‘記事’ カテゴリーのアーカイブ

落屑物質を伴う緑内障に対するラタノプロストとβ遮断薬の眼圧下降効果の比較

2014年2月28日 金曜日

《原著》あたらしい眼科31(2):263.266,2014c落屑物質を伴う緑内障に対するラタノプロストとb遮断薬の眼圧下降効果の比較正林耕平*1井上俊洋*1笠岡奈々子*1岩尾美奈子*1稲谷大*2谷原秀信*1*1熊本大学大学院生命科学研究部眼科学分野*2福井大学医学部眼科学教室ComparisonofLatanoprostandb-BlockerIntraocularPressureReductioninGlaucomawithExfoliationMaterialKoheiShobayashi1),ToshihiroInoue1),NanakoKasaoka1),MinakoOgata-Iwao1),MasaruInatani2)HidenobuTanihara1)and1)DepartmentofOphthalmology,FacultyofLifeSciences,KumamotoUniversity,2)DepartmentofOphthalmology,FacultyofMedicalSciences,UniversityofFukui無点眼または点眼washout可能であった落屑物質を伴う開放隅角緑内障症例22例22眼を対象に,オープンラベル無作為化並行群間比較法にてラタノプロスト群(L群)とチモロール群(T群)の眼圧下降効果を比較した.L群は11眼,開始時平均眼圧は19.9±5.2mmHg,3カ月後平均眼圧は14.6±3.4mmHgであった.T群は11眼,開始時平均眼圧は21.2±8.3mmHg,3カ月後平均眼圧は17.0±3.7mmHgであった.3カ月後に30%の眼圧下降を達成した症例はL群で4眼(40%),T群で2眼(20%)であった.眼圧は点眼開始後1,2,3カ月において両群間で有意差を認めなかった.ベースラインと比較し,L群で1,2,3カ月後の眼圧は有意差を認めた(p<0.01).T群では1,2カ月後の眼圧は有意差を認めた(p<0.05)が,3カ月後の眼圧は有意差を認めなかった.Thesubjectscomprised22patientshavingglaucomawithexfoliationmaterialwhowerenotreceivingtherapyorwhowereabletohavewashoutperiod.Effectsonintraocularpressure(IOP)werecomparedbetweenlatanoprostandtimololmaleate,usinganopen-labelrandomizedtrial.MeanIOPatbaselineand3monthsafteradministrationforthelatanoprostgroupwere19.9±5.2and14.6±3.4mmHg,respectively.Thecorrespondingvaluesforthetimololgroupwere21.2±8.3and17.0±3.7mmHg.Eyesthatachieved30%reductioninIOPvalueat3monthsafteradministrationnumbered4(40%)inthelatanoprostgroupand2(20%)inthetimololgroup.IOPvaluesdidnotdiffersignificantlybetweenthetwogroupsat1,2,or3monthsafteradministration.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)31(2):263.266,2014〕Keywords:落屑症候群,ラタノプロスト,チモロールマレイン酸塩,眼圧.exfoliationsyndrome,latanoprost,timololmaleate,intraocularpressure.はじめに落屑症候群とは,ふけ様物質の存在に伴う特徴的病変をきたす症候群であり,わが国における60歳代の有病率は1.09%,70歳代は3.95%であり,このうちの17.8%に緑内障を伴うと報告されている(落屑緑内障)1,2).落屑緑内障に対する薬物療法としては,その眼圧下降作用の大きさから,プロスタグランジン製剤またはb遮断薬のいずれかが第一選択薬として使用されることが多く,ついで両剤の併用,さらには3剤目としてドルゾラミドもしくはブナゾシンが追加される場合が多いと考えられる3).落屑緑内障の原因遺伝子の一つとしてLOXL1が同定されたことから4),細胞外マトリックス制御異常が眼圧上昇機序に関わる可能性が示唆されているが詳細は不明であり,原発開放隅角緑内障(primaryopen-angleglaucoma:POAG)とは異なる病態が存在する可能性がある.したがって,その薬物療法の効果についてはPOAGと区別して評価する必要があるが,落屑緑内障患者〔別刷請求先〕井上俊洋:〒860-8556熊本市本荘1丁目1番1号熊本大学大学院生命科学研究部眼科学分野Reprintrequests:ToshihiroInoue,DepartmentofOphthalmology,FacultyofLifeSciences,KumamotoUniversity,1-1-1Honjo,KumamotoCity860-8556,JAPAN0910-1810/14/\100/頁/JCOPY(103)263 のみを対象にb遮断薬とプロスタグランジン製剤のいずれが眼圧下降効果が高いかを比較した報告は,筆者らが知る限りKonstasらによるラタノプロストとチモロールマレイン酸塩の比較試験3)に限られており,日本人落屑緑内障患者に対する第一選択薬としての両剤の有用性は十分に検討されているとはいえない.そこで今回筆者らは,日本人の落屑物質を伴う緑内障眼に対する第一選択薬としてのプロスタグランジン製剤とb遮断薬の位置づけを明らかにするべく,ラタノプロストとチモロールマレイン酸塩の眼圧下降効果について前向きに比較検討した.I対象および方法1.対象対象疾患は熊本大学医学部附属病院眼科もしくは熊本県小国公立病院眼科を受診した落屑物質を伴う緑内障症例とし,その診断基準は開放隅角であり,散瞳下における細隙灯顕微鏡の観察において水晶体表面または虹彩瞳孔縁に落屑物質を認め,緑内障性視野異常または視神経乳頭の変化が確認された場合とした.左右いずれか眼圧が高いほうを評価眼とした.なお,左右の眼圧が同じで,右眼に特に異常がない場合,右眼を評価対象眼とした.このうち40歳以上の男女で,少数視力0.1以上の矯正視力を有し,無点眼または点眼washout可能で,文書による同意が得られた症例,22例22眼を対象とした.男性9例,女性13例.平均年齢およびその標準偏差は75.0±7.3歳であった.過去28日以内にラタノプロストかチモロールマレイン酸塩(チモロール)を投与された症例,ラタノプロストかチモロールのアレルギー歴のある症例,緑内障手術か過去3カ月以内に内眼手術を受けた症例,眼感染症やぶどう膜炎の症例,気管支喘息,心不全,重症の糖尿病,妊娠の症例,その他主治医が不適当と判断した症例は除外された.2.方法本研究は熊本大学倫理委員会ならびに小国公立病院倫理委員会の承認を得た上で,対象患者に本調査について口頭および書面にて説明を行い,書面による同意を得て施行した.また,前向き臨床研究として,C000000425の試験IDにてUMIN登録された.試験開始前にすでに点眼をされていた症例については4週間のwashout期間を設けた.オープンラベル無作為化並行群間比較法にて点眼薬を決定した.ラタノプロスト群(L群)は0.005%ラタノプロスト点眼液(キサラタンR点眼液0.005%,1日1回夜点眼),チモロール群(T群)は0.5%チモロールマレイン酸塩点眼液(チモプトールR点眼液0.5%,1日2回朝・夕点眼)を投与した.点眼開始時から1カ月ごとに眼圧測定,細隙灯顕微鏡検査,眼底検査を施行して眼圧下降効果と有害事象の評価を行い,3カ月後264あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014眼圧(mmHg)353025201510500123:Latanoprost:Timolol********p<0.01,*p<0.05byt-test**観察期間(月)図1期間中の眼圧経過(平均値と標準偏差)の30%以上の眼圧下降を目標達成と判定した.眼圧はGoldmann圧平式眼圧計によって測定を行った.検査時間は午後1.4時の間に行った.診察,検査は熊本大学附属病院の眼科医3名によって行った.また,点眼開始時と3カ月後の時点でHumphrey視野計プログラムSITASTANDARD24-2を用いて視野検査を行い,固視不良,偽陽性,偽陰性のいずれも20%未満であるものを信頼できる結果とし,視野進行の程度について評価した.統計学的検定についてはunpairedt検定,もしくはFisherの正確確率検定を用い,危険率5%未満をもって有意とした.II結果1.ラタノプロストおよびチモロールマレイン酸塩点眼による眼圧下降効果脱落例はL群で1眼(9.1%),T群で1眼(9.1%)であり,その原因はL群の1例は同意の撤回,T群の1例はコンプライアンスが遵守できなかったためであった.L群は10眼(男性4眼,女性6眼),平均年齢は78.4歳(64.90歳),開始時平均眼圧は19.9±5.2mmHg(13.29mmHg),3カ月後平均眼圧は14.6±3.4mmHg(10.20mmHg)であった.T群は10眼(男性4眼,女性6眼),平均年齢は72.6歳(66.82歳),開始時平均眼圧は21.2±8.3mmHg(12.40mmHg),3カ月後平均眼圧は17.0±3.7mmHg(11.24mmHg)であった.両群の眼圧経過を図1に示す.3カ月後の平均眼圧下降率はL群で26.6%,T群で19.8%であり,30%の眼圧下降達成はL群で4眼(40%),T群で2眼(20%),未達成はL群で6眼(60%),T群で8眼(80%),眼圧経過は1,2,3カ月において両群間で有意差を認めなかった.ベースラインと比較して,L群は1,2,3カ月後有意に眼圧が低下した(p<0.01).T群では1,2カ月後の眼圧は有意差を認めた(p<0.05)が,3カ月後の眼圧は有意差を認めなかった.