特集●網膜血管疾患アップデートあたらしい眼科31(8):1089.1095,2014特集●網膜血管疾患アップデートあたらしい眼科31(8):1089.1095,2014糖尿病網膜症の手術治療の進歩ProgressiveSurgicalStrategyforProliferativeDiabeticRetinopathy西塚弘一*はじめに近年の硝子体手術システムの進歩は目覚ましく,従来に比べて手術治療の技術的ハードルは低くなり,数多くの術者による網膜硝子体疾患の治療を可能にしている.増殖糖尿病網膜症(proliferativediabeticretinopathy:PDR)に対する硝子体手術治療も,小切開硝子体手術(microincisionvitrectomysurgery:MIVS),広角観察システム,シャンデリア照明による双手法などの進歩により治療成績は向上しているが,依然として難治例も数多く存在する1).硝子体手術への技術的ハードルが低くなったことにより,安易な手術が施行され病態が重篤化した症例も散見される.本稿では現在の硝子体手術の進歩におけるPDRの手術治療の基本的な考え方について述べる.I糖尿病網膜症の病態PDRの治療を考えるうえで,糖尿病網膜症の基本的な病態2)の理解が重要である.糖尿病網膜症は,慢性高血糖を特徴とするさまざまな代謝異常(ポリオール代謝経路の亢進,プロテインキナーゼCの活性化,酸化ストレスの増加,蛋白質の非酵素的糖化後期反応生成物の増加)が起こることにより網膜の血管,組織の障害を惹起し網膜症が進展していくと考えられている.毛細血管などの閉塞により網膜虚血・低酸素状態となると,虚血領域からは血管新生促進因子(VEGF)をはじめとするサイトカインが分泌され,新生血管が発生する.国際重症度分類では,網膜症なしに加えて,新生血管や網膜前・硝子体出血といった臨床上重要な病態が起こる前の段階(非増殖糖尿病網膜症)と,あとの状態(増殖糖尿病網膜症)と3つに分類し,臨床現場で病態のおおまかな進展を捉えるうえで簡便に用いることができる3).増殖糖尿病時期には眼内に新生血管が発生し,眼内の硝子体の牽引により容易に出血し,硝子体出血や網膜前出血を引き起こす.網膜の表面には病的な増殖膜が形成され,進行すると網膜を牽引して網膜.離を引き起こす.さらに病態が悪化すると新生血管は眼内の水の流れの排出路である隅角にも発生し,非常に難治な眼圧上昇を伴う血管新生緑内障を引き起こす.PDRの手術加療においてはこれらの病態を踏まえて,個々の症例における治療の目的を考える必要がある.II手術適応PDRの治療の基本としては汎網膜光凝固が第一選択となる.治療目標は病態の進行抑制であるが,特に優先すべきことは眼球の維持にかかわる血管新生緑内障への移行の阻止であり,この点は常に念頭に置いて診療を行うことが重要である.そのうえで視力にかかわる出血,網膜.離の病態を攻略していく必要がある.光凝固の時期を逸したり(図1),光凝固を施行してもしばしば病態の進行が抑制できないときは硝子体手術が唯一の治療方法となる.以下に手術適応の病態の概略を述べる.*KoichiNishitsuka:山形大学医学部眼科学講座〔別刷請求先〕西塚弘一:〒990-9585山形市飯田西2-2-2山形大学医学部眼科学講座0910-1810/14/\100/頁/JCOPY(9)10891090あたらしい眼科Vol.31,No.8,2014(10)まり起こっていないことにおおよそ等しいため,手術の難易度は意外に高い.出血を見たときから治療が始まるため,早期の専門施設への紹介が肝要である.2.網膜.離牽引性網膜.離が黄斑部に及ぶ場合(図2a)は,可及的速やかに手術を施行することが望ましい.これに比べて黄斑部に及ばない牽引性網膜.離の症例では,手術治療の決断までに時間的余裕がありその間に種々の検査や汎網膜光凝固が行える.裂孔を併発した牽引性網膜.離(図2b)は急速に網膜.離が進行するため,早期に硝子体手術を施行する必要がある.1.