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先天鼻涙管閉塞の自然治癒について

2013年11月30日 土曜日

《第1回日本涙道・涙液学会原著》あたらしい眼科30(11):1615.1617,2013c先天鼻涙管閉塞の自然治癒について手島靖夫笠岡政孝岩田健作大野克彦鶴丸修士山川良治久留米大学医学部眼科学講座SpontaneousResolutionofCongenitalNasolacrimalObstructionYasuoTeshima,MasatakaKasaoka,KensakuIwata,YoshihikoOhno,NaoshiTsurumaruandRyojiYamakawaDepartmentofOphthalmology,FacultyofMedicine,KurumeUniversity目的:先天鼻涙管閉塞が自然治癒する時期を明らかにする.対象および方法:久留米大学病院眼科を受診した先天鼻涙管閉塞168例のうち,自然治癒した症例について検討した.おもな検討項目は,性別,初診時の月齢,自然治癒の時期,涙.炎の有無,皮膚症状の有無とした.結果:先天鼻涙管閉塞が自然治癒した症例は68例79側で男児が44例,女児が24例であった.初診時の月齢は平均5.4カ月で,自然治癒が確認できた時期は平均8.2カ月であった.涙.炎の発生は48側,びらんなどの皮膚症状が14側あったが,自然治癒した.結論:先天鼻涙管閉塞は生後9カ月前後で自然治癒する場合が多いと考えられた.Purpose:Toestimatetheageatspontaneousresolutionofcongenitalnasolacrimalductobstruction(CNLDO).Materialsandmethods:Thisstudyincluded168childrenwithCNLDOwhowerereferredtoKurumeUniversityHospital.Outcomemeasuresweresex,ageatinitialpresentation,ageatspontaneousresolutionofCNLDO,presenceofdacryocystitisandpresenceofdermatitis.Results:SpontaneousresolutionofCNLDOwasseenin79sidesof68children(44males,24females).Themeanageatinitialpresentationwas5.4months.Themeanageatspontaneousresolutionwas8.2months.Dacryocystitiswasobserervedin48sides.Dermatitiswasnotedin14sides.Conclusion:CNLDOspontaneouslyresolvesby9monthsofageinmostcases.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)30(11):1615.1617,2013〕Keywords:先天鼻涙管閉塞,自然緩解,年齢,涙.炎,皮膚炎,涙道ブジー.congenitalnasolacrimalobstruction,spontaneousresolution,age,dacryocystitis,dermatitis,probing.はじめに先天鼻涙管閉塞は1歳までに90%以上が自然治癒する疾患と言われている1.3).近年は積極的なprobingは行わずに,できるだけ経過観察で自然治癒を待つことを勧められることが多い4)が,日本人での自然治癒の時期の多数例での報告は少ない2,3).患児家族の負担や長期に続く炎症により増悪することなどを考えて,早期にprobingをするべきとの意見5)もあるので,自然治癒する時期がいつごろなのかを明らかにする必要がある.今回,久留米大学眼科の涙道外来で経過観察中に自然治癒した先天鼻涙管閉塞の患児を,retrospectiveに検討したので報告する.I対象および方法2001年1月から2012年3月までに久留米大学眼科外来を受診した先天鼻涙管閉塞の患児は168例で,患側は198側であった.このうち自然治癒したと考えられた症例で,性別,患側,出生週数,出生時体重,初診時の月齢,自然治癒の時期,涙.炎の有無,皮膚症状の有無についてretrospectiveに検討した.なお自然治癒は,金属ブジーによるprobingを行わずに通水が確認できるようになったもの,他院でprobingを行ったものの2カ月以上治癒しなかったがその後probingを追加せずに通水が確認できたものとした.先天鼻涙管閉塞と診断した場合,家族に自然治癒の可能性,治療方法(probing),治療による合併症,治療しない場合の合併症などを説明したうえで,自然治癒を待つか,〔別刷請求先〕手島靖夫:〒830-0011久留米市旭町67久留米大学医学部眼科学講座Reprintrequests:YasuoTeshima,DepartmentofOphthalmology,FacultyofMedicine,KurumeUniversity,67Asahi-machi,Kurume,Fukuoka830-0011,JAPAN0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(123)1615 probingを行うかは家族に判断を委ね同意を得た.積極的にprobingの施行はしなかったものの,涙道通水試験を兼ねた涙道洗浄は毎回行った.外来での管理は,基本的に4週間に一度受診することとし,涙道洗浄は点眼麻酔下に,一段の涙洗針を用いてゆっくりと涙.まで進め,確実に洗浄を行った.II結果保存的療法を選択した症例は全198側中127側であった.そのなかで自然治癒した症例は68例79側であり,62%が自然治癒した.68例のうち性別の内訳は男児44例,女児24例であった.両側が11例あり,右側は28例,左側は29例であった.出生週数は聴取できた50例で,28週の未熟児から41週,平均は39.1±2週であった.出生時の体重を聴取できたものは35例で,1,130gの未熟児から3,800g,平均2,993±490gであった.これらのなかで,眼科疾患以外の先天異常を有したものは,Down症候群が1例,心房中隔欠損症が1例あった.妊娠・出産の異常としては,未熟児が3例,妊娠糖尿,妊娠中毒がそれぞれ1例あった.鼻涙管閉塞以外の涙道異常の合併は3例にみられた.涙点閉鎖2例,副涙点が1例であった.9876例数5初診時の月齢は生後1週間から16カ月で,平均は生後5.9±3.6カ月であった(図1).自然治癒した時期は平均で生後8.2±3.4カ月であった.自然治癒した時期の分布を図2に示す.生後0から3カ月の間に自然治癒したものが7側9%,生後4.6カ月で治癒したものが18側23%,7.9カ月で治癒したものが28側35%,10.12カ月で治癒したものが19側24%であり,1歳を超えて治癒したものが7側で9%であった.保存的治療を選択した症例では,1歳になる前に91%の症例が自然治癒していた.また,治癒までの経過観察期間は平均3カ月間であった.涙道洗浄の際に,眼脂の訴えはないものの,涙.内に膿貯留を認めたものも含めて,涙.炎であると判断したものは48側(61%)であった.皮膚症状は,眼脂の付着部や涙でぬれる部分が発赤したり,眼瞼周囲がびらんになったりしたものと定義した.軽い発赤から出血を伴うびらんまで程度はさまざまであったが,14側(18%)に認めた.これには涙.炎による皮膚の膨隆,皮膚の自壊は含んでいない.これらは閉塞が治癒すると消失した.III考按今回,保存的療法を選択した症例群で自然治癒が得られたものは62%にすぎなかった.しかし,当初は保存的治療を希望されたものの,受診後2,3カ月でやはりprobingを希望された症例も少なくないことから,もう少し長い期間にわたりprobingを施行しなければ,自然治癒率が上昇していた可能性はある.自然治癒した症例の91%は1歳以内に治癒が生じており,これは過去の報告と一致している1.3).そして,その時期は生後8カ月以降で数が増え,生後9カ月をピークとした分布がみられた.表1は自然治癒が得られた群を自然治癒群,probingを施行した群を加療群とし,出生週数,出生時体重,涙.炎の有無,皮膚症状の有無,初診時の月齢について比較検討したも43210月齢図1初診時の月齢01234567891011121歳生後1週間から16カ月で,平均は生後5.9±3.6カ月であった.のである.出生週数・体重,涙.炎の有無,皮膚症状の有無14は,両群間に有意差がなく,自然治癒に影響する因子ではないと思われた.ただ,初診時の月齢は自然治癒群のほうが有12意に低かった.これはある程度経過観察したものの自然治癒10例数8表1自然治癒群と加療群の比較6自然治癒群加療群n=79n=11942出生週数39.1週38.8週出生時体重2,993g2,941g0涙.炎の発症率61%72%月齢皮膚症状の発症率18%27%図2自然治癒した時期の分布初診時月齢5.4カ月8.0カ月*平均で生後8.2±3.4カ月であった.Man-WhitneyのU検定*:p<0.001.01234567891011121歳1616あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013(124) が得られないために,probing目的に紹介された症例が多かったためと思われる.通水試験時に逆流物に膿が含まれているものを涙.炎ありとしたところ涙.炎は48側,60%以上の症例にみられた.1例は涙.炎が強く,小児科入院で抗生物質点滴注射での加療を行ったが,生後1カ月未満であったため,probing,涙.鼻腔吻合術は行わなかった.このように,涙.炎があるためにprobingを急いだという症例はなかったが,涙.洗浄時に排膿が多い例では受診間隔を短くして管理した.圧をかけながら涙.洗浄することによって加療する方法もある6)が,涙.洗浄の翌日から症状が消失したという症例はなかったので,今回はその方法による治癒はないと考えた.皮膚症状が14側,18%にみられたが,これは保護者が自然治癒を望まない理由になるので,管理が必要であると思われる.皮膚症状の成因は,涙.炎による眼脂を保護者が強く拭いて眼瞼周囲が発赤する場合と,流涙が続くため外眼角から耳の間の皮膚が発赤する場合があると思われる.前者の場合は,涙道洗浄によって涙.炎を改善させることで皮膚症状も改善することが多いので,涙.洗浄は必須の手技と思われる.後者の場合は,仰臥位の多い4.6カ月時まではよくみられるが,座位がとれるようになれば少なくなると説明し,また涙を強く拭きとらないように指導し,経過観察を行った.ただし,出血を伴うような場合に,抗生剤軟膏塗布を併用した症例もあった.では,一体いつ頃probingすべきなのだろうか.Katowitzらはprobingの初回成功率は6カ月以内では98%で,6カ月以降1歳以内では96%,それ以降は77%以下にまで成功率が落ち,チューブ留置や涙.鼻腔吻合術になったとしている7).また大野木は生後3.6カ月を目安に行い,96%の成功率を得ている5).また,安全に患児を固定できるのは6カ月まで8)などの意見がある.患児の固定にはいろいろな方法があるが,現在ではよい固定具もあるので,固定を理由に6カ月以内に施行する必要はないと考えている.むしろ,3カ月程度では,まだ涙点は小さく,涙道も細い.そのうえ内眼角は未発達で,贅皮は涙点を探すことの邪魔になりやすいうえに,しっかり顎を固定していても皮膚と骨の癒合が緩いので,涙.壁に当てたブジーは,鼻涙管方向に向ける際に,皮膚によってずらされやすい.つまり,安全に施行できるとは言い難いと思われる.実際,probingを施行したものの通過が得られないということで紹介される症例のなかには,総涙小管近傍の変形,異常を認め,仮道形成があったと思われる例が散見される.今回検討した,自然治癒症例の91%は1歳以内に治癒していた.しかし治癒の時期は9.10カ月にピークがあり,それを過ぎると減少していた.そのため,先天鼻涙管閉塞に対するprobingは10カ月以降に施行するのがよいと思われた.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)MacEwenCJ,YoungJD:Epiphoraduringthefirstyearoflife.Eye5:596-600,19912)NodaS,HayasakaS,SetogawaT:CongenitalnasolacrimalductobstructioninJapaneseinfants:itsincidenceandtreatmentwithmassage.JPediatrOphthalmolStrabismus28:20-22,19913)KakizakiH,TakahashiY,KinoshitaSetal:TherateofsymptomaticimprovementofcongenitalnasolacrimalductobstructioninJapaneseinfantstreatedwithconservativemanagementduringthe1styearofage.ClinOphthalmol2:291-294,20084)TakahashiY,KakizakiH,ChanWOetal:Managementofcongenitalnasolacrimalductobstruction.ActaOphthalmol88:506-513,20105)大野木淳二:先天性鼻涙管閉塞の臨床報告.眼科手術24:101-103,20116)小出美穂子:直一段針による水圧式先天性鼻涙管閉塞穿破法.眼臨98:1085-1087,20047)KatowitzJA,WelshMG:Timingofinitialprobingandirrigationincongenitalnasolacrimalductobstruction.Ophthalmology94:698-705,19878)永原幸:先天性鼻涙管閉塞,涙.炎.眼科52:10071018,2010***(125)あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131617