点眼開始前眼圧,白内障手術既往,年齢,性別について両郡間に有意差を認めなかった.追跡できた20眼のうち,13眼が有(104) 水晶体眼,7眼が眼内レンズ挿入眼だった.有水晶体眼群と眼内レンズ挿入眼群との間に眼圧下降値,眼圧下降率ともに有意差はなかった.2.視野Humphrey視野検査によって試験前後とも信頼できる結果が得られた症例はL群7眼,T群9眼であった.点眼開始前のグローバル・インデックスの平均偏差の平均はL群では開始時.6.48±3.3dB,3カ月後は.4.78±4.7dBであった.T群における同数値は開始時平均.6.46±3.5dB,3カ月後は.6.07±4.8dBであった.いずれの群においても開始時と3カ月後とを比較した場合に有意差はなかった.3.有害事象有害事象はL群において3カ月後に点状表層角膜症を1例(10%)に認めた.点眼薬の中止など有害事象についての対処を行う程度ではなかった.T群では特に有害事象は認められなかった.III考按落屑緑内障の治療は一般的にPOAGに準じると考えられている.しかしながら,落屑緑内障の眼圧上昇機序はPOAGと異なる可能性があり,また臨床背景もPOAGとは同一ではないため1)独自に評価することが必要である.たとえばPOAGと比べた場合,落屑緑内障は眼圧が高く,かつその変動幅が大きいこと,また片眼性の症例が多く発見が遅れる場合が多いことが報告されており,これらの要因を反映して視神経視野障害の進行も速いとされている5.8).落屑緑内障に対する薬物治療では,BlikaらはPOAG130眼と落屑緑内障50眼を比較し,POAGの33%がチモロール単剤で3年間眼圧コントロール可能であったのに対し,落屑緑内障では8%しか単剤では眼圧コントロールが得られなかったと報告している9).また,Pohjanpelto10)によると落屑物質を有しない高眼圧症111例中20例(18%)が点眼加療中に視野障害を生じたのに対して,落屑物質を有する高眼圧症37例では13例(35%)が同様の変化を生じたと報告している.したがって,POAGと比較して落屑緑内障の薬物による眼圧コントロールは相対的に困難であると考えられる.今回の研究と類似した報告として,Konstasらは落屑緑内障におけるラタノプロストとチモロールを比較している3).これによると,ベースラインからの眼圧下降はラタノプロスト群では24.9±3.2mmHgから17.4±2.9mmHgに,チモロール群では24.7±2.8mmHgから18.3±1.9mmHgとなり,統計学的有意差はないもののラタノプロストのほうがチモロールよりも眼圧下降効果に優れている傾向がみられている(p=0.07).また,時間別での眼圧下降は,10時,14時,20時での測定では2群間に差はみられていないが,朝8時での測定では,ラタノプロスト群では.8.5mmHgであったのに(105)対し,チモロール群では.6.0mmHgと,ラタノプロストがチモロールと比較し有意に眼圧を下降させた(p<0.0001).さらに,ラタノプロストはチモロールよりも日中の眼圧変動の幅が小さかった(2.4mmHgvs3.2mmHg)(p=0.0017).筆者らの研究においても落屑物質を伴う緑内障患者においてラタノプロスト,チモロールとも有意に眼圧を下降させたが,その効果はラタノプロストが安定している傾向があり,過去の報告と一致した傾向があると思われる.Parmaksizらは落屑緑内障50眼をトラボプロスト群,ラタノプロスト群,チモロール+ドルゾラミド合剤群の3群に無作為に分類し,眼圧下降効果を前向きに比較している11).その結果,ラタノプロスト群とトラボプロスト群との間には有意差がなく,この両群と比較して有意に効果があったのが合剤群であったとされている.この研究ではチモロール単剤の効果は検討されていないため,今回の研究の結果とParmaksizらの研究結果を直接比較するのは困難である.しかしながら,ラタノプロストとチモロール間で眼圧下降効果に大きな差がないという本研究の結果と,チモロールとドルゾラミド合剤の効果がラタノプロスト単剤より優るというParmaksizらの結果は,互いに矛盾しないと考えられる.一方でKonstasらは落屑緑内障65眼を対象にラタノプロスト単剤とチモロール+ドルゾラミド合剤のクロスオーバー試験を行い,眼圧下降効果で両者に有意差はなかったと報告しており12),合剤の効果についてはさらなる大規模調査が必要と考えられる.POAGにおいてラタノプロストとチモロールの眼圧下降効果を比較した過去の報告としてWatsonらによると,治療開始から6カ月後に,ラタノプロスト治療群では25.2mmHgから16.7mmHg(33.7%減少)に,チモロール群では25.4mmHgから17.1mmHg(32.7%減少)に眼圧の下降が得られ,ラタノプロストはチモロールと同等の眼圧下降効果があるとされている13).背景因子が同一ではないので単純な比較は困難であるが,今回の研究と比較していずれの薬剤も眼圧下降率が高く,落屑緑内障がPOAGに比して治療に抵抗性であることを示唆している可能性がある.ただし,ラタノプロストとチモロールとの間で眼圧下降効果の差が有意ではない点についてはPOAGと落屑緑内障で共通である可能性がある.本研究の限界として,症例数が各群10例程度と限られていること,オープンラベルであることがあげられる.これらの点を考慮して結果を解釈する必要があり,落屑緑内障に対するラタノプロストとチモロールの優劣性を結論づけるためにはさらなる大規模な研究が必要と考えられる.また,今回の対象症例には落屑を伴う正常眼圧緑内障の症例も含んでいる可能性が考えられる.最後に,今回の検討では落屑物質を伴う緑内障に対する点あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014265 眼治療として,ラタノプロストとチモロールの眼圧下降効果に有意差は認められなかった.本稿の要旨は第23回日本緑内障学会(2012)にて発表した.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)布田龍佑:落屑緑内障.眼科44:1663-1669,20022)布田龍佑,塩瀬芳彦,北澤克明ほか:全国緑内障疫学調査における落屑緑内障の頻度.眼紀43:549-553,19923)KonstasAG,MylopoulosN,KarabatsasCHetal:Diurnalintraocularpressurereductionwithlatanoprost0.005%comparedtotimololmaleate0.5%asmonotherapyinsubjectswithexfoliationglaucoma.Eye18:893-899,20044)Schlotzer-SchrehardtU,PasuttoF,SommerPetal:Genotype-correlatedexpressionoflysyloxidase-like1inoculartissuesofpatientswithpseudoexfoliationsyndrome/glaucomaandnormalpatients.AmJPathol173:17241735,20085)LindblomB,ThorburnW:PrevalenceofvisualfielddefectsduetocapsularandsimpleglaucomainHalsingland,Sweden.ActaOphthalmol60:353-361,19826)FutaR,ShimizuT,FuruyoshiNetal:Clinicalfeaturesofcapsularglaucomaincomparisionwithprimaryopen-angleglaucomainJapan.ActaOphthalmol70:214-219,19927)TezelG,TezelTH:Thecomparativeanalysisofopticdiscdamageinexfoliativeglaucoma.ActaOphthalmol71:744-750,19938)RitchR,Schlotzer-SchrehardtU,KonstasAG:Whyisglaucomaassociatedwithexfoliationsyndrome?ProgRetinEyeRes22:253-275,20039)BlikaS,SaunteE:Timololmaleateinthetreatmentofglaucomasimplexandglaucomacapsulare.Athree-yearfollowupstudy.ActaOphthalmol60:967-976,198210)PohjanpeltoP:Influenceofexfoliationsyndromeonprognosisinocularhypertensiongreaterthanequalto25mm.Along-termfollow-up.ActaOphthalmol64:39-44,198611)ParmaksizS,YukselN,KarabasVLetal:Acomparisonoftravoprost,latanoprost,andthefixedcombinationofdorzolamideandtimololinpatientswithpseudoexfoliationglaucoma.EurJOphthalmol16:73-80,200612)KonstasAG,KozobolisVP,TersisIetal:Theefficacyandsafetyofthetimolol/dorzolamidefixedcombinationvslatanoprostinexfoliationglaucoma.Eye17:41-46,200313)WatsonP,StjernschantzJ:Asix-month,randomized,double-maskedstudycomparinglatanoprostwithtimololinopen-angleglaucomaandocularhypertension.TheLatanoprostStudyGroup.Ophthalmology103:126-137,1996***266あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(106)

