三島濟一先生の業績と教え澤充(公益財団法人一新会理事長/日本大学名誉教授)はじめに木下茂京都府立医科大学教授から「近年の眼科医,とくに若い眼科医が,世界の眼科の牽引役として貢献してこられた日本の眼科医の業績およびその人となりについてほとんど知らない状況になっている.ついては『あたらしい眼科』で著明な眼科医について取り上げる企画をしているので,三島先生の著書,業績と写真などを通して三島先生の人となりを彷彿とさせる原稿を書いてもらいたい」との依頼があった.私自身は眼科医として多くの薫陶を三島先生から受けたのは事実である.ただし,東大眼科の特異性ではないかと思うが,三島先生とは研究・臨床を通してのつながりが主体であるため,写真などが少ないのが実情である.また,三島先生がご存命であればあらためて教えをいただくことや,内容の確認をしていただくことも可能であるが,現実には不可能である.そこで三島先生の業績に関しては『三島教授退官記念誌(以下,退官記念誌)』(東大眼科教室)および論文検索を東大眼科の相原一教授に資料をお願いすることとした.また,三島先生の人となりは「論語」と孔子との関係のごとく,私どもが三島先生から教えられた内容を記すことで本企画に対しての対応とさせていただく.■三島先生の略歴と業績■略歴と業績については三島先生が情熱を注いで執筆されたKeelerCRandMishimaS:InternationalBiogra-(57)0910-1810/17/\100/頁/JCOPY(退官記念誌から転載)phyandBibliographyofOphthalmologistsandVisionScientists(IBBO)(WayenborghJP,Belgium,2002)から以下に抜粋引用する(図1).三島先生は1927年,眼科医家系の5代目として淡路島で生誕,1949年東京大学卒業,1957年学位取得(Thesis:Thee.ectsofthedenervationofthesympa-theticandthetrigeminalnerveonthemitoticrateof図1InternationalBiographyandBibliographyofOphthalmologistsandVisualScientists(IBBO)の表紙thecornealepitheliuminrabbit.JpnJOphthalmol1:65,1957).BritishCouncilScholarshipを得てInstituteofLondonでDavidM.Mauriceと研究(1959-1960),その後Dun-phyFellowshipを得てRetinaFoundation(Boston,USA)でC.H.Dohlmanと研究(1960-1961).短期間の帰国ののち,RetinaFoundationのResearchAssoci-ate(1963-1965)を経て,ColumbiaUniversity(NewYork)で講師を務める(1965-1968).帰国後,東京大学眼科学教室講師(1968-1971),同眼科学教室主任教授(1971-1987),またこの間,同医学部付属病院病院長(1980-1983),医学部長(1983-1986)を務める.その後,東京厚生年金病院病院長(1987-1997)を務めた.1987年から東京大学名誉教授,NormanBethuneMedicalUniversity,Changchun,China名誉教授.1.学会および社会活動a.国内日本眼科学会評議員(1968-1989),同理事長(1977-1981),第92回日本眼科学会総会長.日本眼光学学会常務理事(1968-1992),同第8回学会長(1972).日本眼薬理学会設立者,同理事(1971-1988).眼科手術学会常務理事(1978-1987),日本緑内障学会設立者,同会長(1990-1998).日本アイバンク協会常務理事(1976-1995).日本医師会副会長(1986-1992),読売光と愛の事業団常務理事(1988-2003).行政機関の各種委員.全国医学部長病院長会議会長(1983).b.国外第23回国際眼科学会(InternationalCongressofOphthalmology)事務局長(1978),国際眼科学会の緑内障国際委員会(InternationalCommitteeofGlauco-ma)常務理事(1974-1990),第6回国際コンタクトレンズシンポジウム(InternationalContactLensSympo-sium)名誉会長(1986),アジア太平洋眼科学会(Asia-Paci.cAcademyofOphthalmology:APAO)会長(1991-1993),第13回APAO会長(1991),国際眼研究学会(InternationalSocietyforEyeResearch(lSER)創立メンバーおよび副会長(1974-1980),AcademiaOphthalmologicaInternationalis会員(1977-1996).アジアオセアニア医学連合会(ConfederationMedicalAssociationsofAsiaandOceania:CMAAO)評議員(1988-1992),世界医師連盟(WorldMedicalAssocia-tion:WMA)評議員会議長(1987-1992).2.学術誌編集委員編集長JapaneseJournalofOphthalmology(JJO)(1971-1991),臨床眼科(1971-1987).編集委員:ExperimentalEyeResearch(1970-1980),OphthalmicResearch(1970-1980),Graefe’sArchiveofClinicalExperimentalOphthalmology(1982-1992),SurveyofOphthalmology(1982-1992),CoreJournalsinOphthalmology(1977-1992),Asia-Paci.cJournalofOphthalmology(1989-),HistoriaOphthalmologicaIntemationalis(1997-).3.名.誉.会.員日本眼科学会,日本緑内障学会,AmericanAcade-myofOphthalmology,ISER,ContactLensAssociationofOphthalmologists(CLAO),AsianOceanicGlauco-maSociety,AcademiaOphthalmologicaInternationalis4.臨床・研究特筆すべき臨床業績:眼科における顕微鏡手術のパイオニア.日本での眼科顕微鏡手術,三島式顕微鏡手術用器具,トプコン手術用顕微鏡の開発.最初の眼科顕微鏡手術書出版(医学書院,1979).研究,臨床領域:角膜,緑内障,眼生理学・薬理学,Behcet病.5.招待講演・特別講演(図2)日本眼科学会特別講演:Physiologyandpathologyofthecornealendothelium.JJpnOphthalmolSoc77:1736,1973ConradBerensMemorialLecture:Pharmacologyofophthalmicsolutions.ContactIntraocularLensMedJ4:22,1978第8回FrederickVerhoe.Lecture:Behcet’sdis-easeinJapan,ophthalmologicaspects.TransAmOph-thalmolSoc77:225,1979ProctorLecture:Clinicalpharmacokineticsoftheeye.InvestOphthalmolVisSci21:504,1981DiagnosisandmanagementofglaucomaShahidDr.AlimMemorialLecture(TransOphthalmolSocBangl9:1,1981)第38回EdwardJacksonMemorialLecture:Clini-calinvestigationsonthecornealendothelium.AmJOphthalmol93:1,1982第12回JulesSteinLecture:Oculare.ectsofbeta-adrenergicagents.SurvOphthalmol127:187,1982CastroviejoLecture:Biomicroscopyusingpolarizedlight.Cornea1:187,1982deOcampoLecture:Pharmacologyofophthalmicsolutions.AsiaPaci.cJOphthalmoll:1,1989JulesFrancoisLecture:Cornealphysiologyincon-tactlenswear.JJpnContactLensSoc29:23,1987JulesFrancoisMedalAwardLecture:Codeofeth-icsanditspracticeinOphthalmology.JJpnOphthal-molSoc95:3,19916.