特集●糖尿病網膜症2015年あたらしい眼科32(3):321.325,2015特集●糖尿病網膜症2015年あたらしい眼科32(3):321.325,2015糖尿病網膜症・黄斑浮腫悪化のリスク因子RiskFactorsforDiabeticRetinopathyandDiabeticMacularEdema安田美穂*はじめに糖尿病網膜症は先進国において失明や視力低下の主原因である.全世界にはおよそ9,300万人の糖尿病網膜症患者がおり,そのうち1,700万人は増殖型の糖尿病網膜症であると推定されている1).近年糖尿病の増加とともに患者数が増加することが予想され,ますます重要な問題となっている.糖尿病網膜症および糖尿病黄斑浮腫の危険因子を明らかにすることは疾患の進行を予防し,失明や視力低下を防ぐうえで重要である.糖尿病網膜症,黄斑浮腫の危険因子として以下の因子が報告されている.修飾可能な因子として,高血糖,高血圧,脂質異常症,肥満などが,修飾不可能な因子として,人種,罹病期間,妊娠などが多くの論文で一致して報告されているものである(表1)2).I糖尿病網膜症・黄斑浮腫のリスク因子1.高血糖糖尿病網膜症および糖尿病黄斑浮腫のもっとも重要なリスク因子の一つが血糖コントロールである.糖尿病網膜症に関する大規模臨床研究であるUnitedKingdomProspectiveDiabetesStudyとDiabetesControlandComplicationsTrialのどちらにおいても,ヘモグロビンA1c(HbA1c)を7%以下に抑える厳しい血糖コントロールがI型糖尿病,II型糖尿病のどちらにおいても糖尿病網膜症の進行を予防するという強いエビデンスが示されている3).DiabetesControlandComplications表1糖尿病網膜症と黄斑浮腫の危険因子リスク因子網膜症黄斑浮腫修飾可能な因子高血糖++++++高血圧++++脂質異常症++++肥満++修飾不可能な因子罹病期間++++妊娠+++++++++強いリスク因子,++中等度のリスク因子,+弱いリスク因子(DingJ,WongT.CurrentEpidemiologyofDiabeticretinopathyanddiabeticmacularedema.CurrDiabRep12:346-354,2012より改変)Trialにおいては,通常治療群と比較し厳密な血糖コントロール群では,網膜症の発症が76%減少し,単純型網膜症から増殖型への進行が54%減少したと報告されている4).さらに黄斑浮腫の発症も厳密な血糖コントロール群では,46%減少したことが示されている.このように血糖値を低く抑えることは従来と変わらず,糖尿病網膜症および糖尿病黄斑浮腫の発症や進行予防には非常に重要であることがわかる.アメリカ糖尿病学会(AmericanDiabetesAssociation:ADS)の2008年の糖尿病診療におけるガイドラインにおいても,糖尿病の血糖コントロールの指標としてHbA1c7.0%未満が推奨されている.また,わが国における糖尿病網膜症の疫学研究の一つ*MihoYasuda:九州大学大学院医学研究院眼科学分野〔別刷請求先〕安田美穂:〒812-8582福岡市東区馬出3-1-1九州大学大学院医学研究院眼科学分野0910-1810/15/\100/頁/JCOPY(11)321である久山町研究では,1998年に住民健診を受けた福岡県久山町在住の40.79歳の住民のうち,網膜症の既発症者37名を除いた糖尿病者177名を9年間追跡し,網膜症の発症率と発症にかかわる危険因子を調査している(追跡率79.3%)(図1).9年間の網膜症の累積発症率は男性が18.0%,女性が4.2%で男性に多い傾向を認め,発症に関係する危険因子を検討すると,糖尿病罹病期間とHbA1cが網膜症発症の有意な危険因子であった(表2).HbA1cの値が上昇するほど網膜症発症のリス福岡市久山町1960年2011年久山町6,500人8,400人福岡市65万人145万人図1久山町研究クが有意に増加し,HbA1c6.0%以下をオッズ比1.0とすると,HbA1c6.0%以上7.0%未満ではオッズ比2.4(95%信頼区間0.5.11.7),HbA1c7.0%以上から8.0%未満でそのリスクは有意に増加しオッズ比6.8(95%信頼区間1.2.40.5)となり,8.0%以上ではオッズ比15.5(95%信頼区間2.8.85.7)とリスクが大きく増加した(表3,図2).