出血硝子体出血はPDRのみならずさまざまな原因疾患の可能性があり,特に裂孔原性網膜.離を合併している場合は自然吸収を待っている間に病態が増悪する恐れがある.よって硝子体出血の症例はこのことを踏まえたBモード超音波検査が重要で,原因不明のときや網膜.離の合併が少しでも疑われる場合は早期手術が望ましい.黄斑部網膜前出血(図1a)は自然吸収することもあるが,なかなか吸収しない場合は硝子体手術の適応となる.硝子体出血よりは眼内の病態が比較的把握できるため,治療決定までの時間に比較的余裕がある.この間に蛍光眼底検査や汎網膜光凝固を行うことが重要である.網膜前出血が存在するということは後部硝子体.離があab図1増殖糖尿病網膜症a:40代女性.網膜前出血を認める.蛍光眼底造影にて無血管領域,新生血管,光凝固不足を認めた.b:コンプライアンス不良症例にて治療機会を逸した.6カ月後に視力低下を主訴に来院した.増殖膜,牽引性網膜.離を伴う病態の悪化を認めた.ab図2網膜.離を伴う増殖糖尿病網膜症a:黄斑部に及ぶ牽引性網膜.離を伴った増殖糖尿病網膜症.b:裂孔(矢印)を併発した牽引性網膜.離症例.ab図1増殖糖尿病網膜症a:40代女性.網膜前出血を認める.蛍光眼底造影にて無血管領域,新生血管,光凝固不足を認めた.b:コンプライアンス不良症例にて治療機会を逸した.6カ月後に視力低下を主訴に来院した.増殖膜,牽引性網膜.離を伴う病態の悪化を認めた.ab図2網膜.離を伴う増殖糖尿病網膜症a:黄斑部に及ぶ牽引性網膜.離を伴った増殖糖尿病網膜症.b:裂孔(矢印)を併発した牽引性網膜.離症例.あたらしい眼科Vol.31,No.8,20141091(11)ってしまうと裂孔が容易に拡大し,急速に網膜.離が進行する危険がある.特に網膜.離の領域での医原性裂孔については細心の注意が必要である.医原性裂孔を防ぐためには正しい手術手技に加えてさまざまな手術観察系を使い分けることが重要である.1.手術観察系手術観察系としては従来の接触型コンタクトレンズに加えて,MIVSの進化に伴い広角観察システムもおもな選択肢となっている(図3a,b).コンタクトレンズによる観察系は立体感に優れ,従来の20ゲージ手術の頃から標準的なものとなっている.広角観察システムでは名のとおり広い術野を得ることができ,周辺部と後極部のつながりが把握しやすい.散瞳不良症例でも眼内の観察3.血管新生緑内障治療の基本はまず可能な限り汎網膜光凝固を行うことである.そのうえで眼底に出血や網膜.離を認める場合は硝子体手術を行う.眼圧上昇に対しては種々の緑内障点眼薬を併用し,それでも治療に抵抗する場合は,緑内障専門医による治療が望ましい.筆者の施設では外科治療としてトラベクレクトミーやバルベルトRを用いたチューブシャント手術を施行している.III手術手技PDRの硝子体手術を考えるうえで最も重要なことの一つが医原性裂孔を作らないことである.PDRの大部分の症例は不完全後部硝子体.離眼であるため,さまざまな牽引が網膜に存在する.この状態で医原性裂孔を作acbd図3手術観察系a:硝子体コンタクトレンズ下の術野.b:広角観察システムによる術野.c:顕微鏡同軸照明下での強膜圧迫による前部硝子体の観察.d:スリット照明を併用した強膜圧迫による周辺部硝子体の観察.acbd図3手術観察系a:硝子体コンタクトレンズ下の術野.b:広角観察システムによる術野.c:顕微鏡同軸照明下での強膜圧迫による前部硝子体の観察.d:スリット照明を併用した強膜圧迫による周辺部硝子体の観察.1092あたらしい眼科Vol.31,No.8,2014(12)不完全後部硝子体眼であり,硝子体可視化剤を併用した注意深い観察と処理が必要である.牽引性網膜.離の症例や増殖膜の処理が必要な症例において,周辺部に後部硝子体.離が起こっている場合には,後極部への手術操作の前に硝子体円錐を切除して病態への前後方向の牽引を解除する(図4).後部硝子体.離のまったく起こっていない症例においては,増殖膜と網膜に強い癒着を考慮していないと手術操作にて容易に医原性裂孔を生じるので,注意が必要である.b.