特集●涙道領域―最近の話題あたらしい眼科30(7):915.921,2013特集●涙道領域―最近の話題あたらしい眼科30(7):915.921,2013抗がん剤S-1による涙道閉塞・狭窄LacrimalDrainageObstructionandStenosisAssociatedwithAnti-CancerDrugS-1柏木広哉*はじめにがん患者の増加や化学療法の進歩により,抗がん剤使用数は増加している.それに伴い眼部副作用(眼障害)も増加傾向にある.しかしながら,処方医,眼科医,患者のこの副作用の認知度は高くない.そのために重症化して,日常生活に支障をきたすことがある.経口抗がん剤のティーエスワン(TS-1R,以下S-1と略す)による涙道閉塞や狭窄は流涙症を生じさせ,眼科医のなかでは数年前から問題視されていた.しかしながら有効な予防法がないこと,製薬会社の注意勧告が2013年まで出されなかったことにより,重症化して後遺症に悩んでいる患者も多い.また,がんセンターでのS-1処方数は,一般病院と比べて大量にあるにもかかわらず,眼科常勤医がいる施設がきわめて少ない(4施設)問題もある.当院では3年9カ月(2008年4月.2011年12月)で,この副作用を149例293側(S-1投与前に他の抗がん剤使用症例を除外した113例223側)経験した(表1).この経験をもとにして,この副作用について述べる.なお,TS-1Rは商品名であるため,今後S-1と統一されるほうが望ましいと考える.IS-1とは一般名はテガフール・ギメラシル・オテラシルカリウムで,製造発売元は大鵬薬品工業.経口抗がん剤(3種類の合剤)であり,以下の作用機序をもつ.テガフール:5-フルオロウラシル(5-FU)のプロドラッグで,DNAの生合成を阻害.さらに5-FUの代謝物もRNA機能を阻害する.ギメラシル:5-FUの血中濃度維持を保つ.オテラシルカリウム:5-FUの消化器への毒性を軽減する.1999年に認可され,胃がん術後の補助療法,進行胃がん,膵臓がん,胆.がん,胆管がん,肺がん(非小細胞がん),大腸がん,乳がんや頭頸部がんなどに幅広く使用されている.なお,2012年の年間処方数はメーカー推定13万件である.早期胃がん術後補助療法ではS-1単独療法が多く,胃がん進行例ではS-1+シスプラチン点滴療法がメインである.その他のがんではS-1投与以前に他の抗がん剤(GEM:ゲムシタビンなど)を使用している症例が多い(35例,約23%).S-1の規格は100mg,120mgであり,錠剤,細粒と両方ある(図1).1日2回投与で1日総量は80.120mgが一表1当院眼科3年9カ月間における,S-1使用による涙道閉塞や狭窄の疾患別症例数(S-1投与前に他の抗がん剤使用35例を含む)疾患胃がん膵臓がん肺がん胆.・胆管がん膵臓がん大腸がん食道がん原発不明がん合計(例)閉塞狭窄数(側)計98251642211149293*HiroyaKashiwagi:静岡県立静岡がんセンター眼科〔別刷請求先〕柏木広哉:〒411-0934静岡県駿東郡長泉町下長窪1007静岡県立静岡がんセンター眼科0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(33)915図1S-1内服薬25mgと20mgがあり,細粒(左),錠剤(右)がある.般的である(副作用が強いときには50mgに減量することもある).内服方法は,4週投与(投)-2週休薬(休),3投-1休,2投-2休などである.胃がん術後補助療法では,10カ月から12カ月間内服することが一般的であるが,進行がんでは2.3年服用することがある,なお,S-1使用のおもな国は,日本,中国,韓国,デンマーク,ドイツなどである.II涙道通過障害による流涙症流涙症は軽視されやすいが,視力のQOL(qualityoflife)を低下させ日常生活のレベルの低下を起こす.また,抗がん剤治療のストレスも加わり,精神的苦痛を伴う.以前よりタキサン系(パクリタキセル1),ドセタキセル2))や5-FU3)などの抗がん剤による涙道閉塞の報告がある.S-1に関しては,2005年Esmaeliら4)が初めて報告して以来,わが国でも報告例5.11)が続いている.発症頻度は,内科の立場よりKoizumiら12)が,S-1単独療法で16%,S-1+シスプラチン点滴併用で18%,流涙症が生じると報告している.眼科からは,発症頻度は,9.8%8),10.8%9),18.0%13),発症時期は,投与後4.5±3.8カ月9)や3カ月11)と報告されている.症例数の違いや胃がん補助療法に絞った報告13)など母集団の条件が同じではなく,今後の検討が必要と考える.また,シスプラチン併用で,発症時期が早くなるとの報告がある9).S-1によるこの涙道障害は,ドセタキセルと同様な機序(血漿から涙液中に薬剤が移行し,涙道壁に直接接し内腔上皮の肥厚と間質の線維化をきたす14))と,考えられている.