アレンドロネートを内服したステロイド薬全身投与ぶどう膜炎患者の骨密度変化

2013年11月30日 土曜日

《第46回日本眼炎症学会原著》あたらしい眼科30(11):1605.1609,2013cアレンドロネートを内服したステロイド薬全身投与ぶどう膜炎患者の骨密度変化八幡健児大黒伸行大阪厚生年金病院眼科ChangeinBoneDensityafterAlendronateAdministrationinUveitisPatientsReceivingSystemicSteroidKenjiYawataandNobuyukiOguroDepartmentofOphthalmology,OsakaKoseinenkinHospital目的:ステロイド薬全身投与を行ったぶどう膜炎患者へのアレンドロネートの骨密度への効果を検討する.対象および方法:対象はステロイド薬全身療法とアレンドロネート投与が同時期に開始されていたぶどう膜炎患者19例.治療期間中に腰椎・大腿骨頸部の骨密度を計測し変化率を調べ,さらに性別・ステロイド薬1日平均投与量・ステロイドパルス治療の有無と骨密度変化率の関連を後ろ向きに検討した.結果:約半年間の経過観察期間では骨密度はほぼ維持されていた.骨密度変化率への上記各検討項目の影響はみられなかった.結論:アレンドロネート投与により短期的にはステロイド薬投与ぶどう膜炎患者の骨密度は維持された.眼科領域においてもステロイド薬全身投与症例には骨粗鬆症の定期精査と治療が必要である.Purpose:Toestimatetheinfluenceofalendronateonbonedensitiesofuveitispatientsconcomitantlyreceivingsystemicsteroid.Subjectsandmethods:Reviewdwere19uveitispatientsconcurrentlyreceivingbothsystemicsteroidandalendronate.Duringthetreatmentperiod,lumbarandfemoralheadbonedensitiesweremeasuredandfollowedperiodically.Therelevanceofsex,meandoseofdailysteroid,andpresenceofpulsetherapytorateofchangewascheckedretrospectively.Results:During6monthsofobservation,patients’bonedensitieswerevirtuallymaintained.Rateofchangewasnotinfluencedundertheestimationitemsinthisstudy.Conclusions:Onashort-termbasis,alendronateadministrationmaintainedthebonedensitiesofpatientswithuveitiswhowerebeingtreatedwithsystemicsteroid.Ophthalmologistsmustbeawareoftheneedforroutinebonedensitychecksandpremedicationbeforeandduringsystemicsteroidadministration.〔AtarashiiGanka(JournaloftheEye)30(11):1605.1609,2013〕Keywords:ステロイド性骨粗鬆症,ぶどう膜炎,アレンドロネート.glucocorticoid-inducedosteoporosis,uveitis,alendronate.はじめにステロイド薬はその強力な抗炎症抗免疫作用のためさまざまな疾患の治療に用いられ,眼疾患においても時にステロイド薬全身療法が選択される.特にぶどう膜炎疾患においてはしばしば長期にわたっての使用が必要な場合があり,骨粗鬆症と骨粗鬆症に起因する骨折は看過できない重大な副作用の一つである.報告によるとステロイド薬長期使用者の50%に骨粗鬆症が発症し1),約25%が骨折するとされる2).ステロイド性骨粗鬆症への対応の重要性から欧米では1996年にステロイド性骨粗鬆症管理ガイドラインが公表され,わが国でも1998年に骨粗鬆症の治療(薬物療法)に関する指針3),ついで2004年にステロイド性骨粗鬆症の管理と治療のガイドライン4)が作成された.ガイドラインにおいてはステロイド性骨粗鬆症の治療開始基準と治療法が骨粗鬆症専門医以外にも理解しやすいようにフローチャート式で明快に記されている.〔別刷請求先〕八幡健児:〒553-0003大阪市福島区福島4-2-78大阪厚生年金病院眼科Reprintrequests:KenjiYawata,DepartmentofOphthalmology,OsakaKoseinenkinHospital,4-2-78Fukushima,Fukushima-ku,Osaka553-0003,JAPAN0910-1810/13/\100/頁/JCOPY(113)1605 ステロイド性骨粗鬆症への薬物療法はビスフォスフォネー1.5p=0.03ト剤が第一選択薬として推奨されているが,その効果に関する報告は膠原病など他科疾患では多数みられるが眼科疾患においては筆者らが調べた限りで1報5)のみである.本研究で1.3)は大阪厚生年金病院にてステロイド薬全身投与を行ったぶど骨密度(g/cm21.1う膜炎患者への第二世代ビスフォスフォネート剤アレンドロネートの骨密度への効果を検討した.0.9I対象および方法2010年7月1日から2012年1月30日に大阪厚生年金病0.7院眼科でステロイド薬全身投与とアレンドロネート35mg/週が同時期に開始されていた19例,男性10例,女性9例,年齢23.70歳(平均42歳)を対象とした.原因疾患の内訳は,汎ぶどう膜炎9例,原田病5例,急性前部ぶどう膜炎1例,サルコイドーシス1例,眼トキソプラズマ症1例,Behcet病類縁疾患1例,punctateinnerchoroidopathy1例であった.骨密度は腰椎・大腿骨頸部に躯幹骨二重エックス線吸収法(dualenergyX-rayabsorptiometry:DXA法)で計測し,初回計測はステロイド投与開始から平均22.8±15.9日後,0.5初回計測第2回計測図1アレンドロネート投与下の腰椎骨密度変化1.2NS1)の管理と治療ガイドラインに従い,アレンドロネート35mg/週を全身ステロイド投与と同時期に開始し継続した.補助療法としての活性型ビタミンD3,K2などの投与は行って0.4いない.初回計測第2回計測統計解析は初回から第2回の骨密度の変化率については図2アレンドロネート投与下の大腿骨頸部骨密度変化pairedt-test,骨密度変化率の群別比較ではunpairedt-testを用い検討した.本研究において患者データの使用については患者本人に文2.0第2回計測は初回から平均185.7±49.3日後に行われた.初回から第2回計測の骨密度変化率と,それに対する性別・ステロイド薬1日平均投与量・ステロイドパルス治療の有無との関連を後ろ向きに検討した.ステロイド薬1日平均投与量については10mgで2群に分け比較した.アレンドロネート投与の適応基準はステロイド性骨粗鬆症骨密度(g/cm20.80.6書での同意を得ている.II結果初回から第2回骨密度計測の期間に使用されていた1日平骨密度変化率(%)1.0均ステロイド薬投与量は6.8.55.9mg/日(平均14.78mg/日),ステロイド薬投与総量は980.3,647.5mg(平均2,475.6mg)であった(いずれもプレドニゾロン換算).そのうち,ステロイドパルス施行例が4例含まれている.また,アレンドロネートの投与はステロイド薬全身療法開始日から2±3.5日後に開始されていた.0.0腰椎+1.2+0.2(Mean±SE)大腿骨ステロイド薬投与患者におけるアレンドロネート投与下の図3アレンドロネート投与6カ月後の腰椎および骨密度の初回計測と第2回計測の平均値はそれぞれ腰椎で大腿骨頸部骨密度変化率1606あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013(114) 表1アレンドロネート投与6カ月後の骨密度変化率への各項目の影響腰椎変化率大腿骨変化率nMean±SE(%)p値Mean±SE(%)p値性別女性男性9101.48±0.811.04±0.980.740.71±1.75.0.33±1.510.66ステロイド1日平均投与量10mg未満10mg以上514.0.04±0.95.2.15±0.740.231.70±0.760.99±1.450.23ステロイドパルスパルス無パルス有1540.96±0.732.33±1.190.39.0.29±1.221.87±2.940.45いずれの項目においても有意差はみられなかった.0.99±0.03g/cm2,1.01±0.03g/cm2(p=0.03),大腿骨頸部で0.73±0.03g/cm2,0.73±0.03g/cm2(p=0.46)と腰椎において有意な増加,大腿骨では有意差がみられなかった(図1,2).これを変化率で表すと腰椎がプラス1.2±2.7%,大腿骨がプラス0.2±4.9%と約半年間の経過観察期間では骨密度はほぼ維持されていた(図3).アレンドロネート投与下の骨密度変化率と性別,ステロイド薬1日平均投与量(<10mg≦),ステロイドパルス治療の有無の関連について検討したが,それぞれ有意な差はみられなかった(表1).また,ステロイド薬1日平均投与量については15mg,20mgで2群に割り付けた場合も調べたが,いずれの場合においても有意差はみられなかった(非表示データ).III考按ステロイド性骨粗鬆症へのビスフォスフォネートの骨折抑制効果は無作為対象比較試験でのエビデンスによると椎体骨折を40.90%抑制するとされている6.8).また,骨密度変化では12カ月後の腰椎骨密度変化率はSaagら7)がプラセボ+0.2%,治療群+2.5%,Adachiら8)がプラセボ.0.77%,治療群+2.8.+3.7%と,ビスフォスフォネートによるステロイド性骨粗鬆症への骨量減少阻止効果が確認されている.眼科領域でのステロイド性骨粗鬆症へのビスフォスフォネートの効果の報告は池田らの報告5)があり,全身ステロイド薬投与の25例(ぶどう膜炎24名,視神経炎1名)をアレンドロネート投与群,活性型ビタミンD3製剤アルファカルシドール投与群の2群に無作為割り付けし,アレンドロネート群は9カ月後の骨密度はほぼ維持,アルファカルシドール群では骨密度減少がみられている.