JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑤責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑤責任編集浜松医科大学堀田喜裕JINさんの思い出塩野貴(TakashiShiono)シオノ眼科院長1977年東北大学医学部卒業,眼科入局.1980年東北大学眼科助手.1982.1984年NIH(NationalInstitutesofHealth,米国国立保健研究所),NEI(NationalEyeInstitute,米国国立眼研究所)留学.1988年東北大学眼科講師.1990年東北大学眼科助教授.1996年シオノ眼科開院,院長,現在に至る.●初めてお会いして★私の留学の契機はJINさんの旺盛な探究心によるもののようでした.1980年代の初めに網膜変性疾患の一つであるgyrateatrophyofthechoroidandretinaの原因がornithineaminotransferaseの欠損であることが明らかになり,東北大学でも故水野勝義教授の下,精力的に発症メカニズムや治療法の研究が行われておりました.当時,我々と同様にこの疾患に興味を持っていたNEI(NationalEyeInstitute)のKaiserKupfer博士(当時NEIDirectorであったCarlKupfer氏の奥さん)主催の下,1982年にNEIでこの疾患のシンポジウムが開催されたのです.この疾患は網膜の変性とともに白内障を起こすことが知られています.シンポジウムでこの疾患の白内障発症に興味を持ったJINさんは水晶体でのアミノ酸,特にオルニチン代謝と白内障の関係をさらに探究したいと考え,オルニチン関連酵素の研究を行っていた私をNEIへの留学へと誘っていただきました.実際にお会いしたのは1982年,秋,NEIのJINさんの執務室です.私が緊張しないようにとニコニコと笑いながら,今後の研究や生活について話を交わし終了.短い時間(10.15分)でしたが気遣いが伝わる会見でした.最後に,「Takashi自宅に電話したか?」「まだ……です.」「明日また日本の時間に合わせて,この部屋に来てください.ここから日本の家族に電話しましょうね.」とのこと.当時は国際電話料金がビックリするほど高くて,ありがたく翌日に電話を使わせていただきました.当初,単身での留学であったためか,感謝祭のパーティーでご自宅へ招待や,レストランでの食事会など気を使っ(79)0910-1810/13/\100/頁/JCOPY写真感謝祭(1982年11月25日)ていただきました.感謝祭ではJINさん自からターキーを取り分けていただき感激です(写真).●研究★当時,JINさんはNEIのScientificDirectorの要職に就いておりNEI全体のマネージメントで忙しく研究室にいらっしゃることはありませんでした.そんななかでも研究への探究心は旺盛で,私の同僚のKador博士やKuwabara博士と電話などで頻繁にディスカッションを重ねて,私の研究の進展具合もよくご存知でした.その頃,JINさんは糖尿病網膜症にも特に興味を持たれ,Kuwabara博士の糖尿病網膜症病理セミナーには必ず出席なされ,いろいろ質問をしておりました.質問とそれあたらしい眼科Vol.30,No.5,2013657に答えるKuwabara先生とのディスカッションの面白さを思い出します.JINさんのご尽力で多くの日本人研究者がNEIで活躍されていました.お蔭で多くの先生方とお知り合いになれました.赤木好男先生(京都府立医科大学),望月學先生(東京大学),福田全克先生(大阪大学),中安清夫先生(順天堂大学),照林宏文先生(京都府立医科大学),長田正夫先生(鳥取大学),佐藤建士先生(山形大学).また,古くからの友人を非常に大切にしておられました.Reddy博士がSabbaticalleaveをNEIで過ごしており,ハーバード時代からの友人,故福士克先生(仙台市立病院)も頻繁にNEIに来ておりました.当時は,分子生物学の臨床応用の黎明期であったと思われます.分子生物学の手法を用いて研究を行っていた日系のShinohara博士,Inana博士と知り合えたのは幸運でした.Shinohara博士から色覚異常などの遺伝疾患の原因解明に分子生物学的手法の臨床応用の可能性をいろいろ教えていただきました.私もこれを応用してgyrateatrophy患者さんの遺伝子異常を明らかにしたいと考えておりましたところ,ある日,突然JINさんに呼ばれました.Inana博士がgyrateatrophyの研究をやりたいと言っておられるので,一緒にやってはどうかとのご提案でした.もちろん,願ってもないことでしたので,すぐに共同研究を開始し,私が帰国した後は堀田喜裕先生(順天堂大学),真島行彦先生(慶應義塾大学)がさらに発展させ,日本人患者さんの遺伝子異常が明らかになりました.●ゴルフを楽しむ★JINさんのゴルフ好きは有名で,筋金入り.休日や学●★会の懇親ゴルフによくお供をさせていただきました.最初にお会いしたとき,ひとしきり研究などの話の後,「Takashiゴルフはやるのか?面白いよ.やったことがないなら,始めると楽しいよ.一緒にやりましょう.」とのお誘いを受けました.ゴルフを始めるきっかけです.そして,ゴルフは米国留学中,一番の楽しみになりました.もっともちっとも上手くはなりませんでしたが…….NIH(NationalInstitutesofHealth)の近くに一般にも開放されたゴルフ場を備えた高校があり,よく利用しました.仕事が終わるとJINさん,Kadorさん,赤木先生とプレイです.JINさんは好く笑い冗談を言いながらのプレイのようでしたが,英語なので私の理解は半分くらいでしょうか.しかし,JINさんと一緒にコミュニケーションをとる貴重で楽しい時間でした.ARVOやHawaiiの学会でも,何度かご一緒させていただきました.ゴルフは大事な懇親の場であるとともに情報交換の場でもあったようです.JINさんを囲んでChylack博士,故Fukuiさん,故福士先生ご夫婦をはじめ,多くの先生方が集まり,一緒にプレイを楽しみました.これらは私の大切な思い出です.1984年,秋,いよいよ日本へ帰国が決まると,JINさんは福田先生と私のために会員制のゴルフ場を特別に予約して送別のゴルフ大会を開いてくれました.プレイ後に送別会はゴルフ場の素敵なレストランで.一生忘れないでしょう.JINさん,ありがとうございました.ご冥福をお祈りいたします.●★658あたらしい眼科Vol.30,No.5,2013(80)