正常者における息止め時の眼圧測定

2014年2月28日 金曜日

《原著》あたらしい眼科31(2):260.262,2014c正常者における息止め時の眼圧測定湯川英一*1,2浦野哲*3緒方奈保子*2*1ゆかわ眼科クリニック*2奈良県立医科大学眼科学教室*3うらの眼科クリニックIntraocularPressureMeasurementduringBreath-holdinginHealthySubjectsEiichiYukawa1,2),ToruUrano3)andNahokoOgata2)1)YukawaEyeClinic,2)DepartmentofOphthalmology,NaraMedicalUniversity,3)UranoEyeClinic31例の正常被検者に対してiCareR眼圧計(以下,iCareとする)を用いて,安静を保った状態での眼圧(安静時眼圧とする)と可能な限り息を止めた状態での眼圧(息止め時眼圧とする)を測定した.さらに息をはき出してから1分後,3分後,5分後,10分後にもそれぞれ眼圧を測定し,眼圧がどのように変化するかを検討した.その結果,安静時眼圧(平均値±標準偏差)は13.1±3.0mmHgであり,息止め時眼圧は19.2±3.9mmHgであった.息止め中止から1分後は12.6±3.0mmHg,3分後12.4±2.7mmHg,5分後12.5±2.7mmHg,10分後12.3±2.7mmHgであり,息止め時眼圧は安静時眼圧とすべての息止め中止後眼圧に比べて有意に上昇した.また安静時と息止め時での動脈血酸素飽和度を測定したところ,最大では11%の低下がみられ,眼圧上昇幅と動脈血酸素飽和度の低下幅に有意な正の相関が認められた.In31healthysubjects,weusedaniCaretonometertomeasureintraocularpressure(IOP)atrest(restingIOP)andduringmaximumbreath-holding(breath-holdingIOP).Inaddition,IOPwasmeasuredat1,3,5,and10minutesafterexpiration,anditschangeswereevaluated.Asaresult,restingIOP(mean±standarddeviation)was13.1±3.0mmHg,andbreath-holdingIOPwas19.2±3.9mmHg.IOPat1,3,5,and10minutesafterdiscontinuationofbreath-holdingwas12.6±3.0,12.4±2.7,12.5±2.7,and12.3±2.7mmHg,respectively.Breath-holdingIOPwassignificantlyhigherthanrestingIOPandIOPateachtimepointafterdiscontinuationofbreath-holding.Arterialoxygensaturationwasalsomeasuredatrestandduringbreath-holding.Themaximumdecreasewas11%.TherewasasignificantpositivecorrelationbetweendegreeofIOPincreaseanddegreeofarterialoxygensaturationdecrease.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)31(2):260.262,2014〕Keywords:息止め時眼圧,無呼吸,動脈血酸素飽和度,iCare眼圧計.breath-holdingintraocularpressure,apnea,arterialoxygensaturation,iCaretonometer.はじめに近年,睡眠時無呼吸症候群(sleepapneasyndrome:SAS)患者では緑内障の発症率が高いことが報告され1.4),健常者に比べて眼圧が高いことや5),またSAS患者にみられる眼血流障害が緑内障を発症する一因として推測されている6,7).一方で眼圧はさまざまな要因で変動することが知られており8.13),SAS患者では睡眠時に呼吸が停止することにより,眼圧が大きく変動している可能性がある.そこで今回,筆者らはまず正常被検者において意識的に呼吸を止めることによりどの程度の眼圧変化がみられるかを検討し,さらに眼圧変動と動脈血酸素飽和度との相関について検討したので報告する.I対象および方法対象はゆかわ眼科クリニックおよびうらの眼科クリニックのスタッフおよびその関係者で現在,全身的に継続的な加療を行っていない者のうち,これまでに眼圧検査をうけた経験があり,眼科的に屈折異常以外に異常を認めない31例とした.年齢は21.54歳(平均値±標準偏差:38.7±9.2歳),男性18例,女性13例である.〔別刷請求先〕湯川英一:〒635-0825奈良県北葛城郡広陵町安部236-1-1ゆかわ眼科クリニックReprintrequests:EiichiYukawa,M.D.,YukawaEyeClinic,236-1-1Abe,Koryo-cho,Kitakatsuragi-gun,Nara635-0825,JAPAN260260260あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(100)(00)0910-1810/14/\100/頁/JCOPY 測定方法は眼圧計としてTiolat社製iCareR眼圧計(以下,25iCareとする)を使用し,最初に座位にて安静を保った状態20での眼圧(安静時眼圧とする)を測定した.その後,被検者150*:平均値バーは標準偏差息止め中止息止め中止息止め中止息止め中止息止め時安静時眼圧値(mmHg)は最大呼吸後に息止めを開始し,可能な限り呼吸を止めておくようにした.息苦しさを感じてきた頃に被検者は右手をあげて合図を送り,そのときより息をはき出すまでの間,連続105的に眼圧測定を行った.そして最終的に息をはき出す直前の眼圧値を息止め時眼圧とした.その後,被検者は座位のまま再び安静を保ち,息をはき出してから1分後,3分後,5分後,10分後にそれぞれ眼圧を測定した.検査眼はすべて右眼とした.また安静時眼圧測定時と息止め時眼圧測定時に左図1息止め時眼圧と息止め後眼圧の推移手第2指に装着したColin社製パルスオキシメータBP-一元配置分散分析にて有意差を認め(p=3.43×10.19),多608EVRにて動脈血酸素飽和度を測定し,眼圧変動幅と動脈重比較検定(Tukey法)にて息止め時眼圧は安静時眼圧と血酸素飽和度の変動幅に相関がみられるかを検討した.被検すべての息止め中止後眼圧に比べて有意な上昇を認めた.者には今回の研究の主旨を説明し,口頭にてインフォーム14ド・コンセントを得たうえで測定を行った.統計学的な処理眼圧上昇幅(mmHg)12108642は危険率5%未満を有意とした.II結果安静時眼圧(平均値±標準偏差)は13.1±3.0mmHgであり,息止め時眼圧は19.2±3.9mmHgであった.息止め中止から1分後は12.6±3.0mmHg,3分後12.4±2.7mmHg,5分後12.5±2.7mmHg,10分後12.3±2.7mmHgであった.00246810一元配置分散分析にて6群間に有意差を認め(p=3.43×10.19),多重比較検定(Tukey法)にて息止め時眼圧は安静時眼圧とすべての息止め中止後眼圧に比べて有意な上昇を認めた(図1).また31例すべての症例で息止め時眼圧は安静時眼圧に比べて高くなり,眼圧上昇幅は最小で2mmHgであり,最大で13mmHgであった.動脈血酸素飽和度については最大では11%の低下がみられ,スピアマン(Spearman)順位相関係数検定にて眼圧上昇幅と動脈血酸素飽和度の低下幅に有意な正の相関が認められた(p=0.0129,相関係数r=0.462802)(図2).III考按今回の研究により息を止めることにより眼圧は上昇し,その後息を吐くことで眼圧は速やかに安静時と同様のレベルまで下がることが示された.実際に被検者が息苦しさを感じてから連続的に眼圧測定を行ったが,息をはき出すまで測定ごとに眼圧は上昇していく症例が多くみられた.そしてこれまでに体位変換により眼圧は速やかに変化することが報告されている14.16).たとえば仰臥位から座位に姿勢が変動した場合,仰臥位により上昇していた眼圧はわずか1分未満で座位のレベルに戻ってしまい16),この変化は今回の息を止めることを中止した後の眼圧下降の動きと類似している.そしてそ(101)動脈血酸素飽和度低下幅(%)図2動脈血酸素飽和度低下幅(安静時-息止め時)と眼圧変動上昇幅(息止め時-安静時)の相関Spearman順位相関係数検定にて動脈血酸素飽和度の低下幅と眼圧上昇幅に有意な相関が認められた(p=0.0129).相関係数r=0.462802.の原因として上強膜静脈圧の関与が考えられており14,16),今回の場合も息を止めることにより胸腔内圧が上昇し,中心静脈圧ひいては上強膜静脈圧が上昇することにより息止め時眼圧が上昇した可能性が考えられる.一方でSAS患者を考えた場合,「無呼吸」とは10秒以上の呼吸停止と定義され,成人の閉塞性SASに対して終夜睡眠ポリグラフ検査で無呼吸などが生じた回数が診断基準に含まれている17).しかし実際の閉塞性SAS患者では無呼吸により,常に胸腔内圧が上昇しているわけではなく,血行動態の観点からは気道閉塞の状態で呼吸をしようとするために胸腔内圧は陰圧になり,その結果,胸腔内の静脈血流の増加などにより心臓への負担が増えるとされている.このことからは静脈圧の大きな変動に伴って,眼圧も大きく変動している可能性が考えられる.そして少なくとも閉塞性SAS患者では動脈血酸素飽和度が低下していることを考えると,今回,眼圧上昇と動脈血酸素飽和度の低下に正の相関がみられたことは,やはりSAS患者においても睡眠時に眼圧が上昇していることが考えられる.あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014261 さらにはSAS患者では正常者と比べて息止め時での眼圧上昇の程度や息をはいた後の眼圧下降に差が生じている可能性もある.今後筆者らは今回の結果を踏まえ,SAS患者において重症度と今回の実験に対する危険度を考慮に入れたうえで仰臥位での息止め時眼圧を測定し,さらには眼圧上昇と動脈血酸素飽和度だけではなく,bodymassindexとの相関も調べることで,眼圧上昇の観点からSAS患者の緑内障発症につき検討を行う予定である.文献1)MojonDS,HessCW,GoldblumDetal:Highprevalenceofglaucomainpatientswithsleepapneasyndrome.Ophthalmology106:1009-1012,19992)MojonDS,HessCW,GoldblumDetal:Normal-tensionglaucomaisassociatedwithsleepapneasyndrome.Ophthalmologica216:180-184,20023)SergiM,SalernoDE,RizziMetal:Prevalenceofnormaltensionglaucomainobstructivesleepapneasyndromepatients.JGlaucoma16:42-46,20074)LinPW,FriedmanM,LinHCetal:Normaltensionglaucomainpatientswithobstructivesleepapnea/hypopneasyndrome.JGlaucoma20:553-558,20115)MoghimiS,AhmadrajiA,SotoodehHetal:Retinalnervefiberthicknessisreducedapneasyndrome.SleepMed14:53-57,20136)KargiSH,AltinR,KoksalMetal:Retinalnervefibrelayermeasurementsarereducedinpatientswithobstructivesleepapneasyndrome.Eye19:575-579,20057)FaridiO,ParkSC,LiebmannJMetal:Glaucomaandobstructivesleepapneasyndrome.ClinExperimentOphthalmol40:408-419,20128)LempertP,CooperKH,CulverJFetal:Theeffectofexerciseonintraocularpressure.AmJOphthalmol63:1673-1676,19679)HouleRE,GrantWM:Alcohol,vasopressin,andintraocularpressure.InvestOphthalmol6:145-154,196710)MehraKS,RoyPN,KhareBB:Tobaccosmokingandglaucoma.AnnOphthalmol8:462-464,197611)MaugerRR,LikensCP,ApplebaumM:Effectsofaccommodationandrepeatedapplanationtonometryonintraocularprssure.AmJOptomPhysiolOpt61:28,198412)HigginbothamEJ,KilimanjaroHA,WilenskyJTetal:Theeffectofcaffeineonintraocularpressureinglaucomapatients.Ophthalmology96:624-626,198913)BrodyS,ErbC,VeitRetal:Intraocularpressurechanges:theinfluenceofpsychologicalstressandtheValsalvamaneuver.BiolPsychol51:43-57,199914)FribergTR,SanbornG,WeinrebRNetal:Intraocularandepiscleralvenouspressureincreaseduringinvertedposture.AmJOphthalmol103:523-526,198715)BaskaranM,RamanK,RamaniKKetal:IntraocularpressurechangesandocularbiometryduringSirsasana(headstandposture)inyogapractitioners.Ophthalmology113:1327-1332,200616)原岳・橋本尚子:測定体位と眼圧変動の関係.臨眼63(増刊):34-36,200917)循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2008-2009年度合同研究班報告):循環器領域における睡眠呼吸障害の診断・治療に関するガイドライン.CirculationJournal74(SupplII):1053-1084,2010***262あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(102)