その他東大退官後:三島濟一記念基金創設(1987)日本眼科学会百周年記念誌「日本眼科の歴史」(1997)編集.日本失明予防協会会長(1990-2000)7.上記の略歴ならびに業績についての補則三島先生は上述のごとくInstituteofLondon(ロンドン,イギリス)に留学され,Maurice先生と研究をされた.この際は単身赴任で日夜,英語の勉強に励まれ,風呂に入りながらも英語の勉強をされたそうである.ちなみに,私と新家眞先生が初めてAssociationforResearchinVisionandOphthalmology(ARVO)に参加した際,三島先生から紹介いただいてMaurice先生にお会いし,英語の不得手な私がどうしたらうまく発表できるかと質問したところ,「海にむかって原稿を100回読め」との回答であった.Maurice先生の英語は大変聞き取りづらいので,三島先生は必然的に英語の勉強をせざるを得なかったものと考えられる.その後,Colum-biaUniversityに異動された.この時点で,Dohlman先生をはじめ海外からの先生が米国で尊敬と地位を得られていることから,米国での研究生活を継続することを選択されたと考えられ,先生は日本眼科学会の会員継続を止められた.その後,鹿野信一東大眼科教授が定年を迎えられ,鹿野先生は「三島の海外での業績は素晴らし図2招待講演・特別講演での受賞メダル(退官記念誌から転載)①く,彼はそのまま米国での研究が良いとしているが,彼を渋る三島先生を説得して三島先生が鹿野教授の後任と以外には自分の後任としての東大眼科教授はいない」して着任された.当時,東大は大学紛争の終結に向かっ(鹿野先生から直接伺った表現のまま)ということで,帰国ていたとはいえ,三島先生はこうした大学を取り囲む状図2招待講演・特別講演での受賞メダル(退官記念誌から転載)②況に魅力を感じなかった可能性がある.東大眼科教授就た.三島先生の教室員指導は教授就任から病院長就任ま任後は東大医学部附属病院病院長,医学部長を歴任されでの期間であったようで,病院長就任以降は教室員指導(61)あたらしい眼科Vol.34,No.1,201761の時間が減少したとのことで,私自身は病院長就任以降は“JapaneseJournalofOphthalmology”などを介しての指導を受けたのみである.■研.究.業.績■三島先生の研究業績は角膜に関するものが主体となっているが,これらの根底には物理(光学),生理学,薬理学などの医学および数学の知識があった.三島先生以前の眼科研究は,眼科領域の知識に限定された基盤の上で構築されていたといっても良いのではないかと考えられる.角膜の厚み,透明性に関してはMaurice先生の角膜に関する研究があるものの,三島先生の研究は光学物理(屈折,反射,複屈折,偏光,屈折など),生理学,薬理学的知識を結集したものである.また,測定値,結果の検証には統計学を駆使している.ちなみに1950年代の日眼会誌の論文には,データの平均値,標準偏差および有意差検定結果がほとんど示されていなかった.■研.究.指.導■1.研究員の会私自身は昭和48年秋に東大眼科に入局した.当時の学会,臨床の状態は現在と大きく異なるものであった.臨床に関しては後述するが,paternalismが主体であり,研究倫理の概念はほとんどなかった.日本眼科学会での発表は学位論文の発表の場としての位置づけで,演題数は100演題を超える程度であり,各大学から概ね1演題,多い場合で2演題であった.東大眼科においては入局直後に文部教官となり,2年程度医局において外勤なしで月曜日から土曜日まで外来,病棟の両者で臨床研修を行い,その後,関連病院で臨床を継続する一方で,学位取得をめざして大学の研究員として研究を行うというシステムであった.すなわち,無給医局員はおらず,関連病院での勤務の間をぬって大学に戻って研究を行う.三島先生は「臨床が十分にできない人間には研究する意味がない.一方で研究は論理的でなければならないので,研究を行うことで臨床も論理的に考えることが可能となる」というお考えで,研究テーマを先生が与えるのではなく,せいぜい示唆する程度であった.研究のテーマ,方法に関しては角膜,緑内障,ぶどう膜炎,神経眼科などを専門とする助教授,講師の下で進めるシステムであった.一方で,研究員が参加する「研究員の会」を毎月開催し,毎回1名程度,研究員に何を行っているのかを発表させ,研究内容への助言および全体に共通する研究手法,実験方法に関しての講義を先生が自らされた.a.実験動物の扱い研究のモラルとして,動物の保護,虐待防止を重要視された.それらの内容は以下のごとくである.①家兎の実験では家兎を固定するためのステンレスの筒を使用してはいけない.これは筒の中で家兎が暴れると腰骨骨折を生じ,排尿困難から死亡することになるためとし,腰骨骨折を生じた場合には速やかに安楽死させること.したがって家兎はマニラ麻袋に入れて固定すること(麻袋で固定して麻酔を行うことなどは実際に行っていたようであるが必ずしも守られていなかった).②麻酔をかけた動物のそばから離れてはいけない.覚醒した際に動物が怪我をする可能性があるので,覚醒を確認してからケージに戻すこと.③失明状態で覚醒させてはいけない.失明した状態では覚醒前に安楽死させること.b.実.験.精.度研究員の会および実際の研究,論文作成に関しては以下のことを常に強調されておられた.①実験方法の適応と限界を知ること.②実験結果には一定の誤差があること,および再現性について常に考慮すること.すなわち,実験方法には測定原理に基づく解像度,精度があり,それについて考慮すること.たとえばGoldmannアプラネーショントノメータに関してはImbert-Ficklawを基本原理とし角膜曲率,角膜厚み,涙液量など一定の条件のもとでのみ適正な眼圧測定が行いうること,およびSchoetz眼圧計との比較を含めて説明された.また,こうした測定方法の優れた点としてキャリブレーション法が付随していることをあげられた.こうした内容は私(当時は医局員でresearchworkにはまだ距離があったが)にとっても非常に印象深く,その後の勉強になった.現在,我々が使用している装置の多くはdigital化されているが,その計測方法はほとんどblackboxであり,またキャリブレーション方法がない.ちなみにノンコンタクトトノメータはGolamannアプラネーショントノメータ測定値に近似するようにプログラム補正されている.Goldmannアプラネーショントノメータでの測定精度は1mmHgであり,5回程度測定した場合に平均±標準偏差に関する統計値として10.1mmHgで表示が可能となることも講義のなかで示された.統計処理に関しては前述のごとく,当時,平均±標準偏差,c2検定などが導入されはじめた時代である.有意差検定を行う場合,母集団が正規分布しているとの前提条件の下で可能な統計処理であり,2群間の比較では両群の分布が同じであることの検定(F検定)を行う必要がある.c2検定を含めて少数例の場合,欠損値の扱いなどもあってむずかしい講義であった.したがって,講義のあとは自分でとにかく勉強せざるを得なかった.こうしたデータ処理,統計処理に関しても基本から学ぶことの重要性を三島先生は繰り返し講義された.c.論文の作成我々はいわゆる論文博士として学位を取得した.