人工網膜のこれまでの開発の道のりRetinalProsthesis神田寛行*不二門尚*はじめに網膜色素変性で失われた視覚を再建することを目的とした人工網膜開発が日本を含め各国で進められている.まだ開発途中の段階ではあるが,網膜色素変性患者が人工網膜を装着することでphospheneとよばれる人工視覚が得られることが確認されている.将来の治療法として人工網膜は大きな可能性を秘めている.I人工網膜とは人工網膜の仕組みについて,筆者らの研究グループが開発中の人工網膜システムを例にあげて説明する.人工網膜は,「体外装置」と「体内装置」の二つの装置から構成される(図1).体外装置は小型カメラが装着された眼鏡フレーム,処理装置,一次コイル,電源などで構成される.体外装置では外界の画像を小型カメラで撮影し,取得した画像を基に処理回路で刺激パラメータがリアルタイムに算出される.刺激データは一次コイルを介して体内装置に無線伝送される.その際,体内装置本体駆動用の電力も無線で送られる.体内装置は二次コイル,本体デバイス,多極電極などで構成され,体内に慢性埋植された状態で使用される.二次コイルで刺激データや電力を受信した後,本体デバイス内の大規模集積回路で刺激電流が生成される.刺激電流は,電気リードを経由して網膜近傍に埋植された多極電極へと送られる.最終的に多極電極から網膜へと刺図1人工網膜の模式図激電流が伝わる.刺激電流によって,網膜内に残存する網膜神経節細胞や双極細胞などの神経細胞に神経興奮が生じ,それが視神経を経由して視覚中枢へと伝わることで,擬似的な光感覚が生まれる.なお,ここで示した人工網膜は筆者らが開発中のシステムを例にあげたが,研究グループ間でシステムの仕様にいくつかの違いは存在する.人工網膜は「失われた視細胞の機能を電子機器で代替することにより,人工的に視覚を再建する埋込型医療機器」といえる.視細胞の機能は「光を受光し電気信号に変換すること」と「画像情報を上位のニューロンに伝達すること」であるが,人工網膜では,小型カメラが前者*HiroyukiKanda&*TakashiFujikado:大阪大学大学院医学系研究科感覚機能形成学〔別刷請求先〕神田寛行:〒565-0871大阪府吹田市山田丘2-2大阪大学大学院医学系研究科感覚機能形成学0910-1810/18/\100/頁/JCOPY(51)469図2多極電極abc図3人工網膜の3つの方式a:網膜上刺激方式,b:網膜下刺激方式,c:脈絡膜上刺激方式.存することが報告されている1)ことから,網膜色素変性は人工網膜のよい適応疾患であると考えられている.ただし筆者らは経験上,強い角膜電気刺激に対してもphospheneが感じられない症例も存在することを確認している.そのため,「網膜色素変性であれば必ず人工網膜が適応可能である」とは言いきれない.今後,人工網膜の適応可能性をより正確に判断するための術前検査法の開発が求められるだろう.CIII人工網膜研究開発の歴史ここからは,人工網膜開発に関するこれまでの流れについて解説する.人工網膜のアイデアはC1956年にCTassickerによって最初に提案されたが2),長らくコンセプトの域を出なかった.しかし,電子機器の技術向上に伴い,1990年代初頭から実用化に向けた研究が欧米を中心に徐々に始まるようになった.C1.1990年代1990年代前半に米国のCHumayunらによって網膜上刺激方式の人工網膜が考案された.この方式は,網膜の上側,つまり網膜側に電極面を向けて網膜と硝子体の間に多極電極を設置し,網膜に通電を行う方式である.1990年代後半にはCHumayunを中心にさまざまな急性臨床試験が行われた3,4).たとえば,急性臨床試験では癌で眼球摘出を予定している患者に協力を仰ぎ,眼球摘出前にクリプトンレーザーで網膜外層のみを選択的に傷害させた状態を作った4).そして眼球摘出前に網膜上刺激方式で網膜を刺激した.この試験を通じて,網膜外層が機能しない状態でも,網膜上刺激方式でCphospheneを惹起できることを確認した.同時期に,網膜下刺激方式の人工網膜が米国のCChowやドイツのCZrennerらによって考案された.この埋植部位では多極電極の刺激面が眼内入射光側を向くため,電極面に受光素子を組み込むことで,眼内に小型カメラ(正確にいうと二次元撮像素子)を設置することが可能である.これにより,眼球運動に応じた画像取得を行うことができ,より自然な視覚を生み出すことができる.Chowのグループが開発するチップはCASR(Arti.cialSiliconCRetina)と名づけられ,Zrennerらのグループ(SUBRETコンソーシアム)が開発するチップはCMPDA(MicroCPhotodiodeCArray)とよばれた.名前は異なるものの,どちらも構造は似ており,半導体チップの表面に多極電極と撮像素子を組み込み,半導体の微細加工技術を応用することで直径C2.3Cmmの基板上にC1,000極を超す多くの刺激電極を搭載される.