今回の研究においてもステロイド薬全身投与ぶどう膜炎患者におけるアレンドロネート使用6カ月後の骨密度量は腰椎+1.2%,大腿骨+0.2%と薬剤投与前後でほぼ同等量に維持され,既報と同様の結果が得られた.本研究は後ろ向き研究であるためステロイド薬使用の自(115)然経過との骨密度変化の差は不明だが,少なくとも骨密度減少はみられなかった.ステロイド性骨粗鬆症における新規脊椎圧迫骨折に及ぼす有意な因子は年齢の増加,既骨折の存在,骨塩量の低値,男性であるとされる9).また,ステロイド薬の1日の投与量は骨折リスクと相関する10).このような骨折リスクの高いケースでは予防治療の必要性がより高まると考えられる.本研究においてアレンドロネート投与下の骨密度変化率と性別・ステロイド薬1日平均投与量・ステロイドパルス治療の有無の各項との関連についてはいずれにおいても差はみられず,高骨折リスク症例に対しても骨密度に関してはアレンドロネートによる減少抑制効果がみられた可能性がある.骨粗鬆症は骨強度の低下を特徴とし骨折のリスクが増大した病態である.また,骨強度は骨密度に加えて骨質により決定される.概念的に骨強度は骨密度70%,骨質30%で構成されると定義され,骨密度は骨粗鬆症における骨折リスクの主要な因子である.ステロイド薬は骨形成の低下と骨吸収の亢進によって骨密度と骨質を低下させ,結果としてステロイド性骨粗鬆症が生じる.ただし,骨密度は骨塩量として測定可能だが,骨質は骨の微細構造,代謝回転,石灰化度,マトリックスの質などの総和と考えられており,これを臨床の場で評価するのはむずかしい.今回のステロイド薬投与ぶどう膜炎患者へのアレンドロネートの効果の検討は,ステロイド性骨粗鬆症の骨強度における骨密度のみを評価したものと位置づけられる.わが国のステロイド性骨粗鬆症の管理と治療のガイドライン4)では骨折リスクへの影響の大きい順に治療開始の基準が規定されている.経口ステロイド薬を3カ月以上使用する患者が対象とされ,①すでに脆弱性骨折があるまたは治療中に骨折がある,②骨密度が低下している,③5mg/日以上のステロイド薬投与がある,のいずれかに該当する場合一般的指導と薬物治療が推奨されている.一般的指導とは,生活指導,栄養指導,運動療法を指し,経過観察は骨密度測定と胸あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131607 腰椎X線撮影を定期的(6カ月.1年ごと)に行うとされる.薬物治療はビスフォスフォネートが第一選択薬,活性型ビタミンD3,K2が第2選択薬にあげられている(上記ガイドライン4)は医療情報サービスMindshttp://minds.jcqhc.or.jp/n/med/4/med0046/G0000129/0046で確認できる).ただし,ステロイド性骨粗鬆症は骨折リスクが高く,治療が行われ骨密度が維持されていても将来の骨折発生を完全に予防できるわけではないことに注意が必要である.また,ステロイド薬の骨への影響は投与開始後3カ月以内に始まり6カ月でピークとなる1)ため,ビスフォスフォネートの治療開始時期はステロイド薬開始後早期が望ましい.ビスフォスフォネート剤の副作用として顎骨壊死が近年注目されている.その発症頻度は低いながらも重篤で,現在のところ病態が十分解明されておらず予防法についても十分な知見が集積されていない.ビスフォスフォネート製剤に関連した顎骨壊死に関するポジションペーパー11)によれば,データベースに基づく推計で経口ビスフォスフォネート服用者における発生頻度は0.85/10万人/年である.一方,ステロイド薬長期投与患者の約25%が骨折2)の不利益を被り,リスクベネフィットの観点からはベネフィットが勝り現時点では骨折リスクの高い症例では積極的なビスフォスフォネート剤の使用が推奨されるという整形外科領域からの意見12)もある.現時点では高齢者が骨折した場合に臥床からの回復が困難であることも考え合わせると副作用の説明を十分にしたうえでビスフォスフォネート剤を投与するほうが望ましいと思われる.前述のようにステロイド性骨粗鬆症はステロイド薬使用における頻度の高い副作用であるが,残念ながら他の副作用に比べると注意が払われていないケースが散見される.紅林らが2003年に大学病院の全診療科に行ったステロイド薬合併症のアンケート調査13)では糖尿病のスクリーニング検査は92.5%が行われていたものの,骨粗鬆症の検査は47.8%のみの施行であった.こういった情勢に対し2004年に策定されたステロイド性骨粗鬆症の管理と治療のガイドラインはステロイド性骨粗鬆症の予防と治療の啓蒙に重要な役割を果たしており,その例として皮膚科領域でのステロイド薬投与患者に対しての骨粗鬆症治療のアンケート調査がある.2001年の皮膚科医218名へのアンケート14)では,ステロイド性骨粗鬆症の定期精査が14.2%に行われていたが,2005年のガイドライン公表を経て,第2報として2007年の皮膚科医211名へのアンケート15)では定期精査が21.8%と大幅な上昇がみられた.これに類した眼科領域での調査はなされておらず現況は不明だが,一部を除き多くの眼科医のステロイド性骨粗鬆症への意識はおそらく低いと思われる.眼科領域においてもステロイド薬投与患者にはガイドラインに準じた骨密度の定期的な測定と骨粗鬆症予防治療が推奨される.1608あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013おわりに半年間の経過観察期間ではアレンドロネート投与によりステロイド薬投与ぶどう膜炎患者の骨密度は維持されていた.ただし,本研究では対照群をおいていないためにその臨床的有効性についてはさらなる検討が必要である.眼科領域においてもステロイド薬全身投与症例にはステロイド性骨粗鬆症ガイドラインに準じた定期精査と治療が必要である.利益相反:利益相反公表基準に該当なし文献1)LaneNE,LukertB:Thescienceandtherapyofglucocorticoid-inducedboneloss.EndocrinolMetabClinNorthAm27:465-483,19982)ACRtaskforceonosteoporosisguidelines:Recommendationsforthepreventionandtreatmentofglucocorticoidinducedosteoporosis.ArthritisRheum39:1791-1801,19963)折茂肇,山本逸雄,太田博明ほか:骨粗鬆症の治療(薬物療法)に関するガイドライン.OsteoporosisJpn6:205253,19984)TheSubcommitteetoStudyDiagnosticCriteriaforGlucocorticoid-InducedOsteoporosis:Guidelinesonthemanagementandtreatmentofglucocorticoid-inducedosteoporosisoftheJapaneseSocietyforBoneandMineralRe-search(2004).JBoneMinerMetab23:105-109,20055)池田光正,福田寛二,浜西千秋ほか:ステロイド性骨粗鬆症への取り組み.OsteoporosisJpn14:558-561,20066)SatoS,OhosoneY,SuwaAetal:EffectofintermittentcyclicaletidronatetherapyoncorticosteroidinducedosteoporosisinJapanesepatientswithconnectivetissuedisease:3yearfollowup.JRheumatol30:2673-2679,20037)SaagKG,EmkeyR,SchnitzerTJetal:Alendronateforthepreventionandtreatmentofglucocorticoid-inducedosteoporosis.NEnglJMed339:292-299,19988)AdachiJD,SaagKG,DelmasPDetal:Two-yeareffectsofalendronateonbonemineraldensityandvertebralfractureinpatientsreceivingglucocorticoids.ArthritisRheum44:202-211,20019)田中郁子,大島久二:ステロイド性骨粗鬆症の診断と治療に関する縦断研究.OsteoporosisJpn11:11-14,200310)VanStaaTP,LeufkensHG,CooperC:Theepidemiologyofcorticosteroid-inducedosteoporosis:ameta-analysis.OsteoporosInt13:777-787,200211)YonedaT,HaginoH,SugimotoTetal:Bisphosphonaterelatedosteonecrosisofthejaw:positionpaperfromtheAlliedTaskForceCommitteeofJapaneseSocietyforBoneandMineralResearch,JapanOsteoporosisSociety,JapaneseSocietyofPeriodontology,JapaneseSocietyforOralandMaxillofacialRadiology,andJapaneseSocietyofOralandMaxillofacialSurgeons.JBoneMinerMetab28:(116) 365-383,201014)古川福実,池田高治,瀧川雅浩ほか:皮膚科領域における12)宗圓聰:ビスフォスフォネート製剤の功罪.骨粗鬆症治ステロイド使用とステロイド骨粗鬆症に対する予防的治療療10:186-191,2011の実態.西日本皮膚64:742-746,200213)紅林昌吾,合屋佳世子,北村哲宏ほか:ステロイド療法の15)古川福実,池田高治,佐藤伸一ほか:皮膚科領域における合併症に関する医師の意識と管理状況.OsteoporosisJpnステロイド使用に伴うステロイド骨粗鬆症に対する予防的12:377-383,2004治療の実態(第二報).西日本皮膚71:209-215,2009***(117)あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131609