その学位論文は自分で取りあえずは書くことは書いたが,結果的にすべて三島先生が引用文献をもとに作成してJJOに掲載または日眼会誌に掲載されて学位授与を受けた.論文の書き方についても研究員の会で講義があり,かつ,こうした論文指導のなかで論文作成について非常に多くのことを学ぶことができた.論文構成はさまざまな形式があるが三島先生流はある意味で単純明快である.論文構成を①諸言,②対象と方法,③結果,④考按に分けるのは通常どおりである.①諸言では,現在まで解明されていることおよび未解明の点を記載し,その未解明のどの部分を解明するために研究を行ったのかについて簡潔に記載する.②対象と方法では,対象の選択,方法をわかりやすく順序立てて記載する.この「順序立て」というのは実際に行った実験などの順番ではなく,目的を解明するのに適した順序立てという意味である.③結果では,方法で記載した実験の順番にしたがって記載する.本文と図表の記載の重複は可能な限り行わず,結果を図表にわかりやすくまとめ,そのまとめを本文に記載する.④考按では,対象と研究方法が研究目的に合致したものであること,研究方法の適応の妥当性として精度(誤差),限界を記載し,得られた結果が既報とどのように同じであるのか,異なるのかを記載し,結果として新知見とそれにより研究目的を達成できたことを明確に記載する.ちなみに論文作成の順番は②③④①の順で考えるのが良いとするものである.すなわち①諸言はもっともむずかしい部分であり,②対象と方法,および③結果は実験ノートを基に記載すれば良いので容易である.④考按は本来,研究を始める前に既報を十分に検討し(文献整理),研究仮説,研究デザインを整理しておき,結果により事前の研究仮説の修正を行う作業ということになる.もちろんこうした論文指導に際しては,略語の扱い,図表の作成法など細かい点にまで講義があった.さらに,negativedataの研究結果は論文にはできないというのが三島先生のお考えであった.その理由としては得られた結果が科学的「真」ではない可能性がある場合や研究方法の精度,妥当性に問題がある場合などがあることをあげられた.一方でnegativedataはそれ自体意味があるとの考え方もしばしばあり,私自身はnegativedataからなる論文の扱いには常に悩むところである.d.講.演.発.表講演は参加者の時間を束縛しているので,無駄なく割当て時間内で発表を終えること.発表内容は,①目的,②方法,③結果と解釈,④結論にまとめ,研究内容を網羅的に述べるのではなく,聴衆に聴いてもらいたい内容に絞り込む.内容の絞り込みの重要性とコツとして,①発表内容は最低3分で1つテーマとし,それ以上のテーマを盛り込まない.②1枚のスライドは6.8行以内とし,スライドに記載した内容はすべて読むようにする(したがってスライド枚数は講演時間7分であれば10枚前後).③略語は必ずスライド内に小さい文字でよいので記載する.これは会場で略語の説明を聞き洩らした場合でも略語の意味がわかるようにとの配慮である.④スライドにはnegativedata(正常範囲にある項目,数値なども含む)を記載せず,目的,結論に直結するpositivedataのみで構成する.これらを厳守することでスマートな発表となる,とされた.学会予演会(必ずしも三島先生が出席することはないが,毎週水曜日の朝の医局カンファランスにはよほどのことがない限り欠席されなかった)では上記の事項に関して厳しい指導があった.後日譚.三島先生が日本眼科学会百周年記念講演をされる際に,事前にスライドを拝見する機会があった.講演時間に対してスライド枚数が多く,そのことを申し上げたところ(生意気なことをいうな,という表情もされずに)「実はそうなんだ.家人を相手に何度か予行をしてみたが,どうしても枚数を削れないので,学会に申し出て時間の延長を依頼してある」とのお話.私の不躾な物言いに不愉快な対応もされず,かつ三島先生がご家庭で予行をされておられたということで,私はあらためて「偉い方は違う」と得心をした.図3Mishima.Hedbys法の角膜厚測定器(トプコン社製)私も自分としてはそれなりに注意して文章を書いてはいるが,他人からの修正意見に対して,不快に思うことがあるときもあるが,他人はそのように思っている,受け取っているのだと冷静に受け止め,再度,検討するように努力するようになった.2.実験装置の開発研究はそれまで解明されていないことを解明することが目的であるので場合により,実験装置そのものを考案することも必要であるという教えであった.自身がEyeResearchInstitute(Boston,MA,USA)におられた頃,Instituteには実験器具を工作する部門があり,そこで旋盤などを使い器具を試作したりしておられたとのことである.後年,私自身がEyeResearchInstituteに留学した際には,まだ工作部門があり,全眼球状態のドナーの角膜内皮細胞を観察する「ホールアイチェンバー」を実際に試作することができた.実際,三島先生は自分の研究目的に合せて器具を開発されてきておられる.そのいくつかを紹介する.その根幹には非または低侵襲性検査法の開発,精度の向上という概念が常にあった.a.角膜厚測定に関するMishima.Hedbys法(図3)Mishima-Hedbys法はHaag-Streit社のDepthmeter(角膜厚みおよび前房深度測定の2器具がある)の角膜厚測定器が角膜中央へのアライメントを可能にするように改良したものである.これによるcornealthicknessに関するreviewは現在でも角膜厚を研究する場合の必読書である.角膜厚測定法としてはスペキュラーマイクロスコピー,そして近年の共焦点生体顕微鏡,前眼部光断層計(AS-OCT)による光学測定法と超音波測定法とに大別されるが,それらの測定法に内在する測定精度(解像度),シグナル処理法を理解したうえで測定結果を扱う必要性があることをこのreviewは教えてくれる.b.Specularmicroscope角膜内皮面と房水との密度の異なる部位で光が全反射する現象により角膜内皮細胞が細隙灯顕微鏡で観察できることはA.Vogt先生のアトラスで示されている.この原理に基づいてMaurice先生がSpecularmicroscopeを発表した.三島先生は臨床に応用しやすい装置の開発を研究員であった佐藤孜先生とトプコンに指示された.本装置の開発により,屈折矯正手術としての角膜表裏面切開術(佐藤氏手術:放射状角膜切開術(radialkeratotomy:RK)後の10数年後に高頻度で晩発性水疱性角膜症を発症する病態,白内障術後(当時は水晶体.内摘出術)の角膜内皮障害の病態が明らかになり,角膜内皮細胞の臨床研究分野でわが国は大きな貢献をした.c.Fluorophotometer角膜にフルオレセインを投与し,前房内のフルオレセイン濃度を経時的に計測し眼内の生理学を検討する方法がMaurice先生,三島先生らにより海外で行われていた.使用されていた装置での眼内フルオレセイン濃度の測定値は電流計のようなメーターで出力され,使用しにくいものであった.この装置の原理に基づいて,前眼部フルオロフォトメータを私と新家先生とトプコンで近代的なdigital出力機能を有する装置の開発とフルオセイン内服による検査法の開発を行うことの指示があった.検査方法としては角膜へのイオントフォレーシス法があった.この方法はフルオレセインが無機のまま代謝されない点で単純であるが,角膜にフルオレセインを直接投与することでの臨床的問題と,投与部に高濃度のフルオレセインが貯留していることの問題があり,この点をクリアするうえで内服法が優れているというのが三島先生の考えである.しかし,着手してみると,内服法での問題は,内服されたフルオレセインが代謝され,ほとんどがグルクロナイドフルオレセインとなるため,角膜に直接投与されたフルオレセインと異なり,蛍光強度の違い(グルクロナイドフルオレセインとフリーのフルオレセインとでは蛍光強度が10倍程度前者が弱い),さらに両者の眼内動態での変化を検討する必要があること.測定変数と求めたい眼内物質の生理学的移行に関する係数(移行係数など:正解肢)の数が後者のほうが一つ多いために,眼内薬理動態の理論式にあてはめつつも正解肢が得られないなどの問題があった.