連載③二次元から三次元を作り出す脳と眼雲井弥生淀川キリスト教病院眼科3.立体視・奥行き感覚とPanum融像感覚圏はじめにホロプター上の物体の両眼視差は0である.その前方では交差性視差,後方では同側性視差を生じる.視差が小さくPanum融像感覚圏内であれば凸や凹など立体感や奥行き感覚(depthperception)を生み,視差が大きく圏外であれば複視を生む.交差性視差刺激により誘発される輻湊運動は,その開始時に立体感や奥行き感覚を伴わないことがわかっている.脳は私たちの意識下でホロプターと視差を敏感に検出して利用している.立体視(stereopsis)とPanum融像感覚圏前回は,①ホロプター上の点は両眼網膜の対応点に結像し単一視されること,②ホロプターから前後に大きくはずれた点は,両眼網膜の非対応点に結像するため,複視の感覚を生じることを述べた.ホロプターに近接する点は,たとえ両眼の非対応点に結像しても融像により凸や凹の立体視につながることを今回追加して述べる.*ホロプター前後に広がる両眼で単一視可能な領域のことをPanum融像感覚圏1)とよぶ.*融像とは,両眼網膜に映る同質の像を中枢で融合させて単一の像として認識することである.Panum融像感覚圏は固視点近くで狭く,周辺視野に行くほど広くなる.視覚情報は視細胞→双極細胞→神経節細胞→視神経→視交叉→外側膝状体→後頭葉第1次視覚野へと伝達される.融像感覚圏の広さが固視点と周辺視野で異なるのは,中心窩では1つの神経節細胞が1つの視細胞に対応するのに対して,周辺網膜では1つの神経節細胞が多数の視細胞に対応しているためである.立体視の機序Panum融像感覚圏について具体的に考える(図1,2)2).花の中心Fを固視する.花より手前にある葉の先端AがPanum融像感覚圏の前端に位置すると仮定する.これより前方では複視を生じる.点Aの結像点を右眼では点Ar,左眼では点Alとする.点Arと点Aを通る直線とホロプターとの交点を点A’とする.点A’の右眼での結像点A’rは点Arに一致し,左眼での結像点A’lはAlより鼻側にある.A’はホロプター上の点なのでA’rとA’lは対応点であり,Fr-A’r=Fl-A’lである.AlはA’lより耳側にずれているのでFr-Ar<Fl-Alとなり,交差性視差をもつ.ArとAlを融像させると凸の感覚となる(交差性視差→凸の感覚.6月号連載①参照).葉の先端Aは花中心Fより手前に突出しているように見える.*網膜像が耳側にずれる=交差性視差→凸の感覚図2では花よりも後方にある葉の先端BがPanum融像感覚圏の後端に位置すると仮定する.これより後方では複視を生ずる.点Bの網膜での結像点を右眼では点Br,左眼では点Blとする.点Brと点Bを通る直線とホロプターとの交点を点B’とする.点B’の右眼の結像点B’rはBrに一致し,左眼での結像点B’lはBlより耳側にある.B’はホロプター上の点なのでB’rとB’lは対応点であり,Fr-B’r=Fl-B’lである.BlはBl’より鼻側にずれているのでFr-Br>Fl-Blとなり,同側性視差をもつ.BrとBlを融像させると凹の感覚となる.葉の先端Bは花中心Fより後方に引っ込んで見える.*網膜像が鼻側にずれる=同側性視差→凹の感覚このように非対応点に結像しても,そのずれが小さくPanum融像感覚圏内であれば,融像により凸や凹の感覚となる.Panum融像感覚圏は立体視や奥行き感覚を生み出すのに重要な役目を果たしている.奥行き感覚を遠近感と言い換えることもできるが,英語のdepthperceptionに対応して前者を使っている.生物は視差を情報として使う図3にまとめる.ホロプター上の点は両眼網膜の対応点に結像し,視差をもたない.すなわち視差0であり単一視される.ホロプターより手前に存在する物は交差性視差を生じる.この場合に融像感覚圏内では融像により凸や前方の感覚を生み,圏外では融像困難となり交差性複視の感覚を生む.ホロプターより後ろに存在する物は同側性視差を生じる.融像感覚圏内では凹や後方の感覚を生み,圏外では同側性複視を生む.いずれ詳述するが,後頭葉第1次視覚野には,両眼視差が0のときに強く反応する細胞や逆に反応が抑制される細胞,交差性視差刺激に対して強く反応する細胞,同側性視差刺激に対して強く反応する細胞が存在するとネコやサルを使った実験で報告されている2).また,輻湊についての研究から,交差性視差刺激により誘発される輻湊運動は,その開始時に立体感や奥行き感覚を伴わないことがわかっている3).つまり私たちが視差を立体感や奥行き感覚としてとらえていない段階で,脳はそれを検出して利用しているのである.カエルやカマキリなどの下等な生物の眼には輻湊運動は認められないが,両眼視差自体を使って虫との距離を測り捕食することがわかっている4).「なにが見えるか」に注意を向ける私たちの意識下で,脳は確実にホロプターをとらえ視差を計算している.文献1)粟屋忍:両眼視の発達とその障害.視能矯正学改訂第2版(丸尾敏夫,粟屋忍編),p190-201,金原出版,19982)TychsenL:Normaladultpsychophysics.InAdler’sphysiologyoftheeye(edbyHartWM),p773-802,Mosby,StLouis,19923)高木峰夫,阿部春樹,板東武彦:近見反応.動物とヒトでの生理学的解析から.神眼21:265-279,20044)鈴木光太郎:奥行きをとらえる.動物は世界をどう見るか.p193-218,新曜社,1995図1Panum融像感覚圏と交差性視差葉の先端AはPanum融像感覚圏の前端に位置する.網膜上の点Arと点Alは交差性視差をもち,融像により凸の感覚となる.図2Panum融像感覚圏と同側性視差葉の先端BはPanum融像感覚圏の後端に位置する.網膜上の点Brと点Blは同側性視差をもち,融像により凹の感覚となる.図3ホロプターと立体視・複視の関係ホロプター上の点の視差は0である.前方の点は交差性視差を生じ,Panum融像感覚圏内では凸の感覚,圏外では交差性複視の感覚となる.後方の点は同側性視差を生じ,Panum感覚圏内では凹の感覚,圏外では同側性複視の感覚となる.(87)あたらしい眼科Vol.33,No.8,201611690910-1810/16/\100/頁/JCOPY(88)