わが国におけるロービジョンケアの歴史TheHistoryofVisualRehabilitationinJapan安藤伸朗*はじめにわが国のロービジョンケアは,平安時代に始まり長い歴史と独特の経緯を有する.当初は職業訓練や視覚障害をもつ人々を保護する施策が主体であった.次第に障害者自らが自立する機運が高まり,今では人権を尊重する時代と変わってきた.一方で眼科領域では,診断治療学が発達し,視機能を保持することが可能となった.新しい学問技術により失明者にも光を届けることも可能な時代になってきた.さらに最近では人工知能(arti.cialintelligence:AI)が診断治療に取り入れられている.このような状況激変のなかでロービジョンケアをどのようにとらえ,取り組んでいくかを考えるうえで,ロービジョンケアの歴史を知ることは大事なことである.本稿では,まずわが国のロービジョンケアの歴史を掘り下げ,視覚リハビリテーションの領域で先駆的に活躍した眼科医をレビューする.さらには組織として取り組むようになった歴史を振り返り,今後のわれわれ眼科医とロービジョンケアのあり方について論じる.I明治以前(平安から江戸):当道座当道座は,中世から近世にかけて存在した男性盲人の自治的互助組織(特殊コミュニティ)である.始まりは平安時代,仁明天皇の子の人康(さねやす)親王(831~872年)が創始者といわれている.親王は盲目(眼疾による中途失明)で,琵琶の名手であった.朝廷は,当時,盲人に琵琶,管弦,詩歌を教える者に官位を授けたとされている.その後,鎌倉時代には『平家物語』が流行し,盲人が演奏した(平家座頭).室町時代には検校明石覚一が『平家物語』の覚一本を作成し,室町幕府から庇護を受けた.江戸時代には当道座は江戸幕府から公認され,寺社奉行の管理下にあった.官位は最高位の検校から順に,別当,勾当,座頭に区分され,それぞれはさらに細分化され全部で73段階あった.当道座に属する盲人の人数は3,000人(江戸には検校68名,勾当67名,座頭170名,それ以下の者360名)といわれている(推定される当時の視覚障害者数は5万人).しかし,1871年(明治4年),当道座は解体され消滅した.II明治以降全国各地に盲学校が設立された.古河太四郎(ふるかわ・たしろう)は1878年(明治11年),京都盲唖院を設立した.次いで1880年(明治13年),東京に楽善会訓盲唖院が開校,1891年(明治24)には新潟県高田市(現在の上越市)に,眼科医の大森隆碩が私立高田訓矇学校を設立した.各地での盲学校設立には眼科医がかかわってきた.現在では,2007年施行の学校教育法改正により盲学校は聾学校,養護学校とともに,学校種が「特別支援学校」となり,「視覚特別支援学校」の名称の特別支援学校もある.*NoburoAndo:立川綜合病院眼科〔別刷請求先〕安藤伸朗:〒940-8621新潟県長岡市旭岡1-24立川綜合病院眼科0910-1810/18/\100/頁/JCOPY(3)567盲学校以外では,1890年(明治23年),6点式点字の開発(石川倉次),1940年(昭和15年),日本盲人図書館創立(本間一夫),1948年(昭和23年),東京と塩原に光明寮(国立リハビリテーションセンターの前身)開設,1948年(昭和23年),日本盲人会連合発足(初代会長;岩橋武夫),1961年(昭和36年),京都ライトハウス発足(鳥居篤治郎)と続いた.III保護から自立,人権の尊重へ視覚障害に限らず,障害者の世界は大きく変わろうとしている.障害者リハビリテーションと戦争はかかわりが深い.第二次世界大戦により障害者が大量に生まれた.戦勝国では軍隊は残り,治療・リハビリテーションを国策で行うことにより,外傷治療学やリハビリテーション学が発展した.一方,敗戦国では軍隊は解散し,傷痍軍人が街に溢れた.そこで国が障害者の福祉を行い,わが国では,1949年(昭和24年),身体障害者福祉法が成立した.1954年(昭和29年),世界盲人福祉協議会(WorldCouncilforWelfareoftheBlind:WCWB)では「ゆりかごから墓場まで」が謳われ,弱者の保護政策が強調された.1964年,WCWBで「視覚障害者の人間宣言」が示された.曰く,「盲人を援護し庇護することは,盲人のためにかもしれないが,盲人の人権を無視したもの」.視覚障害者の自立が宣言された.さらに2008年,国連総会において「障害者の権利に関する条約」が採択された.これは障害者の人権および基本的自由の享有を確保し,障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的として,障害者の権利の実現のための措置などについて定める条約である.わが国は平成19年(2007)に条約に署名し,2014年1月に批准書を提出した.これにより,障害者の人権尊重がより明白となった.IV活躍した眼科医1.小柳美三(東北大学初代眼科教授)Vogt-小柳型ぶどう膜炎で有名な小柳美三(こやなぎ・よしぞう)初代東北大学眼科教授が,『日本眼科学会百周年記念誌』に,創生期のロービジョンケア先駆者として紹介されている1).1929年,小柳教授が『日本学校衛生誌』に「弱視教育における特殊教育の必要」を発表し,低視力児の特殊教育の必要性を訴えた.それが功を奏して,1933年,南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された.2.順天堂大学眼科(紺山和一,赤松恒彦,中島章)1964年(昭和39年),順天堂大学眼科がわが国初のロービジョン外来(眼科臨床更生相談所)を開設された.