増殖膜の処理増殖膜の処理を考えるうえでまず増殖膜の基本構造を押さえておく必要がある.増殖膜は一見すると網膜と水平に面状に接着して存在しているように見えるが,実際にはepicenterとよばれる網膜硝子体癒着部位によって点状に接着している(図5).硝子体手術における膜処理の基本としては,膜を単純に引っ張って.がす手技である膜.離(membranepeeling,以下peeling),網膜の癒着部位の間をを避けて膜を切断し断片化する膜分割(membranesegmentation,以下segmentation),網膜癒着部位を直接切断し,増殖膜と網膜を分層していく膜分層(membranedelamination,以下delamination)がある.Peelingは最も単純な手技であるが,PDRにおける増殖膜はpeelingによって簡単に網膜から.がせる場合と,医原性裂孔を形成してしまう場合がある.PDRの治療においてはpeelingを必要最小限に行うことが,医原性裂孔を作らないためにも重要である.Segmentationは20ゲージ硝子体手術の頃では垂直剪刀によって行われていた.増殖膜と網膜の隙間に剪刀を入れ,確実に増殖膜だけを切断しながら分割してく方法である.確実に施行することにより医原性裂孔の形成を防ぐ最も安全な手技である.MIVSではカッターの先端を垂直剪刀に見立てて同様の処理が可能である.また,小さく分割された増殖膜は容易にカッターにて処理が可能である.ほとんどの増殖膜はこの方法で処理が可能で,MIVSにおける膜処理では最も安全な方法である(図6).Delaminationは20ゲージ硝子体手術の時代では,垂直剪刀にて分割された膜に対して水平剪刀によって行わが比較的容易に行えることはメリットである.周辺部の硝子体をより立体的に捉えたい場合は,顕微鏡同軸照明下での強膜圧迫による観察(図3c)や,スリット照明を併用(図3d)するとより詳細に術野を確保できる.前眼部透見不良症例においては眼内視鏡が有用となる可能性がある4).医原性裂孔を作らないためには,手術手技に合わせて術者に合った最良の観察系を用いていかに安全な手技を全うするかが重要である.2.手術手技a.硝子体切除単純な出血のみの症例では,単純硝子体切除のみで視力の回復が得られる.しかし,PDRの大部分の症例は図4硝子体円錐の切除後部硝子体.離が起こっている場合は,硝子体円錐と捉えてカッターで切除する(矢印).前後方向の牽引を解除することにより,その後の後極の眼内操作が安全に行える.ab図4硝子体円錐の切除後部硝子体.離が起こっている場合は,硝子体円錐と捉えてカッターで切除する(矢印).前後方向の牽引を解除することにより,その後の後極の眼内操作が安全に行える.ab膜分割膜分層(membranesegmentation)(membranedelamination)(membranedelamination)硝子体カッター鑷子剪刀増殖膜Epicenter網膜図5膜分割と膜分層膜分割ではカッターの先端を垂直剪刀に見立ててepicenterとepicenterの間のスペースを探りながら確実に増殖膜を切断,分割していく.膜分層では4ポートシステムを利用し,双手法にて行う.1094あたらしい眼科Vol.31,No.8,2014(14)IV術後合併症1.出血PDRの硝子体手術後の早期出血の原因としては初回手術時の不十分な硝子体郭清や増殖膜処理,晩期出血の原因としては強膜創新生血管が多い.単純な出血であれば自然に消退することもあるが,その間は常に眼内での網膜.離の発症を考えながら超音波検査を併用して注意深く観察する.強膜創新生血管(図7)からの出血は術後1カ月以降に起こることが多い1).病態の活動性が高く,治療困難な症例となる.ab図6MIVSにおけるカッターによるsegmentation一見すると面状にみえる増殖膜も,epicenterによって点状に接着しているため,カッターを小刻みに動かしながらゆっくりとsegmentationを続けることにより安全に増殖膜の処理が可能である.acb図7強膜創新生血管a:内視鏡による強膜創新生血管の所見.