自発的開瞼維持による涙液浸透圧の変化

2014年2月28日 金曜日

《原著》あたらしい眼科31(2):257.259,2014c自発的開瞼維持による涙液浸透圧の変化一戸唱*1五十嵐勉*1,2藤本千明*1飯島修*2小野眞史*1髙橋浩*1*1日本医科大学眼科学教室*2日本医科大学生化学・分子生物学(分子遺伝学)TearOsmolalityAlterationbySustainedEyeOpeningShoIchinohe1),TsutomuIgarashi1,2),ChiakiFujimoto1),OsamuIijima2),MasafumiOno1)andHiroshiTakahashi1)1)DepartmentofOphthalmology,NipponMedicalSchool,2)DepartmentofBiochemistryandMolecularBiology,NipponMedicalSchool目的:開瞼を維持した状態で涙液浸透圧がどのように変化するのかを検討した.対象および方法:Schirmer試験値が正常な健常ボランティア41名(男:女=30:11),平均年齢34.6±9.9歳を対象に,問診,涙液層破壊時間(BUT),フルオレセイン染色スコア,リサミングリーン染色スコア,および涙液浸透圧測定を施行した.ついで限界自発開瞼維持時間(自発的に開瞼が維持できる限界時間)を3回測定しその平均限界時間における涙液浸透圧を測定した.結果:41名中,15名がBUT短縮型ドライアイ疑いであった.涙液浸透圧(mOsm/l)は正常群において平時303.68±15.7,開瞼維持後303.26±14.2,BUT短縮群においてそれぞれ301.2±20.5,308.7±15.3と,両群間および開瞼維持前後の有意差を認めなかった.結論:開瞼維持による涙液浸透圧の変化は,正常者のみならずBUT短縮例でも認めなかったことから,蒸発する涙液量に比べメニスカスにおける涙液量全体が十分に多いため,涙液浸透圧変化は起こりにくいと考えられた.Purpose:Toinvestigatehowthetearosmolalitychangeswithsustainedeyeopening.Methods:Weexaminedtearfilmbreakuptime(BUT),fluoresceinstainingscore,lissaminegreenstainingscoreandtearosmolality,usingTearLab.systemin41volunteers(30males,11females;averageage34.6±9.9years)withnormaltearvolume(Schirmertestvalue).Subjectsweretheninstructedtokeeptheireyesopenforaslongaspossibleuntiltearosmolalitywasagainmeasured.Results:In15subjects,BUTwasshorterthanthenormalrange.Innormalsubjects,tearosmolality(mOsm/l)was303.68±15.7and303.26±14.2beforeandaftersustainedeyeopening,respectively,whiletheshortBUTgroupvalueswere301.2±20.5and308.7±15.3,respectively.Therewasnosignificantdifferenceintearosmolalitybetweenbeforeandaftersustainedeyeopeninginallsubjects,includingtheshortBUTgroup.Conclusion:Tearosmolalitydoesnotchangewithsustainedeyeopening,eveninshortBUTsubjectssuggestingthattearvolumemaybecriticalinmaintainingtearosmolality.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)31(2):257.259,2014〕Keywords:ドライアイ,BUT短縮型,涙液浸透圧,メニスカス,TearLabR.dryeye,shorteningtearfilmbreakup,tearfilmosmolality,tearmeniscus,TearLabR.はじめに米国ではドライアイのコアメカニズムとして涙液浸透圧上昇が提唱されている1).重症ドライアイにおける涙液浸透圧上昇は,涙液水分量そのものの減少および涙液交換率の低下に伴う相対的な蒸発亢進によって生じる現象として理解でき2),実際,Sjogren症候群の患者においてSchirmerI法が低値な者ほど浸透圧が高いことが報告されている3).涙液浸透圧の上昇によって眼表面の炎症が惹起されることにより涙液層の安定性が低下し,ますます浸透圧の上昇を招く悪循環に陥るというコアメカニズムの考え方は,重症例では理にかなっているようにみえる.一方,日本の日常臨床で最もよく遭遇するドライアイ患者は,涙液量はほぼ正常で眼表面の染色スコアもきわめて軽度であるが,異物感などの愁訴が多い涙液層破壊時間(BUT)短縮型ドライアイであると思われる.このタイプのドライアイにおいて上記メカニズムが成立するのか興味深いところであるが,今までのところ,涙液量〔別刷請求先〕一戸唱:〒113-8603東京都文京区千駄木1-1-5日本医科大学眼科学教室Reprintrequests:ShoIchinohe,DepartmentofOphthalmology,NipponMedicalSchool,1-1-5Sendagi,Bunkyo-ku,Tokyo1138603,JAPAN0910-1810/14/\100/頁/JCOPY(97)257 が正常であるBUT短縮型ドライアイにおける涙液浸透圧を検討した報告はない.通常のドライアイのみならずBUT短縮型ドライアイでも瞬目回数が多いという報告4)もあり,涙液層の安定性低下のために涙液浸透圧の上昇が起こっている可能性は否定できない.そこで今回,涙液層の不安定状態を再現するために,涙液量が正常な健常ボランティアにおいて開瞼を維持した状態で浸透圧がどのように変化するのかを検討した.I対象および方法対象は,試験目的と内容の説明を受け,自らの意志で同意を示し,かつ事前の簡易検査にて両眼のSchirmer試験I法が正常であることが確認できた健常ボランティア41名(男:女=30:11),平均年齢34.6±9.9歳である.検査・観察項目として,問診,フルオレセイン染色スコア,リサミングリーン染色スコア,BUT,涙液浸透圧の測定,開瞼維持時間計測を行った.測定はすべて右眼を対象とした.1.問診眼の乾燥感などについて,自覚症状の有無を調べた.2.検査2006年ドライアイ診断基準5)に基づきつぎのようにタイムコースを設定した(図1).はじめにTearLab社製Tear5分5分平時における涙液浸透圧限界自発開瞼維持時間涙液層破壊時間(BUT)フルオレセイン染色スコアリサミングリーン染色スコアSchirmer試験I法平均限界自発開瞼維持時間における涙液浸透圧図1タイムコースLabsystemを用いて平時の瞬目後2.3秒以内で下眼瞼涙液メニスカス涙液浸透圧を測定した.測定方法は機器のマニュアルに従った.ついで,限界自発開瞼維持時間(自発的に開瞼が維持できる限界時間)を3回測定し平均値を求めた.5分間おいて,BUT測定,フルオレセイン染色,リサミングリーン染色,そして再度Schirmer試験を施行した.さらに5分間おいて先に求めた平均限界自発開瞼維持時間における涙液浸透圧を測定した.この際,人差し指で上眼瞼を軽く持ち上げ,当該時間までの開瞼を維持した.結果の統計学的解析はt検定で行った.II結果各項目の結果を表1に示す.41名中,正常26名,BUT短縮型ドライアイ疑い15名となった.検査項目はBUTを除きすべて正常範囲内であった.正常群とBUT短縮群では,開瞼維持時間,フルオレセイン染色スコア,リサミングリーン染色スコアに有意差を認めなかったが,BUT,Schirmer試験I法で有意差を認めた.平時の涙液浸透圧には両群間に有意差なく(p=0.95),また両群とも,平時と開瞼維持後の涙液浸透圧に有意な変化を認めなかった(正常群:p=0.89,BUT短縮型ドライアイ疑い:p=0.34).III考按米国でのドライアイ診断基準にあたるDryEyeWorkshop(DEWS)Reportによると,涙液浸透圧の正常cutoff値は316mOsm/lと提唱されており1),この値の根拠としてTomlinsonらによる涙液浸透圧に関する既報のメタアナリスが挙げられている6).それによると涙液浸透圧は,ドライアイでは平均326.9±22.1mOsm/l,正常では平均302±9.7mOsm/lとドライアイ群の浸透圧がかなり高くなっており,このcutoff値は重症のドライアイを念頭に置いていることがうかがえる.今回,Schirmer試験値が正常,すなわち涙液量が正常のボランティアにおいては,平時の平均涙液浸透表1各項目の検査結果検査項目全体(n=41)正常眼(n=26)BUT短縮型ドライアイ疑い(n=15)平時涙液浸透圧(mOsm/l)303.4±16.3303.68±15.7301.2±20.5(p=0.42)(p=0.89)(p=0.34)開瞼維持後涙液浸透圧(mOsm/l)303.5±15.6303.26±14.2308.7±15.3開瞼維持時間(秒)17.4±13.019.2±13.614.5±11.8BUT(秒)6.3±2.27.2±2.0(p=0.002)4.7±1.5フルオレセイン染色スコア(/9点)0.8±0.90.8±0.80.8±1.0リサミングリーン染色スコア(/9点)0.4±0.70.4±0.70.5±0.6Schirmer試験I法(mm)20.7±9.322.9±9.6(p=0.039)16.7±7.6自覚症状(人数)21615258あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(98) 圧が300mOsm/l前後と低く,健常者における浸透圧としては既報と矛盾しないものであった.さらに,ボランティアのなかに15名のBUT短縮症例が存在したが,この群に限っても平時涙液浸透圧は正常範囲内であった.ドライアイの最も重要な因子として涙液層の安定性低下が日7),米1)ともに挙げられているが,ドライアイの病態におけるその位置づけは両者でかなり異なっている.米国のコアメカニズムでは水分量減少(浸透圧上昇)による眼表面炎症の結果,二次的に涙液層の安定性が低下するとされているのに対し,横井らが提唱する日本の考え方では,さまざまな原因によって起こる涙液層の安定性低下こそがコアメカニズムの中心であるとみなされている.その意味で,BUT短縮型ドライアイ,特に涙液量が正常であるタイプは米国よりも日本において重視される病態であり,おもに米国で注目される浸透圧に関する検討はあまりなされていなかった.本研究は,BUT短縮型ドライアイの病態に涙液浸透圧上昇がどの程度関与しているかを検討することを目的とした.そこでBUT短縮型ドライアイの中心的病態である涙液層の安定性低下を再現するために,自発的な開瞼を限界まで維持する方法で浸透圧の変化を調べた.その結果,正常群,BUT短縮群ともに,限界開瞼維持という涙液層に対してかなりストレスのかかる状況においても,涙液浸透圧の有意な上昇を認めなかった.このことは,蒸発する涙液量に比べメニスカスにおける涙液量全体が十分に多いため涙液浸透圧変化が起こりにくいこと,そして,涙液量が正常であるBUT短縮型ドライアイの病態には浸透圧上昇の関与が少ないことを示唆していると思われた.ただし,涙液浸透圧測定法の結果の解釈には以下に述べる注意が必要であると考える.今回,涙液浸透圧測定にはTearLabRsystemを用いた.本機器は下眼瞼の涙液メニスカス部にチップを一瞬接触するだけで涙液浸透圧を測定することが可能であり,米国の大規模スタディ2,8)においても使用された信頼性の高い測定法といえる.ここで注意すべき点は,本法はあくまで下眼瞼涙液メニスカスの浸透圧を測定するものであり,それが角膜表面の浸透圧と等しいとは限らないということである.現時点で角膜表面涙液層の浸透圧を直接測定する方法はないが,Liuらは角膜表面の浸透圧を類推した結果を報告している9).この研究では,まず被験者に種々の浸透圧の溶液を点眼しその際の自覚症状を浸透圧とリンクして記憶するトレーニングを行い,ついで本研究と同様に限界まで自発開瞼を維持して涙液層破壊を観察している.その結果,涙液層破壊が観察される時の自覚症状は,800.900mOsm/l程度の浸透圧液を点眼した感覚にほぼ等しいことが示された.この報告が示唆していることは,角膜表面での浸透圧は下眼瞼涙液メニスカスの浸透圧とは乖離してかなり上昇している可能性があることである.もし実際にこの報告のような現象が起こっているとするなら,BUT短縮型ドライアイでは,たとえ涙液量が正常で下眼瞼における涙液浸透圧が正常範囲にあっても,角膜表面は浸透圧の上昇というストレスに曝されやすいと考えられる.すなわちBUTで示される眼表面の涙液安定性にかかわらず,開瞼維持による乾燥の結果,涙液の濃縮が生じ浸透圧が上昇する可能性があることが示唆される.ドライアイにおけるBUTと涙液浸透圧の関係に関してはいまだ不明な点も多く,解釈には注意が必要であり,また,新しい測定法の出現が待たれるところである.文献1)Thedefinitionandclassificationofdryeyedisease:reportoftheDefinitionandClassificationSubcommitteeoftheInternationalDryEyeWorkshop.OcularSurf5:75-92,20072)SullivanBD,WhitmerD,NicbolsKKetal:Anobjectiveapproachtodryeyediseaseseverity.InvestOphthalmolVisSci51:6125-6130,20103)BunyaVY,LangelierN,ChenSetal:TearosmolarityinSjogrensyndrome.Cornea32:922-927,20134)HimebaughNL,BegleyCG,BradleyAetal:Blinkingandtearbreak-upduringfourvisualtasks.OptomVisSci86:E106-114,20095)島﨑潤,ドライアイ研究会:2006年ドライアイ診断基準.あたらしい眼科24:181-184,20076)TomlinsonA,KhanalS,RamaeshKetal:Tearfilmosmolarity:determinationofareferentfordryeyediagnosis.InvestOphthalmolVisSci47:4309-4315,20067)横井則彦,坪田一男:ドライアイのコア・メカニズム涙液安定性仮説の考え方.あたらしい眼科29:291-297,20128)LempMA,BronAJ,BaudouinCetal:Tearosmolarityinthediagnosisandmanagementofdryeyedisease.AmJOphthalmol151:792-798,20119)LiuH,BegleyC,ChenMetal:Alinkbetweentearinstabilityandhyperosmolarityindryeye.InvestOphthalmolVisSci50:3671-3679,2009***(99)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014259