この研究を通して筆者らはフルオレセインの希釈,代謝に関する技術と知識,および薬理動態理論式に基づく正解肢を近似値として求めるために東大大型計算機センターの利用を含めて学ぶことができた.こうした研究方法の開発により新たなデータが得られた.d.薬物動態の検討,自律神経作動薬を利用した研究瞳孔反応が自律神経によって支配されていることは眼科医にとってはあたり前の知識である.一方で点眼薬は眼科医の専門分野であり,点眼薬の眼内移行は治療のうえで大事な因子である.点眼薬が眼内に取り込まれるには眼表面で涙液に溶解し,おもに角膜を透過して眼内に移行する.三島先生は涙液の研究および角膜の研究を通して豊富な知識を有しておられた.角膜前涙液層は油層,漿液層,ムチン層で構成され,角膜は上皮層と内皮層とが脂溶性,実質が水溶性の性質を有している.こうした薬物親和性に基づいて点眼薬は眼内に移行するが,点眼薬の眼内移行をどのように検討するかについて,三島先生は自律神経作動薬を使用し,点眼後の瞳孔反応を赤外線フィルムを用いて計測することで評価する方法を開発された.これは長滝先生,菅谷先生らがピロカルピンの濃度,粘性を変化させて瞳孔の反応量(曲線)を計測することで新知見を得た.すなわち,薬物の眼内移行には薬物の濃度と薬物の眼表面との接触時間とが重要な因子であり,濃度を上げると瞳孔反応曲線のピークが上昇するが,ピークに達するまでの時間(ピークタイム)は変化しない.一方,薬物の粘性を上げて角膜との接触時間を延長すると,反応曲線のピークタイムはグラフの右側にシフトしかつ反応量(areaunderthecurve)が結果として増大するとの結論である.したがって,眼内移行濃度を増大させるのには薬剤の濃度を上げるのか,溶解液の粘性を上げるのかを薬剤によって選択することの理論的裏付け,重要性が明確になった.また,5分間隔以上あけての点眼により反応量を効果的に増加させうることなどが明らかになった.■臨.床.指.導■1.成書に基づく知識の整理臨床で大事なことは基礎的知識であり,そのためには成書を読むことが重要であることを力説された.成書としてはたとえば,“Adler’sPhysiologyoftheEye”,“SirDuke-ElderAtextbookofOphthalmology”などである.Adlerはその内容に理解できない箇所も多かったが読み通すことはできた.さすがにDuke-Elderの通読は無理であるが,外来などで遭遇した症例に関してはDuke-Elderで確認しておき,関連があるときに,「これこれの記載でした」と申し上げると納得していただけた.三島眼科教室では入局年次に関係なく,出典,根拠さえ明確に示すことができれば入局1年生であっても意見を申し述べ,かつ尊重していただけた.これは小澤助教授,大庭,谷島,増田各講師も同様で,何となく生意気なことをいっていると思われている感じはあったが,とにかく受入れてくださり,頭ごなしに否定されるようなことはなかった.こうした教室の雰囲気が若い医局員に成書や原著論文を読む動機づけになったと考えられる.2.診療東大眼科にはpaternalismを基盤とする石原忍先生の教えがある.その内容は優れたものであり,三島先生も概ねそれに沿って臨床を実践され,我々を導いておられた.患者に対して丁寧に対応をされるが,毅然とした態度で従わせる面があった.また,患者の病状を優先させるが,患者の社会的背景にも十分に配慮した診察を実践された.3.手術適応,術式手術適応,術式に関しては正しい根拠に基づいていれば,手術結果,成績が悪い場合でも許容されるべきであるとの教えである.1例として,ぶどう膜炎患者で白内障を合併し,白内障術後,水晶体皮質の残存が多くあった症例では,病変があるからといって追加手術などを考えると失明,眼球癆に陥ることがあるということを教えられた.その患者は私がその後30年程度拝見することとなったが,何とか光覚弁は維持できていた.■臨床での新しい取組み■1.顕微鏡手術の導入a.手術用顕微鏡の開発(図4)昭和45年(1960)前後頃はまだ顕微鏡下手術は一般的ではなく,鹿野教授は手術用手袋をすると感覚が鈍るということで,素手で手術をされておられたと伺っている.三島先生は私が入局した昭和48年(1973)前後かaら顕微鏡手術に舵をきられ,当時Zeissの手術用顕微鏡で手術を行う一方で,トプコンと手術用顕微鏡の開発に着手された.三島先生曰く,ergonomicsに基づく装置を開発する必要がある.すなわち,日本人の体格にあった装置ということである.日本人は腕が短いので接眼レンズと対物レンズの焦点の距離を短くする(図4b),瞳孔距離も58mm以下に対応できるようにするなどである.b.顕微鏡手術用器具の開発(図5,6)欧米ではすでに顕微鏡手術が導入され,それに対応する手術器具が開発されていた.三島先生はいわゆる三島bc図4手術用顕微鏡(TOPCONOMS.100)a:手術は水晶体.内摘出術で白内障をクライオ装置で摘出している状態.b:日本人の体格にあわせてworkingdistanceを短く設計していることを示している.c:手術は先天白内障に対する三島先生考案の水晶体吸引術.術者は三島先生,助手は筆者.(TOPCON手術用顕微鏡OMS-100カタログより引用)図5顕微鏡手術用器具上が結膜ユーティリティー,下が角膜鑷子.式角膜鑷子,結膜鑷子,角膜剪刀,結膜剪刀,レザーホルダーなどをはんだやを中心に作製させ,東大眼科で使用していた.・水晶体吸引装置軟性白内障に対する水晶体吸引装置を試作された.吸引器具と前房内灌流器具による2手法である.吸引器具は比較的シンプルなもので,手術室に配管されている陰圧装置を減圧し,さらに吸引器具の側面に空けた穴を指で調節して陰圧のコントロールをする.どの程度の陰圧が適切かということで配管陰圧,減圧瓶などでの陰圧を測定し,調節して使用するものである.眼科の知識の乏しい私などは外回りとして吸引圧などの調査,調整をさせられた記憶がある.水晶体吸引に必要な陰圧は50.100mmHg程度であったと記憶しているが,実際に手術室配管の陰圧はその10倍以上であったような記憶がある.■病態生理,とくに術後の病態生理■術後を中心とした病態生理の臨床研究は,手術を単に技術として捉える従来の考え方とは異なるものであり,わが国の眼科が世界に貢献できた分野であると考えられる.この新たな臨床病態に関する考え方と,三島先生の下での新たな非侵襲的臨床検査法との組合せにより得られる結果はすべて新知見であり,この時期医局に在籍した者は苦労せずに論文作成が可能であった.1.プロスタグランジン(PGs)などの炎症伝達物質(chemicalmediators)と非ステロイド性消炎薬(NSAIDs)三島先生の下,プロスタグランジン(PGs)と非ステ図6顕微鏡手術用器具上図は水晶体吸引器具.下図は水晶体吸引術中顕微鏡写真.ロイド性消炎薬(NSAIDs)に関する臨床研究は,現在の内眼手術の進歩に大きな貢献をした.PGsは当初虹彩炎などの研究でIrinとよばれ,伊沢保穂先生らが研究対象とされその後,これがPGsと同一のものであるとされた.a.水晶体吸引術とNSAIDsIrin=PGsは縮瞳作用があり,術中に縮瞳を生じると手術操作が困難となる軟性白内障に対する水晶体吸引術での術中縮瞳を抑制するために,PGs生合成阻害薬であるNSAIDsとして最初にアスピリンの術前内服療法を行った.ただし,アスピリンの眼内移行が悪いのか,薬理作用が悪いのか,いずれにせよ,有効性は得られなかった.ついでインドメタシンの点眼による臨床試験を行うこととなった.インドメタシンは水溶性が低いために,ひまし油に懸濁(東大病院薬剤部が調整)して術前にアトロピン,ミドリン点眼と併用することとした.術中縮瞳率の測定は前房深度が一定に保持できないためにむずかしく,また対象が小児であるため術後の瞳孔の癒着の程度なども含めて有効性の評価を行い,有効であるとの結果を得た.図7JAPANESEJOURNALOFOPHTHALOLOGY創刊号の表紙b.白内障術後炎症に対するインドメタシン点眼の臨床試験軟性白内障手術でのインドメタシンの有効性の結果を受けて,インドメタシン術前点眼の有用性を増田寛次郎先生の下,望月學先生と私とが薬理効果の仮説も理解できないまま担当した.インドメタシン点眼薬の実薬とプラセボーの割り付けは増田先生が行い(このため点眼瓶には.