眼科サマーキャンプ2013

2013年11月30日 土曜日

眼科サマーキャンプ井上幸次鳥取大学医学部視覚病態学●サマーキャンプ開催にいたる経緯眼科サマーキャンプは,初期臨床研修制度が導入された後,地方に残る医師が減少しているだけでなく,眼科医をめざす人が激減していることを受けて,その減少に歯止めをかけるべく企画されたプロジェクトである.運営の核となったのが,日本眼科啓発会議第三分科会である.この日本眼科啓発会議は日本眼科学会が日本眼科医会と協議し,2008年に立ち上げたものである.これには眼科医療機器協会,日本コンタクトレンズ協会,日本眼内レンズ協会,眼科用剤関連企業からの代表も委員として参加し,眼科医療の社会貢献度の評価,記者発表会を通じての啓発活動,雑誌などのメディアを利用した国民への啓発活動を行ってきた.その中で第三分科会は眼科志望者を啓発するDVD作成などの,学生・研修医リクルート事業を行ってきたが,日本眼科啓発会議が第一期の活動を終了し,第二期に入るにあたって,2011年10月にメンバーを一新し,眼科サマーキャンプの企画・運営に携わることになったのである.私はその第三分科会の委員長としてこの事業に関わることとなった.そして,委員の諸先生方や日本眼科学会常務理事会の大橋裕一,大鹿哲郎,小椋祐一郎3教授の多大のご助言・ご協力を得て,昨年(2012年)8月4.5日に,箱根の芦ノ湖畔の「ザ・プリンス」で「第1回眼科サマーキャンプin箱根」を行うことになったわけである.●第1回眼科サマーキャンプ第1回目は,いきなり多数の参加者で行うことはむずかしいとの判断から100名の定員で募集を行った.最初は応募者が少なかったが,締め切り直前に申し込みがかなりあり,結果的に95名の参加を得て行うことができた(5年・6年次学生33名,初期研修医62名).会の全体のテーマとして,「眼科力(メジカラ)お見せしましょう」というのを設けて,いろいろな体験コーナーや眼科の魅力をアピールするさまざまな講演を行った.当初は,眼科疾患などに関する講義的なものや,眼科手術を受けた有名人による講演などの案もあったが,(103)時間的な制約と,後者については,その有名人目当てに眼科に関心のない人がきて,結局実効があがらないのではないかという懸念から見送りとなった.体験コーナーでは参加者を3つのグループに分け,3つの体験コーナーを60分ずつ回ってもらった.検査機器・視覚障害体験コーナーでは後眼部OCT,前眼部OCT,広角眼底カメラで自分の目を撮ってもらい,その画像をUSBに入れたものを全員にプレゼントした.また,視覚障害者がどのような見え方をしているか,視覚障害者シミュレーションレンズをつけて体験してもらった.また,3D手術実見コーナーでは3D映像で硝子体手術・角膜手術などを解説入りでみてもらった.60分で行うにあたってもっともむずかしかったのは,白内障手術体験コーナーだったが,豚眼ではとても時間的に無理と考えられたため,飽浦淳介先生の開発された白内障手術模型眼である「机太郎」を用いて,CCCとIOL挿入のみを行うドライラボと核処理と皮質吸引のみを行うウェットラボに分けて,それぞれ8セットずつ用意し,1人のインストラクターが2人を受け持ち,計16人のインストラクターで32人を教えるという形で行った.「机太郎」は一連の白内障の過程をすべて行わなくても部分練習ができるのが特徴であり,そのおかげで,大きな破綻なく,無事にこの体験コーナーを満喫してもらうことができた.参加者の一番人気もこのコーナーであった.講演については,話がうまい先生方を全国から集めて,いろいろな側面から眼科の重要性を十分にアピールしてもらった.眼科医である自分たちも改めて「眼科はいい」と思わせる魅力ある講演ばかりであった.とくに,高橋政代先生の講演はiPS細胞による再生医療が世界ではじめて現実のものとなるのが眼科であること,しかも日本でそれが実現されるであろうということが参加者に伝わり,「眼科がすごい」ということが強く印象づけられた.懇親会は,若干会場が広いこともあって,最初は少しかたい雰囲気であったが,インストラクターをしてくれた若い先生方のスピーチが乗りのよいものばかりで,そのおかげでフォーマルな感じがなくなって,われわれとあたらしい眼科Vol.30,No.11,201315950910-1810/13/\100/頁/JCOPY 参加者に一体感が生まれる感じの盛り上がった懇親会になり,そのまま夜の二次会(グループ・セッション眼科の本音力:メヂカラintimate)につながっていった.サマーキャンプの最初と最後に「ここが知りたい眼科の魅力」というセッションを設けて,眼科トリビアクイズなども行ってリラックスしてもらったが,そのなかでマルチアナライザーで参加した人たちの意見を聞いてみたのだが,なかで印象的であったのは,「あなたが眼科医になることを迷う原因は何ですか?」という問いに対して,最初のマルチアナライザーコーナーでは,「全身が診られないこと(聴診器を捨てること)」48%,「眼科医が余っているとの風聞」13%,「不器用なので手術がマスターできるかどうか心配」10%という結果であったのが,最後のマルチアナライザーコーナーではそれぞれ31%,2%,2%という結果となった.つまり,このサマーキャンプを行うことによって,「眼科医が余っているとの風聞」が誤っていることはかなり理解してもらえ,また白内障手術体験をとおして自分にも手術ができるとの自信をもってもらえることができたようなのだが,問題は,減らせたものの強固になくならない「全身が診られないこと」という項目.これは現在の医学教育が学生のときから初期研修医に至るまで,一貫してgeneralistをめざす教育を受けていることに起因していると思われる.このgeneralist指向を打ち破るのはなかなか容易ではないが,だからこそこのようなサマーキャンプを行わなければならないといえる.●第2回眼科サマーキャンプ第1回は,幸い満足度98%と参加者に大変好評で,予算をオーバーしたという問題点があるものの,まずは成功といってよい手応えがあった.これを受けて,第2回も行う運びとなったが,箱根が関東圏以外の人には遠いこと,会場として使用した「ザ・プリンス」は予算がかかること,参加者の人数を増やすにはもっと大きな会場を必要とすることなどから,会場を変更する必要が生じてきた.そこで第2回の会場の候補地として千葉県木更津市のかずさアカデミアパークが浮かびあがった.千葉県木更津市は,羽田空港から直接アクアラインを使って対岸へわたればよいので,渋滞さえなければ1時間ほどで着くことができ,箱根よりもはるかに近い.しかも,施設自体は驚くほど立派で,併設されたホテルもオークラで,箱根の会場とそれほど遜色がない.周りに1596あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013何もないのが欠点だが,逆に参加した人は行くところがないので,サマーキャンプに専念できる.かくして,「第2回眼科サマーキャンプin木更津」を今年(2013年)の7月27.28日に開催する運びとなった.ただ木更津には箱根のような場所としての魅力がない.そこで,「in木更津」と名をうたず,ポスターにも開催地として小さく書くにとどめることにした.募集人数だが,昨年は100名で行ったが,もっと人数を増やさないと,眼科医増加にはつながらない.しかし,一挙に増やすと,うまく運営できなくなり,かえって評判を落とす可能性もある.そこで第2回は150名で募集することとした.ところが募集がはじまると,かなり早い段階で150名を超えてしまい,最終的には180名を超える応募があり,サマーキャンプの認知度があがっていることが実感された.予定通り150名でとるか,あるいは応募してきた人をすべて受け入れるか,いろいろ議論があったが,会場のキャパシティとして可能であったことから,希望者はすべて受け入れることとなった.その後キャンセルなどもあって,結果的に171名の参加を得て行うことができた(5年・6年次学生60名,初期研修医111名).プログラムとしては人数が増えた分,体験コーナーの時間がどうしても長くなるため,1日目はすべて体験コーナーとし,2日目に講演をすべて集める形で行った.体験コーナーは45名で4グループという配分になったため,とくに人気の高い白内障手術については,ドライラボとウェットラボをそれぞれ1時間ずつとする形をとった.しかし,1人のインストラクターに5名がつくかたちとなるため,1人あたりの時間配分が10分と短く,たとえばウェットラボでの核割りが貫徹できない人も散見されたようである.検査機器体験コーナーは昨年の3つに加えてスキャンパターンレーザーが追加され,どうしても1人あたりの時間が短くなるきらいがあるものの,大きな混乱もなく施行することができた.もう1つのコーナーは3D手術実見と視覚障害体験とビジョンバン視察の3つを組み合わせた.被災地の眼科診療のために作られた日本版ビジョンバンには,最新のOCTまで搭載されており,被災地でこんなに高度な医療ができる体制を眼科がもっていることに対する驚きの声が参加者から聞かれた.講演は昨年のメンバーと少し組み替えて行った.昨年(104) 図1第2回眼科サマーキャンプ白内障手術体験コーナー図2第2回眼科サマーキャンプ全体写真同様,いずれ劣らぬすばらしい内容であったが,昨年に比べて,研究にやや話の重点が行きがちなところがあり,「ワークライフバランス」を求めて眼科を考えている人には,「眼科が進みすぎていて,自分にはついていけない」との感想をもった人がいた可能性もある.「眼科がすばらしい」というのをアピールするのと「眼科は自分に合っている」と思わせるのとの間にはギャップがあるところが,勧誘のむずしいところだと感じた.懇親会は,人数が増えたこともあって,広い会場を埋め尽くすような感じで,大変な賑わいであったが,夜の二次会は昨年のような大きな場所がとれなかったために,場所がいくつかに分かれてしまったことと,参加者に比べてインストラクターの人数が少なかったことが重なり,場所によっては参加者だけになってしまう状況が生じてしまった.今後改善を要する課題だろう.マルチアナライザーコーナー「ここが知りたい眼科の魅力」では,参加者の反応が昨年に増してよかった.1日目の「眼科は第1志望ですか」という質問に対して「はい」と答えたのが53%と昨年の75%と比べて少なく,今年は,眼科とすでに心に定めている人だけでなく,まだ迷っている人を広く集めることができていると考えられた.ただ,2日目に「第一志望は眼科に決定しましたか?」という質問に対して「はい」と答えたのが55%であり,2日間の努力の末,2%しか上がらなかったのは少し残念であった.また,「あなたが眼科医になることを迷う原因は何ですか?」という問いで「不器用なので手術がマスターできるかどうか心配」8%が,2日目の最後も依然として8%という結果となった.これは今回,白内障手術コーナーの1人あたりの時間が少なかったことと関係しているのではないかと思われ,次回へ向けての課題といえる.2年目ということで,1つ印象的であったのはインストラクターのなかに,昨年の参加者の人がいたことで,サマーキャンプ参加経験者が,サマーキャンプインストラクターの主たる戦力になる日がくれば,非常によい循環が生じるのではないかと思われる.来年も引き続き,サマーキャンプを行う予定であるが,眼科医の人数を増やすことは,日本の眼科の発展の根幹にかかわることなので,気をひきしめて取り組んでいきたい.先生方にもぜひこのサマーキャンプのことをよく知っていただき,周りの学生・初期研修医に参加を勧めていただきたいと思う.☆☆☆(105)あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131597

