———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.27,No.3,20103470910-1810/10/\100/頁/JCOPY人として生きて,予定期間の75%ほどになると,欲望や美意識が変化する.今まで完璧であることを善しとしていたものが,曖昧さの輝きに気が付くようになる.理系人間から文系人間になる.多くの人でそんなときが到来すると思う.すると自分の立ち位置の不安定さに気がついて,生き方の見本がほしくなる.そんなときには,伝記とか歴史書を読むとよいと思う.私は歴史書,特に史記が好きだ.自分の好みを人に押し付けるつもりは毛頭ないが,史記では形式美と人間味を同時に味わうことができる.今から2000年以上前に書かれたとはいえ,現代に通じるものがある.そこで,古典というとなじめないとおっしゃる方も多いとは思うが,敢えてあげさせていただいた.史記という書物は有名であるが,意外に内容が知られていないので,最初に成立の沿革に触れる.史記は古代中国の歴史書で,中国の最初の正史とされる.前漢武帝の時代(紀元前12世紀)に司馬遷が対匈奴作戦の際に降伏した李陵を弁護したがために宮刑に処せられた後,屈辱と不遇のなかでの不屈の意志をもって完成させたとされる(関連して,中島敦「李陵」も秀作である).全部で526,500字,木簡にして約23,000枚,それを正副2部独りで書き上げたとされる.それだけでも鬼気が迫る感じがする.司馬家の家業である宮中の記録係としての強い責任感から,それまでの中国の歴史を,綿密かつ正確に記述することを目指して完成させた書物と理解される.生命をかけたと著作という点では,中国文学者白川静氏の三部作「字統」,「字訓」,「字通」が相通じるものをもっていると思う.史記からいくつかのエピソードをあげたい.最初は目に関するもの.漢の高祖(劉りゅうほう邦)の皇后,呂りょ后こうが,高祖の死後,高祖の寵愛を受けていた戚せき夫人をなぶり,手足を断ち切り,目をくり抜き,耳をいぶし,喉をつぶし,厠に置き,ヒト豚と名付ける(呂后本紀).人の憎悪がそこまで高じるかと,身の毛のよだつ気がする.刺客列伝に出てくる聶じょう政せいという男.かたきをもつ知人が母親に尽くしてくれたことに恩義を感じ,母の死後,知人の代わりにかたきを討ちに行く.厳戒態勢下の見事なかたき討ちのなかで,死を覚悟し,自らの身元を隠すために,自ら顔の皮膚を剥ぎ,目をくり抜き,そして死んでいく.見事としか言いようがないではないか.もう一つ,目に関係することでは,呉越同舟の故事で有名な呉の国の王,夫ふさ差の臣下の伍ごししょ子胥(伍子胥列伝).進言が入れられずに死を賜ったときの言葉が恐ろしいほどにすごい.「我が目を抉えぐり出して,国府の門に置け.敵が我が国を滅ぼすのを見てやろうではないか」とのたまうのだ.ちなみに眼外傷で眼球が視神経を含めて切断されて眼外に飛び出した状態はbulbarevulsion(眼球抉出)とよばれるが,私は史記を読んで,初めて「抉」という漢字が「えぐる」という意味であることに気が付いた.秦の始皇帝の暗殺未遂で有名な荊けいか軻の友人である楽器の名手,高こうぜんり漸離について,始皇帝が彼の音楽の才能を惜しんで,目をつぶして,自分に近付け演奏させたという話もある(刺客列伝).ある解説書によると,史記に失明を伴う記述が多くみられるのは,司馬遷が去勢を受けたという身体的コンプレックスを強く感じていたことを裏付けるものとされる.自分の生きる価値を史記の完成のみに求めた司馬遷の感情が痛いほどに伝わってくる.人はここまでするのかという気がする記述も多い.炭をくべ,その上に渡した油を塗った銅製の円柱の上を,(69)■3月の推薦図書■「史記」(全3巻)司馬遷著野口定男・近藤光男・頼惟勤・吉田光邦訳(平凡社)シリーズ─92◆山本哲也岐阜大学大学院医学系研究科眼科学———————————————————————-Page2348あたらしい眼科Vol.27,No.3,2010罪人を歩かせ,罪人が滑って火に落ち焼ける音を楽しんだという妲だっ己きやそうした非行を諫言した臣下比ひ干かんを生きたまま解剖した暴君紂ちゅうの話(殷本紀).捕虜の不穏な気配を感じて,捕虜20余万人を一夜にして穴埋めにした項こうう羽(項羽本紀).戦死者の数では類を見ない45万人が死んだ長平の戦い(白起・王翦列伝).人肉を食ったことがないという君主の言葉を聴いて,自分の子を殺して差し出した家臣易えき牙がの話(斉太公世家).極限の一世界を見せるのは,水攻めにあって食い物がなくなり,互いの子供を取り替えて食べる話(趙世家).さすがに自分の子供は食べることができなかったようだが,表現のしようのない嫌悪感を覚える話だ.生きる糧にしたい話ももちろん多い.恩義を受けた君主がすでに殺されているにもかかわらず,仇討ちに命をかける予譲(刺客列伝).なぜそこまでするのかという友人に対して,「志ある人士はおのれを知ってくれるもののために死す」と答えるのである.また,君主の忘れ形見を成人するまで守るために,死ぬ公こうそん孫杵しょ臼きゅうと生き抜く程ていえい嬰(趙世家).忘れ形見を守り立てるのと死ぬのとどちらが困難かという問いかけに,敢えて生き抜く困難を選んだ程嬰が,孤児の成長の後,黄泉の国の公孫杵臼の元に自ら向かうくだり.生き方を教えられる.さらに,治水作業のため13年間休みもとらずに働いた禹うの話(夏本紀).禹は自宅の門前を通りかかっても自宅には帰らなかったという.物事を成し遂げるときの心がけが深く理解される.張ちょう良りょうの身の引き際もすばらしい.漢の立国の功労者でありながら,あるときに,養生して,穀類を食わず門を閉ざして世間との関わりを絶った(留侯世家).粛清を恐れたという見方もあるが,上に立つ者のあり方として見習いたい.あまりにも膨大ですべてを紹介することはできないが,お勧めは,項羽本紀,晋世家,刺客列伝などか.項羽本紀の終わりの段落(太史公曰)に,舜しゅんの目はふたつ眸ひとみ子であった,項羽もふたつ眸子であった,とある.私はこの記述などから,舜がAxenfeld-Rieger症候群だとする説を唱えたことがある.そんなことも今回読み直しながら思い出した.日本語版が何シリーズも出ている.もしよろしかったら,読んでみてください.(70)☆☆☆