B.「海の幸」編サケ,イクラ,エビ,カニ(アスタキサンチン) Salmon, Salmon Roe, Shrimp and Crab(Astaxanthin)北市伸義*大野重昭**石田晋*I縄文人を支えたサケ縄文時代はわが国で人類が定住を始めた時代である.縄文式土器の発明は食材を煮ることを可能にした.それにより,生ではあくが強くて食べられないドングリなどの木の実を食べられるようになった.また,クッキーや鍋料理などが登場し,狩猟に頼る不安定な食生活が大きく改善された.最近の考古学的研究によれば当時はカロリーの 40%以上をドングリなどの木の実で摂取し,残りはイノシシ,シカなどの狩猟,および魚類や貝類の漁撈による動物性カロリーであったらしい.彼らは川辺に集落を作ったが,これは飲料水の確保とともにサケの捕獲のためとも考えられている.サケ(アイヌ語ではシャケンベ)は特に東日本の遺跡から多くの骨が出土しており,生活を支える重要な食物であったと考えられる.そのため当時は西日本より東日本のほうが人口密度はかなり高かった.実際,北海道大学構内で発掘された多くの縄文/続縄文遺跡からもアワ,イネ,オオムギなどの炭化種子とともに,サケを捕獲するための定置網と考えられる柵状遺構や,焼いて調理されたサケの骨が大量に出土する.当然イクラ(ロシア語でイクラ)も食べていたと考えられる.本稿では,古来日本人が摂取してきたサケ,イクラ,あるいはカニやエビに豊富に含まれるアスタキサンチンに注目して眼に良い食べ物を解説したい.IIアスタキサンチンアスタキサンチン(3,3 ¢-ジヒドロキシ-b,b-カロテン-4,4¢-ジオン:AST)は 1938年,ドイツのリヒャルト・クーンらによって発見されたカロテノイドの一種である.クーンはビタミン類・カロテノイド類・酵素などの研究者で,後にノーベル化学賞を受賞した.アスタキサンチンはカロテノイド類のキサントフィルに属し,長鎖の共役二重結合と両末端の b-イオノン環がケト基とヒドロキシル基で置換された化学構造を有する.名前は「黄色い花」という意味のギリシャ語に由来する赤橙色の天然色素である.エビ,カニ,サケ,イクラなどの赤橙色の主成分であり,人類が古来摂取してきた食品中に広く存在する(表1).筋肉には遅筋(赤色)と速筋(白色)があり,通常赤身魚の色は遅筋のミオグロビンに起因するが,サケは体側筋が速筋で構成され,生物学的には白身魚である.そのためサケの刺身・切り身などを観察するとアスタキサン 表 1おもな食品中のアスタキサンチン含有量食品 含有量(mg/ 100 g) ベニザケ 2.5. 3.5 キンメダイ 2.0. 3.0 毛ガニツ黴 1.11 甘エビツ黴 0.99 イクラ・筋子ツ黴 0.8 クルマエビツ黴 0.66ツ黴 *Nobuyoshi Kitaichi & Susumu Ishida:北海道大学大学院医学研究科眼科学分野**Shigeaki Ohno:北海道大学大学院医学研究科炎症眼科学講座〔別刷請求先〕北市伸義:〒060-8648 札幌市北区北 14条西 5丁目北海道大学大学院医学研究科眼科学分野0910-1810/10/\100/頁/JCOPY (43) 43チンそのものの赤橙色/オレンジ色がよく実感できる.サケは産卵期が近づくとアスタキサンチンが体表やイクラへ移動して婚姻色とよばれる鮮やかな色調を呈する.甲殻類では加熱により結合蛋白から遊離するとアスタキサンチン本来の赤色がみられる.また,フラミンゴはエサの中に含まれるアスタキサンチンを体内でカンタキサンチンに変換するため,これがフラミンゴの特徴的なピンク色の羽毛の元になっている. III抗酸化作用近年,アスタキサンチンの抗酸化作用が注目されている.元来は藻,酵母,細菌などが有害な太陽光線から自らを守るために合成し始め,その後魚類,甲殻類など食物連鎖上位の生物も同様の理由で利用し始めたと考えられている.活性酸素は分子構造が不安定なためさまざまなものを酸化させ,細胞機能の低下や遺伝子変異,生活習慣病にも関係が深いと考えられている.ヒトは抗酸化物質であるビタミンC,ビタミンE,カロテノイドなどを体内で産生できないため,これらを食物中から摂取する必要がある.さらに現代社会はストレス,アルコール摂取,喫煙,食品添加物,残留農薬,排気ガス,紫外線,放射線など体内の活性酸素発生要因の増加が指摘されている1).これに対し,アスタキサンチンはきわめて強力な抗酸化作用を有することが明らかとなっており,その活性酸素消去能は a-トコフェノールの 550倍,フリーラジカル補足活性はルテインの 3.5倍にもなる1). IV動物モデルでの効果アスタキサンチンは抗酸化作用だけではなく抗炎症作用も有する.