と記載されたためにマルM点眼とよばれた),術前術後の眼内炎症について細隙灯顕微鏡でのフレアとセル評価を望月先生,角膜厚測定と赤外線フィルムによる瞳孔径測定を澤が担当した.術後1週間2人で毎日これらの検査と行ったために2人とも約1年間は東京を離れたことはなかったと記憶している.この臨床研究により,三島先生の非侵襲的検査法の意義が示された.瞳孔径測定は現像したフィルムを使用してコンパレータとよばれる実体顕微鏡で測定を行う.この臨床研究は現在,内眼手術で汎用されているNSAIDs点眼の世界初の報告である.c.フルオロフォトメトリーによる臨床研究フルオレセイン内服法による角膜内皮透過性,房水産生に関する生理学的研究では,房水中へのフルオセイン漏出と希釈の時系列解析による術後炎症の評価,緑内障薬の薬理効果などに関して高瀬正彌先生,新家先生らを中心に新たな知見が得られることとなった.d.スペキュラーマイクロスコープによる臨床研究スペキュラーマイクロスコープによる角膜移植,白内障術後の角膜内皮細胞の病態生理に関しては,Mishi-ma-Hedbys法による角膜厚測定と組み合わせることにより,谷島輝雄先生を中心とする角膜グループ(木村内子,佐藤孜,矢野眞知子,澤,神鳥高世ら)により多くの新知見が報告された.■日本の眼科の育成,海外への情報発信■“JapaneseJournalofOphthalmology”(JJO)(図7)の創刊は1957年(当時の東大眼科は萩原朗教授)である.三島先生はJJO中興の祖ともいうべき存在である.先生は海外での研究生活を通して,英語で発表しない限り業績として通用しないとの信念を有しておられた.(ちなみに,当時病歴は日本語とともにドイツ語的単語と英語の混じった記載があったが,日本語と英単語で記載するように指導された)したがって,わが国の優れた邦文論文を海外に紹介する手段としてJJOを考えておられた.私どもの学位論文の多くは前述のごとく三島先生の口述を筆記し,清書してJJOに掲載することで作成されていた.また,他大学の眼科教授も三島先生の英文の口述を基にJJO掲載論文を作成し得ていた.こうした口述筆記は概ね,休日の教授室で行われており,その英文のeditingはMrs.BettyParkerが長年担当されておられた.筆者ら下っ端の医局員はMrs.Parkerから文献探し(当時はPubMedなどというものはなく,IndexMedicusという文献集が唯一であり,それらを丹念に調べる必要があった)の依頼があったり,ときに三島先生が不在のときに眼科的記載の妥当性などを尋ねられるということがあった.Mrs.Parkerは米国で新聞社勤務の経験があり,結婚後,夫君の仕事でインドでの生活経験のほか,戦後早くから日本での生活を送られ,美智子妃殿下との軽井沢でのテニスの経験などをその後伺うことができた.Mrs.Parker一家の戦後の日本の生活がテレビ番組で放映されたことがある(日眼にはそのビデオがあるのではないかと思う).私がお会いしたころはある程度,お歳を召しておられたが美人であり,若い時代の映像ではより美人であった.余談になるが,その後,三島先生没後,ご夫婦が晩年,体調不良になった折など,阪大の田野教授も受診に際していろいろ配慮してくださったことを記させていただく.三島先生はJJOの発刊がせまると(当時季刊誌),日常の多忙に加えてさらに忙しくなり,険しい顔でMrs.Parkerと教授室で取り組まれ,しばしば面会謝絶の札をかけられていた.このJJOの仕事は病院長,医学部長になられても継続されておられた.謝辞:本稿執筆の機会を賜った木下茂京都府立医科大学教授,資料の提供をいただいた相原一東大眼科教授,伊沢保穂先生,杉井杏里紗,磯部真純東大眼科秘書に深謝申し上げます.三島先生関連の文献(三島先生は教授就任以後は共著者になることをかなり控えておられた.以下は三島先生退官記念誌などからのものである.)三島先生論文リスト(抜粋)和文論文1)三島済一:家兎角膜上皮の細胞分裂について.日本眼科学会雑誌58:1678-1683,19542)三島済一:角膜に対する三文神経支配の意義について第一報.第一部.頭蓋腔内に於ける三又神経第一枝の切断法及びその後の眼変化について.日本眼科学会雑誌59:201-205,19553)三島済一:角膜に対する三叉神経支配の意義について第一報,第二部,三文神経第一枝が切断された場合の角膜創傷治癒機転について.日本眼科学会雑誌59:205-213,19554)三島済一:角膜に対する三文神経支配の意義について第二報.家兎角膜上皮の細胞分裂に対する神経の影響について.日本眼科学会雑誌59:1073-1083,19555)三島済一:角膜に対する交感神経支配の意義について;家兎角膜上皮の細胞分裂に及ぼす影響.日本眼科学会雑誌61:137-143,19576)三島済一:眼の生体顕微鏡検査に対する偏光の応用について.日本眼科学会雑誌61:461-465,19577)三島済一:偏光を用いた生体顕微鏡による健常人眼の観察其のI.角膜の所謂黒十字及び干渉色について.日本眼科学会雑誌62:38C-384,19588)三島済一:偏光を用いた生体顕微鏡による健常人眼の観察其の2.角膜の線維構造について一.日本眼科学会雑誌62:492-497,19589)三島済一:偏光を応用した眼の生体顕微鏡検査の理論その1.標準観察法と装置.臨床眼科52:926-928,195810)三島済一:偏光を応用した眼の生体顕微鏡検査の理論その2.等方性媒質の観察.臨床眼科53:140-142,195911)三島済一:偏光を応用した眼の生体顕微鏡検査の理論その3.透明な異方性結晶の薄片の観察.臨床眼科53:257-260,195912)三島済一:偏光を応用した眼の生体顕微鏡検査の理論その4.結合組織繊維の観察.臨床眼科53:364-367,195913)三島済一:偏光を用いた生体顕微鏡による健常人眼の観察其の3.角膜輪部及び結膜下組織.臨床眼科53:688-691,195914)三島済一:角膜の透過性について.眼科紀要19:1231-1240,196815)三島済一:角膜の厚さ維持の機構.眼科紀要19:1241-1249,196816)三島済一:コンタクトレンズと角膜の生理(第14回日本コンタクトレンズ学会特別講演).日本コンタクトレンズ学会誌12:138152,197017)三島済一,高瀬正弥:抗コリンエステラーゼ剤UBRETID点眼後の眼内移行と前房蛋白量変化について.臨床眼科64:406-411,197018)三島済一,服部英二,山内秀泰:生体内での角膜透過性の測定.日本眼科学会雑誌75(鹿野記念号):198-203,197119)三島済一:角膜実質の電解質量とその実質膨潤時の変化.日本眼科学会雑誌75(鹿野記念号):224-235,197120)三島済一,MauriceDM:生体内角膜内皮のフレオレスセインに対する透過性の測定法.日本眼科学会雑誌75(鹿野記念号):236-243,197121)山内秀泰,三島済一:摘出家兎角膜酸素消費速度に及ぼす5-AMP及びFADの影響.日本眼科学会雑誌75(鹿野記念号):244-251,197122)増田寛次郎,渋谷英美,三島済一:Behcet病前房水中の多核白血球滋走活性の経時的変化.臨床眼科66:734-737,197223)三島済一:試作したMicrosurgery用手術器具とその使用法について.日本眼科学会雑誌77:273-280,197324)三島済一:角膜内皮細胞層の生理と病理.日本眼科学会雑誌77:1736-1759,197325)三島済一:網膜色素変性症の臨床・病因・疫学に関する研究.厚生省特定疾患・網膜色素変性症調査研究班(班長).昭和49年度研究報告書.197526)三島済一:網膜色素変性症の臨床・病因・疫学に関する研究.厚生省特定疾患・網膜色素変性症調査研究班(班長).昭和50年度研究報告書.197627)三島済一:眼科顕微鏡手術のための器具設計について.医科器械学雑46:390-393,197628)三島済一:網膜色素変性症の臨床・病因・疫学に関する研究.厚生省特定疾患・網膜色素変性症調査研究班(班長).昭和51年度研究報告書,197729)三島済一,北澤克明,堀江武,他:PilocarpineOcusertの臨床評価ピロカルピン点眼剤との同一患者の左右眼での比較.