このほか,1990年代には上記にあげた研究グループ以外にも,ドイツのCEpi-retグループ(網膜上刺激方式の人工網膜研究開発)や米国のCBostonCRetinalCImplantグループによる人工網膜の基礎研究が進められた.このようにC1990年代の人工網膜研究はおもに米国とドイツを中心に進められた.C2.2000年代2000年代に入ると,米国やドイツ以外の国でも人工網膜開発に対して大型予算を交付する例がみられるようになった.2001年には日本においても厚生労働省と経済産業省の共同プロジェクトとして人工網膜開発プロジェクトが始動した(後述).同時期に韓国でも人工網膜の研究が始まった.遅れてC2009年の終わりには,オーストラリアでも人工網膜に関する開発プロジェクトが開始した.これらの新規参入国では第三の刺激方式である脈絡膜上刺激方式が採用されるようになった.脈絡膜上刺激方式は,もともと,筆者ら日本の研究グループによって最初に考案された方式である5.7).日本の人工網膜プロジェクト開始当初,従来の刺激方式について精査が行われた.その結果,網膜上刺激方式や網膜下刺激方式では,網膜への侵襲性が高いことが問題となった.まず両方式共に多極電極が網膜組織に直接接触するため,埋植手術時に網膜を損傷させる可能性がある.加えて,網膜上刺激方式では多極電極を網膜上に固定するために網膜タックとよばれる針状の部品を用いる.網膜タックの先端は網膜を貫通して強膜層まで到達する.局所的ではあるが網膜タック周囲の損傷は避けられない.また,網膜下刺激方式では脈絡膜循環からの網膜への栄養や酸素の供給が多極電極で遮断される.それらの問題を克服するために,多極電極を脈絡膜の(53)あたらしい眼科Vol.35,No.4,2018C471外側に埋植する脈絡膜上刺激方式が考案された.ほかの方式に比べて多極電極から網膜までの距離が離れていることから刺激効率が下がることが危惧されたが,基礎研究の結果,安全な電流の範囲で神経興奮を惹起させることが可能であることが確認された5).その後,強膜と脈絡膜の間(上脈絡膜腔)に電極を挿入する術式が坂口らによって報告され6),強膜ポケットを作製して電極を埋植する術式が中内らによって報告された7).これらの研究をきっかけに韓国やオーストラリアでも脈絡膜上刺激方式が検討されるようになった.一方,米国やドイツでは,それまでの研究成果を基に,人工網膜開発を目的としたベンチャー企業が設立されはじめた.Humayunのグループの研究成果を基にSecondSightMedicalProducts社(SSMP社,米国)が設立され,さらに,SUBRETコンソーシアムでの研究を基にCRetinaImplantAG社(ドイツ)が設立された.SSMP社では,最初に既存の人工内耳をベースにC16極型の多極電極を搭載した人工網膜“ArgusCI”を試作し,2002年にCArgusCIの長期臨床試験を開始した8).人工網膜の慢性埋植としてはこれが世界初である.この臨床試験で得た知見を基に,“ArgusCII”とよばれる人工網膜が開発された.これはその後の商品化を目的としたシステムで,60極型の多極電極が搭載された.また,体内装置本体が小型化され,眼窩内体内装置全体が収まるデザインとなった.2006年から彼らはCArgusCIIに対する臨床試験に着手し,パイロット試験でC2名,本試験でC30名の網膜色素変性患者に対して手術が行われた.30名中C11名でなんらかの有害事象がみられたものの,適切な治療により完全に治癒した.おもな有害事象としては結膜びらんや低眼圧などが報告されている.有効性についてはC89.3%の被験者で対象物の位置の認識が向上,55.6%で対象物の動きの認識が向上,そして,33.3%の被験者で縞視標による視力検査が可能だった.もっともよい症例ではC1.9ClogMAR(視力C0.013に相当)まで視力が得られた9).ドイツのCSUBRETコンソーシアムがC1990年代に開発していたCMPDAは眼内入射光のみで体内装置の駆動電力も発電し,外部電力を必要としない設計となっていた.しかし,基礎研究の結果,眼内入射光だけでは十分な電力が得られないことが判明し,2000年代以降は駆動電力を外部から供給する設計に変更された.この新設計の人工網膜に対する臨床試験がC2005年からC11名の患者に対して実施された10).これらの知見を基に,Reti-naCImplantCAG社はCAlphaCIMSとよばれる網膜下刺激方式の人工網膜を開発した.このCAlphaCIMSは電力供給用に体外装置を必要とするものの,当初のコンセプト通り多極電極上に撮像素子も一緒に組み込まれることから,体外装置に小型カメラが不要である.