特集●水晶体を科学するあたらしい眼科31(10):1443~1448,2014特集●水晶体を科学するあたらしい眼科31(10):1443~1448,2014老視の予防および治療法の探索ResearchforthePreventionandTreatmentofPresbyopia樋口明弘*坪田一男**はじめにわが国では社会の高齢化が進んでおり,平成26年の厚生労働省の報告では,平成24年における65歳以上の老年人口割合は24.1%となっている.今後も老年人口割合は増大することが予測されており,眼科領域においても,加齢に伴う視機能低下の問題は重要な課題となっている.加齢による視機能低下の例として老視があげられる.老視は水晶体の弾性消失による調節力の低下が原因であり,疾患などによる影響はあるが,誰にでも起こりうる現象である.そのため,社会全体で考えたとき老視の影響は非常に大きなものとなる.筆者らは水晶体弾性変化を中心に老視発症機序を明らかにし,老視予防,治療薬の開発に取り込んでいる.I水晶体ヒト水晶体は直経9mm,厚さ4mm程度の凸レンズ状で,約1,000層の細胞からなる,ほぼ無色透明の組織である.水晶体の成分は,およそ1/3が蛋白質,2/3が水であり,その他1%程度のミネラルを含む,ヒトの中でもっとも蛋白質の多い組織の一つである.主要な蛋白はa,b,およびgの3種類のクリスタリンであり,重量比で1/3~1/2を占めている.a-クリスタリンが最も多く含まれ,シャペロン機能をもつことが知られている.水晶体は,上皮細胞が合成したコラーゲンなどで構成される水晶体.に包まれている.角膜側の前.の下に一層の上皮細胞が存在している.上皮細胞は赤道部まで続き,そこから内部に移動している.水晶体中心部への移動に伴い,核やミトコンドリアなどの細胞小器官は消失し,水晶体線維となっていく1).図1はラット水晶体のヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色)写真である.ヒトと同様に核を有する一層の上皮細胞と,核などを失い水晶体線維となった細胞が観察される(図1a,b).また,赤道付近では内部に移行する上皮細胞が散見される(図1c).水晶体の透明性を保つために,水晶体を構成する細胞は規則正しく並んでおり,細胞内器官も消失している.この細胞内器官の消失にはアポトーシスが関与している.水晶体細胞は細胞分裂により新しい細胞に置き換わることはほとんどなく,細胞内器官ももたないため,水晶体の組織修復性はきわめて低く,水晶体蛋白の再生産も起こらない.このため,水晶体蛋白の変性は経年的に蓄積され,クリスタリンの異常なジスルフィド結合の形成,アスパラギン酸のラセミ化などにより,クリスタリンの会合が生じ2),老視,白内障の要因である,水晶体弾性の低下,透明度の減少が引き起こされることになる.II老視診断法老視診断は,現状では視力表などを用いた自覚的検査に頼っており,客観的評価が困難であることが問題とな*AkihiroHiguchi:慶應義塾大学医学部総合医科学研究センター**KazuoTsubota:慶應義塾大学医学部眼科学教室〔別刷請求先〕樋口明弘:〒160-8582東京都新宿区信濃町35慶應義塾大学医学部総合医科学研究センターe-mail:ahiguch@z6.keio.jp0910-1810/14/\100/頁/JCOPY(21)14431444あたらしい眼科Vol.31,No.10,2014(22)このシステムは開発中であるため,老視予防,治療薬の開発のためのツールとして用いることはできない.そのため,現状では水晶体弾性を電子天秤とハイトゲージを組み合わせたシステム(図2)で測定している.III老視モデル動物老視予防,治療薬の開発のためには,老視モデル動物が必須である.ラットやマウスなどの加齢動物を用いることは,研究に必要な数を確保することに多大な労力が必要となる.老視と白内障は,いずれも発症に水晶体蛋っている.筆者らは理化学研究所らとの共同研究により,老視の客観的診断システムを開発中である.このシステムの原理は,水晶体に対してレーザー光を照射して発生する弾性波を測定し,弾性波より老視指標となる水晶体弾性を定量的に算定するものである.この測定系は水晶体弾性を非侵襲的に定量測定することができるため,ヒトだけでなく実験動物に対しても適用することが可能であり,老視予防,治療薬の開発に有用である.abc図1ラット水晶体のヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色)写真水晶体(前眼部)の画像(図1a)および高倍率画像(図1b).水晶体(赤道部)の画像(図1c).