しかし,血行性の影響や涙腺や結膜,涙液の性状との関係も考慮すべきである.5-FU点滴やゼローダR(同じ5-FU系経口抗がん剤)と比べ,S-1による副作用が圧倒的に多いのは,5-FUの血中濃度の半減期が長いことが原因なのではないかと考えられている.よって涙液中や血清中の5-FUの濃度測定が必要と考えられるが,手技やコストの問題でなかなか施行できない.1.診断と治療当院では,化学療法中の患者に眼症状がでた場合,速やかに眼科医の受診依頼をするシステムが確立されている.眼科諸検査の他にSchirmer試験,涙液メニスカス高の測定に,外来ベッド上での涙管通水検査(図2)を行う.4%点眼キシロカインR麻酔の後,二段針(その他の涙道洗浄針でも構わない)を付けた2.5mlのシリンジを用いて,生理食塩水を涙点から注入する.涙点や涙道の通過状態で障害の状態を判断する.必要があれば,ブジーによる涙小管閉塞部位の確認も行う.涙点(図3),涙小管の障害が約60%との報告があり9),当院でも同様な傾向がある.さらにS-1に曝露された涙液をwashoutする目的で防腐剤非添加の人工涙液を1日6回点眼するように指導している.この点眼薬は薬価の関係で院内処方できない.さらに処方医受診時(1.3週ごと)に通水検査を行う.通水処置の間に病状が進行する症例もあるが,それでS-1を中止することは皆無である.916あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013(34)2.50%以上を占める進行例には早急に涙管チューブ挿入術(表2)軽症例はS-1服用終了で流涙症は改善するが,進行図2通水検査涙管通水検査の実際(外来顕微鏡を用いて施行)(a).午前外来開始前に外来看護師がその日必要な症例数を準備している(b).涙道洗浄針は二段針を使用している.それ以外の涙道洗浄針でも構わない(c).例(閉塞や強い狭窄が考えられる症例)は症状に改善は望めず,早急な涙管チューブ挿入術が必要とされる.ただし,盲目的なブジーや涙管チューブ挿入は,仮道形成を起こす場合があり,慎むべきである.基本は,涙道内視鏡,鼻内視鏡を併用した涙管チューブ挿入術である.麻酔は,皮下浸潤麻酔,涙道内麻酔,滑車下神経麻酔,眼窩下神経麻酔,などを用いる.閉塞部(図4)の開放は,内視鏡的直接穿破法(directendoscopicprobing:DEP)15)を基本に,シース誘導内視鏡下穿破法(sheathguidedendoscopicprobing:SEP)16)を施行している.涙管チューブはNS-チューブR,ラクリファーストR(シリコーン製:カネカメディクス)(図5),PFカテーテルR11cm,5cm(ポリウレタン製:東レ)を用いている.PFカテーテルRの5cmタイプは,涙.上部の閉塞が開放できない場合,涙小管だけは保護する目的で挿入している.しかし,抜けやすい傾向がある.上下一方の涙小管しか開放できない場合は,Eagle涙道チューブR(シリコーン製,Eagle社)17)を挿入している.このチューブにはプラグが装着してあり,涙点部で固定できるよ図3右下涙点の線維化による閉塞(左)とその拡大図(右)表2S-1単独およびS-1+シスプラチン点滴療法のみに絞った113例の内訳(軽症例と進行例)疾患軽症進行合計胃がん405595膵臓がん8311肺がん213胆.・胆管がん011肝臓がん000大腸がん101食道がん011原発不明がん011合計(例)5162113閉塞狭窄数(側)102121223(35)あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013917図4涙道内視鏡で観察できた総涙小管閉塞うな構造になっている(図6).しかし,チューブ本体は柔らかく,蛇腹状態になる欠点があり,もう少し強度があると理想的である.上記3種類のチューブはS-1終了3カ月後に抜去している(S-1終了後3カ月後に角膜障害が生じた事例があったためである).3.治療成績(S-1単独療法,S-1+シスプラチン療法に絞って)涙管チューブの留置完了率は,坂井らの報告では93.1%9),当院では75.6%(84/111側:S-1単独療法,S-1+シスプラチン療法のみ),体調不良で処置不可能が5例10側あった.非完了症例は,高度な涙小管閉塞をきたしたものが多かった.涙小管閉塞に関しては,矢部・鈴木分類改訂版18)があるが,そのGrade3(涙点から5.6mm以下の部位より遠位側が閉塞)では,全例図5涙管チューブヌンチャク型シリコーンチューブ(ラクリファーストR)全長11cm(a).右眼に装用された状態(b).このチューブはNSチューブと異なり,先端からの突き抜け防止のためのストッパーが装着されている(c).涙管チューブ挿入は不可能であった.