後記臨床研修医日記 29.秋田大学医学部眼科学教室

2014年2月28日 金曜日

●シリーズ後期臨床研修医日記秋田大学医学部眼科学教室太田悠介佐藤美帆齊藤裕輔藤原康太渡辺駿ゼロから始める眼科学今年4月に入局し,日々わからないことだらけですが,少しずつできることが増えてきたと思う反面,やっぱり一人では何もできない力不足を感じる今日この頃です.秋田県は医師自体が少ないこともありますが,その中でも眼科医は下から1位,2位を争うほど少なく,それなりの規模の市中病院でも眼科の常勤はいないので,大学からの応援に頼っている現状です.ですから入局する前の前期臨床研修の2年間,私が研修していた病院でも当然眼科医の常勤はおらず,ローテーションや救急当直で外傷から精神疾患までさまざまな科の患者を診ていたにもかかわらず,眼科の患者だけは診たことがない,といった状態でした.そんな未体験のほぼゼロの状態から始めた眼科医生活,正直なところ外来での診察も無駄に時間がかかりますし,指導医ならびにスタッフの皆さんに多大な迷惑をかけていると思います.ただ,こんな私でも温かく見守っていただける環境があるからこそ,この未知の世界でどうにかやっていけています.まだまだ力不足ですが日々成長できるように頑張りたいです.(後期研修医1年目齊藤裕輔)1年を振り返って去年1年間はあっという間に過ぎました.同期は1人しかおらず寂しいこともありましたが,その分処置や手術など色々な経験ができたと思います.眼科は専門性が高く,初期研修で学んだこととはほぼ役立ちません.すべて一からのスタートで最初はわからないことばかりでした.しかし,徐々に経験を積むことによって,なんとなくわかってきているような気がした1年間だったと思います.病棟と外来を同時に診るため,朝は外来が始まる前に病棟回診,外来が終われば病棟という毎日でした.医局員が少なく,硝子体手術ができる施設も少ないため,県全域から急患が紹介されてきます.緊急手術が続くことも多々ありました.去年一番緊張したのは週1回程度の眼科当番です.夜中に見えづらくなったということで患者さんが受診され,診察もろくにできず毎回ハラハラしておりました.申し訳ない気持ちで指導員の先生に電話するというのが常でした.現在は眼科2年目で,大学院に入り緑内障の研究をしております.今後は臨床に加え研究もがんばります.(後期研修医2年目藤原康太)レベルアップを目指して入局して3年目.一通りの眼科診療にも慣れ,基本的な手術も上級医の手を煩わせない程度にはできるようになる頃.この頃からやや難易度の高い症例が回って来るようになります.とくに秋田大学は症例が豊富です.単純に,人口比に対する眼科医の数が極端に少ないということもありますが,大がかりな手術を行える拠点病院がほかにないことから,県内から毎日のように患者さんがやって来られます.そのため症例の好き嫌いにかかわらず,多種多様な▲秋田大学医学部眼科医局員(85)あたらしい眼科Vol.31,No.2,20142450910-1810/14/\100/頁/JCOPY 疾患と対峙することになります.症例の多いことが幸いしてか,自分ではまだ早いだろうというレベルからどんどん執刀させられます.逆にこちらからやりたいといえば,レベルに合わせてすぐにやらせて貰えるのも当医局の良い点.中には上級医に「大丈夫か?」「まだ早いんじゃ…」とかいわれながらも,やらせてもらうこともしばしば.もちろん途中で手が止まってしまったり,ギブアップしたりすることも多々ありますが,それでも最後までリカバリーとフィードバックしていただけるのはありがたいことだと思います.診察も処置も手術も,何事もやってみなければその手応えはわかりません.そんなモチベーションを.き立ててくれるのが秋田大学の良いところでもあり,魅力だと思います.(後期研修医3年目太田悠介)恵まれた環境で育児との両立にチャレンジ秋田大学の売りとして,毎週学内で豚眼実習が行われ,手術の練習が好きなだけできます.毎週木曜日には夜遅くまで残って練習する後期研修医の姿がみられます.そのため早期から実際の手術にデビューし,白内障手術は早い人では入局後半年くらいに完投できます.経験豊富なオーベンのバックアップがあってこそ,早期から手術に参加でき,本当に恵まれた環境であるといえます.現在,私は入局3年目で育児休暇中です.診察技術や手術など未熟な状態で一時離脱しなければいけないということや,復帰した後に仕事と育児を両立していけるのかといったことは不安がありますが,幸いなことに教授をはじめとして医局員の方々に非常に理解があり,出産育児,そして育休後の復帰を応援していただいています.復帰後のプランについてもいろいろ相談に乗っていただき,少しずつ不安を解消することができています.このように秋田大学はアットホームで温かく,そして熱血の指導で充実した研修生活を送ることができます.(後期臨床研修医3年目佐藤美帆)いつのまにか4年早いもので眼科医としては4年目に突入し,来年には眼科専門医試験を控える身となりました.まだまだ自分などが専門医の受験資格をもらっていいのかという感じでありますが,もはや眼科以外は何もできません!!!という意味ではすでに立派な専門医であります.私は4月から3カ月間,「病棟係」なるものを担当したのでこれについて書きたいと思います.秋田大学では,外来で手術の予約を取るときに,日付までは決定しないでおきます.そこで後日,患者さんに電話をかけて,ぜひこの日にやりませんかとお願いするのが主な仕事です.術者の都合などを調整しながら手術予定を組み,また臨時手術をやりたいときには手術部と交渉するという,無収入の副業をやっておりました.もちろん,外来や手術,研究という本業も一応ちゃんとやってはいます.今後当面の目標は,専門医と学位を取ることに加え,後輩の結婚相手を見つけること(秋田県の婚姻率は全国最下位です),3歳の息子のおむつを卒業させることと,課題は山積しております.秋田人らしくのんびり頑張りたいと思います.(後期臨床研修医4年目渡辺駿)〈プロフィール〉太田悠介(おおたゆうすけ)昭和大学卒業.秋田組合総合病院にて初期臨床研修.平成23年4月より秋田大学医学部眼科学教室.佐藤美帆(さとうみほ)秋田大学卒業.豊田厚生病院にて初期臨床研修.平成23年4月より秋田大学医学部眼科学教室.齊藤裕輔(さいとうゆうすけ)秋田大学卒業.市立秋田総合病院にて初期臨床研修.平成25年4月より秋田大学医学部眼科学教室.藤原康太(ふじわらこうた)秋田大学卒業.秋田組合総合病院にて初期臨床研修.平成24年4月より秋田大学医学部眼科学教室.渡辺駿(わたなべしゅん)秋田大学卒業.本荘第一病院にて初期臨床研修.平成22年4月より秋田大学医学部眼科学教室.246あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(86) 秋田大学眼科には,ここ数年,毎年1.2人の研修医の先生が入局しています.やる気のある若い先生たちを迎えることができるのは,とてもうれしいことです.医局員の人数が少なく,忙しいなかで,手術,外来,さらには学会発表と,研修医の先生方は一生懸命に頑張っています.初めは臨床所見の取り方もおぼつかない若い先生たちが,次第に技術や知識を深め,病院の診療の一翼を担う大事な一員になっていくのをみるのは,とても頼もしいことです.百聞は一見に如かずといいますが,研修医のときに一度経験した疾患は忘れることはありませんし,習得した技術をその後失うことはありません.また,眼科医としてのスキルと同時に,医師として患者さんとの接し方を学ぶのも,この時期には大事なことです.今の努力は,のちのち必ず自分のためになると信じて,体に気をつけて,研鑽を積んでいっていただきたいと思います.(秋田大学眼科・講師澤田有)指導医からのメッセージ☆☆☆(87)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014247

My boom 25.

2014年2月28日 金曜日

監修=大橋裕一連載MyboomMyboom第25回「鈴木克佳」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)連載MyboomMyboom第25回「鈴木克佳」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)自己紹介鈴木克佳(すずき・かつよし)山口大学大学院医学系研究科眼科学私は,平成7年に山口大学医学部を卒業後,そのまま現在の医局に入局しました.大学院時代には角膜の創傷治癒について研究し,その後は緑内障の道に入り,主に手術や薬物治療などの臨床診療に携わってきました.縁あって平成24年にロンドンのMoorfieldsEyeHospital(MEH)に1年間留学し,帰国後は現職で緑内障診療を継続中です.眼科のMyboom「緑内障データの抽出と解析」山口大学前教授の西田輝夫先生の指導・影響で,角膜と緑内障に焦点を当てた緑内障診療を行ってきました.角膜移植後眼や眼表面疾患を合併した緑内障に対する羊膜移植併施の線維柱帯切除術やチューブシャント手術などの手術治療,緑内障点眼薬の眼表面への影響を検討する基礎・臨床研究を行ってきましたが,臨床研究の立案やデータ解析の力不足から自分の緑内障診療に閉塞感を感じていたところ,岐阜大学教授の山本哲也先生と山口大学現教授の園田康平先生の後押しがあり,ロンドンのMEHに留学しました.MEHはロンドン大学眼科研究所と提携して先進的に基礎から臨床まで幅広く研究を行っており,計1千人以上の眼科医が働いています.MEHではGarway-Heath教授主宰のGlaucomaResearchUnitに所属し,視野や眼底形状のデータ解析について勉強しました.留学中は臨床診療も基礎研究もせず,パソコンを使ってひたすら臨床研究のデータを抽出し解析する日々でした.これまでの診療とは異なる作業を続けることに悩む時期もあり(83)0910-1810/14/\100/頁/JCOPYましたが,結果としてこの分野についてじっくりと考えて学ぶ大変有意義な時間となり,検査の原理や解析方法をより深く知ることによって,これまで検査機器メーカーから提供・紹介される機能や解析方法だけに頼ってデータ解析の結果を眺めていたこと,これらの解析結果の元データの重要性や問題点に気付かされました.また,同じ研究チームに所属する統計学者や数学者とのディスカッションやセミナーを通じて,医療・医学と異なる分野で用いられる解析方法やそれを医療データに適用する重要性を知るなどの良い刺激を受けました.Myboomとして視野検査や形状解析検査のデータ抽出や解析を始めたばかりですが,今後もライフワークとして続けていきたいと思います.プライベートのMyboom「クール・ブリタニア!」現在のプライベートのmyboomは,やはり留学体験に影響されています.「クール・ブリタニア!」というフレーズを昔聞いたことがあるという人もいるでしょう.「クール・ブリタニア!」とは,不況に苦しんでいたイギリスにおいて,1990年代後半にこのキャッチフレーズで国の文化やスポーツを含む主要産業を後押しした国家ブランド戦略です.ブリタニアはローマ帝国支配時代に由来するイギリスの古称で,イギリス国内にはブリタニアと同様にカレドニア(北部)やアングリア(東部)といった地名が残ります.2010年頃から日本も「クール・ブリタニア!」を見習って日本の文化を世界に発信する「クール・ジャパン!」という活動を行っています.2000年代に入り,流行語としての「クール・ブリタニア!」は完全に死語と化しましたが,近年の歌謡界では歌手のスーザン・ボイルやボーイズグループのOneDirectionが注目され,ちょうど留学中だった一昨年は伝統行事のエリザベス女王在位60周年と挑戦的事業の一つであったロンドンオリンピック・パラリンピッあたらしい眼科Vol.31,No.2,2014243 写真1セントポール大聖堂前のミレニアムブリッジにてクの開催が重なり,伝統と先進性の融合を謳った新たな「クール・ブリタニア!」というトレンドが起きました.私は,今まさにこの「クール・ブリタニア!」にはまっています.イギリスは,アートやファッションの世界でデザインとして用いられるイギリス国旗のユニオンジャックに代表されるように,すでに世界ブランドになっている文化やスポーツが多いので,何を今さらと思われるかも知れませんが,実際に見聞するイギリスの奥深さには底がありません.ロンドン市内の入場料無料(寄附を奨励)の美術館や博物館では数々の貴重な美術品を,劇場・ホールではミュージカルやバレエなどを鑑賞できます.ロングラン中の「レ・ミゼラブル」をはじめとしたミュージカルには遅ればせながら魅了され,何度も劇場に足を運びました.プレミアリーグ,ウィンブルドンなどのスポーツの映像も世界に配信されていますが,幸運にも眼前で観戦し,映像とは違う本場の熱気や興奮を肌で感じました.世界の共通認識として「イギリスの食事はおいしくない」と揶揄される一因(?)のフィッシュアンドチップスも,人気のパブやテイクアウェイの店が作るカラッと揚がった衣に包まれた新鮮な白身魚とフライドポテトは味わう価値がある一品で,MEHの職員食堂でも金曜日の定番メニューで毎週楽しみにしていました.同様にイギリスパブ伝統のエールビールも,現在全盛のラガービールと違った独特の風味が楽しめます.一方で,ロンドン市内には日本,フランス,イタリア,中国,インドなどの世界各国のレストランがあり,東京で提供される料理よりも本格的であったり,いわゆるロンドン風にとても洗練されていたりします.244あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014写真2テムズ川沿いのバラマーケットでフィッシュアンドチップスをゲット!依然として経済が低迷するイギリスは良いところばかりではありません.日本と比べると平均的には豊かではなく,国民性はお世辞にも勤勉ではないので,仕事の進行は遅く,銀行窓口や店での対応もいま一つです.古い建物のリフォームは壁をペンキで上塗りしただけなので,台所や風呂などの水周りは必ず故障し,修理を依頼しても1回で直ったことがありません.このような不快な経験もしましたが,そこには知っているようで知らないイギリスがあり,かえって興味が湧くきっかけとなりました.平成25年3月末に帰国して現職に復帰しましたが,イギリスへの興味は尽きず,帰国後半年間で機会を作って2回渡英しました.日本初代首相の伊藤博文ら長州ファイブがロンドン大学に留学していた歴史的背景のおかげもあり,今年は山口大学とロンドン大学眼科研究所とのカンファレンスを企画し,近々また渡英する予定です.探せば探すだけ,良さも粗さも発見できるイギリス.私の中のこのイギリス熱「クール・ブリタニア!」はしばらく冷めそうにありません.次回のプレゼンターは高知の福田憲先生(高知大学)です.山口大学時代の一つ後輩の先生でした.昔からいろいろなことにこだわりがあった先生なので,現在のmyboomの紹介が楽しみです.よろしくお願いします.注)「Myboom」は和製英語であり,正しくは「Myobsession」と表現します.ただ,国内で広く使われているため,本誌ではこの言葉を採用しています.(84)

