あたらしい眼科Vol.27,No.7,20109430910-1810/10/\100/頁/JCOPY医療クラウドがもたらす可能性近年,クラウドコンピューティングという言葉をしばしば耳にするようになりました.これは,インターネットを通じて,アプリケーションソフトを「共有する」という仕組みです.従来は,パッケージで購入したワープロや表計算などのアプリケーションソフトを自分のパソコンにインストールして利用していましたが,クラウドコンピューティングでは,これらをすべてインターネットに接続して利用します.医療に関係する専門ソフトの例をあげますと,医事会計ソフト,予約システム,画像管理システム,電子カルテなどが臨床の現場で使われていますが,これらすべての医療ソフトもクラウドコンピューティングによって,購入せずに利用することが,理論上は可能です.今後,インターネットは,電力や上下水道や公共交通機関や金融システムなどと同様に,社会基盤の一つになるといわれており,ソフトバンク代表取締役の孫正義氏は,インターネットにアクセスする権利(情報アクセス権)を,自由権,参政権,社会権に並ぶ基本的人権の一つである,と述べています1).先月号では,クラウドコンピューティングの明るい展望・将来性について紹介しました.今月号では逆に,医療クラウドの光と影のうち,「影」の部分にスポットを当てて,問題点を検証したいと思います.医療クラウドの問題点①―技術的観点―技術的な観点から,医療クラウドの問題点を検証します.病院情報システムのクラウド化に際し,技術的な課題は,「システムへの信頼性」に集約されます.もし,クラウドコンピューティングへの回線がダウンすると,自動車の運転中にライトが消えてしまうような状態になります.ヤフー・グーグルなどのポータルサイトでは,「現在使えません」「工事中です」の案内で済みますが,医療の現場は待ってくれません.緊急用に,自前のサーバーをもつことを推奨する意見もありますが,それでは,何のためのクラウド化かわからなくなります.ただ,回線を二重化すればある程度リスクを軽減できそうです.つまり,回線は命綱といえます.また,医療現場が求めるサービスレベルとセキュリティの要求が,他の業種と比べて高いことも指摘されます.セキュリティレベルについて,数字をあげて検証します.年間を通じて動くサーバーもメンテナンスのため,どうしても休止せざるを得ない場合があります.サービスがレベル99.9%としても,年間8時間半,99.99%なら年間50分,サーバーが停止することになります.かかりつけの患者が急変して担ぎ込まれたときに「あなたは運が悪い.ちょうどシステムがダウンしてカルテを確認できません」という状況は,医療にかかわる人間として,許容されるものではありません.もし,回線・サーバーが停止した状況で不幸な出来事が起こったら,誰が法的に責任を担うのでしょう.患者の感情を考慮すると,矛先は,システム提供者だけでなく,医療機関にも向けられるでしょう.しかし,このようなシステムの信頼性に関する問題は,技術の進歩と費用をかければ,解決されるものと考えています.つぎの課題は,電子カルテを「どこに保存するか」,という責任所在の問題です.厚生労働省(厚労省)でしょうか.民間企業でしょうか.医療機関でしょうか.医療クラウドを運用するには,大規模なデータセンターが必要です.そのための設備投資をどこがリスクを背負って開発・運用するのでしょうか.医療クラウドの問題点②―医師法の観点―インターネットの情報は二つの要素で構成されます.情報が保存される「ハード=サーバー」と情報そのものである「コンテンツ」です.ハード保有者には保存場所と管理責任が求められ,コンテンツ作成者には著作権が発生し,著作内容の責任が求められます.医療情報も,この二つの要素で構成されますが,医師法の規制を受ける点が他の情報と異なります.医師法では,「医療情報(83)インターネットの眼科応用第18章クラウドコンピューティングと医療②武蔵国弘(KunihiroMusashi)むさしドリーム眼科シリーズ⑱944あたらしい眼科Vol.27,No.7,2010(診療録)の保存場所は同一病院機関内が好ましい」とされていましたが,近年では,病院機関の外部に保存することを認める省令が出ています2).ただし,「保存に係るホストコンピュータ,サーバー等の情報処理機器が,(中略)医療法人等が適切に管理する場所に置かれるものであること.」