後期臨床研修医日記 26.福井大学眼科学教室

2013年11月30日 土曜日

●シリーズ後期臨床研修医日記福井大学眼科学教室田中波福井大学の眼科ではこの4月に3名の後期研修医が入局しました.稲谷大教授のもと,福井大学眼科学教室で日々頑張る(失敗する?)私たち後期研修医1年生の充実したプログラムを紹介したいと思います.朝の診察上級医による術後回診は朝8時半から開始されます.それまでに担当患者さんの診察を終える必要があるのですが,病棟の診察室で使えるカルテ用のPC,スリット台は2セットしかありません.4月の段階では診察やカルテの記載にも時間がかかっていたため,患者さんが大渋滞….申し訳ない気持ちから朝の挨拶が「おはようございます」から「申し訳ありません」に代わってしまいそうでしたが,2カ月近くたつと次第に要領を覚えて診察すべきポイントがわかり,患者さんを待たせずにすむようになってきました.やっと「おはようございます」といえるようになってきてほっとしています.術後回診術後回診が8時半に始まります.担当患者さんが診察されるときは自分の診察に不備がなかったか,見落としがなかったかを確認してもらいます.また,疑問があるときはこのときに質問して解決しておきます.上級医と診察結果が同じだったときはほっと一安心.眼底所見などに見逃しがあったときは汗がたらり….外来業務福井大学では今年度から4診で外来を行っています.外来診察は上級医の先生方が行っているので,その間私たちは外回りといわれる業務をこなしています.外回りとは外来業務がスムーズに行われるようにお手伝いをするものなのですが,業務内容はさまざまです.手術が決まった方や,造影検査・レーザー治療が必要な方への(99)0910-1810/13/\100/頁/JCOPYIC,同意書作成,全身検査のオーダー,他病院・他科への問い合わせの手紙作成,FA/IAのインジェクション,網膜光凝固術や後発白内障のYAGレーザー等々,仕事の内容は本当に幅広いです.「手術時間は?」「麻酔の方法は?」「どんな手術になるの?」「ネットにはこう書いてあったけど?」こんな質問は日常茶飯事です.私たちは患者さんが理解できるように説明する必要があり,そのためには私たちが手術の内容や疾患について熟知していなければいけません.当たり前のことなのですが,患者さんから必要とされる「わかりやすいIC」のプレッシャーもあり,手術の必要性やその合併症,考えうるリスクについて4月の段階で学ぶことができました.また,患者さんも私たちには聞きやすいようで,たくさん質問をしてくださいます.患者さんが不安に思うこと,当たり前に使っていた眼科の用語が患者さんには伝わっていなかったこと,改めて考えさせられることが本当に多いです.また,質問に丁寧に答えることで患者さんの不安そうな顔が一掃されたとき,お役にたてている気がしてこちらも清々しくなります.手術手術日は月水金です.8時半から手術になるので,それまでに当日のオペ患者をカルテで確認し,患者さんを迎えます.そのあとは手術がスムーズに進むように患者さんの体勢を整えて器材のセッティングなどをしていきます.手術中も指導医の手技が滞りなく進むよう手術の流れを読みながら,助手を努めます.このように心がけながら助手として日々頑張っていますが,実際は指導医の先生方にやさしく諭されながら助手を努めています.先生方の手技はやはりとても繊細で無駄がなく惚れ惚れしてしまいます.その技術を盗もうと見入ってしまい,危うく水かけがおろそかになり注意されることも….おあたらしい眼科Vol.30,No.11,20131591 写真1筆者の手術執刀の様子白内障手術のIAと眼内レンズ挿入,結膜縫合はすぐできるようになりました.っと,危ない危ない(写真1).また,助手だけではなく,実際に手術手技を先生の指導の下,実践させてもらっています.眼瞼手術,眼球破裂の角強膜縫合術,白内障手術など,完投までには到底至りませんが,先生方のサポート,フォローの下で額に汗かきながら取り組ませていただいています.入局したばかりの私たちがこのようにさまざまな手技を経験させていただけることをとても感謝しています.先生方に指導してもらうたび,「早く医局の戦力になれるよう頑張らなくちゃ」とやる気がみなぎる毎日です.カンファレンス毎週火曜の夕方からカンファレンスが行われます.カンファレンス日を境に前後1週間の術前術後の患者についてプレゼンした後,入院中の患者で経過が気になる人についてみんなで話し合います.ここではいつも自分の知識の未熟さを痛感させられます.1人の患者・疾患でもたくさんのアプローチ方法があること,治療におけるリスクの考慮が足りていないことをいつも勉強させられます.知識の面の勉強意欲がここでいつも刺激されます.勉強会カンファレンスが終わった後,15分程度の勉強会が開かれます.おもに,今後専門医試験を受ける予定の先生方を対象にしたものです.専門医試験の過去問を解き,私たち3人を中心にスライドで問題の解説やポイン1592あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013写真2今年度入局の同期3人右手前が筆者,左手前が後沢誠くん,奥が杉原友佳さん.トを説明していきます.専門医の問題は普段の業務で得られる臨床知識とは別に,基礎や解剖の範囲も多いので,そういう範囲の知識を若手が補充できるようにと今年から始まりました.臨床の勉強だけでなく先々の専門医試験に関することまで上級医の先生方に指導していただけるのは本当にありがたく,貴重な時間だと思っています.この勉強会のおかげで基礎知識の整理を定期的にすることができています.外勤週に1,2回程度,関連病院の外来や手術のお手伝いに出かけます.しっかりお役にたてているかは自信がないですが,日頃大学病院では経験しない地域の病院の業務を経験することで,さらにさまざまな見方や知識を得ることができています.病院が変われば患者の層も変わり,病院や医師に求めるものも変わってきます.そういう地域密着型の病院で働く先生方の話を毎週聞きに行くのも楽しみの一つです.同期福井大学眼科学教室の今年の入局者は3人でした.3人とも福井大学出身なので,もともと同級生です.なの〈プロフィール〉(50音順)田中波(たなかなみ)平成23年福井大学医学部卒業,福井大学医学部附属病院にて初期研修,平成25年4月より福井大学医学部眼科学教室後期研修医.(100) で,入局した当初から,気を使うことなく仲良く研修さています.これからもお互い助け合いながら切磋琢磨しせていただいています.研修内容からたわいもない世間て眼科医として精進していこうと思います.話まで気軽に話せる仲間がいること,とても嬉しく思っ田中波先生,後期研修が始まったばかりなのに,ほとんど手直しすることなく立派な原稿を書いてくれて,涙出そうなくらい嬉しいです(>_<).ローテート2年目に眼科へ回ってきたときに見てもらった接触レンズでの眼底観察では,私の黄斑をじっくり見られて大変まぶしくてつらかったですが,今では,レーザー光凝固術も術前説明もしっかりできていて,大変頼指導医からのメッセージ自由の王国,福井大学眼科学教室にようこそ!もしくなりました.医学の世界は日進月歩,今の常識にとらわれていては,衰退していくだけです.未来の医学のためには,後期研修医や大学院生の自由な発想が宝物です.みんなが自由にのびのびできる環境を提供していくことが私の使命です.(福井大学医学部眼科学教室教授稲谷大)☆☆☆(101)あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131593

My boom 22.

2013年11月30日 土曜日

監修=大橋裕一連載MyboomMyboom第22回「内藤知子」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)連載MyboomMyboom第22回「内藤知子」本連載「Myboom」は,リレー形式で,全国の眼科医の臨床やプライベートにおけるこだわりを紹介するコーナーです.その先生の意外な側面を垣間見ることができるかも知れません.目標は,全都道府県の眼科医を紹介形式でつなげる!?です.●は掲載済を示す(●は複数回)自己紹介内藤知子(ないとう・ともこ)岡山大学大学院医歯薬総合研究科機能再生・再建科学専攻生体機能再生・再建学講座眼科学分野平成9年岡山大学卒業,平成15年より緑内障外来のチーフを任され,多くの先生方にご指導をいただきながら,なんとか10年間やってきました.未だにレクトミーをする恐さ・しない恐さ,自問自答です(一段と,というべきでしょうか…).私生活では8歳になる息子の毎朝のお弁当作りに奮闘しています.昔やっていたピアノを最近また弾き始め,ワインを飲みながら猫と戯れるのが,私のストレス解消法です.小さな屏風それはとても蒸し暑い梅雨のさなかでした.一人のご高齢の女性が紹介されました.患者さんは御年89歳,腰は大きく曲がり,移動も歩行器の助けを借りながらやっと,という風情です.問診すると,最近,急に視力低下が進行したとのこと,さらに以前より高度の難聴にも悩まされているようです.早速,診察させていただくと,両眼ともに水晶体に乳白色の混濁を認め,いわゆる成熟白内障になっていました.さらに隅角の閉塞も伴い,眼圧も上昇していました.このままでは母は,音だけでなく,光も失ってしまう…今にも泣き出しそうな心配顔で連れてこられた娘さんに,病状をご説明し,一刻も早く白内障手術を行わなければ,失明の危険があることを告げ,手術をさせていただきました.幸いにして両眼ともに無事に眼内レンズを挿入でき,術後は眼圧も正(97)0910-1810/13/\100/頁/JCOPY常化しました.そして長かった梅雨も明け,燦々と太陽光が降り注ぐある日,満面の笑みを浮かべた患者さんが外来を訪れました.「先生,手術をしてもろうてから,まるで別世界にいるようじゃ」言い終わるが早いか,とても恥ずかしそうに,小さな茶封筒を私に差し出しました.「これ,私が心をこめて書いたんじゃけど,受け取ってもらえるじゃろうか」その中に入っていたものが,この小さな屏風です(写真1).大学病院で外来診療を続けていくことは,実は正直とても辛く感じることもあります.ときには逃げ出したい気持ちにもなります.でも,たまにこんな嬉しいことがあるからこそ,続けることができるのかもしれません.今でも辛いとき,悲しいとき,そして心が折れそうなとき,医局の机の片隅の,この小さい屏風を見つめては,気持ちを整えているのです.“きっかけ”をくれた師匠たち私は現在,大学で緑内障の臨床研究を細々と続けています.大学にいるなら当たり前じゃないか,との声が聞こえてきそうですが.実はある“きっかけ”がなければ多分,今のこの状況はあり得なかったでしょう.その“きっかけ”は,6年ほど前に訪れました.近くの大学の知り合いの先生に,関東で緑内障を専門にしている先生たちを紹介していただいたのです(写真2).実は,それが今の私の師匠たちになるのです.それまでの私は,まだ専門医になって間もない頃から緑内障外来のチーフを任され,日々の外来診療と手術を無事にこなすのがやっと,という状態で,家に帰っても育児と家事に振り回され,とてもデータをまとめて学会発表をする精神的,体力的な余裕はありませんでした.しかし,師匠たちは違いました.私よりもはるかに忙しい日常業務を淡々とこなしながら,緑内障の診断や薬あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131589 写真1患者さんからいただいた小さな屏風物治療に関する臨床研究をいくつも同時に行い,その成果を毎回のように学会で発表しているのです.そして,実に楽しそうなんです.いつしか私もそんな師匠たちの姿に触発され,見よう見まねで臨床研究を行うようになっていました.これには私自身がとても驚きました.診療は相変わらず忙しいままなのに,できたのです.そうして以前は単に人の発表を聴くだけだった学会も,いつしか自らも発表できるようになっていました.そうです,師匠たちに出会うまでの私は,日常の忙しさにかまけ,研究などできっこないと勝手に思い込んでいただけだったのです.このような“きっかけ”を作っていただいた師匠たちには今でも心より感謝しています.そして,今度は私自身がそんな素敵な“きっかけ”を演出できるような人になりたいと思う今日このごろです.美味しいお店美味しいものに目がありません.とくに学会の夜,美食巡りをするのが私のマイブームです.また私自身も料理好きなので,感動した味を家で再現するのも楽しみの一つです.とてもプロのようにはいきませんが,よく似せた味の料理を肴に好きなワインを傾けるひとときは本当に癒されます.そんなお店巡りを続けるうちに,美味しいお店には,ある法則があることに気が付きました.それは美味しいお店は,決まって雰囲気がいいことです.お店の雰囲気を構成する要素は,シェフや店員さんの立ち居振る舞い,接客,椅子やテーブルなどの調度品,そして照明など,さまざまな因子があると思います.しかし私は何よりも,最大の決定要素はお店に集う1590あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013写真2師匠たちとその仲間(今年のWorldGlaucomaCongress,バンクーバーにて)お客さんだと思います.美味しいお店には,やはり,美味しい物を愛する同好の志が集まります.その人々が本当に美味しいものに出会ったときに発する言葉と言葉,笑顔と笑顔が重なり,とても心地良いハーモニーを奏でます.当然カジュアルな店では,大きな話し声や,笑い声がお店中に響き渡ります.でも決してそれらが騒々しい雑音ではなく,とても心地よいBGMになるのです.そんなお店で食事をすることは,お料理がさらに美味しく感じられ,何より,元気をもらうことができて,とても好きです.小さな屏風,“きっかけ”をくれた師匠たち,そして,美味しいお店,これらのマイブームは一見脈絡がないようです.しかし,どれも人と人との繋がりが如何に大切であるかということを私に教えてくれました.何人もの人に支えられ,励まされ,そして元気を与えられて生きていることに感謝する毎日です.次回のプレゼンターは石川県の大久保真司先生(金沢大学)です.緑内障のなかでも視野・OCTでは大変なスペシャリストでいらっしゃいます.私も困ったときにはしょっちゅうご指導を仰いでいますが,いつも優しく教えてくださり,大変に尊敬している先生です.よろしくお願いします.注)「Myboom」は和製英語であり,正しくは「Myobsession」と表現します.ただ,国内で広く使われているため,本誌ではこの言葉を採用しています.(98)