進行した涙小管閉塞には,涙小管形成手術(canaliculoplasty:CP),結膜涙.鼻腔吻合術(conjunctiva-dacryocystorhinostomy:C-DCR)が必要となるが,このGrade3に対してのCPの適応は限定的である19).チューブ抜去後の再閉塞は8側あり,涙管チューブの再挿入を試みたが挿入不可能な症例もあった.当院での最終的な流涙症の評価は,S-1先端プラグホルダー図6Eagle涙管チューブ左上涙点から挿入されたEagle型涙管チューブ(左).Eagle涙管チューブの構造図(右).918あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013(36)終了3.5カ月後(ごく一部の長期服用者は2012年12月の段階で評価)とし,流涙症改善(50%以上流涙が減少)率は74.4%(166/223側)であった.4.その他の副作用(角膜上皮障害,眼瞼色素沈着,鼻汁)角膜上皮障害5,7,9,11,20),眼瞼色素沈着,鼻汁などの副作用もあるが,この角膜障害による視力低下は,失明の恐怖感を生じさせることが多い.角膜上皮障害(クラック状,点状表層角膜炎型,シート状型)は,涙液に移行した5-FUの長期曝露が原因ではないかと考えられ,流涙症患者の25.30%に生じている9,11).当院では投薬開始から1.3カ月で生じ,点眼加療では改善しなかった.よって服薬中止を処方医に指示し,2.3カ月服用を中止することで全例改善した.ヒアルロン酸の点眼は,その粘稠性の高さから5-FU含有の涙液の長期駐留を起こして,角膜上皮障害を増悪させるので,使用しないことも重要である.5.対策と留意点処方医は流涙症状が出た場合,早急に眼科に紹介させることを徹底させる.初期検査後,必要があれば涙道外来を行っている施設および医師に紹介する(涙道外来を行っている施設および医師は,日本涙道・涙液学会ホームページ(URL/http://www.lacrimal-tear.jp/)に掲載されている.防腐剤非添加の人工涙液の使用説明では,これで涙が減少して症状が改善するわけではないこと,なぜドライアイ用点眼を使うのかを十分説明しておくことが重要である.さらに,水道水で眼を洗う患者も多い傾向があるので,水道水は滅菌水ではないことを十分認識させる.また,副作用冊子は,処方医,患者,眼科医の眼部副作用の認識を上昇させる意味で重要である.現図7当院で製作した抗がん剤眼副作用冊子第3版(16ページで構成)(37)あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013919図8当院電子カルテの抗がん剤と涙道関係のテンプレート在,当院作成の眼部副作用の冊子改訂3版(図7)や涙道・涙液学会,角膜学会監修の冊子がある.6.その他近年電子カルテ診療が普及しつつあり,当院でも抗がん剤関係のテンプレートを作製した(図8).また,処方医のカルテを検索するときに,がん専門の略語が多く苦労するため,重要な略語の意味や日本語訳を知っておくと便利である(表3).2009年米国NationalCancerInstitute(NCI)のCancerTherapyEvaluationProgram(CTEP)が公表したCommonTerminologyCriteriaforAdverseEvents(CTAG:有害事象共通用語規準)に関して,JapanClinicalOncologyGroup/日本臨床腫瘍研究グループ)による日本語訳がある.そのなかには,涙目のグレード分類が1.3まであり,1:治療を要さない,2:治療を要する,3:外科的治療を要すると分類されている.眼科医の立場から考えると,グレード1には違和感がある.IIIまとめ筆者はこの1年間で日本眼科手術学会,日本涙道・涙液学会,日本癌治療学会,日本緩和医療学会,日本がん看護学会,「がんの社会学」に関する合同班会議,患者家族集中勉強会などで講演してきたが,この副作用の認920あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013表3抗がん治療関連略語とその日本語訳略語フルネーム日本語訳などAdjAdjuvanttherapy補助療法CDDPcis-Diaminedichloroplatinumシスプラチン(薬剤名)CPT-11Camptothecin11イリノテカン(薬剤名)CTCAECommonTerminologyCriteriaforAdverseEvents有害事象共通用語規準GEMGemcitabineゲムシタビン(薬剤名)ジェムザール(商品名)NACNeoadjuvantchemotherapy術前化学療法PDProgressivedisease進行PRParticalresponse部分寛解SDStabledisease不変CRCompleteresponse完全寛解著効知度は十分ではないと考える.