多極電極内の刺激電極の数はC1,500極と非常に多いことも特長にあげられる.C3.2010年代~現在2010年代に入るとさまざまな研究グループで臨床試験が行われるようになった.また,医療機器として販売をめざした動きが本格化した.米国CSSMP社はC2011年にCArgusCIIのCCEマークを取得し,EU圏内での販売が可能となった.さらに,2013年には米国食品医薬品局(FoodCandCDrugCAdministra-tion:FDA)の承認を受け,北米市場での販売が可能となった.現在のところ,医療機器としてCFDAの認可を受けている人工網膜はCArgusCIIのみである.現在までに累積C250台販売したそうである.なお,日本ではArgusCIIに対してまだ認可は下りていない.ドイツCRetinaCImplant社ではCAlphaCIMSに対する臨床試験がC2010年から始まった.多施設臨床試験にて約30名の患者に対して手術が実施された.有害事象としては一部の患者で裂孔原性網膜.離や眼圧上昇が発生した11).有効性としてはC86%の患者でCphospheneが得られ,59%で対象物の位置の認識向上,21%で対象物の動きの認識向上,14%で視力検査が可能だった12).もっともよい結果が得られた患者では,視力C0.037(ランドルト環視標)が得られたそうである.2013年にはAlphaCIMSに対するCCEマークを取得した.しかし,その後の研究でデバイスの耐久性がC1年未満と低いことが判明した.その問題を克服するため,耐久性を向上させた人工網膜システム“AlphaCAMS”が開発された.AlphaCAMSに搭載されている多極電極はC1,600極型である.現在までにC15名の患者を対象にCAlphaCAMSに472あたらしい眼科Vol.35,No.4,2018(54)図4日本のプロジェクトで開発された第二世代型人工網膜システムの体内装置V人工網膜の未来像まだ日本では人工網膜の認可は下りていない.しかし,欧米ではすでに臨床の現場で人工網膜が網膜色素変性治療に用いられるケースも増えている.また,日本の人工網膜開発プロジェクトで開発中の人工網膜に対する治験が計画されている.そのため,近い将来,わが国の眼科臨床の現場でも人工網膜が用いられるようになると予想される.ただし,ここまでに述べたように得られる視力は患者によってばらつきがあり,網膜色素変性であれば人工網膜で必ず視力回復するとは言いきれない.そのため,患者スクリーニングなど術前検査法の開発が今後重要な課題となってくるだろう.また,人工網膜で得られる視力は健常者の視力とは著しく異なる.位置の認識向上は期待できるが,現状の人工網膜では解像度が低いことや色の再現ができないため,人工網膜による人工視覚だけで対象物がなんなのかを判断することがまだむずかしい.そのため,人工視覚を日常生活で役立つものにするためにリハビリテーションなどが重要となってくるだろう.理論上,人工網膜は緑内障などの網膜神経節細胞が障害を受ける眼疾患に対しては適応できない.また,一部の網膜色素変性患者では残存する網膜神経節細胞も減少し,人工網膜の適応範囲からはずれる例もある.これらの問題に対処するために,視覚野に多極電極を埋植して刺激を行う皮質刺激型人工視覚システムの基礎研究がSSMP社をはじめ欧米で盛んになりつつある.これが実現すれば,より多くの失明者が再び光を取り戻すことが可能となるため,期待を集めている.文献1)SantosA,HumayunMS,deJuanEetal:PreservationoftheCinnerCretinaCinCretinitisCpigmentosa.CACmorphometricCanalysis.ArchCOphthalmolC115:511-515,C19972)TassickerGE:Preliminaryreportonaretinalstimulator.BrCJPhysiolOptC13:102-105,C19563)HumayunMS,deJuanEJr,DagnelieGetal:Visualper-ceptionCelicitedCbyCelectricalCstimulationCofCretinaCinCblindChumans.ArchOphthalmolC114:40-46,C19964)WeilandJD,HumayunMS,DagnelieGetal:Understand-ingtheoriginofvisualperceptselicitedbyelectricalstim-ulationCofCtheChumanCretina.CGraefesCArchCClinCExpCOph-thalmolC237:1007-1013,C19995)KandaCH,CMorimotoCT,CFujikadoCTCetCal:Electrophysio-logicalstudiesofthefeasibilityofsuprachoroidal-transret-inalCstimulationCforCarti.cialCvisionCinCnormalCandCRCSCrats.InvestCOphthalmolVisSciC45:560-566,C20046)SakaguchiH,FujikadoT,FangXetal:Transretinalelec-tricalstimulationwithasuprachoroidalmultichannelelec-trodeinrabbiteyes.JpnJOphthalmolC48:256-261,C20047)NakauchiCK,CFujikadoCT,CKandaCHCetCal:TransretinalCelectricalCstimulationCbyCanCintrascleralCmultichannelCelec-trodeCarrayCinCrabbitCeyes.CGraefesCArchCClinCExpCOph-thalmolC243:169-174,C20058)HumayunMS,WeilandJD,FujiiGYetal:Visualpercep-tioninablindsubjectwithachronicmicroelectronicreti-nalprosthesis.VisionCResC43:2573-2581,C20039)HoCAC,CHumayunCMS,CDornCJDCetCal:Long-termCresultsCfromanepiretinalprosthesistorestoresighttotheblind.OphthalmologyC122:1547-1554,C201510)ZrennerE,Bartz-SchmidtKU,BenavHetal:SubretinalelectronicCchipsCallowCblindCpatientsCtoCreadClettersCandCcombineCthemCtoCwords.CProcCBiolCSciC278:1489-1497,C201111)KitiratschkyVB,StinglK,WilhelmBetal:SafetyevaluaC-tionof“retinaimplantalphaIMS”–aprospectiveclinicaltrial.CGraefesCArchCClinCExpCOphthalmolC253:381-387,C201512)StinglCK,CBartz-SchmidtCKU,CBeschCDCetCal:SubretinalCvisualCimplantCalphaCIMS–clinicalCtrialCinterimCreport.CVisionResC111:149-160,C201513)StinglCK,CSchippertCR,CBartz-SchmidtCKUCetCal:InterimCresultsofamulticentertrialwiththenewelectronicsub-retinalimplantalphaAMSin15patientsblindfrominher-itedretinaldegenerations.FrontNeurosciC11:445,C201714)AytonCLN,CBlameyCPJ,CGuymerCRHCetCal;BionicCVisionAustraliaCResearchCC:CFirst-in-humanCtrialCofCaCnovelCsuprachoroidalCretinalCprosthesis.CPLoSCOneC9:e115239,C201415)FujikadoCT,CKameiCM,CSakaguchiCHCetCal:TestingCofCsemichronicallyCimplantedCretinalCprosthesisCbyCsupracho-roidal-transretinalCstimulationCinCpatientsCwithCretinitisCpigmentosa.CInvestCOphthalmolCVisCSciC52:4726-4733,C201116)FujikadoT,KameiM,KishimaHetal:Testingofchroni-callyimplanted49-channelretinalprosthesisbysupracho-roidal-transretinalCstimulation(STS)inCpatientsCwithCadvancedCretinitisCpigmentosa.CInvestCOphthalmolCVisCSciC56:3816,C2015C474あたらしい眼科Vol.35,No.4,2018(56)