日米の眼研究の架け橋 Jin H. Kinoshita先生を偲んで 14.雲の上の人が目の前に(Jin Kinoshita先生にお会いして)

2014年2月28日 金曜日

JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑭責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑭責任編集浜松医科大学堀田喜裕雲の上の人が目の前に(JinKinoshita先生にお会いして)笹部哲生(TetsuoSasabe)大阪府立呼吸器・アレルギー医療センター,診療局長兼眼科主任部長1979年大阪大学医学部卒.1983年同大学院修了,大阪府立羽曳野病院赴任.1986年大阪大学眼科助手.1987年NIH留学.1989年BascomPalmerEyeInstitute留学.1990年帰国.1991年大阪府立羽曳野病院赴任,1995年眼科部長.2003年呼吸器・アレルギー医療センター(旧羽曳野病院)眼科部長.2010年同医療センター診療局長兼務.現在に至る.●JinKinoshita先生のご名声をうかがって★私が大阪大学医学部の眼科に大学院生として入った1979年当時,阪大眼科の医局では水晶体の研究はまったく行われておりませんでした.水晶体の研究に関する生の情報に接するのは,もっぱら当時名城大学教授の故岩田修三先生が毎年医局にご講演に来てくださるときが唯一の機会でした.その岩田先生にJinKinoshita先生のことを幾度となくお話をしていただきました.戦時中アメリカで苦労をされたKinoshita先生は,日系人の地位向上のため,ご自身の研究はもとより日本人の研究の手助けのため,留学の便や,研究の機会を与えることに尽力されている偉大な先生として紹介されておられました.大学院生として眼科に入った私の研究テーマは網膜芽細胞腫の分化でしたが,水晶体にも興味をもっていたため,水晶体の論文を調べるうちに,生化学的研究の主たる研究者としてKinoshita先生の業績が,星のように数多く出てくることに驚きと先生に対する畏敬の念をもつようになりました.●JinKinoshita先生にお目にかかって★私の実質的な水晶体の研究は,網膜芽細胞腫の研究で学位を取ったのちにはじまりました.まず,ウサギ水晶体上皮細胞の株細胞を樹立し,継代培養中のクリスタリンの動向をみることで,水晶体細胞の老化の指標にならないかという見地から研究を始めました.その後,各クリスタリン分画のモノクローナル抗体を作製して,より精密に水晶体の老化をクリスタリン蛋白の面から解析しようとしていた矢先,1987年に網膜芽細胞腫の研究の(81)ためNEIに来ないかとGeorgeInana先生にお誘いを受けました.留学を以前から希望しておりましたので一も二もなくお受けしましたが,水晶体の研究は一旦お休みになりました.Inana先生のところでの研究テーマは網膜芽細胞腫の劣勢癌としての特性を培養細胞で証明することでした.1987年の12月末にNIHに着きました.その年のうちか,1988年に正式に私がNIHで採用になってすぐかは今ではさだかではありませんが,Inana先生につれられてScientificdirectorのKinoshita先生のお部屋にご挨拶に参りました.雲の上の存在であったKinoshita先生にお会いできるとあって,私は非常に緊張しておりましたところ,Kinoshita先生は私に日本では何をしてきたのかと尋ねられました.網膜芽細胞腫の分化についての研究で学位をいただき,水晶体の老化の研究を少しはじめておりますと申し上げると,私が水晶体の研究を日本でしていたことに大層興味をもたれた様子で,細胞のことや培養方法などお尋ねになりました.Inana先生のもとでは,網膜芽細胞腫の細胞融合実験を通じて分子生物学的手法を学びたいと思っていますと申し上げると,Kinoshita先生はGeorgeのもとで仕事をすればうまくいくよといわれました.Inana先生に対する信頼と,私に対しても期待していただいていることが感じられ身の引き締まる思いをしたことが最初のKinoshita先生との出会いでした.●忘れられないエピソード★NEIでの勤務中は,直接Kinoshita先生のご研究のお手伝いをしていたわけではありませんでしたので,とくに折り入ってのお話はありませんでしたが,Building6あたらしい眼科Vol.31,No.2,20142410910-1810/14/\100/頁/JCOPY ですれ違うたびに,研究の進捗状況を気にかけていただきました.先生との思い出深い出来事は,先生の送別会のときに起こりました.NEI主催で先生の送別会が開かれ順次各テーブルにメインディッシュが運ばれ始めたころ,突然のボヤ騒ぎで送別会が中止になりました.先生のご挨拶も聞けないうちの中止でしたから,メインディッシュを食べ損ねた人が大勢おられたと思います.我々のInanaグループは端のテーブルに座っていましたので,最初に配膳されたおかげで,なんとかありつくことができました.Kinoshita先生とはお話もなにもできなかったですが忘れられないエピソードになりました.●JinKinoshita先生とのお別れ★Kinoshita先生に最後にお会いしたのは1989年にInana先生がマイアミのBascomPalmerEyeInstituteへ移られることになり,我々日本人フェローも移動するため一緒にご挨拶にいったときでした.Kinoshita先生は,さっそうとされておられ,まだまだ現役という雰囲気でした(写真).我々フェローは少し早目にNEIをたち,Inana先生はそのあとNEIの仕事を片づけてから,●★マイアミへ移ることをKinoshita先生にお話しされておりました.新天地マイアミでの研究や生活に不安を感じている我々に,Kinoshita先生には以前と同じ言葉をかけていただきました.Georgeのもとならうまくいきますよ.Inana先生がご自身の出発の日取りを述べられると今度はInana先生に向って,戻ってきてNEIのScientificDirectorになったらいいと日本語でいわれました.Inana先生は無言でした.Kinoshita先生の言動のなかでもっとも強烈な印象として今もその場面が目に浮かびます.おそらくご自身も含め多くの日本人研究者がNIHから去っていくことに寂しさがつのり,優秀な教え子であるInana先生にはNIHにいつの日か戻ってきてほしいという思いが,その言葉になったのだと思います.当時日本人研究者はNEIのみならずNIH全体で米国人以外では最大の勢力を誇っていましたが,現在ではその人数は減少し,Kinoshita先生の心配が現実のものになってきております.Kinoshita先生の願いは,日本人の研究者が世界中で活躍し続けることにあると感じました.●帰国して★私は,マイアミのBascomPalmerでの1年弱の勤務を終え1990年の3月末に帰国しました.帰国後の研究は,網膜芽細胞腫についてではなく,水晶体を主として行ってきました.まず,留学以前からの念願であった,クリスタリン分画に対するモノクローナル抗体を作製し,水晶体上皮細胞の継代によるクリスタリン変化を同定し,日眼誌に発表できました.その後,水晶体上皮細胞の接着性に注目し,オリゴペプチドが水晶体とコラーゲンなどの細胞外物質との接着を阻害することを発見し,後発白内障予防の可能性を示唆する論文を発表することができました.NEI留学から数えて20年あまり白内障関連の仕事を続けることができたのは,Kinoshita先生にお会いでき,少しでもKinoshita先生がされてきた研究の一端に携わりたかったからにほかなりません.Kinoshita先生に直にお目にかかり,数々のお言葉をうかがう機会に恵まれたことに感謝し,Kinoshitaのご冥福をお祈りいたします.●★242あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(82)

現場発,病院と患者のためのシステム 25.待ちの雑学

2014年2月28日 金曜日

連載現場発,病院と患者のためのシステム連載現場発,病院と患者のためのシステムOR(operationsresearch)の一つに待ち行列理論があります.簡単にいえば,サービスの対象となる物,人の到着頻度と,到着した物,人に待ちの雑学*杉浦和史サービスをする側の処理能力に関する理論です.病院でいえば,単位時間当たりの患者さんの到着頻度と医療スタッフの処理能力が,待ち行列(待ち時間)の長さに与える影響の分析に使えそうではじめにスーパーのレジに並ぶときなど,日常的に経験するのが,自分の番が来るまで待つということです.普通は少しでも待たないよう,より空いているところに並びます.しかし,予想に反して,行列の長いほうのレジが早かったりしてガッカリすることがあります.これは,客,店側それぞれに原因があります.①前に並んだ人が購入した物の数,②請求金額がわかってから財布を出す,小銭を捜すなど支払いに手間取る,③購入した物にバーコードがなく,担当者が売り場に行って値段を確認する,④陳列の仕方が悪く,特売品コーナに隣の通常価格の品物が交じり,支払時にもめる,⑤レジ担当者の手際が悪い,などです.病院の場合は,患者の状態,年齢,医師,検査員の知識経験,手際によって,同じ患者数,スタッフ数,検査機器数でも待ち時間に開きがでてきます.患者の到着率をできるだけ平滑化するには,予約制を周知し,おしなべて待ち時間が減るメリットがあることを患者に理解してもらうことが一つの方法です.早く来れば早く終わるというパラダイムを払拭する努力も必要になります.す.今回は,待ちに関する雑学的知識を紹介します.病院側としては,スタッフのそれぞれの担当業務におけるスキルアップを図ることは当然ですが,サービス窓口を多くすることも有効な対策です.サービス窓口とは,診察室数,医師数,検査機器の数,スタッフ数のことですが,人件費,設備費の増加を招きます.コスト増に見合う以上の効果が期待できるかを見極めなければなりません.待ち時間短縮などの目標を定め,制限条件があるなかでの最適解を求める手法(線形計画法)を使ってシミュレーションするのも一つの方法です..待ちと処理わかりやすく,視力検査台と検査員をセットとしたサービス窓口を考えます.患者はここで検査を受けますが待ち方には2つの方法があります.図2は検査台毎に並び,図3は検査に対して並ぶという方法で,患者プールに来た患者は,到着順,あるいは受付順に空いた検査台で検査を受けるものです.待ち行列理論では,前者を3:303:002:302:001:301:000:300:00午前1午前2午後1午後2予約制前※平均値予約制後2:472:471:441:531:551:311:161:05M/M/1,後者をM/M/Sタイプと呼んでいます.最初のMは,患者の到着がランダム(ポアソン分布)であること,2つめのMは,検査に要する時間が患者の状況(症状,年齢など),および検査員のスキル,体調によって一定ではない(指数分布)ことを示しています.3項目目は,検査台の数(検査員数)です.図2の処理パターン1は,待ち行列の長さが,患者の状態,検査員のスキルに直接関係します.また,待ち行図1予約制施行後の待ち時間推移列がゼロになったとき,他の列で並んでいる患者を公平*KazushiSugiura:宮田眼科病院CIO/技術士(情報工学部門)(79)あたらしい眼科Vol.31,No.2,20142390910-1810/14/\100/頁/JCOPY 患者患者患者患者患者患者患者患者患者検査台1検査台1検査台1図2パターン1c患者患者患者患者患者患者患者患者患者検査台1検査台1検査台1図3パターン2cに持ってくることができません.コンビニで,一つのレジで待ちが発生すると,2つめのレジを開け,「次にお待ちのお客様,こちらにどうぞ」という処置がされますが,レジが3つ以上になると,どこの待ち行列から移動してもらうかが問題になります.これと同じで,パターン1の場合は不公平感をもつ患者がでることが懸念されます.これに対し,図3のパターン2の方法は待っている患者にとって公平感があります.病院に限らず,銀行など,待ちが発生し,同じサービスを提供する窓口が複数ある場合にはこの方法が有効です.先に来た人が先にサービスを受ける(図4)ことが自然だからです.これを,FIFO(firstinfirstout/ファイフォー)方式と呼んでいます.検査待ち患者検査台が3台図4パターン2の具体的な動き240あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014ただし,専門性のある場合には図2にならざるを得ません.視野検査,蛍光眼底造影検査などの検査や,角膜,硝子体,緑内障など,どの医師でもいいのではなく,専門医が診る場合には,図2のパターンの待ちになります..トータルの待ちを少なくする工夫待ちのパターンに2種類あることを説明しました.検査には,普遍性のある基本検査と,患者の状態に応じて行う応用検査とがあります.待ちのタイプは,前者がパターン2,後者はパターン1です.基本検査の順番を後ろのほうで待っている患者の中に,応用検査がオーダされていて,かつその検査を基本検査の前に施行しても問題ない場合があります.基本検査を待っている時間を応用検査に回せば,時間を有効に使えます.患者は待ち時間が減るし,検査員にとっては,基本検査が終わった患者が回って来るのを待つ時間の無駄がありません.もちろん,順番どおり基本検査が終わってから応用検査にくる患者がいることを勘案しつつであることはいうまでもありません.以上を考慮した仕掛けをシステムで提供することも可能です.しかし,ベルトコンベアに乗せて均質な処理をする生産ラインではないのが病院です.千差万別な事情をもった人間(患者)を相手にする処理を有限時間,有限予算の制約があるなかで実現することは難しいでしょう(研究対象としては面白いのですが).スタッフが的確な判断をするために必要な情報の提供に留めたほうが現実的で,実行可能解になると思います..スタッフのマルチタレント化とスキルアップ応用検査機器,種類毎に専任の検査員を配置することは,コストパフォーマンスの点で問題があります.複数の検査機器を扱えるようマルチタレントな検査員を育成し,検査員がいないために稼働率が低くなってしまう検査機器がないようにすることも,結果的に待ちを少なくする有効な施策です.また,検査員個人のスキルアップを図り,検査品質を落とさず,単位時間当たりに検査できる患者数を増やす施策も必要です.◎……人を指導することができる,○……ベテランの助けを借りずに一定の品質で検査できる,△……ベテランの助けを借りて検査できる,×……未経験,このようなスキルマップを検査員,検査種類毎に作って管理することを勧めます.(80)