また,当院のように緩和医療が充実した施設の場合,終末期まで通水処置を行うことも多い.さらに,早期胃がん術後補助療法における使用例での生存率は高いだけに,後遺症に悩みながら生活している患者も多い.それだけ患者にとって,この副作用の苦痛が大きく治療への願望も強いことを,十分認識しておくことが必要である.今後さらなる情報伝達,予防法の確立などが求められる.文献1)McCartneyE,ValluriS,RushingDetal:Upperandlowersystemnasolacrimalductstenosissecondarytopaclitaxel.OphthalPlastReconstrSurg23:170-171,20072)加藤秀紀,尾本聡,久保寛之ほか:ドセタキセルによって涙道閉塞をきたした3例.臨眼58:1463-1466,20043)AgarwalMR,EsmaeliB,BurnstineMA:Squamousmetaplasiaofthecanaliculiassociatedwith5-fluorouracil:aclinicopathologiccasereport.Ophthalmology109:23592361,20024)EsmaeliB,GolioD,LubeckiLetal:Canalicularandnasolacrimalductblockage:anocularsideeffectassociatedwiththeanti-neoplasticdrugS-1.AmJOphthalmol140:325-327,20055)栗原勇大,平岡孝浩,坂田典繁ほか:経口抗癌薬S-1内服に伴う角膜表面と涙液の評価.眼臨紀1:701-705,20086)塩田圭子,田邊和子,木村理ほか:経口抗癌薬TS-1投与後に発症した高度涙小管閉塞症の治療成績.臨眼63:1499-1502,2009(38)7)細谷友雅:抗癌剤による角膜および涙道の障害.眼科54:27-32,20128)SasakiT,MiyashitaH,MiyanagaTetal:Dacryoendoscopicobservationandincidenceofcanalicularobstruction/stenosisassociatedwithS-1,anoralanticancerdrug.JpnJOphthalmol56:214-218,20129)坂井譲,井上康,柏木広哉ほか:TS-1による涙道障害の多施設研究.臨眼66:271-274,201210)井上康:TS-1による涙道閉塞.眼科手術25:391-394,201211)柏木広哉:外来化学療法における副作用対策(6)眼障害.コンセンサス癌治療11:224-226,201212)KoizumiW,NaraharaH,HaraTetal:S-1pluscisplatinversusS-1aloneforfirst-linetreatmentofadvancedgastriccancer(SPIRITStrial):aphaseIIItrial.LancetOncol9:215-221,200813)KimN,ParkC,ParkDJetal:LacrimaldrainageobstructioningastriccancerpatientsreceivingS-1chemotherapy.AnnOncol23:2065-2071,201214)EsmaeliB,BurnstineMA,AhmadiMAetal:Docetaxelinducedhistologicchangesinthelacrimalsacandthenasalmucosa.OphthalPlastReconstrSurg19:305-308,200315)鈴木亨:内視鏡を用いた涙道手術(涙道内視鏡手術).眼科手術16:485-491,200316)杉本学:シースを用いた新しい涙道内視鏡下手術.あたらしい眼科24:1219-1222,200717)五嶋麻理,杉原紀子,松原正男:Eagle涙道チューブ使用例の検討.臨眼65:949-952,201118)加藤愛,矢部比呂夫::涙.鼻腔吻合術における閉塞部位別の術後成績.眼科手術21:265-268,200819)鈴木亨:涙小管閉塞症の顕微鏡下手術における術式選択.眼科手術24:231-236,201120)ChikamaT,TakahashiN,WakutaMetal:NoninvasivedirectdetectionofocularmucositisbyinvivoconfocalmicroscopyinpatientstreatedwithS-1.MolVis15:2896-2904,2009(39)あたらしい眼科Vol.30,No.7,2013921