を仰ぐ機会はありませんでしたが,退官後の三井先生にも少なからず影響を受けました.入局1年目の下半期に,毎週水曜日の外勤先で月に1回だけ三井先生にお会いしていました.手術終了後,外来控え室で1時間以上の有り難いお話を拝聴し,必ず医局会に遅れて帰っていました.三井先生に関しては,同門の先輩達から「怖い・偉い・凄い」先生だったと多くの逸話を聞かされていましたが,同時に名言をたくさん残されたとも聞きました.実際,三井先生が他界された(71)0910-1810/15/\100/頁/JCOPYあとに,同門の先生が三井語録の冊子を作成されていました.わずか半年間(しかも月1回)しかお会いしていなかったのに,入局1年目の私にも記憶に残るお話しを二つしてくださいました(本当はもっとたくさんあったのだと思いますが,不できな1年目の眼科医の記憶に残った話しが2つだけです…).一つは「ペーパードクターになってはいけません」でした.「培養結果を見るだけではダメ.塗抹・検鏡して自分の目で見なさい」との教えです.そしてもう一つが「コリネバクテリウム(コリネ)」でした.「コリネのことを知っていますか?結膜.の培養で必ず5%前後分離されます.培養結果を発表しているのをみたら,コリネの分離頻度をみなさい.その施設の培養の精密度がわかります.まったく分離されていなかったらいい加減ということ.まあでも,コリネは弱毒だから起炎菌にはなりませんよ」でした.きっかけとサポート2003年4月に西オーストラリア大学の留学から帰国した私は,6月から徳島県西部の病院に外勤として行きはじめました.療養型医療施設も併設していたその病院で,とある90代の男性患者に出会いました.白内障術後,数年に渡ってキノロン点眼薬を使用しており,難治性の結膜炎になっていました.眼脂の塗抹像や培養の結果からするとキノロン耐性コリネによる結膜炎でした1).あの偉大な三井先生が「コリネは起炎菌にはならない」といっていたことを思い出し「何かの間違い?いや,もしかしたら稀少な症例では!」との高揚感があったのを今でも記憶しています.そういえば,当時の西オーストラリアではキノロン点眼薬を処方している眼科医はいませんでした.しかし留学前の日本では,すでにキノロン点眼薬が頻用されていました.キノロン偏重の眼科診療が,眼表面に常在するコリネを耐性化させ,キノロン耐性コリネが眼表面の優位菌になり,感染症の起炎菌になりはじめているのではあたらしい眼科Vol.32,No.10,20151443ないか,と勝手に推察し,コリネについて研究しようと決心しました.ですので,コリネの基礎研究は,三井先生の有り難いお話しがきっかけでした.実際に研究するとなった際には,「好きなことやったらエエやん」と優しく説いてくれた三村先生,「必要なものがあったら何でも言えよ」と研究のサポートしてくれた塩田先生の存在が欠かせませんでした.些細な研究結果でも,眼科学の発展にごくわずかに寄与でき,それが直接会えない患者さんへの間接的な医療貢献に繋がる.そのような考え方が継承され,後輩を育て,その後輩がまた眼科学の発展に寄与する仕事をして間接的医療貢献をする,先輩はそれをサポートする.大学は,このような連鎖がなければならないと改めて思います.研究のMyboom今もっともはまっている研究は,「次世代シークエンス技術を用いた臨床サンプルの菌叢解析」です.臨床で実際に出会う感染症には,想像以上に複合感染症が多いと思います.培養で1種のみが報告されたものの,塗抹では複数種の微生物が確認できることがあります(写真1).そんな臨床サンプルの中に,難培養菌や培養不可能菌(viablebutnonculturablebacteria:VNC菌)がいても,培養では報告されません.実際に,眼表面拭い液から細菌のDNAを抽出してシークエンスをしたら,未同定(未分類)菌のDNAがもっとも多く検出されたという報告2)もあります.そのような細菌も含め,ゲノムワイドに多種類の細菌の存在と構成比を把握できる菌叢解析は,これからの感染症診療に大きな福音をもたらすと確信しています.昨今,近畿大学の下村嘉一教授のご高配のもと,香川大学分子微生物学の桑原教授と一緒に実際に臨床検体の次世代シークエンス解析をしています.すると,想像を絶するほど多くの菌のDNAが確認できます.「~~眼内炎」といっても,実は黒幕のVNC菌がいるのではないか,そんな当てのない妄想をしつつ,週1~2日の研究日に(昨今は調節障害と戦いながら)ピペッターやサンプルチューブをいじっています.臨床のMyboomズバリ「手術」です.今春,近畿大学医学部堺病院に異動しましたが,そこで日下俊次教授の手術をみて衝撃を受け,これまでの自分の手術を見直す決心をしました.自分では,難治例も含め白内障手術は完成していると思っていましたが,それが高慢であったこともわかりました.もっとも得意とする角膜移植でも,以前は慣れ1444あたらしい眼科Vol.32,No.10,2015写真1「本当にそれだけ?」発熱と咳がひどかったときの私の喀痰グラム染色像(×1,000)です.7~8種類の細菌がいますが,培養で報告されたのは肺炎球菌のみでした.た環境で最高の(あるいはそれに近い)結果を出していたつもりですが,異動後の慣れぬ環境で実施してみて,実は以前の環境に自分が慣らされていただけで,環境改善の努力を怠っていたのではないか,と考えるようになりました.全国一円から(たまに海外から)紹介されてくる網膜・硝子体疾患の難症例を受け入れ,easycaseはあっという間に,でも難症例には労をいとわず手術をされている日下教授の姿に,40代後半になって「ophthalmicsurgeonとは」と改めて考え直す日々を送っています.次回の担当は,徳島大学眼科学分野の宮本龍郎先生です.宮本先生は,徳島大学の角膜外来を担当しておられる徳島大学のホープです.臨床・研究・教育にご多忙をきわめておられると思いますが,そんなバリバリの若手眼科医のMyboomには,かつての上司としても興味津々です.宮本先生,よろしくお願いします!文献1)EguchiH:OcularinfectionscausedbyCorynebacteriumspecies.In:Infectioncontrol(SilpiBasaked.),p75-82,Rijeka,InTech,20132)DongQ,BrulcJM,IovienoAetal:Diversityofbacteriaathealthyhumanconjunctiva.InvestOphthalmolVisSci52:5408-5413,2011注)「Myboom」は和製英語であり,正しくは「Myobsession」と表現します.ただ,国内で広く使われているため,本誌ではこの言葉を採用しています.(72)