タブレット型PCの眼科領域での応用 21.視覚障害者の就労におけるタブレット型PC活用

2014年2月28日 金曜日

タブレット型PCの眼科領域での応用タブレット型PCの眼科領域での応用シリーズ三宅琢(TakuMiyake)永田眼科クリニック第21章視覚障害者の就労におけるタブレット型PC活用■働く楽しみを増やす,就労ツールとしてのタブレット型PC導入の意義第21章で取り上げる端末は,私が代表を務めるGiftHandsの活動や眼科医としての外来診療,産業医としての企業内での作業環境改善のために活用しているタブレット型PC“iPadAir”と“iPhone5s”(いずれも米国AppleInc)のiOSバージョン7.0.4です.この章ではタブレット型PCやスマートフォンの就労ツールとしての患者への導入の可能性について視覚障害をもつ社員たちの声とともに紹介していきます.■視覚障害者の就労日本眼科医会による『日本における視覚障害者の社会的コスト』によれば,雇用および平均収入データから視覚障害による離職および早期退職による年間逸失コストは2007年時点で5,104億円と報告されています.また,視覚障害がある場合にうつになる相対リスクは,視覚障害がない場合に比べて3.5倍高いと報告されています.すなわち,視覚障害者が就労を継続できることは大きな経済的な意味をもつと同時に,彼らの精神衛生上も重要であると考えられます.視覚障害者が情報障害者に陥ってしまうことを防止することや,働くうえでのqualityofvision(QOV)の改善は,彼らの離職率や失業率を減少させqualityoflife(QOL)を向上させます.ワーク・ライフ・バランスなど働き方の質を問われる現在の日本において,コスト面を含めて,視覚障害者の就労に関するQOVの向上は重要な課題となってきています.私の外来では主に生活の不便さを軽減させるツールとしてタブレット型PCやスマートフォンの活用法を紹介していますが,患者の中には職場での利用を相談される(77)0910-1810/14/\100/頁/JCOPYケースも少なくありません.また,産業医として訪問している企業で,私は定期的に障害者雇用の社員との産業医面談を行うようにしています.彼らの中には現状の業務内容や作業環境に満足しておらず,またその想いを企業側に正しく伝えられずに日々就労している者も少なくありません.そのような患者や社員の不便さを少しでも軽減するツールとして,タブレット型PCやスマートフォンは非常に大きな意味をもつと私は日々の業務の中で実感しています.■就労環境へのタブレット型PC活用事例実際の就労環境でタブレットを活用する患者の言葉には以下のようなものがあります.『これまではルーペを使っても見えないような小さな印刷物は,誰かに頼るしかありませんでした.他の社員の作業を中断してしまうし,迷惑にならないか常に心配でした.今は一人でどんな大きさの文字も拡大して見えるので,精神的な負担が減り,作業にとても集中できます.』この社員はそれまでに使用していたルーペと併用して,タブレット型PCを簡易式の拡大器として作業場で使用しています(図1).タブレット型PCやスマートフォンの導入の最大の意義は,担当する作業を他人に頼ることなく遂行できるようになることにあります.多くの視覚障害者が就労上で感じる不便さの要因の一つは,作業の一部を他の社員に頼る必要があるという点にあります.その不便さから解放され,一人で与えられた作業を遂行できることは,視覚障害者が就労を継続していくうえで,不必要なストレスの軽減につながると考えられます.あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014237 図1タブレット型PCをスタンドの上に乗せて文字を拡大し,簡易式の拡大器として利用している様子『PCでの作業がむずかしくなって,一時は退職も考えました.会社にiPadを持って行けるようになったので,仕事が続けられて本当に良かったです.』マウスを用いたPC作業と比較して,タブレット型PCのタッチパネル式の操作方法は視野の狭い社員でも,残存視野内に単一の対象アイコンを捕捉することで端末操作を行えるため操作が比較的容易であるといえます.また,図面などの詳細な記載の確認が必要なデータに関しては,印刷物をルーペなどで拡大して閲覧するよりも,拡大や縮小の操作が簡便かつ迅速なタブレット型PC上で閲覧するほうが視認性や操作性は向上します.閲覧専用のセカンドディスプレイとしてタブレット型PCを利用する社員もいます(図2).■就労環境へのタブレット型PC導入の意義と課題本章で紹介したように,就労環境へのタブレット型PC導入により,作業効率が大きく改善した事例を私は臨床の現場や企業訪問の際に多く経験しています.その効果は単なる作業効率の改善に留まらず,視覚障害者が就労を続けるうえでの作業意欲の向上にもつながってい図2パソコンのセカンドディスプレイとしてタブレット型PCを使用している様子ます.彼らの言葉には働くことが単なる生きるための手段ではなく,働き続けられること自体が目的となっているということを日々実感させられます.一方で,企業側にタブレット型PCの社内での使用や持ち込みを拒否される事例も少なくはありません.企業を担当する産業医に眼科医としての意見書を提供することで,作業場への持ち込みが可能になった事例もあります.企業内で作業環境に関して意見できる立場にある産業医と眼科医の連携の重要性は,今後さらに高まると考えられます.私は,自身の活動を通して視覚障害者の声を聞くことが可能であり,産業医としても企業内で就労環境へのタブレット型PC導入を行うことができます.今後,多くの事例を経験し,その意義を社会に啓発していくことは,視覚障害者のより働きやすい社会を作ることにつながると私は信じています.本文の内容や各種セミナーの詳細に関する質問などはGiftHandsのホームページ「問い合わせのページ」よりいつでも受けつけていますので,お気軽に連絡ください.GiftHands:http://www.gifthands.jp/☆☆☆238あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(78)

硝子体手術のワンポイントアドバイス 129.瘢痕期未熟児網膜症に生じた硝子体出血に対する硝子体手術(中級編)

2014年2月28日 金曜日

硝子体手術のワンポイントアドバイス●連載129129瘢痕期未熟児網膜症に生じた硝子体出血に対する硝子体手術(中級編)池田恒彦大阪医科大学眼科●瘢痕期未熟児網膜症の眼合併症小児の硝子体出血の原因としては外傷が7割以上を占めもっとも多いが,瘢痕期未熟児網膜症も5.6%と比較的頻度が高い.瘢痕期未熟児網膜症の眼合併症としては,屈折異常,弱視,眼位異常,緑内障,網膜.離,硝子体出血などがある.硝子体出血は自然に消退することも多いが,出血量が多い症例では硝子体手術の適応となる.●瘢痕期未熟児網膜症に生じた硝子体出血に対する硝子体手術自験例を提示する.症例は9歳男児.生下時体重860g.両眼に網膜光凝固術が施行された.その後,網膜症は鎮静化していたが,左眼に急激な視力低下を自覚し,近医にて硝子体出血と診断.自然吸収を認めないため紹介受診となった.視力はRV=0.06(1.0),LV=光覚弁.水晶体の後面に多量の硝子体出血を認めた(図1).超音波Bモード検査では硝子体腔に多量の出血を認めたが,明らかな網膜.離は認めなかった(図2).全身麻酔下で水晶体を温存した硝子体手術を施行した.後部硝子体は未.離で,濃厚な出血を伴った硝子体ゲルが網膜前に認められた(図3).後極から周辺に向かって人工的後部硝子体.離を作製したが,実際に.離可能だったのは後極のみで,光凝固部位は癒着が強固で意図的に硝子体を残存させた.網膜無血管には薄い増殖膜が複数箇所認められた.術後,眼底の視認性は改善し,矯正視力は0.8に回復した(図4).●硝子体手術時の注意点未熟児網膜症に限らず,小児の網膜硝子体疾患では後部硝子体が未.離かつ癒着が強固であるため,人工的後部硝子体.離作製がむずかしい.今回の提示例のように図1細隙灯顕微鏡所見水晶体の後面に多量の硝子体出血を認める.図2超音波Bモード検査所見硝子体腔に多量の出血を認めるが,明らかな網膜.離は認めない.図3術中所見後部硝子体は未.離で,濃厚な出血を伴った硝子体ゲルが網膜前に認められる.図4術後眼底写真眼底の視認性は改善し,矯正視力は0.8に回復した.耳側に広範な光凝固の瘢痕を認める.網膜.離のない症例では,あまり無理をせず,人工的後部硝子体.離は後極のみにとどめ,無血管野は意図的に硝子体を残存させるほうが医原性裂孔形成を回避しやすい.水晶体後面の混濁した出血も成人よりも切除しにくいが,硝子体カッターの吸引で水晶体に接触しないように分離させ切除する.周辺部の硝子体を切除するにしたがい分離しやすくなる.なお,網膜.離を併発した硝子体出血例の難易度は極めて高い.(75)あたらしい眼科Vol.31,No.2,20142350910-1810/14/\100/頁/JCOPY

