再生医療とロービジョンケアRegenerativeMedicineandLowVisionCare栗本康夫*はじめに視覚の経路は外界の光を眼表面から取り込んで網膜に達するまでの光路と網膜から視覚中枢に至る視路に分けることができるが,眼科領域における再生医療の現状は両者で大きな隔たりがある.光路を構成する角膜と水晶体では,眼以外の臓器と比べても再生医療の実用が早くから進んでいる.角膜については,献眼による角膜移植が20世紀前半に海外で開始され,わが国でも1958年に「角膜移植に関する法律」が発布し,その後の法律改定を経て,標準医療として定着してすでに久しい.さらに,他家移植に伴う免疫拒絶などのリスクやドナー不足を克服するために,自家組織幹細胞や代替細胞による細胞治療も開発され,すでに臨床実施されている1).水晶体に関しては,白内障で混濁した水晶体の摘出は紀元前にまで遡ることができる.現在では摘出された水晶体に代わって眼鏡やコンタクトレンズなどによる屈折の補正が行われている.水晶体を代替する眼内レンズの移植は20世紀の半ばに初めて臨床で実施され2),人工臓器による水晶体再生医療が確立した.その後,術式はめざましい進歩を遂げ,今日,眼内レンズを利用した水晶体再建術はあらゆる外科手術のなかでももっとも成功している治療といっても過言ではないほどの普及をみている.このように角膜や水晶体の再生医療は実臨床に定着してすでに久しいのに対して,視路を構成する網膜および視神経についてはまったく事情が異なる.百年ほど前,神経科学界の巨人であるカハール(Cajal)が「哺乳類の中枢神経系においては,いったん発達が終われば軸索や樹状突起の成長と再生の泉は枯れてしまって元に戻らない.成熟した脳では神経の経路は固定されていて変更不能である.あらゆるものは死ぬことはあっても再生することはない」3)と記載して以来,成熟した哺乳類の中枢神経はひとたび細胞死や軸索の切断をきたすと再生することはないとドグマの如くに信じられてきた.眼科領域においても,中枢神経系に属する網膜および視神経は,疾病や外傷により神経細胞がひとたび変性に陥れば再生することはないと信じられ,再生医療は夢の話であった.しかしながら,近年の基礎医学領域での研究の長足の進歩により,網膜の再生医療が実現しようとしている.そして,近い将来には実臨床に広く普及してゆくことが期待される網膜再生医療は,ロービジョンケア領域にも大きな変革をもたらすことになる可能性がある.本稿では,網膜再生医療の現状を紹介したうえで,ロービジョンケアが果たすと予測される新たな役割について述べる.I網膜と再生医療ヒトの体では,皮膚や血球をはじめ多くの組織において,外傷や疾病によって失われた細胞は再生によって補われる.細胞の再生能力は組織の種類によって大きく異*YasuoKurimoto:神戸市立神戸アイセンター病院〔別刷請求先〕栗本康夫:〒650-0047兵庫県神戸市中央区港島南町2-1-8神戸市立神戸アイセンター病院0910-1810/18/\100/頁/JCOPY(53)617なり,神経細胞であっても末梢神経は条件がよければ再生することは以前から知られている.しかし,ひとたび成熟した哺乳類の中枢神経系は神経細胞が傷害を受けて脱落・変性しても再生することはない3)と長きにわたって信じられており,実際の医療現場においても,中枢神経は再生しないというのが常識であった.眼科領域でも,中枢神経系に属する網膜疾患の治療は神経細胞の変性をいかに防ぐかに尽きていたとはいえ,ひとたび失われた網膜機能は再生しないという前提のもとに治療もロービジョンケアも行われてきた.しかし,近年の幹細胞研究の進歩により哺乳類の成体でも中枢神経組織幹細胞や神経新生があることが明らかとなり,この常識は覆されつつある.さらに多分化能と自己複製能を有する胚性幹(embryC-onicCstem:ES)細胞や人工多能性幹(inducedCpluripo-tentCstem:iPS)細胞などの多能性幹細胞が樹立され,未分化な幹細胞からあらゆる網膜細胞を人工的に誘導することも可能となった4,5).眼科領域においても,かつては夢の治療として現実味に乏しかった網膜の再生医療が現実のものになろうとしている.幹細胞による再生医療は,大きく分けて内在性幹細胞の賦活,組織幹細胞もしくは前駆細胞の移植,幹細胞より誘導した体細胞の移植の三つのストラテジーが考えられるが,前者二つについては生体内での神経系細胞の分化や脱分化,あるいは増殖を制御する知識が不十分で技術も確立していないので,実臨床への応用にはなお課題が多く,医療安全上のリスクを抱えている.現状は,幹細胞から治療対象となる網膜細胞を分化させて移植するストラテジーによる臨床応用が進行している.CII網膜再生医療のターゲット網膜は,内側に位置する神経網膜とその外側を裏打ちする網膜色素上皮(retinalCpigmentCepithelium:RPE)に大別される.どちらも神経上皮に由来するが,RPEは神経細胞ではなく,隣接する視細胞の外節の貪食処理,視物質のリサイクルなどにより視細胞の生理的活動を支えると同時に,血流の豊富な脈絡膜と神経網膜の間を隔て,血液・網膜柵を構成している.