———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.24,No.7,2007???0910-1810/07/\100/頁/JCLSつい先日の勉強会でのこと,香港貿易発展局日本主席代表古田茂美さんの講演で,『孫子』(そんし)の兵法について演者が触れました.日本でも『孫子』はよく知られており,最近ではNHKの大河ドラマ「風林火山」の中で武田軍の旗印として登場します.風林火山は『孫子』の「軍争篇」の要約であり,他には「刑篇」「勢篇」「地形篇」「九地篇」などがあります.『孫子』は,中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書.武経七書の一つであり,戦略論としての評価は非常に高く,中国人はこれを「孫子以前に兵書無く,孫子以降に兵書無し」とまで評しています.さて,その講演会で演者は,中国の教科書には『孫子』の兵法があり,子どもから大人までみんなそれを知っている,日本でもよく使われる「三十六計逃げるにしかず」は,まさに『孫子』に書かれている36の兵法を意味していると話しました.「三十六計逃げるにしかず」の意味を私はそれまで知りませんでした.先日来日した温家宝首相もこれまでの中国の対日政策とは違った印象を日本人に与えましたが,それもまさに『孫子』の兵法の中にあるものであると,演者はその兵法を紹介してくださいました.この時代に『孫子』かと思われる向きもあるかもしれませんが,実は『孫子』の兵法をよく理解しているわけではなく,『孫子』はもう古い考えだと思い込んでいるだけです.実は,戦略に関して古今東西の最良の書が『孫子』であると考えられています.クラウゼヴィッツの『戦争論』も孫子にはおよばない.ナポレオンは『孫子』を読み,実戦で生かしていたという記録があるそうです.中華的戦略戦術を知らずに,中国と付き合うのはむずかしいかもしれません.さて,本書の著者である山本七平氏は1943年に22歳で徴兵され,陸軍将校としてルソン島の攻防戦に参加,そこで終戦を迎えています.1956年「山本書店」を創立し,1970年には大ベストセラーである「日本人とユダヤ人」をイザヤ・ベンダサンの名前で出版しています.氏の思考の根底には「人間とはなにか」「日本人とはなにか」そして「日本人のつくった組織とはなにか」という問いかけが流れています.日本人のつくった組織,特に日本の軍隊,また戦争の指導者への厳しい批判があります.本書には『孫子』の兵法はお隣りの韓国では盛んに学ばれており,秀吉の朝鮮出兵の頃には,韓国のおもだった部将のほとんどは兵法のすべてを諳んじていたようです.もちろん,実践は兵法のとおりに展開するわけではありませんが,それでも秀吉が朝鮮半島から引き上げることになる背景には,日本の戦略の稚拙さ,特に海軍の整備などほとんど考えられていなかったことがあげられるでしょう.また,明の参戦も想定されていなかった.トータルに,秀吉は兵法を理解していなかった,または,「読み役,解説役」といわれる「物読み僧侶」がいなかったか,使いこなせなかったのかも知れません.家康も勉強家で兵法は学んでいたが,韓国の部将のレベルには至らなかったであろうと,氏は述べています.本書は単に『孫子』の兵法を紹介しているだけではなく,太平洋戦争における日本軍のありかたを企業のあり方と比較しています.たとえば,当時の日本軍が勝利の必須の条件としていた「愛国心」も「滅私奉公」も「必勝の信念」も,孫子はまったく触れていない.国境に近く逃げやすい地形に兵をおけば,兵はすぐに逃げて故郷に帰れるので,敵が来れば散り散りになって逃げてしまう.敵を撃滅しなければ必ず全滅してしまう位置におけば,兵は死に物狂いで戦う.『孫子』の兵法は,ある種(75)■7月の推薦図書■「孫子」の読み方山本七平著(日経ビジネス人文庫)シリーズ─75◆伊藤守株式会社コーチ・トゥエンティワン———————————————————————-Page2???あたらしい眼科Vol.24,No.7,2007エネルギーのマネジメントであり,そこには不確実な精神論は含まれません.まして,リーダーがそのあいまいな感情に浸るなど微塵もないわけです.それは,会社組織にもあてはまります.「当たって砕けろ」とか「やればできる」,これらは根拠のない精神論であり,兵法の欠落した指導者の責任逃れにすぎません.『孫子』の兵法によれば,「愛社精神」も「企業への忠誠」も求めていない.はじめからそんなことは念頭にない.孫子は,部下に対して超人的な自発的努力や能力の発揮,さらに,度はずれた勤勉さも要求していない.そんなことはあてにもしない.部下が新人類であろうがなかろうが,必ず目的を達成するのが兵法であると孫子は考えているのです.『孫子』の思想の全般的特徴?非好戦的であること…戦争を簡単に起こすことや,長期戦による国力消耗を戒める.この点について老子思想との類縁性を指摘する研究もある.「百戦百勝は善の善なるものに非ず.戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)?現実主義に立脚していること…緻密な観察眼に基づき,戦争のさまざまな様相を区別し,それに対応した記述を行う.「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)?戦争における主導性の重視…「善く攻むる者には,敵其の守る所を知らず.善く守る者は,敵,其の攻むる所を知らず」(虚実篇)そのほかに,計篇─的確な見通しの立て方作戦篇─的確な収束をこころがける謀攻篇─戦わずに勝て刑篇─敵の崩れを待つ勢篇─組織力で勢いに乗れ虚実篇─戦いは変化自在に軍争篇─相手の油断を誘え九変篇─臨機応変に対応する行軍篇─敵情をどう探るか地形篇─組織の統一に意を用いよ九地篇─部下のやる気を引き出す火攻篇─目的の達成は慎重に用間篇─諜報活動に力を入れる何千年も前につくられ,だれでも知っている孫子の兵法ですが,実のところ旧日本軍の戦争指導者は兵法を理解していなかったと氏は指摘します.孫子の兵法には,だれでも一度はどこかで触れたことがあるでしょう.日本の経営者はよく戦国時代の武将から経営のヒントを得るようですが,実はその背景には,『孫子』の兵法の思想が流れています.『孫子』の兵法がそのまま企業経営に使えるわけではありませんが,視点を変えてみれば,ずいぶん参考になる部分もあります.人生を設計するうえでも参考になると思います.これまでも『孫子』についての解説書は多々でていますが,本書は『孫子』を身近に理解できる一冊です.☆☆☆(76)