まずアスタキサンチンの抗炎症効果を動物モデルで検証してみた.エンドトキシン誘発ぶどう膜炎(EIU)は急性前部ぶどう膜炎モデルである.筆者らはルイスラットにリポ多糖(LPS)を投与し,同時にアスタキサンチンを投与して前房水中の炎症細胞数や前房内蛋白濃度,プロスタグランジン(PG)E 2,一酸化窒素(NO),腫瘍壊死因子(TNF) -a濃度を測定した.24時間後の前房炎症細胞数はアスタキサンチン 100 mg/kg投与群で有意に減少しており,代表的なステロイド薬であるプレドニゾロン10 mg/kgに匹敵した(図 1).前房水中蛋白濃度も 10 mg/kgから有意に減少し,100 mg/kg投与群ではプレドニゾロン 10 mg/kg投与と同程度に低下していた(図2).また,PGE 2,NO,TNF-a濃度はいずれも 1 mg/kg投与群から有意に減少し,10 mg/kg以上でプレドニゾロン(10 mg/kg)とほぼ同等の効果がみられた2).EIU惹起ラット摘出眼球の NF-kB(核内因子 kB)核内発現を免疫組織学的に検討すると,アスタキサンチン投与群ではぶどう膜(虹彩・毛様体)の NF-kB陽性細胞数が有意に減少していた3)(図 3).さらに,中高年者50蛋白濃度(mg/ml) 40 30 40 30 20 10細胞数( ×105個) 陽性対照110 100プレドニゾロンAST(mg/kg) (10mg/kg)図 1EIU惹起ラット前房水中炎症細胞数前房水中炎症細胞数はアスタキサンチン(AST)の投与量依存的に減少し,AST 100mg/kg投与群はプレドニゾロン10 mg/kg 投与群とほぼ同程度であった.44あたらしい眼科Vol. 27,No. 1,20100陽性対照110 100プレドニゾロンAST(mg/kg) (10mg/kg)図 2EIU惹起ラットの前房水中蛋白濃度前房水中蛋白濃度はアスタキサンチン(AST)投与量依存的に減少し,100 mg/kg投与群ではプレドニゾロン 10 mg/kgと同程度に減少した.(44)対照 LPSLPS+AST図 3ラット急性眼炎症モデルにおけるアスタキサンチンの効果左:対照(アスタキサンチン非摂取群).中:LPSによる NF-kBの核内への移行(オレンジ色)がみられる.右:アスタキサンチン(100 mg/kg)摂取ラットでは NF-kBの核内移行が抑制される.250 の失明原因として注目される加齢黄斑変性の終末病態である脈絡膜血管新生に対する効果も検討したところ,レーザー誘導脈絡膜血管新生モデルではアスタキサンチンの摂取により脈絡膜血管新生が抑制された.この奏効機序も NF-kBを介する炎症機序の軽減によった4).したがってアスタキサンチンは免疫・炎症反応の中心的転写準他覚的調節力(%) 200 150 100 50因子である NF-kB阻害により抗炎症効果を発揮すると考えられる. 00 1428 Vヒトでの効果摂取日数図 4健常成人におけるアスタキサンチン摂取後の調節力変化つぎに動物モデルで得られた結果を元にヒトでの臨床的評価を試みた.被験者は日常的にパソコン業務などが多く,眼精疲労を自覚する健康成人とし,試験食品を 4週間連日経口摂取してもらった.対照群(非アスタキサンチン群)とアスタキサンチン 6 mg経口摂取群(アスタキサンチン群)の 2群に分け,眼精疲労と調節機能を二重盲検法で比較した.摂取開始後の準他覚的調節力を14日目,28日目で比較するとアスタキサンチン群では調節力が有意に改善し,その効果は摂取日数が長くなるほど増強した(図4).眼精疲労は自覚的視覚アナログスケール法を用いて摂取前後の客観的眼精疲労度評価を行14日目以降アスタキサンチン摂取群では有意に調節力が向上した.った.その結果,12項目中「目が疲れやすい」「目がかすむ」「眼の奥が痛い」「しょぼしょぼする」「まぶしい」「肩が凝る」「腰が痛い」「イライラしやすい」の 8項目で改善がみられた5)(表2).現代社会では長時間コンピュータモニターを利用することが多く,必然的に近見作業時間が長くなる.そのため毛様体筋に長時間の緊張状態を強いることになり,調節機能の異常やひいては眼精疲労をひき起こす.さらに(45)あたらしい眼科Vol. 27,No. 1,2010 45表 2アスタキサンチン摂取試験眼精疲労自覚症状調査項目1.目が疲れやすい* 7.目が熱い 2.目がかすむ* 8.まぶしい,目を開けているのが辛い* 3.