内視鏡を用いると観察は容易に行える.b:眼球圧迫にスリット照明などを用いて病変を立体的に捉えながら処置する.c:内視鏡による強膜創新生血管の処置後の所見.光凝固を追加した.ab図6MIVSにおけるカッターによるsegmentation一見すると面状にみえる増殖膜も,epicenterによって点状に接着しているため,カッターを小刻みに動かしながらゆっくりとsegmentationを続けることにより安全に増殖膜の処理が可能である.acb図7強膜創新生血管a:内視鏡による強膜創新生血管の所見.内視鏡を用いると観察は容易に行える.b:眼球圧迫にスリット照明などを用いて病変を立体的に捉えながら処置する.c:内視鏡による強膜創新生血管の処置後の所見.光凝固を追加した.あたらしい眼科Vol.31,No.8,20141095(15)2.網膜.離初回手術時の医原性裂孔の不十分な処置が原因となったり,裂孔周辺の不十分な硝子体・増殖膜の処理が原因となる.不確実な増殖膜の処理による牽引の残存や新裂孔の形成もありうる.一般に硝子体手術後の網膜.離は進行が速いため,早期の再手術が必要である.3.血管新生緑内障手術前より虹彩ルベオーシスを認める症例や,病態の活動性が高いと思われる症例では手術中に徹底的な網膜光凝固を行う必要がある.術中合併症のために網膜光凝固が十分にできなかった症例は発症のリスクが高い.PDRに対する手術では,血管新生緑内障の発症をいかに防ぐかを常に念頭に置くことが重要である.おわりに硝子体手術機器の進歩と手術器具の剛性化により,MIVSによる手術適応は黄斑円孔や黄斑前膜にとどまらず裂孔原性網膜.離やPDRなどの難症例にまで広がった.広角観察システムもMIVSの進化を担う主役であり,現在広く普及している.しかし,詳細な立体視が求められる増殖膜の処理や,詳細な網膜と硝子体の位置関係を把握する際は,従来の接触型コンタクトレンズによる観察系が優れており手術場面に応じて使い分けることは重要である.増殖膜の処理は従来の20ゲージ硝子体手術の時代から垂直剪刀や水平剪刀を用いた安全な処理法がすでに確立していた.しかし難易度が高く,術者の技量により術後成績が大きく左右されていたと思われる.MIVSの進歩により,ほとんどの処理が硝子体カッターで可能となり,器具の出し入れによる鋸状縁の損傷が少なくなった.つまり現時点でのPDRにおける手術治療の進歩とは,MIVSでこれまで治療が困難であった症例の治療が可能になったというよりは,多くの術者が器械や器具の進歩によってより安全に手術ができるようになったということであろう.筆者の施設でPDRの病態は複雑で,いまだに困難な症例も存在するため,器械や器具の進化だけにたよらず基本をしっかり押さえて治療に取り組む必要がある.文献1)池田恒彦:【網膜硝子体疾患診療の進歩2012】治療手技の進歩糖尿病網膜症糖尿病網膜症の進展と治療戦略硝子体手術.あたらしい眼科29:127-132,20122)NishitsukaK,YamashitaH:Managementofdiabeticreti-nopathyanddiabeticmaculopathyinelderlypatientswithdiabetesmellitus.NihonRinsho71:2005-93)YamashitaH:Internationalclinicaldiabeticretinopathyanddiabeticmacularedemadiseaseseverityscales.NihonGankaGakkaiZasshi107:110-113,20034)西塚弘一:【網膜硝子体疾患診療の進歩2012】治療手技の進歩硝子体手術の進歩内視鏡を用いた硝子体手術.あたらしい眼科29:204-208,20125)山根真:【難症例に対する極小切開硝子体手術】増殖糖尿病網膜症(PDR).眼科手術26:28-32,2013