臨床眼科72:810-815,197830)三島済一,土方清乃,伊沢保穂,他:Behcet病の視力予後免疫抑制剤の効果.厚生省特定疾患Behcet病調査研究班.昭和53年度研究業績.119-125,197831)三島済一:軟性白内障の吸引.眼科顕微鏡手術148-152,編集:三島済一,医学書院,197932)三島済一,東郁郎,相沢束,他:Pilocarpineにより眼圧調整されている高眼圧症および原発開放隅角緑内障患者に対するTimololの臨床評価.二重盲検試験による検討.臨床評価8:789-820,198033)三島済一,東郁郎,高瀬正弥:Bupranolol点,眼液による緑内障治療成績.臨床眼科74:1170-1185,198034)三島済一:角膜に関する最近の知見.眼科紀要32:13-21,198135)三島済一:角膜涙液の生理学.眼科MOOK15:22-31,金原出版,198136)江口甲一郎,三宅謙作,三島済一,他:インドメタシン油性点眼の術後炎症消炎効果二重盲検法による白内障全摘出術後の消炎効果について.日本眼科学会雑誌86:2198-2212,198237)小室優一,松元俊,白土城照,三島済一:前房内浮遊物の自動計測装置の開発.日本眼科学会雑誌89:556-561,1985英文論文1)MishimaS:Thee.ectsofthedenervationandthestimu-lationofthesympatheticandthetrigeminalnerveonthemitoticrateofthecornealepitheliumintherabbit.JpnJOphthalmol1:65-73,19572)MishimaS:Thebiomicroscopyofthehumaneyeusingpolarizedlight:Findingsinnormalcornea.JpnJOphthal-mol2:182-192,19583)MishimaS,MauriceDM:Theoilylayerofthetear.lmandevaporationfromthecornealsurface.ExpEyeRes1:39-45,19614)MishimaS,MauriceDM:Thee.ectofnormalevapora-tionontheeye.ExpEyeRes1:46-52,19615)MauriceDM,MishimaS:Evaporationfromthecornealsurface.JPhysiol155:49-50,19616)HedbysBO,MishimaS:Flowofwaterinthecornealstroma.ExpEyeRes1:262-275,19627)DohlmanCH,HedbysBO,MishimaS:Theswellingpres-sureofthecornealstroma.InvestOphthalmol1:158-162,19628)HedbysBO,MishimaS,MauriceDM:Theimbibitionpressureofthecornealstroma.ExpEyeRes2:99-111,19639)MishimaS:Somephysiologicalaspectsoftheprecornealtear.lm.ArchOphthalmol73:233-241,196510)BrownSI,MishimaS:Thee.ectofintralamellarwater-impermeablemembranesoncornealhydration.ArchOph-thalmol76:702-708,196611)HedbysBO,MishimaS:Thethickness-hydrationrela-tionshipofthecornea.ExpEyeRes5:221-228,196612)MishimaS,GassetA,KlyceSDetal:Determmationoftearvolumeandtear.ow.InvestOphthalmol5:264-276,196613)StanleyJA,MishimaS,KlyceSDJr:Invivodetermina-tionofendothelialpermeabilitytowater.InvestOphthal-mol5:371-377,196614)MishimaS,HedbysBO:Thepermeabilityofthecornealepitheliumandendotheliumtowater.ExpEyeRes6:10-32,196715)MishimaS,KudoT:InvitroincubationofrabbitcorneaInvestOphthalmol6:329-339,196716)Baum,JL,MishimaS,Borucho.A:OnthenatureofDel-len.ArchOphthalmol79:657-662,196817)MishimaS,HedbysBO:Measurementofcornealthick-nesswiththeHaagStreitpachometer.ArchOphthalmol80:710-713,196818)MishimaS,HedbysBO:Physiologyofthecornea.InternOphthalmolClinics8:527-560,196819)MishimaS,TrenberthSM:Permeabilityofthecornealendotheliumtononelectrolytes.InvestOphthalmol7:34-43,196820)TrenberthSM,MishimaS:Thee.ectofouabainontherabbitcornealendothelium.InvestOphthalmol7:44-52,196821)KayeGI,MishimaS,ColeJDetal:Studiesonthecornea.VII.E.ectsofperfusionwithaCa++-freemediumonthecornealendothelium.InvestOphthalmol7:53-66,196822)MishimaS:Cornealthickness.SurvOphthalmol13:57-96,196823)MishimaS,KayeGI,TakahashiGHetal:Thefunctionofthecornealendotheliumintheregulationofcornealhydration.THECORNEA・Amacromolecularorganizationofaconnectivetissue207-235,edt.M.E.Langham,JohnsHopkinsPress,BaltimoreandLondon,196924)FarrisRL,KubotaZ,MishimaS:Epithehaldecompensa-tionwithcornealcontactlenswear.ArchOphthalmol85:651-660,197125)MishimaS,HattoriE,YarnanouchiH:Invivodetermina-tionofthecornealpermeability.JpnJOphthalmol15:183-191,197126)TakaseM,MishimaS:Proteincontentoftheaqueoushumorofthelivingrabbit.JpnJOphthalmol16:67-76,197227)MasudaK,IzawaY,MishimaS:Prostaglandinsanduve-itis:Apreliminaryreport.JpnJOphthalmol17:166-170,197328)MasudaK,MishimaS:E.ectsofprostaglandinsonin.owandout.owoftheaqueoushumorinrabbits.JpnJOph-thalmol17:300-309,197329)OtaY,MishimaS,MauriceDM:Endothelialpermeabilityofthelivingcorneato.uorescein.InvestOphthalmol13:945-949,197430)YoshidaS,