と制限されています.通常,電子カルテのコンテンツは医療従事者によって更新され,サーバーは施設内に設置されます.「ハード保有者=コンテンツ作成者」です.世の中に普及している電子カルテのほとんどがこの形態です.例外が一つあります.セコム医療システム株式会社が提供する「セコム・ユビキタス電子カルテ」は,先月号で紹介しましたが,利用者はインターネットを通じて電子カルテを利用します.全国のサービス利用者がアクセスするサーバーは,自分の医療機関とは別の医療機関にあります.ハード保有者とコンテンツ作成者の所在地・所属が異なる特殊なケースです.医療クラウドを用いた電子カルテではどのような課題が生じるでしょうか.医療機関が,膨大なデータ処理を要するクラウドサーバーを維持・管理できるかは,はなはだ疑問です.つまり,診療録を積極的に外部に保存する必要があります.日本の場合,サーバー管理者は震災への配慮が必要です.多くの大企業が,データセンターを東日本と西日本,あるいは国外に分けてもっています.一つのデータセンターが破壊されても,サービスは維持されます.医療クラウドもそのレベルの対応が求められるでしょう.もはや,保存場所を医療機関に限定することは無意味です.さらに,先述の省令において,診療録を外部保存した場合でも,「外部保存は,診療録等の保存の義務を有する病院,診療所等の責任において行うこと.また,事故等が発生した場合における責任の所在を明確にしておくこと.」と定められています.医療クラウドの世界において,ハード保有者(システム会社)の事故まで,コンテンツ作成者(医療者)が責任を負わないよう,われわれは毅然とした態度でリスク管理をしなければなりません.医療クラウドの問題点③―情報保全の観点―近年,ある民間企業が医療クラウドのサービスを開始した,と報道されました.これからも,同業他社が名乗りをあげることでしょう.将来性のある話に水を指すようではありますが,その運用・管理について,問題点を(84)あげます.先ほど,インターネットの情報はハードとコンテンツに分けられる,と述べました.ハードをもつ主体者には,管理責任が問われます.管理者は,全国民の健康情報,他人に知られたくない身体の状況すらも,閲覧可能になります.国民は,自分の健康情報が特定の民間企業の管理下に置かれることを,「是」とするでしょうか?また,管理者には,個人情報を漏洩しない,という高いプロ意識が求められます.国民の健康管理の主体者は,本来,厚労省でしょう.ですが,このような高度なシステム開発を厚労省が担うとは思えません.サーバーの維持費用を捻出する財源があるとも思えません.ここは,民間企業に医療人の一員として参入してもらうのが,われわれ医療者,患者にとってプラスであろうと考えます.孫正義氏は,「光の道構想」のなかで,日本国内の全回線を光ファイバーに変換し,電子教科書や電子カルテを無料で提供すると説きます.孫氏は,医療情報のデジタルインフラを構築する構想をもちます.ならば,情報管理の徹底や,システムトラブルから発生した健康被害に対する損害賠償や,場合によっては死亡した患者家族の怨念を背負う覚悟をもたねばなりません.ただ,医療情報を扱わない医療ソフト(医事会計ソフトや予約システム)の場合,医師法は適応されず,情報漏洩に関する配慮も相対的に低くなるため,電子カルテよりも容易にクラウド化が可能です.近い将来,サービスが開始され普及すると予想されます.私が主宰する,インターネット会議室「MVC-online」を開設したのが2005年8月です.この稿を執筆している頃で,ちょうど5年になりますが,MVC-onlineの基盤となる,SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というソフトは,当時の価格は1,000万円したものです.ところが,5年経った現在,SNSは,ほぼ無料で作成できる安価なソフトになりました.ネットの世界の技術革新はすさまじく,あるとき,一瞬でソフトの値段がゼロになります.電子カルテが1,000万円以上したことが遠い昔のように語られる時代がくるかもしれません.文献1)http://www.ustream.tv/recorded/68802772)医政発第0329003号http://www.medis.or.jp/2_kaihatu/denshi/file/140405-a.pdf