ヘマトキシリンによって細胞核が,エオジンによって細胞質が染色されている.a図2水晶体弾性測定システムシステムの全体写真(図a).摘出した水晶体を電子天秤上のシャーレに置き,ハイトゲージの先端部を水晶体に接する(図b).天秤およびハイトゲージの目盛りを0に合わせる.ハイトゲージを水晶体の厚みの10%程度動かし,水晶体に負荷をかけ,負荷による電子天秤の数値変化を測定する.変化した電子天秤の値をハイトゲージの数値で割り,水晶体弾性値とした.babc図1ラット水晶体のヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色)写真水晶体(前眼部)の画像(図1a)および高倍率画像(図1b).水晶体(赤道部)の画像(図1c).ヘマトキシリンによって細胞核が,エオジンによって細胞質が染色されている.a図2水晶体弾性測定システムシステムの全体写真(図a).摘出した水晶体を電子天秤上のシャーレに置き,ハイトゲージの先端部を水晶体に接する(図b).天秤およびハイトゲージの目盛りを0に合わせる.ハイトゲージを水晶体の厚みの10%程度動かし,水晶体に負荷をかけ,負荷による電子天秤の数値変化を測定する.変化した電子天秤の値をハイトゲージの数値で割り,水晶体弾性値とした.bあたらしい眼科Vol.31,No.10,20141445(23)ことが必要となった.これまでの研究により,喫煙行為が白内障および老視発症のリスクファクターであることがわかっているため5,6),ラットをタバコ主流煙に対して曝露することによる水晶体弾性への影響を検討した.ラット主流煙曝露系は,タバコ主流煙全身曝露の生体に対する影響を検討白質の変性が関与し,両者の発症には相関関係があるため3,4),比較的容易に入手可能な白内障を伴う糖尿病モデルラットを検討することにした.日本クレアが供給しているSDTラットを用いて,血糖値上昇確認後,正常ラットと水晶体弾性を比較検討したが,差違は認められなかった.このため他の方法を用いてモデルを作製する図3タバコ主流煙曝露システム実験には7~8週齢のSDラット雄を用いた.実験用に作製したチャンバー内にラットの入ったケージを入れ(図a),主流煙をシリンジに吸入し(図b),チャンバー内に注入した(図c).主流煙は1回に300ml注入し,30分後にさらに300ml注入した.注入は1日6回,曝露時間は1日あたり3時間とした.曝露中,ポンプを使用してチャンバー内に新鮮な空気を送った.曝露は12日間連続して実施した.abc非曝露主流煙曝露**■非曝露■主流煙曝露■非曝露■主流煙曝露3.02.52.01.51.00.50.020151050035035DayDayFluoresceinScoreTearVolume(mm)図4タバコ主流煙曝露による影響ラットに対する主流煙曝露処理により,角膜障害および涙液量低下が生じた.これらは経時的に変化し,5日間の曝露で非曝露群に対して有意な差が生じた.有意差検定にはDunnett法を用いた(*:p<0.05,mean±S.D.,n=6).図3タバコ主流煙曝露システム実験には7~8週齢のSDラット雄を用いた.実験用に作製したチャンバー内にラットの入ったケージを入れ(図a),主流煙をシリンジに吸入し(図b),チャンバー内に注入した(図c).主流煙は1回に300ml注入し,30分後にさらに300ml注入した.注入は1日6回,曝露時間は1日あたり3時間とした.曝露中,ポンプを使用してチャンバー内に新鮮な空気を送った.曝露は12日間連続して実施した.abc非曝露主流煙曝露**■非曝露■主流煙曝露■非曝露■主流煙曝露3.02.52.01.51.00.50.020151050035035DayDayFluoresceinScoreTearVolume(mm)図4タバコ主流煙曝露による影響ラットに対する主流煙曝露処理により,角膜障害および涙液量低下が生じた.これらは経時的に変化し,5日間の曝露で非曝露群に対して有意な差が生じた.有意差検定にはDunnett法を用いた(*:p<0.05,mean±S.D.,n=6).25μm25μm表1主流煙曝露による水晶体遺伝子発現変動GeneCyp1a1Cyp1b1Gstm1Gstm2Gpx1ΔCt非曝露16.51±0.8315.08±1.195.78±0.375.83±0.235.39±0.27主流煙曝露14.30±0.5016.74±1.143.63±1.565.33±0.494.81±0.32発現変動(曝露/非曝露)4.60.34.41.41.5GeneGpx4Hmox1CryaCrygΔCt非曝露4.87±0.185.43±0.77.6.21±0.22.6.16±0.27主流煙曝露4.04±0.294.42±0.53.6.99±0.10.6.96±0.08発現変動(曝露/非曝露)1.82.01.71.7主流煙曝露処理後,水晶体よりRNAを抽出し,TaqManプローブを用いたリアルタイムRT-PCR法により,遺伝子発現解析を実施した.