ロービジョンケアという概念もないころであり,特筆すべきことである2).中島教授は,当時「眼科医は今迄なにをしてきたのか!」という論文を残している.その内容をかいつまんで紹介する.《昭和39年より眼科臨床更生相談所を開設し,また昭和41年3月より東京都身体障害者巡回診療班に加わり東京都内全域(島部も含め)をめぐり,視力障害者に多く接する機会を得た.その間に感じた2,3の点を記し,反省しつつ眼科臨床医が視覚障害者に遭遇した場合にどのような対応をとればよいかを述べ,将来の構想を述べた.1)眼科医は今迄なにをしてきたのか,2)身障者に対するあつかいの悪い例,3)更生福祉はどのようになされているか,4)眼科医はどうあるべきか,5)眼科医はどうしたらよいか,6)現在までの反省及び今後のあるべき方向……失明した方々を見ていると現在の医療の矛盾を多く感じ,早く,そして少しでも幸福な生活にもどしてあげるのが医療の本質と強く思い,この一文がそのための一石となることを願いつつ書いた.》3)順天堂大学ロービジョンケアの伝統は現在も引き継がれ,村上晶教授は第18回日本ロービジョン学会(2017年5月,岐阜)で,「我が国初の眼科リハビリテーションクリニック」と題して特別講演を行った.3.原田政美(東北大学教育学部視覚欠陥学教室)東京大学眼科(萩原朗教授)で斜視弱視の研究を行568あたらしい眼科Vol.35,No.5,2018(4)っていた原田政美は,萩原教授の退官後の1965年(昭和40年),東北大学教育学部視覚欠陥学教室の初代教授に就任し,視覚支援について本格的に研究を開始した.これは本格的なロービジョンケア学の始まりであった.同教室について原田教授自身が執筆した一文を引用する4).「東北大学教育学部視覚欠陥学教室」〈教室の沿革〉東北大学教育学部教育心理学科には従来から聴覚言語欠陥学講座が設置されているが,昭和40年度,新たに視覚欠陥学講座が設けられ,この結果,本学科は教育心理学関係二講座,欠陥学関係講座二講座,計四講座となった.視覚欠陥学講座は大学院(修士および博士課程)を持った実験講座で,大学院においては聴覚言語欠陥学とともに身心欠陥学を形成している.〈教室の目的〉従来本学部には同じく視覚欠陥学と呼ばれた盲学校教員養成課程があったが,盲教員養成は今後宮城教育大学で行うことになり,本講座は広く視覚欠陥に関する基礎科学的研究を行うことを目的とする.視覚に欠陥のあるものが現代社会によく適応し,各個人の最大限の可能性をもって,社会生活を営めるような知見を提供すべく,医学的,心理学的,教育学的な研究を行う.日本に多発性硬化症が存在することを初めて主張した眼科医,桑島冶三郎も最終的な所属は本教室である.臨床のロービジョンクリニック「眼科臨床更生相談所」(順天堂大学)と,アカデミックにロービジョンケア学をめざした東北大学視覚欠陥学講座は,奇しくもほぼ同時期に始まった.4.国立身体障害者リハビリテーションセンター(現,国立障害者リハビリテーションセンター)(簗島謙次,仲泊聡,清水朋美)1983年,国立身体障害者リハビリテーションセンター病院が設立された.本センターは,障害のある人々の自立した生活と社会参加を支援するため,医療・福祉サービスの提供,新しい技術や機器の開発,国の政策に資する研究,専門職の人材育成,障害に関する国際協力などを実施する国の組織である.視覚障害を担当する歴代部長は,簗島謙次(1989年~),仲泊聡(2008年~),清水朋美(2016年~)である.1991年(平成3年),視覚障害者用補装具適合判定医師研修会(厚生労働省)が開始され,ロービジョンケアを行うことのできる眼科医を,全国に広げている.研修を終えた眼科医は,現在1,000名を超えた.5.日本ロービジョン学会(田淵昭雄,高橋広,加藤聡)2000年(平成12年)4月に創設された.本学会は,わが国における視覚に障害を有する児・者へのハビリテーションと,リハビリテーションに関する学際的な研究および臨床の向上,会員同士および諸外国との交流を目的に設立された.眼科医,視能訓練士,看護師などの医療関係者以外に,教育,福祉,労働,ロービジョン関連機器に携わる企業関係者などさまざまな職種の方々が参加している学際的な学会である.歴代理事長は,田淵昭雄(2000~),高橋広(2010~),加藤聡(2013~)である.学会会員数は,845名でうち眼科医は277名(2018年1月現在)である.6.視覚リハビリテーションに尽力した偉大なサージャン(樋田哲夫,田野保雄)古今東西を問わず,RobertMachemerやCharlesSchepensなど,偉大な眼科サージャンは視覚リハビリテーションにも熱心である.わが国の樋田哲夫,田野保雄もしかりである.現在,日本眼科学会のホームページからも引用できる「感覚器医学ロードマップ感覚器障害の克服と支援を目指す今後10年の基本戦略」(改訂第2版,2008年8月)5)は,田野保雄(当時,大阪大学医学部眼科教授)が委員長であり,樋田哲夫(当時,杏林大学医学部眼科教授)も10人の委員のうちの1人であった.基本戦略4本柱には,疫学研究,眼疾患に対する新しい治療法開発・普及,視力障害者が視力回復もしくは視力の代替手段の提供とともに,ロービジョンケアの重要性が謳われている.具体的には,病態を二つに分け,1.「治る病態」には糖尿病網膜症と緑内障をあげ,早期発見・早期治療,予防治療を重視している.2.「治らない病態」に対して(5)あたらしい眼科Vol.35,No.5,2018569表1わが国のロービジョンケアの歴史