細胞移植による網膜の再生を考える場合,神経網膜においては移植細胞がホスト網膜の神経ネットワークと有機的な結合をすることが機能再建に必須である.神経ネットワークがより複雑化する中枢側,すなわち網膜内層にいくほどホスト神経ネットワークとの有機的な結合を得ることがむずかしく,末梢側の網膜外層のほうが容易であると考えられる.したがって,細胞治療による網膜再生治療は外層から着手されるのが自然な流れである.一方,網膜最外層に位置するCRPEは,ホストの神経回路網に組み込まれる必要がなく,移植されたCRPEがホスト組織と生理的に接着してCRPE固有の機能を発揮してくれれば治療の目的を達する.網膜再生医療のターゲットとしてCRPEが最初に選ばれるのは必然であり,加齢黄斑変性(age-relatedCmacularCdegeneration:AMD)などCRPEの劣化に起因する網膜疾患が最初の治療対象となる.RPEの再生医療の次には,同様の方法論をもって神経網膜の外層側から順次,治療開発が進んでいくであろう.CIII網膜色素上皮の再生医療AMDは,生理的には細胞新生ないし更新が起こらないCRPEが加齢により疲弊・劣化することが発症の背景にあり,加齢に加えて喫煙などの環境因子や遺伝的背景も発症リスクとして知られている.AMDは脈絡膜新生血管(choroidalCneovascularization:CNV)が関与する滲出型と,CNVの関与がなくCRPEが萎縮し引き続いて視細胞も変性していく萎縮型の二型に分けられる.わが国では滲出型の頻度が高く6),視機能の障害は萎縮型よりも滲出型のほうが急速かつ深刻である.萎縮型のCAMDには今のところ有効な治療法がないが,滲出型CAMDに対しては,近年,光線力学療法や抗血管内皮増殖因子(vascularCendothelialCgrowthCfac-tor:VEGF)治療などのCCNVを選択的に抑制する治療法が導入され,現在では抗CVEGF療法が滲出型CAMDに対する第一選択治療として定着している7).抗CVEGF治療の導入により,滲出型CAMDの予後は以前に比べて大きく改善したが,AMD発症の背景にあるCRPEの劣化を治療しているわけではなく,長期的な予後には限界がある.また,抗CVEGF薬への反応には個体差があり,618あたらしい眼科Vol.35,No.5,2018(54)ES細胞iPS細胞大量の細胞リプログラを準備可能ミング本人の受精卵内部体細胞細胞塊多能性幹細胞.倫理的問題網膜神経細胞.免疫学的問題網膜細胞移植患者網膜色素上皮細胞図1多能性幹細胞による細胞治療多分化能と自己複製能を有するCES細胞を用いると細胞治療に必要な大量の体細胞を比較的容易に得ることができる.ただし,ES細胞には受精卵を破壊するという倫理的問題と他家移植ゆえの免疫学的問題がつきまとう(左側).これに対し,iPS細胞(右側)はCES細胞と同等の能力を有しながら,倫理的問題と免疫学的問題を回避できる.図2自家iPS細胞由来RPEシート移植治療の流れ患者より直径C4Cmmの皮膚小片を採取し線維芽細胞を培養.線維芽細胞よりCiPS細胞を樹立し,さらにCRPEへの分化を誘導.現在,iPS細胞の樹立には核外プラスミドを用いるため細胞のゲノムは変更されず,格段に安全性が増している.RPEは細胞シート状に培養し,患者の黄斑部網膜下に本人のCiPS細胞由来のCRPE細胞シートを移植する.図3HLAマッチドナーによる他家iPS細胞治療HLAの主要C6座が日本人に頻度の高いハプロタイプ(HLA-A*24:02,C*12:02,B*52:01,DRB1*15:02,DQB1*06:01,DPB1*09:01)のホモ接合体ドナーを選び,iPS細胞をバンク化.この方法をとると,1人のドナーからのCiPS細胞で,日本人口の約C17%の患者をカバーすることができる.Cajalの呪縛から,今まさに解き放たれようとしているのである.CV網膜の再生医療とロービジョンケア従来,成人の中途視覚障害に対するロービジョンケアとは,著しく障害された視機能が医学生理学的に回復を見込めない患者に対して行われるケアであり,基本的には患者の生理学的視機能はよくても現状維持,しばしば低下していくことを念頭におかねばならなかった.ところが,神経網膜の再生医療が施行されれば,これまでは生理学的視機能の回復が見込めなかった患者でも,治療により視機能の改善が期待できる.残された視機能あるいは視機能以外の能力をいかに活用して生活機能を向上させるかがロービジョンケアであったのが,残された生理的視機能そのものが再び発達の途上に乗り,向上していく可能性があるわけである.これはロービジョンケアのパラダイムチェンジといえるかもしれないし,新たな視能訓練分野の創成につながるかもしれない.ただし,網膜の再生医療としてはまず初めに普及していくと思われるCRPEの移植治療では,傷害された視細胞など網膜の神経細胞そのものを再生するわけではないので,治療開始時点に較べての大幅な視機能の回復は期待できない.したがって,この治療法においてロービジョンケアの果たす役割は,加齢黄斑変性において視機能が大幅に低下した後に病状が安定した患者に行われてきたこれまでのロービジョンケアと基本的に変わりはない.