この結果から,日本人においても長期にわたり網膜症の発症を予防するためには,HbA1cを7.0%以下に抑える必要があり,HbA1cが8.0%を超える場合は,網膜症発症のリスクが大きく増加するため密な診療が必要であることがわかる.2.高血圧高血圧は,多くの疫学調査や臨床研究で網膜症や黄斑浮腫のリスク因子であると報告されている.アメリカでの糖尿病網膜症の大規模疫学研究であるWisconsinEpidemiologicStudyofDiabeticRetinopathyでは,収縮期血圧が10mmHg上昇すると,単純型網膜症の発症リスクが約10%増加し,増殖型網膜症と黄斑浮腫の発症リスクが約15%増加すると報告している5).さらに,大規模臨床研究であるUnitedKingdomProspectiveDiabetesStudyにおいても,糖尿病で高血圧を有する患者に厳しい血圧コントロールを行うと,網膜症の進行を34%抑制し,視力低下を47%抑えることができたと報告している3).しかし,これらの抑制効果は長期にわたる継続した血圧コントロールを行わなければ得ることができないため,継続した血圧コントロールを推奨してい表2糖尿病網膜症発症の危険因子(久山町1998.2007年)危険因子年齢,性調整多変量調整OR(95%CI)OR(95%CI)糖尿病罹病期間(年)1.15**(1.11.1.19)1.10*(1.06.1.15)HbA1c(%)2.40**(1.90.3.04)1.90**(1.46.2.47)高血圧1.21(0.62.2.36)BMI(kg/m2)0.97(0.88.1.07)総コレステロール(mmol/l)1.08(0.76.1.53)HDLコレステロール(mmol/l)0.20(0.03.1.20)中性脂肪(g/l)0.81(0.54.1.20)喫煙0.90(0.38.2.11)飲酒0.92(0.44.1.91)OR:オッズ比,CI:信頼区間,**p<0.01,*p<0.05.322あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015(12)16.3*7.2*1.0<6.06.0~7.08.0.7.0~8.02.416.3*7.2*1.0<6.06.0~7.08.0.7.0~8.02.4表3糖尿病網膜症発症とHbA1cとの関連(久山町1998.2007年)HbA1c(%)(ベースライン時)人数9年発症率(%)性・年齢調整オッズ比(95%信頼区間)p値<6.0595.11.006.0.7.03411.82.4(0.48.11.7)0.297.0.8.01225.07.2(1.15.40.5)0.038.0≦1145.516.3(2.81.85.7)0.002ORper1%increase1.61(1.04.2.50)0.03く必要があるとしている.久山町研究では,高血圧の有20無と網膜症発症には有意な関連はみられなかった(表152).一般住民を対象とした疫学調査では対象者が限定されており,疾患の発症者数が少ないと十分な結果が出なオッズ比105いことがあるため,日本人での高血圧と網膜症との関連を論じるには,わが国での複数の疫学調査の結果をまとめたメタスタディなどを行い,さらに検討する必要があると思われる.3.脂質異常症脂質異常は網膜症に何らかの関与をしていると思われが,疫学調査や臨床研究の結果は一致していない.たとえば,インドの疫学研究であるChennaiUrbanRuralEpidemiologyStudyでは,総コレステロールは網膜症の独立した有意なリスク因子だと報告しているが6),シンガポールの疫学研究であるSingaporeMalayEyeStudyでは,逆に総コレステロールは網膜症の予防因子であると報告している7).また,大規模臨床研究であるDiabetesControlandComplicationsTrialでは,総コレステロールと網膜症との関連はなく,中性脂肪の増加とHDLコレステロールの減少が網膜症の程度と関連していると報告している.一方,黄斑浮腫は血漿脂質と有意な関連があるという報告が多く,脂質異常症の薬であるフィノフィブラート系の薬を内服すると糖尿病黄斑浮腫の頻度が31%減少したという報告もあり,総コレステロールや中性脂肪などの血漿脂質は糖尿病黄斑浮腫発症の有意なリスク因子であると考えられる.4.肥満肥満と網膜症および黄斑浮腫に関する疫学調査や臨床(13)0HbA1c(%)年齢,性別,罹病期間で調整,*p<0.05図2HbA1cレベル別にみた網膜症発症のオッズ比(1998.2007年追跡調査)研究の結果も一致していない.肥満が網膜症や黄斑浮腫のリスク因子となっているという報告もあれば,関連がないという報告もある.