眼科医のための先端医療 158.インスリンによる糖尿病網膜での血管透過性亢進

2014年2月28日 金曜日

監修=坂本泰二◆シリーズ第158回◆眼科医のための先端医療山下英俊インスリンによる糖尿病網膜での血管透過性亢進杉本昌彦(三重大学大学院医学系研究科臨床医学系講座眼科学教室講師)はじめに糖尿病(diabetesmellitus:DM)は先進国における失明原因の上位に位置する.過去の研究が示すように,血糖コントロールは糖尿病網膜症(diabeticretinopathy:DR)や糖尿病黄斑浮腫(diabeticmacularedema:DME)の進行阻止に重要である.とくにインスリンはコントロールに欠かせない薬剤である.ノーベル賞受賞となったBantingとMacleodによるインスリンの発見は,それまで致死とされたDMの治療に革命をもたらした.しかし興味深いことに,疫学研究で有名な糖尿病トライアルデータベースWESDRでは2型糖尿病の長期経過観察ではDMEの発症がインスリン投与群では25%,非投与群では14%と投与群で増加するという結果が示されている1).また,急激な血糖コントロールにBRBの綻破50.0040.0030.0020.0010.000.00*****DM―+―+インスリン――++図1インスリンによる網膜血管透過性は亢進するマウス網膜における血管透過性を定量評価した.糖尿病ならびにインスリン投与糖尿病マウス群において有意な透過性亢進を認めた.(文献9より転載)**:p<0.05,***:p<0.01.(71)0910-1810/14/\100/頁/JCOPY伴い網膜症が急速に進行するearlyworsening(EW)も広く知られ,急激なコントロールを受けた症例の13.1%に生じたとされている2).経口血糖降下薬をインスリンに変更することでDRが進行するという報告もあり3),インスリンの使用がDR/DMEの管理においてピットフォールとなってしまう側面もある.Blood.retinalbarrierとベタセルリンBlood-retinalbarrier(BRB)は網膜を外界と隔絶する壁であり,電解質バランスの維持や毒性からの保護など,ホメオスターシス維持に貢献している.BRBは網膜血管内皮細胞からなるinnerBRBと,網膜色素上皮からなるouterBRBの2つがある.BRBを考えてゆくうえで構成コンポーネントであるtightjunction(TJ)は重要である.さまざまな分子がその維持に関与しており,この破綻による透過性亢進はDRやDMEの原因である.ベタセルリン(Betacellulin:Btc)はepidermalgrowthfactor(EGF)ファミリーに属する32kDaの分子で,マウス膵b腫瘍細胞の培養上清から発見された4).強い血管新生作用を有し5),筆者らは糖尿病マウスモデルにARPE-19PBS1ng100ngBtc図2ベタセルリン(Btc)によりTightjunction(TJ)は傷害される培養網膜色素上皮細胞ARPE-19にBtcを投与し,ZO-1染色(赤色)で評価した.ZO-1はTJ構成蛋白質であり,従来は細胞間をシールする形で局在している(上段).Btcにより濃度依存性に局在がまばらになり(下段)TJの傷害を反映している.(文献9より転載)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014231 a.コントロールb.コントロールインスリン(-)インスリン(+)インスリン(-)インスリン(+)インスリン(+)SiBtc(+)インスリン(-)AG1478(+)インスリン(+)AG1478(+)図3ベタセルリン(Btc)の阻害はTightjunction(TJ)を保護する同様にTJの変化をZO-1染色で評価した.a:未処理のコントロールではTJは健常である(左上).インスリンを投与するとTJが傷害される(右上,矢頭).BtcsiRNAで処理した後にインスリンを添加するとTJの傷害は消失する(下段).b:選択的EGFR阻害薬であるAG1478で処置した後にインスリンを投与すると同様にインスリンによるTJ傷害(右上,矢頭)は消失した(右下).(文献9より転載)おいて網膜血管透過性を亢進することを見いだした6).1,200.00また,インスリンレセプターはEGF伝達系とクロストークして,成長や分化に作用することが報告されてい1,000.00****800.00600.00400.00る7).このことから,BtcがインスリンによるDR/DMEの増悪に関与していると考えた.インスリンはBtcを介して細胞間接着装置を破壊するインスリンがDMEを増悪させるならば,BRBが破網膜血管からの漏出(%)綻されるはずである.Poulakiらは,DMモデルラットにインスリンを投与することで網膜血管透過性が亢進していることを示した8).筆者らは,DMモデルマウスでも同様に網膜血管透過性が亢進しており,その際に網膜でBtcの発現が増強していることを見いだした9)(図1).つぎに網膜に発現したBtcはどのようにBRBに作用するのだろうか.培養網膜色素上皮細胞ARPE-19にBtcを添加したところ,BtcはTJを傷害した(図2).また,ARPE-19にインスリンを添加すると,濃度依存性にBtcの発現は増強していた.以上から,インスリンにより増えたBTCがBRBを傷害すると考え,Btcの抑制がBRBを保護するのではないかと考えた.siRNAを用いてBtc発現をmRNAレベルで抑制した後にインスリンを投与すると,インスリンによるTJへの傷害から保護することができた(図3a).以上からBtcの抑制232あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014200.000.00図4EGFRに対するモノクローナル抗体製剤セツキシマブはインスリンによる網膜血管透過性を抑制するDMならびにインスリン投与DMモデルマウスにセツキシマブを腹腔内投与し,網膜血管透過性を定量評価した.セツキシマブ投与により,網膜血管透過性は有意に低下した.(文献9より転載)**:p<0.05.がTJ,つまりBRBの維持に重要であることが示唆された.BtcをはじめとするEGFfamilyはEGFRを介した情報伝達により機能している.TyrosinekinaseinhibitorであるAG1478はEGFRの選択的阻害薬である.(72)DM+インスリンErbituxDM+インスリン+Erbitux AG1478を添加したARPE-19にインスリンを投与すると,BTCsiRNAでみられた結果と同様にTJは保護された(図3b).セツキシマブ(アービタックスR)はEGFRを標的とするモノクローナル抗体製剤で,結腸・直腸癌に対し承認されている.薬剤によりBtcを抑制することがBRB保護につながることがわかったが,BtcsiRNAもAG1478も臨床使用することは現実的にまだむずかしい.そこで,すでに市販されているセツキシマブをマウス腹腔内に投与したところ,網膜血管透過性は有意に抑制された(図4).以上から,インスリンによるBRB傷害はセツキシマブにより防止できる可能性があり,臨床応用が期待される.まとめインスリンはBtcを介してBRBを傷害することを明らかにした.しかし,この結果はインスリンの有効性を否定するものではない.インスリンは糖取り込みを促進する作用,すなわち血糖降下作用がよく知られているが,蛋白の合成や組織成長の促進という作用も併せもつ.あらゆる薬剤の作用は単一ではなく,その有効性の裏に思わぬ作用を孕んでいることがあり,インスリンのこのような作用は結果として網膜に影響を与えているのかもしれない.なじみ深いインスリンも思わぬ合併症を起こすかもしれず,注意が必要である.以上,インスリンによる糖尿病網膜における血管透過性亢進と,これが薬剤により防止できる可能性を示した.これは,眼科医のみならず内科医も悩ませるEWの治療に今後応用が期待され,安全な血糖コントロールに結びつくと考えている.文献1)KleinR,MossSE,KleinBEetal:TheWisconsinepidemiologicstudyofdiabeticretinopathy.XI.Theincidenceofmacularedema.Ophthalmology96:1501-1510,19892)TheDiabetesControlandComplicationsTrialResearchGroup:EarlyworseningofdiabeticretinopathyintheDiabetesControlandComplicationsTrial.ArchOphthalmol116:874-886,19983)HenricssonM,JanzonL,GroopL:ProgressionofretinopathyafterchangeoftreatmentfromoralantihyperglycemicagentstoinsulininpatientswithNIDDM.DiabetesCare18:1571-1576,19954)ShingY,ChristoforiG,HanahanDatal:Betacellulin:amitogenfrompancreaticbetacelltumors.Science259:1604-1607,19935)KimHS,ShinHS,KwakHJetal:Betacellulininducesangiogenesisthroughactivationofmitogen-activatedproteinkinaseandphosphatidylinositol3’-kinaseinendothelialcell.FASEBJ17:318-320,20036)Anand-ApteBA,EbrahemQ,CutlerAetal:Betacellulininducesincreasedretinalvascularpermeabilityinmice.PLoSOne5:e13444,20107)Murillo-MaldonadoJM,ZeineddineFB,StockRetal:Insulinreceptor-mediatedsignalingviaphospholipaseC-gregulatesgrowthanddifferentiationinDrosophila.PLoSOne6:e28067,20118)PoulakiV,QinW,JoussenAMetal:Acuteintensiveinsulintherapyexacerbatesdiabeticblood-retinalbarrierbreakdownviahypoxiainduciblefactor-1alphaandVEGF.JClinInvest109:808-815,20029)SugimotoM,CutlerA,ShenBetal:InhibitionofEGFsignalingprotectsthediabeticretinafrominsulin-inducedvascularleakage.AmJPathol183:987-995,2013■「インスリンによる糖尿病網膜での血管透過性亢進」を読んで■今回は三重大学の杉本昌彦先生による,インスリン臨床的な観察から推測されてきたことによります.この生物学的な作用と糖尿病網膜症病態の関連についてのような臨床的な観察は大変重要な側面をとらえていの分子生物学的な研究の紹介です.糖尿病網膜症とイる反面,なかなか分子レベルでの病態解明に結びつきンスリンとの関連の研究はこれまでにもいろいろと報ません.それは,いろいろな因子が同時に動く臨床例告されてきました.それは杉本先生も紹介していらっで,分子ターゲットを絞り込むことのむずかしさを示しゃる2型糖尿病における長期経過観察で,DMEのしているのかもしれません.杉本先生の研究では,ベ発症とインスリ治療が関連すること,急激な血糖コンタセルリンの作用が血液網膜柵を傷害するメカニズムトロールに伴い網膜症が急速に進行するearlyworsが網膜症の病態に関連するというものです.そして,ening(EW)が起こることといった臨床的な観察結果インスリンがベタセルリンを介して網膜症の病態を惹から,インスリンは糖尿病治療に有益である反面,網起するとの仮説は大変魅力的で,上記のような臨床的膜症発症,進展の病態に関連するのではということがな観察結果を説明できるものです.網膜症の病態は現(73)あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014233 在,血管内皮増殖因子(vascularendothelialgrowthトカインとして作用する原因物質とするメカニズムfactor:VEGF)を中心とし,炎症性のサイトカインは,臨床的な観察を出発点としていることから臨床的などをからめて解明が進んできました.これは抗な意義が明確であり,分子ターゲットとして糖尿病網VEGF薬やステロイドの治療効果により病態を説明膜症治療戦略に加えることが有用と考えられます.わできることがわかりましたが,これだけですべての網れわれ臨床医のもつ臨床経験は臨床研究の出発点であ膜症を治癒に導くことはできません.多様な病態を積り,また,エンドポイントでもあります.杉本先生のみ重ねることにより,糖尿病網膜症というきわめて複研究が発展して,新しい治療薬が開発されることを,雑な分子病態をもつ疾患の全体像に迫ることができる一臨床医として心から願っています.と考えられます.今回の杉本先生のインスリンをサイ山形大学眼科山下英俊☆☆☆234あたらしい眼科Vol.31,No.2,2014(74)