各サンプルおよび内部標準であるグリセルアルデヒド3リン酸脱水素酵素(GAPDH)のCt値を測定し,ΔΔCt法を用いて発現変動を解析した.発現変動比は非曝露時の発現量を1とした(mean±S.D.,n=6).ΔCt値は小さいほど発現量が大きい.ΔΔCt法の詳細についてはメーカーサイト参照.https://www.lifetechnologies.com/content/dam/LifeTech/migration/jp/filelibrary/pdf.par.98970.file.dat/sds077a1303ob-qpcr-handbook-hb-68.pdfCyp1a1:CytochromeP4501A1,Cyp1b1:CytochromeP4501b1,Gstm1:GlutathioneS-transferase(GST)μ1,Gstm2:GlutathioneS-transferaseμ2,Gpx1:Glutathioneperoxidase-1,Gpx4:Glutathioneperoxidase-4,Hmox1:Hemeoxygenase-1,Crya:a-Crystallin,Cryg:g-Crystallin.するために開発された実験系で(図3),筆者らの研究により角膜障害および涙液量低下を伴うドライアイを発症することが示されている(図4)7).このモデルでは角膜上皮および涙腺における酸化ストレス上昇が観察され,酸化ストレスが障害に関与していると考えられる(図5)7).白内障発症における水晶体蛋白変性も酸化ストレ非曝露主流煙曝露CYP1A1角膜上皮8-OHdG図5角膜免疫染色写真主流煙曝露処理後,眼球を摘出し,凍結切片を作製した.抗シトクロムP4501A1(CYP1A1)抗体あるいは抗8-OHdG抗体を用いて免疫染色を行った.喫煙により肺などで発現が上昇するCYP1A1の発現上昇が角膜においても確認できた(上段).酸化ストレスマーカーである8-OHdGの上昇が認められた(下段).スと関連しているため8),主流煙曝露処理による水晶体の硬化が期待できた.実際に曝露処理を行って水晶体弾性を測定すると,1週間では影響を与えなかったが,2週間以上の曝露処理を行うと弾性の低下が確認できた.次に主流煙曝露の水晶体遺伝子発現に対する影響をTaqManリアルタイムRT-PCR法を用いて解析した(表1).通常の水晶体では,解毒代謝に関与するCYPは発現量が低いが,抱合反応に関与するGSTの発現は抗酸化に関与するGPxやHmox1と同レベルの発現が認められた.これらに対して,クリスタリンは強く発現していることがわかった.主流煙曝露処理により,角膜と同様にCYP1A1発現が上昇し,主流煙が影響していることが確認できた.同様にGstm1も上昇しており,主流煙曝露に応答していることがわかった.この他に酸化ストレスに応答するHmox1の発現が上昇していた.IV老視予防,治療薬の開発上記の水晶体弾性低下老視モデルラットを用いて,老視予防,治療薬の探索を開始した.これまでの研究から蛋白変性を抑制するもの,抗酸化作用をもつものなどがターゲットとなり得ると予測し,いくつかの化合物の点1446あたらしい眼科Vol.31,No.10,2014(24)OHOHOHHOHOHOCH3CH3OHResveratrolDimethylresveratrolDimethylpiceatannolOHOHCH3CH3OH(R)(DR)(DHR)図6レスベラトロールとその誘導体====1448あたらしい眼科Vol.31,No.10,2014(26)8)CaiS1,FujiiN,SaitoTetal:SimultaneousultravioletB-inducedphoto-oxidationoftryptophan/tyrosineandracemizationofneighboringaspartylresiduesinpeptides.FreeRadicBiolMed65:1037-1046,2013nese:TheBeijingEyeStudy.ActaOphthalmol89:e210-e212,20117)HiguchiA,ItoK,DogruMeta:Cornealdamageandlac-rimalglandsdysfunctioninasmokingratmodel.FreeRadicBiolMed51:2210-2216,2011