日米の眼研究の架け橋 Jin H. Kinoshita先生を偲んで 11.Jin H. Kinoshita先生のやさしさとNEIでの思い出

2013年11月30日 土曜日

JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑪責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生を偲んで日米の眼研究の架け橋★シリーズ⑪責任編集浜松医科大学堀田喜裕JinH.Kinoshita先生のやさしさとNEIでの思い出山田孝彦(TakahikoYamada)山田孝彦眼科院長1981年東北大学医学部卒業.東北大学医学部眼科医員.1984年東北大学医学部病理部医員.1985年東北大学医学部眼科医員.1986年東北大学医学部眼科助手.1988年東北大学より医学博士学位取得.1988年.1990年NIH(NEI)Visitingassociate.1991年東北大学医学部眼科助手.1994年東北大学医学部附属病院眼科講師.1996年NTT東日本東北病院眼科部長.1997年山田孝彦眼科を開設,院長として現在に至る.私は東北大学眼科学教室の助手時代に,玉井信教授のご高配により,1988年11月から1990年10月までの2年間,米国国立衛生研究所(NationalInstitutesofHealth:NIH)の国立眼研究所(NationalEyeInstitute:NEI)で客員研究員(Visitingassociate)として研究生活を送らせていただきました.その陰には,NEIのScientificDirectorであるJinH.Kinoshita先生(Jin先生)のご助力があったことは間違いなく,今でも感謝申し上げております.Jin先生は,偉大な科学者,研究者であるとともに我々日本人研究者に多くのチャンスを与えてくださった,日本の眼科研究にとっての恩人だと思います.私にとってのJin先生の印象はやさしさです.私はJin先生がNIHを退職される1年前にNIHでの研究をスタートしましたので,研究者としてのJin先生はあまりわかりませんが,ScientificDirectorとしてのJin先生とのエピソードと当時の研究を紹介させていただきます.●Jin先生とのエピソード★私がJin先生を知ったのは,宮城県眼科医会で講演してくださったときでした.当時は,その後NIHでJin先生にお世話になるとは思ってもみませんでした.Jin先生との最初の接点は手紙でした.渡米するための手続きやIAP66というビザ取得のために何度か手紙のやり取りがありましたが,あるときJin先生の秘書さんから重要な手紙が届いていなのでビザ取得が間に合わないかもしれないとの連絡があり,急いで再送して何とか間に合いました.郵便のトラブルが原因でしたが,Jin先生にお会いしたときには全くそのことには触れられず,が(95)んばれと励ましてくださいました.私が研究をスタートして6カ月ほど経った1989年の5月ころ,Jin先生が突然私の研究室に現れて,ドクター・ヤマダは日本へ行きたいかとたずねるのです.私はまだ研究が始まって間もないので,いいえと答えました.すると何度も同じ質問をされるので,私も本音が出て,正直にいえば行きたいと答えました.そのときは,それで会話は終わってJin先生は部屋を出て行かれました.しばらくして,上司のDr.PaulRussell(Paul)から,その年の11月に日本の金沢市で開催されるUSJapanCCRGmeetingに演題を出して参加するようにと告げられました.Jin先生は私には研究のことは何も尋ねず,ただ私たちが日本へ一時帰国できるチャンスを作ってくれたのでした.金沢では,2種類の蛍光色素を用いた酵素抗体法で培養細胞でのCrystallinとAR(Aldosereductase)の発現を示したポスターを発表しました.二重染色のきれいな写真が撮れたのでJin先生も喜んでくださいました.NEIのScientificDirectorであるJin先生は私から見れば雲の上の方で,話すのも恐れ多いと思っていました.しかし,FarewellpartyやChristmaspartyなどのNEIの主な行事には必ずご夫妻で参加され,我々若手(当時)の研究者とも気さくに話をしてくださいました(写真1).NIHでは,上下のポジションに関係なくお互いをファーストネームかニックネームで呼び合っていました.Jin先生のこともみんなJinと呼んでいました.しかし,私はJinとは呼べませんでした.ドクター・キノシタと呼んでいたのです.するとJin先生も私のことをドクター・ヤマダと呼ぶようになってしまいました.あたらしい眼科Vol.30,No.11,201315870910-1810/13/\100/頁/JCOPY 写真1Bethesda市で開かれたNEIのパーティーにて撮影左より,Jin先生のKay奥様,Jin先生,CarlKupfer先生(NEIのDirector),筆者.相手のことをとても気遣う先生でした.パーティーで思い出すのは,Jin先生のFarewellpartyのことです.NIHの向かいのベセスダ海軍病院のレストランで行われたのですが,ボヤ騒ぎで煙が出てきたため送別会は途中で中止になってしましました.しかし,NEIの人たちは,かえって忘れられない会になったからいいんじゃないと笑い飛ばしていました.Jin先生を気遣ってのことと思います.●NEIでの研究生活★私は妻と当時2歳の長女の3人で渡米し,メリーランド州Rockville市のVillagesquareというマンションに住みました.当時のVillagesquareには佐藤佐内先生(当時山形大学眼科),堀田喜裕先生(現浜松医科大学眼科学教授)が住んでいらして,現地の情報などを丁寧に教えていただきました.村上晶先生(現順天堂大学眼科学教授)は私と同じ頃にVillagesquareに来られて仲良くしていただきました.また,Paulの研究室の向かいのDebbieCarperの研究室におられた金子昌幸先生(当時長崎大学眼科)にもお世話になりました.私が配属されたのはNEIのLMOD(LaboratoryforMechanismofOcularDisease,写真2参照)のPaulの研究室でした.研究内容はtransgenicmouseの水晶体上皮から確立したa-TN4という培養細胞を用いて,a-crystallin,b-crystallin,ARなどの発現をさまざまな環境のもとで調べるというものでした.方法としては,生化学,組織化学,分子生物学,組織培養のテク1588あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013写真2NIHからいただいたCertificate私の送別会のときにいただいた大変思い出深いもので,私がcollaborativeresearchに参加させていただいたことの証しです.ニックを駆使することになりました.私は東北大学の第一病理学教室在籍中に病理学,組織化学,超微形態学(電子顕微鏡)を用いて人体および実験動物から得たサンプルを解析する仕事に携わりました.また,眼科学教室に戻ってからは,ライソゾーム酵素であるcathepsinDを牛眼から精製し,家兎を用いて抗体を作り,その抗体を用いた免疫組織化学的手法でcathepsinDの眼内局在を解析し学位を取得しました.これらの仕事で取得したテクニックのおかげで,NIHに赴任してからは早期に仕事を進めることができ,Paulからは主に組織培養と分子生物学を学びました.また,PaulをはじめNIHの研究者から学んだことはテクニックだけではなく,研究開始の着眼点やプロジェクトの立て方など多岐にわたります.さらにNIHの組織の作り方,教育システム,国家との密接な関係など日本が学ぶべきことがたくさんあると思いました.これから海外での研究を志される若い方々には,是非このような観点で勉強し,得られた成果を日本に持ち帰ってほしいと思います.また,売りになる研究テクニックを,ひとつでもいいので身に着けてから留学したほうが何かとうまくいくと思います.最後に,私にNIHで研究する機会を与えてくださった玉井信東北大学名誉教授とJin先生に改めて感謝申し上げます.(96)