しかし,RPEの次の治療として期待されている視細胞など神経網膜の再生治療においては事情が異なる.視機能の改善を得るためには,移植された視細胞などの網膜神経細胞がホスト網膜の神経細胞と有機的な神経回路網を構築することが必須であり,そのためには移植細胞とホスト細胞に双方向的な神経突起・樹状突起やシナプスの形成や伸長,あるいはシナプスの伝達効率の強化などの可塑的変化が起こらなければならない.こうした移植神経細胞とホスト神経細胞との間でのネットワークの構築は,移植細胞の生着に伴う自然経過でもある程度起こることが,iPS細胞から誘導した視細胞移植の動物実験結果からも推定できる.しかしながら,移植細胞に対して積極的に視覚刺激を与えることにより,神経突起の伸長やシナプスの形成および伝達効率の強化などが促進されるであろうことが推測できる.移植細胞とホスト細胞の間で有機的な神経ネットワークの構築を促進し,生理的視機能の獲得および向上を得るためには,視能訓練的なケアが有用であることが推測できる.実際にどのようなトレーニングが必要であり,どの程度の有用性があるのかは,実際の治療が始まってみなければわからないことも多く今後の検討課題であるが,網膜再生治療が臨床に入って来れば,ロービジョンケアは新たな役割を担うことが期待される.文献1)NishidaCK,CYamatoCM,CHayashidaCKCetCal:CornealCrecon-structionCwithCtissue-engineeredCcellCsheetsCcomposedCofCautologousoralmu-cosalepithelium.NEnglJMedC351:C1187-1196,C20042)RidleyCH:Intra-ocularCacrylicClensesCafterCcataractCextraction.CLancet19:118-121,19523)RamonCyCCajalCSR(1913.14)EstudiosCsobreClaCdegener-acionCdelCsistemaCnervioso.CMoya.[translratedCbyCMayCRM,CCajal’sCDegenerationCandCRegenerationCofCtheCNer-vousCSystem.CDeFelipeCJ,CJonesCEG(eds)C,COxfordCUniver-sityPress,NewYork,1991.]4)EirakuCM,CTakataCN,CIshibashiCHCetCal:Self-organizingCoptic-cupCmorphogenesisCinCthree-dimensionalCculture.CNatureC472:51-56,C20115)HayashiCR,CIshikawaCY,CSasamotoCYCetCal:Co-ordinatedCoculardevelopmentfromhumaniPScellsandrecoveryofcornealfunction.NatureC531:376-380,C20166)YasudaM,KiyoharaY,HataYetal:Nine-yearincidenceandriskfactorsforage-relatedmaculardegenerationinade.nedJapanesepopulationtheHisayamastudy.Ophthal-mologyC116:2135-2140,C20097)高橋寛二,小椋祐一郎,石橋達郎ほか:加齢黄斑変性の治療指針.日眼会誌116:1150-1156,C20128)AlgvereCPV,CGourasCP,CDafgardCKoppCE:Long-termCout-comeofRPEallograftsinnon-immunosuppressedpatientswithAMD.EurJOphthalmolC9:217-230,C19999)vanCZeeburgCEJ,CMaaijweeCKJ,CMissottenCTOCetCal:ACfreeCretinalCpigmentCepithelium-choroidCgraftCinCpatientswithexudativeage-relatedmaculardegeneration:resultsupto7years.AmJOphthalmol153:120-127,C201210)TakahashiK,YamanakaS:InductionofpluripotentstemcellsCfromCmouseCembryonicCandCadultC.broblastCculturesCbyde.nedfactors.CCellC126:663-676,C200611)MandaiCM,CWatanabeCA,CKurimotoCYCetCal:AutologousCinducedstem-cell-derivedretinalcellsformaculardegen-622あたらしい眼科Vol.35,No.5,2018(58)