雲井弥生連載⑬二次元から三次元を作り出す脳と眼淀川キリスト教病院眼科はじめに腹側経路では形態視情報,背側経路では空間視情報を扱うため,それぞれの障害で表れる病状はかなり異なる.前者では失認,後者では失行という形をとる1)(連載⑫参照).1960年代の記録を元にした書籍『先天盲開眼者の視覚世界』には,先天性白内障や角膜混濁のため重度の弱視となった患者が,成長後に手術を受け視覚訓練で苦悩する様子が描かれている2).失認や失行に似た症状が記され,正常な視覚が働くために脳がどのような力や機能を獲得する必要があるか考えさせられる.視覚失認・視覚失行脳血管障害や脳腫瘍の際の臨床症状やCT・MRI画像,動物の脳の局所的な破壊実験から,失認・失行の病態が明らかとなってきた(表1).腹側経路の障害では形態視が影響を受ける.物を見てその名前や特徴が認識できなくなるが,その操作はできる.ハサミや電話を見てもそれがなにか認識できないが,ハサミを触ったり電話の音を聞いたり,触覚や聴覚などほかの感覚を使えば認識できる.このように視覚によって物を認識できない状態を視覚失認とよぶ.眼から入った情報と脳に蓄積された視覚記憶とをマッチさせられなくなるためである.背側経路は正常なので,物の操作や絵の模写は可能である.障害部位によっては家族や知人の顔,鏡に映る自分の顔がわからなくなる相貌失認という病状が起こる.動物実験ではV4の破壊で形の弁別や恒常性(形・大きさ・色)が障害される.図1ではV4破壊後のサルで形の恒常性が障害された例を示す3).中央と同じ形の図形を選ぶ課題で,大きさが同じであれば右下の円を選べる場合(図1a)でも,大きさが変わると選べなくなる(図1b).下側頭葉の破壊では形の弁別のほか,形を見て記憶するのが困難になる.背側経路の障害では空間視が影響を受ける.眼前の物の名前や特徴はわかるのに操作ができなくなる.鍵を鍵穴の向きに合わせて差し込んだり,郵便ポストに手紙を投函するためスリットの向きに手紙を合わせたりするような手や指の操作ができない.視覚情報に基づく手や指の制御ができない.これを視覚性運動失行とよぶ.その他,距離や奥行きの判断ができなくなることもある.動物実験ではV5/MTの破壊により動きの方向の判断が困難になる.失認・失行は脳局所の後天的な障害で起こるのだが,幼少時に中間透光体の混濁などで視覚が育たず,成長後表1腹側経路と背側経路の障害の比較腹側(側頭葉)経路背側(頭頂葉)経路機能形態視空間視部位V4下側頭葉V5/MTV5A/MST後頭頂葉障害による臨床症状視覚による認識物の操作や模写視覚失認相貌失認×触覚や聴覚での認識可能〇視覚性運動失行〇×視覚に基づく手や指の制御が困難×距離や奥行きの判断が困難動物実験(脳局所破壊)V4破壊形弁別×形・大きさ・色の恒常性×下側頭葉破壊形弁別×視覚記憶×V5/MT破壊動きの方向の判断×(87)あたらしい眼科Vol.34,No.6,20178450910-1810/17/\100/頁/JCOPYabV4を破壊されたサルでも,中央の円と同じ大きさ・形の右下の円を選ぶことができた.同じサルで,中央の円の大きさが変わると右下の円を選べなくなった.図1図形の弁別課題(形の恒常性)に手術を受け視覚訓練を受ける患者にも同様の症状が認められる.『先天盲開眼者の視覚世界』「新生児の両眼に白内障や角膜混濁など中間透光体の混濁を見つけたら,3~4カ月以内に手術をして視覚刺激が網膜に届くようにしなければならない.そうでないと視力が育たずに弱視と眼球振盪を残してしまう」筆者が研修医だった1980年代,このように指導を受けた.この事実の確立には多くの研究の蓄積が必要だった.1960年代に先天性白内障や角膜混濁のために眼前光覚弁あるいは手動弁など,ほとんど視力のない人たちに対して,少しでも視覚をと試みられた開眼手術もその一つである.幼少時に異常を発見されても当時まだ手術が困難で,そのまま成長し10~30歳で手術を受けた10人の患者の視覚訓練に苦悩する様子が前掲の『先天盲開眼者の視覚世界』2)に記されている.まず形態視についてである.手術後は光がまぶしいだけで,網膜に映るようになった外界の情報は洪水のようなものでしかなく,それを聴覚や触覚など日頃使っている感覚によって認識している物と一致させることはできなかった.具体的には目の前のハサミや時計を視覚だけでは認識できず,ハサミに触れ時計の音を聞いて聴覚や触覚などこれまでの情報源を用いて初めて認識できた.視覚失認と似ているが,こちらは視覚記憶の蓄積そのものがない状態である.形の弁別訓練では,円と正三角形の区別がむずかしいが,円と正方形ではさらに困難となる(図2a).眼を図形のすぐ近くまで近づけて,円や三角形や正方形などの輪郭にそって,まるで指でなぞっていくように,頭を動かしてたどり,角があるかないか,846あたらしい眼科Vol.34,No.6,2017ab平面図形立体図形円と正方形の区別がむずかしい!円柱と円錐の区別がむずかしい!図2重度弱視患者の手術後の視覚訓練あるとすればいくつあるかなど特徴的な部分を探してようやく図形を見分けられる.同じ形であっても,大きさが変わると認識がむずかしくなる(形の恒常性が弱いことを示す).立体図形はさらに難度が上がる.たとえば円柱と円錐の区別がむずかしい(図2b).「手で触れればすぐに分かる,その円錐のトンガリが眼では探し当てられないのです.平面図形はどこから見ても同じ形なのに,立体は見る位置によって形が違うから…」というコメントに,無限に形を変える立体に難なく対応する脳の力をあらためて再認識させられる.次に空間視について,方向や距離を視覚でとらえたり,物を操作したりするのが困難な様が記される.「声を手がかりにして室内(6~8畳)にいるひとの識別や人数の確定を行うことはできるが,同じ部屋の中に立っているひとの位置を視覚で定位したり(筆者註:網膜に映っている場所から実際の空間の位置を定めるという意味),適切な距離から物を手渡すというようなことができなかった.机(90cm×90cm)の上で前方30cmの距離に3個の立方体を横に並べておく,あるいは,それらを前方30cm以内の種々の奥行き距離に置くといったごく限られた探索空間においても,提示された立方体を正確に定位してそれを手でつかむことは困難であった」正常の視覚には腹側経路・背側経路両方の機能が必要であること,成長期に両者を発育させるためにさまざまな視覚刺激が必要であることを示している.文献1)藤田一郎:第2章知覚と行動のつじつま.「見る」とはどういうことか─脳と心の関係をさぐる,p28-61,化学同人,20072)鳥居修晃,望月登志子:先天盲開眼者の視覚世界.東京大学出版会,20003)ScillerPH:E.ectoflesionsinvisualcorticalareaV4ontherecognitionoftransformedobjects.Nature376:342-344,1995(88)