■11月の推薦図書■李陵・山月記中島敦著(新潮文庫)高村浩公立置賜総合病院眼科これは「文学」である.普段,読んでいるのは学術論文とか,医学評論とか,ドキュメンタリーやノンフィクションとか,断捨離のようなHowto本とか日常の仕事や生活に即応・直結するようなものが多い.それに対して文学本は何の役に立つのかよくわからないイメージがあるが,時に無性に読んでみたいと思うことがある.また,一字一句をおろそかにしない「精読」という読み方がある.昔,医学部の学生だった頃に分厚い内科の教科書を最初のページから熟読していた同期生がいた.彼の集中してじっくり読んでいる,一種「気高い」姿に憧れて真似をしてみたが,すぐ頓挫した.忙しい日々のなかで,文学に触れることができるのがこの中島敦の本である.本書には「山月記」,「名人伝」,「弟子」,「李陵」の4つの短編が収められている.特に「山月記」と「名人伝」は文庫本で10ページ前後の量なのでその字面だけを追うのであれば10分もあれば読了してしまう.ただし,中島敦は代々の漢学者の家系に生まれた素養の上に中国の古典を基にしているので作品は漢文調である.あまり聞いたこともない中国の地名や難解な言葉使いが満載で,本の後ろの脚注を見ながら読み進めなければ十分に理解できないので,いきおい自ずと精読せざるを得なくなる.脚注も内容豊富で,本文の言葉と合わせてその表現された状況を想像することでより作品に没頭し,文学に浸ることができる.「山月記」は詩人として名を残したいとすべてを犠牲にして詩業に打ち込むも叶わず,姿が虎に変わってしまうという芸術家の業の深さを描いた哀しい物語だが,一方,「名人伝」は激しい修行の末に弓矢の名人になり得たというサクセス・ストーリーである.「弟子」は粗野で粗暴な男が孔子に心酔して弟子入りし,後に立派な為政者となる物語で,「李陵」は匈奴の俘虜となった漢の(85)0910-1810/11/\100/頁/JCOPY勇将李陵と蘇武,および史記を書いた司馬遷の3人のそれぞれの立場における心の有り様を描いたものである.これらのなかで「名人伝」では,主人公の紀昌が弓矢の名人になるべく修行を始めるが,その第一歩が何事があってもずっと目を見開いて瞬きをしないこと,および毛髪につないだ虱(しらみ)が馬のように大きく見えるようになるまで睨み続けることであった.弓矢の修行がまずは目の基礎訓練から始まるというのは面白いが,目前で何が起こっても瞬目をせず,また睡眠時も開瞼したままであるというのは眼科医の立場からはあまり好ましくないと思われた.紀昌は最初の師匠の飛衛の下で技術的に習熟すると,さらなる高みを目指して二番目の師匠の甘蠅老師の下でさらに修行に励んだ.修行を終えて帰ってきた時,紀昌の精悍だった顔つきは木偶(でく)のような,愚者のような表情のない容貌に変わっていた.二番目の師の甘蠅老師も羊のような柔和な目をしたよぼよぼの爺さんであった.しかし,その周囲には名人の放つオーラと言うか,殺気,妖気が漂い,邪心を抱く者どもを容易に近づけなかった.われわれ眼科の世界でも角膜,緑内障,網膜・硝子体,眼腫瘍など各分野の名人あるいは達人からはオーラが放たれ,その人達が発信するものには深くて重い意味が宿っているように感じられる.何事においてもそれを極めたという人は一概に静かで温厚であり,ことさら自分からアピールしなくてもその存在感は際立っている.修行から帰ってきた弓矢の名人の紀昌は弓矢も持たず,弓矢の話もしなくなった.甘蠅老師から授けられた「不射の射」という境地は弓矢という道具を使わずに標的を射落とすことである.名人になるともはや道具も不要となる.ハイテク化された検査・治療機器が溢れる眼科の場で「不射の射」は無理かもしれない.以前,緑内あたらしい眼科Vol.28,No.11,20111597障の大家の先生の「ローテクの勧め」という講演を拝聴した.細隙灯顕微鏡と90Dの前置レンズだけで視神経乳頭のサイズや陥凹の評価を行うというものであった.その評価は正確で,ハイテク機器を用いた検査結果と同等もしくはそれを凌駕するものであった.眼科における名人とはローテクの検査・治療機器でハイテク機器を用いたと同様の結果を導き出せる人と言えるかもしれない.ローテクをハイテクのレベルまで引き上げるのはその名人の豊富な知識と経験および鍛え抜かれた技量であろう.障の大家の先生の「ローテクの勧め」という講演を拝聴した.細隙灯顕微鏡と90Dの前置レンズだけで視神経乳頭のサイズや陥凹の評価を行うというものであった.その評価は正確で,ハイテク機器を用いた検査結果と同等もしくはそれを凌駕するものであった.眼科における名人とはローテクの検査・治療機器でハイテク機器を用いたと同様の結果を導き出せる人と言えるかもしれない.ローテクをハイテクのレベルまで引き上げるのはその名人の豊富な知識と経験および鍛え抜かれた技量であろう.としてはまったく正しいと考える.ただ,もとより名人は上から言われてなるもの,あるいはなれるものではなく,あくまで個人的な願望であると思う.あの名人のようになりたいという今より高い境地を目指す気概を持つことは個人的なレベルアップを果たすためにたゆみない努力を続けるモチベーションを維持するのに非常に重要ではないかと思われる.中島敦は33歳で夭逝したが,その代表作のほとんどが亡くなる8カ月前に集中的に書かれたという.日本でも名作を残して夭逝した作家は多い.また,作家に限らず,自然科学の分野でもノーベル賞に値する研究を行ったのは20.30歳代の若い時分であったという人が結構いる.若いその時期にあたかも神が降りてきたように才能が開花することがあるのかもしれない.若い先生方は今がその時かもしれないと考えてチャンスを逃さないように頑張ってほしい.☆☆☆1598あたらしい眼科Vol.28,No.11,2011(86)