WOC2014への道

2013年11月30日 土曜日

東京が2020年オリンピック開催都市に決まりました.オリンピックがもたらす効果は絶大だと思います.インフラが整備され,投資が活性化されデフレ脱却効果があるでしょう.開催が決まったことでスポーツ関連予算が増え,2020年にピークを迎える世代の強化が始まったそうです.おそらく2020年にはたくさんのメダル獲得(とくに金色)の瞬間を見ることができるでしょう.日本もこれで元気になって欲しいです.今,香港でこの原稿を書いています.2009年にWOC準備委員になってから,WOC2014をアピールするためにアジアに行く機会が多くなりました.香港に限らず,アジアの国々は訪れるたびに様変わりしています.次々と高層ビルが建設され,人々の活気や自信が以前とまったく違います.10年前には少なくとも日本人である優越感がありましたが,今はまったくそんなものは無く,ときに劣等感すら感じます.悲しい現実です.悲しいことは眼科の世界でも起こりつつあります.日本人は英語が苦手ですが,それは「普段使わないですむから」に他なりません.アジア諸国にはまともな母国語の教科書がありません.だから勉強するためには英語の本を読むしかありません.しかし,日本には立派な「日本語の教科書」があります.「日本の眼科のレベルが高いから」こそ,私たちには当たり前のように日本語で勉強でき,この状況に安穏としてこられたと思います.そんな間に,アジア近隣の国々は,経済発展とともに眼科レベルも向上してきました.中国の学会発表は数年前はみるも無惨な内容でしたが,最近はびっくりするほど高レベルです.IOVSやOphthalmology誌に掲載されるのも,一昔前は日本人の論文が多かったのですが,今は中国に猛追・逆転されています.日本の眼科レベルがアジアにおける孤高性を失ったとき,英語の苦手な私たちの地盤低下は想像以上に早く進むかも知れません.日本人眼科医というだけでアジアの眼科医から向けられていた尊敬のまなざしは,消えつつあるのです.WOC2014はそんな危機感から,日本眼科学会・日本眼科医会が団結して勝ち取った大会です.オリンピックと同じようにアジア数都市の中からコンペになり,綿密なロビー活動の甲斐あって東京に決まったときには,(今回のオリンピック招致決定に匹敵するほど)関係者は大喜びしたものです.WOC2014を成功させることは,私たち自身が日本眼科のプレゼンスを確認し,改めて日本の凄さをアピールすることになります.日本の眼科レベルは高く,私たちには潜在能力があります.私たちが自信を回復することこそが,明日の日本眼科の発展に不可欠です.準備委員会の活動を通してアジア各国に知り合いができ(写真),私自身の視野も拡がったように思います.是非皆様もWOC2014に参加して,今の「世界の眼科」を感じてみてください.そしてきめ細かに準備された運営や日本の高レベルの発表を見て,「世界に冠たる日本眼科」を皆様の目で再確認していただきたいと思います.WOC2014への道あとカ月園田康平山口大学大学院医学系研究科眼科学分野写真APAOのLDP(leadershipdevelopment)コース終了式にてアジア各国代表の先生と1年間のコースを体験しました.何度も顔を合わすなかで参加者に連帯感が生まれ,多くの友人ができました.WOC2014,みんな来ると言ってました!5東京が2020年オリンピック開催都市に決まりました.オリンピックがもたらす効果は絶大だと思います.インフラが整備され,投資が活性化されデフレ脱却効果があるでしょう.開催が決まったことでスポーツ関連予算が増え,2020年にピークを迎える世代の強化が始まったそうです.おそらく2020年にはたくさんのメダル獲得(とくに金色)の瞬間を見ることができるでしょう.日本もこれで元気になって欲しいです.今,香港でこの原稿を書いています.2009年にWOC準備委員になってから,WOC2014をアピールするためにアジアに行く機会が多くなりました.香港に限らず,アジアの国々は訪れるたびに様変わりしています.次々と高層ビルが建設され,人々の活気や自信が以前とまったく違います.10年前には少なくとも日本人である優越感がありましたが,今はまったくそんなものは無く,ときに劣等感すら感じます.悲しい現実です.悲しいことは眼科の世界でも起こりつつあります.日本人は英語が苦手ですが,それは「普段使わないですむから」に他なりません.アジア諸国にはまともな母国語の教科書がありません.だから勉強するためには英語の本を読むしかありません.しかし,日本には立派な「日本語の教科書」があります.「日本の眼科のレベルが高いから」こそ,私たちには当たり前のように日本語で勉強でき,この状況に安穏としてこられたと思います.そんな間に,アジア近隣の国々は,経済発展とともに眼科レベルも向上してきました.中国の学会発表は数年前はみるも無惨な内容でしたが,最近はびっくりするほど高レベルです.IOVSやOphthalmology誌に掲載されるのも,一昔前は日本人の論文が多かったのですが,今は中国に猛追・逆転されています.日本の眼科レベルがアジアにおける孤高性を失ったとき,英語の苦手な私たちの地盤低下は想像以上に早く進むかも知れません.日本人眼科医というだけでアジアの眼科医から向けられていた尊敬のまなざしは,消えつつあるのです.WOC2014はそんな危機感から,日本眼科学会・日本眼科医会が団結して勝ち取った大会です.オリンピックと同じようにアジア数都市の中からコンペになり,綿密なロビー活動の甲斐あって東京に決まったときには,(今回のオリンピック招致決定に匹敵するほど)関係者は大喜びしたものです.WOC2014を成功させることは,私たち自身が日本眼科のプレゼンスを確認し,改めて日本の凄さをアピールすることになります.日本の眼科レベルは高く,私たちには潜在能力があります.私たちが自信を回復することこそが,明日の日本眼科の発展に不可欠です.準備委員会の活動を通してアジア各国に知り合いができ(写真),私自身の視野も拡がったように思います.是非皆様もWOC2014に参加して,今の「世界の眼科」を感じてみてください.そしてきめ細かに準備された運営や日本の高レベルの発表を見て,「世界に冠たる日本眼科」を皆様の目で再確認していただきたいと思います.WOC2014への道あとカ月園田康平山口大学大学院医学系研究科眼科学分野写真APAOのLDP(leadershipdevelopment)コース終了式にてアジア各国代表の先生と1年間のコースを体験しました.何度も顔を合わすなかで参加者に連帯感が生まれ,多くの友人ができました.WOC2014,みんな来ると言ってました!5(93)あたらしい眼科Vol.30,No.11,201315850910-1810/13/\100/頁/JCOPY

現場発,病院と患者のためのシステム 22.電子カルテシステム単体導入の是非

2013年11月30日 土曜日

連載現場発,病院と患者のためのシステム電子カルテシステム医事会計システムを筆頭に,ファイリングシス単体導入の是非テム,オーダリングシステムなど,医療機関にはさまざまな情報システムが,それを得意とするベ杉浦和史*ンダ(システム開発会社)から提供されています.はじめに電子カルテシステムも同様です.これらを組み合わせて使うことになりますが,結果的にマルチベンダ(複数の異なるシステム開発会社)システム連載初回に複数システムを異なるベンダ(システム開となり,システム相互間のスムーズな連携がしに発会社)から目的別に導入し,組み合わせて使う場合のくく,トラブル発生時の対応遅れなど,運用上面問題を紹介しました.最初に医事会計システム,つぎに倒なことが多々発生します.予約システム,検査画像ファイリング,そして電子カル図1異なるベンダのシステムを導入する場合の弊害Rテシステムのような場合です.医療会計システム画像ファイリングシステム操作性の不統一複数のディスプレイ機能の重複情報の重複予約システム電子カルテシステム図1に示すように,それぞれが単独で運用できるようにするため,機能,情報の重複が発生します.また,各ベンダが独自の設計ポリシーで作るため,操作性が統一されていません.トラブル発生時には,どのシステムが原因なのかを特定するまでに時間を要します.他のシステムとの情報授受で引き起こされるトラブルがあるからです.それぞれのシステムにディスプレイが必要なことから,狭い診察机がさらに狭くなってしまうという問題も発生します.複数のディスプレイに表示される情報を見比べ,かつ,どのマウスがどの画面のものなのかを気にしながらの診察も大変です..電子カルテシステムの単体導入図2に示すように,医療機関には診察以外の業務が山(91)0910-1810/13/\100/頁/JCOPYのようにあります.図2多種多様ある院内業務Rこの図を見ると,診察業務を対象にする電子カルテシステムを単独で導入するだけで良いのだろうか?と疑問に思われる方は多いでしょう.しかし残念ながら,院内の業務全般を俯瞰したうえで電子カルテシステムを含む,部分システムの導入を決めるケースは少ないようです.これは,一般的に医療機関には,情報システムの企画,構築,運営管理,導入効果算定に関する知識,経験が少なく,良いことしかいわないベンダ営業の説明を鵜呑みにしがちであることが影響していると思われます.*KazushiSugiura:宮田眼科病院CIO/技術士(情報工学部門)あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131583 また,主たる導入決定者が医師であることから,守備範囲である診察業務をカバーするシステムに目が行ってしまうのも,電子カルテシステムの単独導入に結びついている一因と考えられます.他院の成功事例が紹介され,見学に招待されることもありますが,見学先では,うまくいっているといわなければ困る立場の方々が対応するので,本当のところは隠れてしまいがちです.とくに,部分的なシステム導入によって,システム化されていない部分との情報授受で発生する手間の増大という実態は聞くチャンスがないかもしれません.診察業務(電子カルテシステム)と情報交換が必要な業務がたくさんあることは図2のとおりですが,これらの業務との情報授受を考慮しないと,運用に入ったときにさまざまな問題が生じてきます.例えば,検査です.オーダすると,その情報はどのシステムが受け取るのでしょう.また,複数の患者さんにオーダを出すと待ちが発生しますが,その順番はわかるようになっているのでしょうか.多種多様ある検査結果をシステムに取り込む手段は?診察の結果,手術が必要になると,ベッドを確保し,術日,術者を決め,手術に必要な書類の作成をしなければなりませんが,それをカバーするシステムとの連携は?等々,考慮しなければならないことが山積しています.ある業務は電子的に処理され,その業務と関連する他の業務は従来どおり紙と手作業になっていると,ストレスのないシームレスな情報の授受ができませんが,これをハンドリングが発生するといいます.ハンドリングは,確実に病院全体の作業効率を下げ,システム導入の効果を薄れさせてしまう要因です.また,すでに導入されているシステムがあると,そのシステムとの情報授受のために仲介,翻訳的な機能が必要になり,変更に弱い複雑な構造を余儀なくされます.目的地まで複数の高速道路を乗り継ぎ,高速道路の切れ目で一般道路も走ることになると,ジャンクションでのルートチェンジに神経を使い,高速道路の出入りが面倒ですが,これと同じ理屈です.部分最適なシステムを寄せ集めても全体最適な統合情報システムにはならないことは,製造業,流通業などシステム化の歴史の長い他の業界では体験をとおして知られていますが,医療業界では依然としてそれがまかりとおっているのが実状です.院内の業務は図2のとおり,多種多様あり,情報授受関係が複雑に入り組んでいることを承知したうえで,どの順番にシステム化していくかの計画を作ってから,順次システム整備を進めるべきでしょう.この手順を踏めば,一般的には電子カルテシステムを単独で導入するという結論は出ないはずです..その他実際に電子カルテシステムを使った医師は,つぎの感想をもらしています.①ボタンが多すぎてどこを押してどうすればいいのか,わかりにくい.②いろいろなウィンドウが開き,どこにどの情報があるのかが把握しにくい.③操作すべきことが多すぎ,時間がかかりすぎる.④使うボタンは非常に限られており,一度も押す必要のないものが多すぎる.⑤画面の立ち上がり時間が遅い(とくに写真や画像を含むデータを扱うとき).これは電子カルテシステムが現場を観察し,作業実態を把握して作っていないことを端的に現しています.ただ,その医師は,「しばらくすると慣れてしまう」ともいっています.これをどうとらえるかです.画面を使って仕事をしていると何だか効率が上がった気分になりますが,不具合を“医師の慣れ”と“医師以外のスタッフの人海戦術”でカバーしてしまい,いつの間にか非効率な作業が改善されることなく引き継がれ,誰も気がつかなくなる由々しき事態になると考えてほしいものです.以上述べてきたことは,連載①病院向けパッケージの基礎知識,連載⑦系統立った院内システムの整備,連載⑩システムを導入すると手間が軽減されるって本当?を併せてご覧いただきますと,さらに理解を深めることができます.☆☆☆1584あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013(92)