まぶたが重い 9.肩が凝る* 4.目の奥が痛い* 10.腰が痛い* 5.充血する 11.イライラしやすい* 6.しょぼしょぼする* 12.頭が重い *視覚アナログスケール法での改善項目.長期間にわたるコンピュータ使用による慢性ストレスが毛様体筋の機能低下をひき起こし,調節力の低下の一因となる可能性がある.筆者らがコンピュータなどの使用時間の長い被験者を対象として二重盲検試験を行ったところ,同様にアスタキサンチン投与群で調節機能と自覚症状の改善がみられた.したがってアスタキサンチン摂取は眼科臨床では眼精疲労の軽減と調節機能の改善に有効であると考えられた.今後さらに白内障進行予防,緑内障における視神経乳頭循環改善,ぶどう膜炎緩和,あるいは加齢黄斑変性や糖尿病網膜症の予防,進行緩和への応用が期待される. VI摂取の目安今日,アスタキサンチン必要摂取量の明確な目安はないが,1日 6.9 mgの摂取が一般的である.筆者らの臨床研究では 1日 6 mgを 4週間摂取することで眼の調節機能が改善した6).しかし現実問題として食品だけで 1日 6 mgのアスタキサンチンを摂取することは困難であり,サプリメントなどで補完することになる.また同時に筆者らの行った安全性試験では有効量の 5倍量である1日30 mgを 4週間摂取しても全身に影響はみられず,眼圧上昇などの眼科的有害事象もまったくみられなかった7).自然界・天然食材に豊富に存在し,人類が古来長期間にわたり摂取してきたという食経験の歴史も考えあわせると,アスタキサンチンは安全性の高い有用な活性物質であると考えられる.おわりにヒトは外界からの情報の 80%以上を視覚に頼るとされるが,近年の情報化社会は眼への負担をこれまで以上に過酷なものにしている.加えてわが国は世界一の長寿社会である.アスタキサンチンの抗炎症効果は NF-kBシグナルを介するが,NF-kBはストレス反応,サイトカイン産生,紫外線障害,細胞増殖,アポトーシス,自己免疫疾患,悪性腫瘍など多くの生理現象に深く関与している.したがってアスタキサンチンは将来,眼精疲労,炎症性疾患,紫外線障害,加齢黄斑変性症など多くの疾患に有用である可能性がある8).安全性の高さも考えあわせ,今後いっそうその抗酸化作用,抗炎症作用の基礎的・臨床的エビデンスを蓄積すべきであると考えられる9).文献1)大野重昭:海の幸サケ・エビ・カニは目に良いか?赤い色の正体は?.眼科ケア 117:68-72, 20082)Ohgami K, Shiratori K, Kotake S et al:E.ects of astaxan-thin on lipopolysaccharide-induced in.ammation in vitro and in vivo. Invest Ophthalmol Vis Sci 44:2694-2701, 20033)Suzuki Y, Ohgami K, Shiratori K et al:Suppressive e.ect of astaxanthin against rat endotoxin-induced uveitis by inhibiting the NF-kB signaling pathway. Exp Eye Res 82:275-281, 20064)Izumi-Nagai K, Nagai N, Ohgami K et al:Inhibition of choroidal neovascularization with an anti-in.ammatory carotenoid astaxanthin. Invest Ophthalmol Vis Sci 49: 1679-1685, 20085)大神一浩,吉田和彦,大野重昭:眼科におけるアスタキサンチンの有用性.あたらしい眼科 25:1257-1260, 20086)白取謙治,大神一浩,新田卓也ほか:アスタキサンチンの調節機能および疲れ目におよぼす影響─健常成人を対象とした効果確認試験.臨床医薬 21:637-650, 20057)大神一浩,白取謙治,大野重昭ほか:アスタキサンチンの過剰摂取における安全性の検討.臨床医薬 21:651-659, 20058)北市伸義,大神一浩,大野重昭:アスタキサンチンの抗炎症効果.Functional Food 3:26-30, 20099)北市伸義,石田晋,大野重昭:気になる目の病気のすべてアスタキサンチン.からだの科学 263:131-134, 200946あたらしい眼科Vol. 27,No. 1,2010(46)