JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑯責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑯責任編集浜松医科大学堀田喜裕NEIのこと,JinH.Kinoshita先生のこと樋口真琴(MakotoHiguchi)社会医療法人秀眸会大塚眼科病院理事長・院長1974年北海道大学医学部卒業.北海道大学医学部付属病院医員.1979年国立札幌病院勤務.1980年北海道大学医学部付属病院医員.1981年北海道大学医学部付属病院助手.1987~1989年米国国立眼研究所VisitingAssociate(日本学術振興会─NEI交換留学プログラム).1989年医療法人社団秀眸会大塚眼科病院勤務.理事長・院長,現在に至る.私が大学を卒業した頃は,インターン制度もなく,今のような初期研修もありませんでしたから,卒業するとすぐに眼科に入局しました.北海道大学で12年ほど研修し,臨床にも自信がつき,学位もいただき,そろそろ外の病院に出ようかというときに,何か大学でなければできないことで,やり残したことはないかと考えました.そして,留学をしていないことに気づいたのです.先輩からのコネの留学など,私のような女性に,まして3人の子持ちになどにお声がかかるわけもありません.なんとか自分の力で留学の道をさがそうと考えていたときに,日本学術振興会の長期在外研究員の募集のポスターを見つけました.その募集要項を調べてみましたら,米国の受け入れ先が国立眼研究所(NationalEyeInstitute:NEI)であることがわかり,定員は年にたった一人ではあるけれど,NEIということはきっと医療関係者,とくに眼科医を募集するのだろうから,自然科学一般の研究者を対象にする他の国より競争率が低いのではないかと考えました.「そんなものに応募しても北海道の田舎者にはあたらないよ」とアドバイスしてくださる先輩もいましたが,だめもとで応募してみましたら,その年はよほど応募が少なかったのか合格してしまいました.日本学術振興会とNEIの交換留学プログラムで渡米することになりました.その受け入れ先の責任者が当時ScientificDirectorであられたJinH.Kinoshita先生でした.NEIを初めて訪れた日に,Jin先生のところにご挨拶に行きました.大変威厳のある,でも人を包み込むような温かさのあるやさしいお父さんといった印象を受けました.私は北海道大学で杉浦教授の下でぶどう膜(75)炎,眼免疫アレルギーを勉強していましたので,RobertB.Nussenblatt先生の眼免疫のラボに入れていただきましたが,Jin先生のラボはあちこちのビルに分かれていましたので,ほとんど私たちのいるビルのラボでお会いすることはありませんでした.NEI全体の講演会のようなときいつも真ん中の前のほうで熱心に聞いておられる姿を後ろのほうから眺めておりました.Jin先生はゴルフがお好きだと聞いておりましたが,私にはそのような趣味もなく,ラボも離れておりましたから,仕事でもプライベートでもお会いすることはありませんでした.私の留学したプログラムのことやら,滞在延期をしたときなど,本当に事務的に必要なときしかお会いする機会がありませんでしたが,いつも温かく対応してくださいました.余談ですが,いつもJin先生と一緒にお話しに出てくるToichiroKuwabara先生は,私たちと同じビルの同じ階にいらっしゃいましたので,時々エレベーターや廊下でお会いしました.大変気難しいとか,厳しいとか,日本人にも日本語ではお話しくださらないとか,いろいろうわさを聞いておりましたが,なぜか私はKuwabara先生とは日本語でしかお話したことしかありませんでした.最初にご挨拶に伺ったおり,家族のことを聞かれ,子供が3人いると申し上げましたら,「boy?girl?」と聞かれました.「うちは全員女でございます」とお答えしたら,先生のお顔からふっと笑みがこぼれ,「うちもみんなgirlです.犬までgirlです.女の子は良いものです」といわれ,大層楽しそうに笑われました.私の子供たちが全員息子だったら英語でお話ししなければならなかったのではないかと今でも思うのです.あたらしい眼科Vol.31,No.4,20145530910-1810/14/\100/頁/JCOPY私が米国国立保健研究所(NIH)にいた1987~1989年ごろは,NIHには実にたくさんの日本人がいました.私は結構頑張って留学したつもりでしたが,こんなにたくさんの日本人はどうやってきたのだろうかと思うほどでした.中でもNEIはさほど大きな研究所ではありませんでしたので,NEI全体のドクターに占める日本人の割合は非常に大きかったと思います.これはきっとScientificDirectorであったJin先生のお力添えがあったからではないかと思います.平成6(1994)年頃でしたでしょうか,白内障学会の●★前にたしかJin先生の叙勲をお祝いしてOBの会が京王プラザホテルでありました.たくさんのNEIのOB,OG,先生の教え子さんたちが集まり盛大にな会でしたが,Jin先生は終始にこやかに皆と歓談されていたことを思い出します.すでにNIHを離れ,カリフォルニアにいらっしゃると聞いていましたが,これが私のJin先生にお会いした最後になりました.NEIで勉強する機会を与えてくださったことに感謝申し上げ,ご冥福を心よりお祈りいたします.●★554あたらしい眼科Vol.31,No.4,2014(76)