MishimaS:Apharmacokineticanalysisofthepupilresponsetotopicalpilocarpineandtropicamide.JpnJOphthalmol19:121-138,197531)MasudaK,IzawaY,MishimaS:Prostaglandinsandglau-comatocycliticcrisis.JpnJOphthalmol19:368-375,197532)NagatakiS,MishimaS:Aqueoushumordynamicsinglaucomato-cycliticcrisis.InvestOphthalmol15:365-370,197633)MishimaS:ApharmacokineticanalysisofthepupilresponsestopilocarpineandtropicamideTHESOFTCONTACTLENSES.TheSecondInternationalMedicalSymposium.edt.MishimaS.,110-ll7,197634)TamuraT,UenoK,MishimaS:E.ectsoftopicalisopro-terenolontheciliaryepitheliumofrabbiteye;anelectronmicroscopicstudy.THESTRUCTUREOFTHEEYEIII,111-118,edt.Yamada,E.andMishima,S.,PublishedbyJpnJOphthalmol197635)MishimaS,OtaY,TanishimaT:ThecornealulcersinJapan:EtiologyandManagement.TransAsia-Paci.cAcadOphthalmol6:225-229,197636)SawaM,MasudaK,MishimaS:Topicalindomethacininsoftcataractaspiration.TransAsia-Paci.cAcadOphthal-mol6:359-362,197637)TaninoT,OhbaN,MishimaS:UntersuchungenzurReti-nopathiaPigmentosa(StatistischeAnalysevonPerimeter-befunden).KlinMblAugenheilk170:808-813,197738)MishimaS,TakizawaS:Developmentinmicroscopedesigns.AdvOphthalmol37:4-10,197839)MishimaS,NagatakiS:Pharmacologyofophthalmicsolu-tions.(ConradBerensMemorialLecture)ContactIntraocu-larLensMedJ4:22-46,197840)MochizukiM,MishimaS:Theadrenergice.ectsoncyclicAMPandtensionofthesphincterpupillaeoftherabbit.DocumOphthalmolProcSeries18:353361,197941)SatoT,OtaY,KimuraCetal:Theendotheliumofthecornealgraft:Morphologicalandfunctionalaspects.DocumOphthalmolProcSeries20:73-81,197942)MishimaS,TamuraT,TakaseMetal:E.ectsofadren-ergicdrugsontheeye:Someexperimentalstudies.Glau-comaUpdate,159-168,edt.Krieglstein,G.K.andLeyd-hecker,W.,Springer・Verlag,Berlin,Heidelberg,197943)MishimaS,MasudaK:Prostaglandinsandtheeye:Areviewonclinicalimplications.MetabolPediatOphthalmol3:179-186,197944)MishimaS,MasudaK,IzawaYetal:Behcet’sdiseaseinJapan:Ophthalmologicaspects.(The8thFrederickH.Verhoe.Lecture)TransAmOphthalmolSoc77:225-279,197945)NagatakiS,MishimaS:Pharmacokineticsofinstilleddrugsinthehumaneye.InternOphthalmolClinics20:33-49,198046)AraieM,SawaM,NagatakiSetal:Aqueoushumordynamicsinmanasstudiedbyoral.uorescein.JpnJOphthalmol24:346-362,198047)MishimaS:Injuriestotheirisandcornealendotheliuminintraocularsurgeries.DevOphthalmol1:29-41,198148)MishimaS:Clinicalpharmacokineticsoftheeye.(ProctorLecture)InvestOphthalmolVisSci21:504-541,198149)MishimaS:Diagnosisandmanagementofglaucoma.(Sha-hidDr.AlimMemorialLecture)TransOphthalmolSocBang9:1-6,198150)MishimaS:Currentsurgeryforopenangleglaucoma.TransAsia-Paci.cAcadOphthalmol8:138-142.198151)MishimaS:Clinicalinvestigationsofthecornealendothe-lium.(XXXVIIIEdwardJacksonMemorialLecture)AmJOphthalmol93:1-29,198252)MishimaS:Clinicalinvestigationsonthecornealendothe-lium.Ophthalmology89:525-530,198253)MishimaS:Oculare.ectsofbeta-adrenergicagents.(XIIJulesSteinLecture)SurvOphthalmol27:187-208,198254)MishimaS:Biomicroscopyusingpolarizedlight.(Castro-viejoLecture)Cornea1:187-194,198255)ShiratoS,KitazawaY,MishimaS:Acriticalanalysisofthetrabeculectomyresultsbyaprospectivefollow-updesign.Jpn.J.Ophthalmol26:468480,198256)MishimaS:Treatmentofopen-angleglaucoma.TransAsia-Paci.cAcadOphthalmol9:139-146,198357)MishimaS,TakaseM,AraieMetal:Beta-adrenergicagonistsandantagonists:Clinicalpharmacokinetics.Glau-comaUpdateII.1114,edt.KrieglsteinGKandLeydheck-erW,Springer-Verlag,198358)MauriceDM,MishimaS:Ocularpharmacokinetics.Phar-macologyoftheEye:HandbookofExperimentalPharma-cology69:19-116,edt.Sears,M.L.,Springer-Verlag,Ber-lin,Heidelberg,198459)MishimaS:Cornealendotheliumandpenetratingkerato-plasty.EyeScience2:12-15,1986.