タブレット型PCの眼科領域での応用 18.眼科医療におけるポータブル記録機器としての活用

2013年11月30日 土曜日

シリーズ⑱シリーズ⑱タブレット型PCの眼科領域での応用三宅琢(TakuMiyake)永田眼科クリニック第18章眼科医療におけるポータブル記録機器としての活用■スマートフォンの記録機器としての意義第18章で取り上げる端末は,私が代表を務めるGiftHandsの活動や外来業務で扱っているスマートフォンの“iPhone5S(米国AppleInc)”やポータブルマルチメディアプレイヤー“iPodtouch(米国AppleInc)”のiOSバージョン7.0.2です.この章ではこれらデバイスの記録機器としての活用法とその意義について,実際に利用した医師の声とともに紹介していきます.■私のスマートフォン活用法「前眼部撮影編」近年,スマートフォンやタブレット型のPCの内科領域でのベットサイドケアや在宅医療における有用性に関する検討が多く報告されています.眼科領域においてもスマートフォンを用いた撮影機器としての利用が報告され1),国内ではスマートフォンを用いた蛍光眼底撮影が検討されています(周藤ら:網膜硝子体学会2012).私はスマートフォンを臨床業務へ導入することで,導入前には不可能であった多くの所見を記録し,医療スタッフ間で共有することが可能になりました.本章では実際の活用法を紹介したいと思います.①標準カメラアプリの活用スマートフォンの背面カメラを細隙灯の接眼レンズに簡易的に固定することで,前眼部の動画撮影を行うことが可能です(図1).背面カメラの解像度および感度の向上に伴い,とても明るく解像度の高い動画の撮影が可能となり,撮影後にスクリーンショット機能(iPhoneではホームボタンとスリープボタンの同時押し)を用いることで静止画像として所見を保存することが可能です.また,同じ無線LAN環境にタブレット型PCが存在すれば,クラウドサービスを介してシームレスにタブレット型PCのアルバム内にスマートフォンで撮影した画像が表示されるため患者説明に利用することが可能となります(図2).図1スマートフォンの背面カメラを細隙灯の接眼レンズの前方に簡易的に固定して,前眼部所見を撮影している様子図2患者説明用にスマートフォンで前眼部所見を動画撮影してスクリーンショットで静止画とした後発白内障の所見(89)あたらしい眼科Vol.30,No.11,201315810910-1810/13/\100/頁/JCOPY 図3スマートフォンの背面カメラを利用した動画撮影モードにおいて背面ライトを点灯させて,20Dのレンズ越しに撮影された眼底所見スマートフォンを臨床業務に導入した若手の医師たちの声には,つぎのようなものがあります.「上級医に相談する際に,撮影機器のない外勤先で担当した症例でも動画を見せて相談できるのでとても安心です.」「上級医が診察する際にスマートフォンで撮影してもらい,上級医が実際に見ている所見を共有することができるので,とても勉強になります.」スマートフォンを記録機器として利用することで,施設間での記録機器の差にかかわらず所見の撮影や保存を行えることは,若手の医師にとって安心して診療を行う上でとても重要なことだといえます.また,私が実際に活用しているiPhone5sでは,標準機能として撮影動画に対してスローモーションエフェクトを適応することが可能であり,今後,涙液動態などを評価するのにも利用できる可能性があると考えています.②背面ライトの活用スマートフォンの背面カメラにおける動画撮影モードでは,背面カメラの横のフラッシュ撮影用のライトを常時点灯することが可能です.ライトを点灯した状態で動画撮影を行えば,非接触型倒像鏡用の20Dレンズなどと組み合わせることで眼底所見の診察および撮影が可能です(図3).また,前眼部撮影と同様にスクリーンショットで静止画像としたうえで,適切なサイズに画像をトリミングすることで簡易的なパノラマ眼底撮影を行うことも可能です.実際に眼底撮影にスマートフォンを用いた医師の声にはつぎのようなものがあります.「これまで記録のむずかしかったNICUの子供の眼底所見を画像として記録できるため,若い先生を教育するときにも利用できてとても助かります.」「虐待を疑われる児童の眼底を診察する際に,簡単かつ経時的に記録を画像で残せるのでとても安心です.」おもにベッドサイドで行われる小児の眼底診察の所見を,簡単に動画や静止画で記録できることはとても重要だと考えられます.③スマートフォンによる記録機器導入の意義スマートフォンによる前眼部所見や眼底所見の撮影および記録は,ポータブルの細隙灯と20Dレンズなどがあれば場所を問わず行うことが可能です.このことは,今後,眼科領域での在宅医療やベットサイド診療において,極めて大きな意味をもつと考えられます.スマートフォンなどのデバイスが記録機器として活用されることで,眼科医療の世界がより安全で快適なものになると私は信じています.本文の内容や各種セミナーの詳細に関する質問などはGiftHandsのホームページ「問い合わせのページ」よりいつでも受けつけていますので,お気軽に連絡ください.GiftHands:http://www.gifthands.jp/文献1)BarsamA,AllanBD:Excimerlaserrefractivesurgeryversusphakicintraoculsrlensesforthecorrectionofmoderatetohighmyopia.JCataractRefractSurg36:12401241,20101582あたらしい眼科Vol.30,No.11,2013(90)

硝子体手術のワンポイントアドバイス 126.ロケット花火による眼外傷に対する硝子体手術(中級編)

2013年11月30日 土曜日

硝子体手術のワンポイントアドバイス●連載126126ロケット花火による眼外傷に対する硝子体手術(中級編)池田恒彦大阪医科大学眼科●ロケット花火による眼外傷の特徴近年,ロケット花火による眼外傷の報告がわが国で散見される1).大半は花火が引火しないと勘違いして花火の筒を覗き込んだ時に発射され,眼を直撃するために生じる鈍的外傷である.多くの症例で瞬間的に閉瞼するため,角膜の著明な熱傷をきたしたとする報告は少ないが,眼瞼浮腫,虹彩離断,外傷性白内障,硝子体出血,網膜振盪症,脈絡膜破裂などの重篤な症状を引き起こす.筆者らも過去に3例のロケット花火による眼外傷に対して手術を施行した経験がある2,3).そのうち1例を提示する.●症例の概要症例は46歳,男性.ロケット花火が至近距離で左眼を直撃し,左眼に眼瞼腫張,結膜浮腫,虹彩断裂(図1),虹彩炎,硝子体出血を生じた.保存的加療を行ったが,硝子体混濁の遷延化と外傷性白内障の進行を認めたため,受傷8カ月後に硝子体切除術,水晶体切除術,虹彩整復術を施行した.黄斑部に網脈絡膜萎縮を残したため,矯正視力は0.08に留まった(図2)3).●ロケット花火による眼外傷に対する硝子体手術前述したように,基本的にはロケット花火が至近距離で眼を直撃する鈍的外傷の要素が強い.自験例を含めて多くの症例では前眼部だけでなく,眼底後極部にも著明な傷害をきたし,外力が強く作用した場合には脈絡膜破裂を伴う.脈絡膜破裂がなくても,黄斑部の脈絡膜毛細血管板の障害をきたして網脈絡膜萎縮を残すことが多く,視力予後は概して不良である.硝子体手術は硝子体出血や混濁が遷延する場合に適応となるが,症例は比較的若年者が多いため,人工的後部硝子体.離作製がやや(87)0910-1810/13/\100/頁/JCOPY図1受傷時の細隙灯顕微鏡所見眼瞼腫脹,結膜下出血,角膜浮腫に加えて,広範な虹彩断裂を認める.図2硝子体手術後の眼底所見A:鈍的外傷によると考えられる黄斑部の網脈絡膜萎縮を認める.B:フルオレセイン蛍光眼底写真では後極部の網脈絡膜萎縮部位に一致してwindowdefectによる過蛍光を認める.C:インドシアニングリーン蛍光眼底写真では脈絡膜毛細血管板の傷害と考えられる低蛍光を認める.ABCむずかしい.文献1)中野さおり,伊比健児,熊野良子ほか:ロケット花火による眼外傷の1例.眼紀54:363-366,20032)渡辺彰英,池田恒彦,小泉閑ほか:ロケット花火による眼外傷の2例.眼科手術12:543-546,19993)河原彩,南政宏,今村裕ほか:歯科用30G針による虹彩離断の整復術を施行した花火外傷の1例.眼科手術17:271274,2004あたらしい眼科Vol.30,No.11,20131579