三島濟一先生の思い出松元俊(東京逓信病院眼科部長)はじめに三島済一東京大学名誉教授の教えおよびその人となりについて私の経験したことを中心に記載する.まず,三島「さいいち」の名前の表記であるが,通常は「済」の字を使っておられたのだが,文献によっては「濟」の字が使われている1).正式には後者のようだが,生前にご本人にお聞きしたところ,「『済』でよい」とのことであった.ワープロの漢字変換機能が不十分だった頃のことなので,実利を取られたのだろうが,陋習に囚われない合理的な考えの持ち主であった.先生の業績は一冊の本では書ききれないほど多く,その分野も多岐にわたっているので,ここでは,合理的思考を彷彿とさせる,英語論文と眼科手術の開発について紹介したい.■英.語.論.文■“JapaneseJournalofOphthalmology”(JJO)は1957年に萩原朗教授が創刊した2)わが国唯一の英文眼科雑誌であるが,この編集は歴代の東大眼科教授に引き継がれ,三島先生も1971.1992年の教授在職中に編集長の任に当たっていた.当時,BettyParker女史が英語表現の手助けをしていたが,三島先生自身も英語に堪能で,掲載が決まった論文の英文を著者と膝を交えて修正する光景が良く見られた.これは大学眼科教授が著者であっても例外ではなく,教授室で面談しては投稿時の英文を容赦なく修正していた.その意図は,「せっかく内容の高い論文なので,英文表現の問題で評価が低くなることは何としてでも避けたい」というものであったのだろう.もちろん東大眼科教室員に対してはもっと厳しく,一応英文で原稿を書いて持って行っても,「ディクテーション」の一言で英文の口述筆記となり,論文の構成から表現まで根底から手直しされるのが常であった.外国語で論文を一から口述できるということは,相当論理的思考能力が高いということである.私が論文を書き始めたころは,三島先生は日本語の論文は校閲しなかったので,英語論文の「ディクテーション」を通じて論文の書き方を学ぶことになった.このようにして日本全国の眼科研究者に英文での論文発表を啓発していった結果,次第にJJOに国内から投稿される論文が増加し,事務局を務めていた東大眼科の作業量はどんどん増加していった.昭和55年頃は,送られてくる原稿は英文タイプがようやく主流になっていたが,中にはタイプはされているもののダブルスペースで打たれていないものや手書きのものもあり,編集作業にあたって,英文タイプをダブルスペースで打ち直すこともあった.編集作業が膨大になってきたため,当時としては最新鋭のIBMのワードプロセッサを導入した.今のようにハードディスクが発達していなかったので,8インチの巨大なフロッピーディスクを出し入れして作業を行った.現在からみると非常に旧式で巨大な装置であったが,それまではダブルスペースで行間を広く取った余白に修正文を赤ペンで書き込んで,最終稿ができたらそれをまたタイプライターで打ち直してから印刷所へ送っていたので,編集作業は格段に楽になった.当時数百万円はしたであろうと噂されていたが,明確な目的の下に高額な投資を行って成功に導くという手法は論理的思考力に優れていなければできなかったであろう.編集長の努力と厳格な査読により,JJOの国際的な評価は高くなり,三島編集長時代に“ExcerptaMedica”の選ぶ「世界の主要眼科雑誌12」の一つに数えられるようになった.このように三島先生は日本から質の高い論文を発信することを追及した一方,当時,わが国の一部に根強く残っていた「論文は質より量」という考え方には批判的で,「医学論文には,世の中の役に立つ論文(薬のようなもの),害を与える論文(毒のようなもの),毒にも薬にもならない論文の3種類がある.毒にも薬にもならない論文が一番悪い.だから,そんな論文は書くな」と医局員を指導していた.■眼科顕微鏡手術発展への貢献■三島先生は「研究の人」というイメージが強いが,実は臨床にも関心が高かった.しかし,そのアプローチの方法は少し常人と違っていて,手術に関していえば大向こうをうならせるような名人芸の手術はめざしていなかったようである.それよりも「誰がやっても必ずうまくいく」眼科手術を追及しており,そのための周辺機器の開発や,周術期の眼生理や眼薬理も研究していた.その基本的なシステムとして眼科顕微鏡手術には早くから取り組んでおり,1970年には,杉田慎一郎,永田誠,林文彦,湖崎弘,小暮文雄の5名とともに世話人となり「眼科顕微鏡手術の会」を組織した.この会はclosedの会であったため,後に発展解消して日本眼科手術学会となる.第7回日本眼科手術学会は那覇で行われたが,このときの特別講演を三島先生が担当し,「手術と眼組織反応」というタイトルで,単なる手術方法や技術を論じるだけでなく,基礎的な問題も学問的裏付けをもって研究し,その結果手術を成功に導くという,その後の眼科手術学会の方向性を示した3).現代眼科手術の基本である眼科手術用顕微鏡は,当時カールツァイス社が先行して開発を行っていたが,体格の小さな日本人には使いにくいものであった.そこで,トプコンと共同で日本人の体格に合った眼科手術用顕微鏡を開発したことは別項で澤充氏が詳しく述べている.当時の眼科顕微鏡手術の会のメンバーは,単に顕微鏡手術に習熟するだけでなく,顕微鏡下でも使いやすい手術器具の開発も盛んに行っていた.三島先生も顕微鏡手術に特化した手術器具をいくつか開発しており,その名称には「三島式○○」と冠名がついている(図1).顕23図1三島式顕微鏡手術用器具1.三島式スパーテル,2.三島式モスキート開瞼器,3.三島式角膜剪刀,4.三島式角膜鑷子,5.三島式結膜鑷子.(株式会社イナミ手術器械総合カタログ1998年版より引用改変)微鏡手術以前は外科で用いるような大きな器具が用いられていたが,顕微鏡下の狭いワーキングディスタンスではともすれば顕微鏡と接触して不潔になる.そこで,顕微鏡下でも邪魔にならないように器具を小型化しただけでなく,人間工学を応用して狭いスペースでも自由に動かせる器具を開発したのである.これらの成果や手術術式の改良によって,隣で肉眼での白内障手術が5分で終わるのを横目に見ながら2時間もかかって黙々と行っていた創成期の顕微鏡下白内障手術は,現在みられるような安全で確実な手術に変貌したのである.もちろん,これらの器具を正しく使えないようでは安全確実な手術はできない.手術台と術者の椅子の高さの調整,顕微鏡の視度調整,術者の肘当の調整,鑷子類の持ち方など,手術で最高のパフォーマンスを発揮するために細かく医局員を指導していたことも忘れてはならない.おわりにこれまで紹介したような三島先生の多彩な研究活動を支えていた才能はなんだったのであろうか.しいてあげるとすれば,理科系特有の論理的思考力と良いものは慣習にとらわれずにどんどん取り入れる合理性が根幹にあったと思われる.しかし,論理や合理の「理」一辺倒ではなく情を大切にする一面もあった.一例をあげれば,当時教室員とその家族を対象にして年に一度行われていた「ガーデンパーティー」が思い浮ぶ.これは,留学時代に欧米の研究者が家族ぐるみでホームパーティーに呼び合うのを経験して,帰国後も日本でこんなパーティーができないかなと考えたが,日本の住宅事情では多くの教室員やその家族を呼ぶことはできない.そこで,ご自宅近くの小金井公園で開催することを思いつかれたようである.好天に恵まれれば広々とした公園で持ち寄った料理を皆で食べ,普段はお会いできない先輩教室員のご家族とも知り合えて有意義な会であった.当日は三島先生ご夫妻が七面鳥を準備するのが慣例となっており,教授自ら参加者ににこにこしながら取り分けておられたのを思い出す.教室員の家族,とくに夫人への気配りは大変なもので,当時の教室員の奥さんは三島ファンが多かった.古き良き時代の公私ともに尊敬できる上司であった.文献1)鉄門倶楽部名簿2015年版2)MishimaS:ThehistoryofophthalmologyinJapan.Thehistoryofophthalmology:Themonographs,vol10,Way-enborghJP,Belgium,20043)日本眼科学会百周年記念誌編纂委員会編:日本眼科の歴史3昭和(後)平成編,日本眼科学会,1997☆☆☆