たとえば,スウェーデンの糖尿病の若年者を対象とした疫学研究では,肥満の指標であるbodymassindex(BMI)やwaisthipratio(WHR)の増加は網膜症のリスクであり,とくに1型糖尿病では,BMIの増加やWHRの増加といった肥満の因子があると網膜症の発症が増加するという報告がある一方で8),theWisconsinEpidemiologicStudyofDiabeticRetinopathyでは,肥満と網膜症の発症や進行には関連がないという結果を報告している9).久山町研究では,BMIと網膜症発症には有意な関連はみられなかった(表2).日本人はもともとBMIが低い集団であり,欧米の結果をそのまま日本人にはあてはめるには注意が必要である.5.糖尿病罹病期間BarbadosEyeStudy(40歳以上,黒人)では9年間の追跡調査の結果,糖尿病罹病期間は網膜症発症の独立した危険因子であり,罹病期間5年未満と比較して5.あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015323表4糖尿病網膜症発症と糖尿病罹病期間との関連(久山町1998.2007年)糖尿病罹病期間(年)(ベースライン時)人数9年発症率(%)性・年齢調整オッズ比(95%信頼区間)p値<5718.51.005.101414.31.6(0.31.10.1)0.5210≦3122.63.8(1.14.13.9)0.03オッズ比3.8*431.621.010<55~1010<糖尿病罹病期間年齢,性別,HbA1cで調整,*p<0.05(年)図3糖尿病罹病期間別にみた網膜症発症のオッズ比(1998.2007年追跡調査)10年では多変量調整後,網膜症発症のリスクが約2倍に増加したと報告している.糖尿病罹病期間は持続的な高血糖暴露のマーカーと考えられ,持続的な高血糖による網膜症発症のリスクを反映していると思われる.わが国でも久山町研究における9年間追跡調査の結果,糖尿病の罹病期間が長くなるほど,網膜症発症のリスクが有意に増加した.糖尿病の罹病期間5年未満をオッズ比1.0とすると,罹病期間5年以上10年未満でオッズ比は1.2(95%信頼区間0.3.10.1),糖尿病の罹病期間が10年以上になると有意に網膜症発症のリスクが増加し,そのオッズ比は4.0(95%信頼区間1.1.13.9)であった.この結果から罹病期間が10年以上になると網膜症発症のリスクが有意に増加するため,罹病期間10年以上の糖尿病者では定期的な眼底検査を行うなど,網膜症発症には十分注意する必要がある(表4,図3).6.妊娠妊娠中は網膜症も黄斑浮腫も進行することが知られている.とくに1型糖尿病ではその傾向が強くみられる.妊娠後期や分娩後は血液動態の変化などにより,網膜症324あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015や黄斑浮腫が急速に進行する場合があるので,注意が必要である.しかし,この変化は一時的なものであり,theDiabetesControlandComplicationsTrialでは,長期追跡調査では妊娠の有無は,網膜症の発症や進行の程度に差がなかったと報告している10).おわりにわが国においては欧米のような大規模な疫学研究や臨床研究による糖尿病網膜症の長期追跡研究のデータが少なく,欧米での研究を参考とするには人種や生活習慣が異なるため,そのまま結果をあてはめるには注意が必要である.糖尿病網膜症,黄斑浮腫の効率的な発症予防,進展予防のためにも,欧米で行われているような大規模な疫学研究および臨床研究をわが国でも行っていくことが必要であると思われる.文献1)YauJWY,RogersSL,KawasakiRetal:Globalprevalenceandmajorriskfactorsofdiabeticretinopathy.DiabetesCare35:556-564,20122)DingJ,WongTY:Currentepidemiologyofdiabeticretinopathyanddiabeticmacularedema.CurrDiabRep12:346-354,20123)MohamedQ,GilliesMC,WongTY:Managementofdiabeticretinopathy:asystematicreview.JAMA298:902916,20074)TheDiabetesControlandComplicationsTrialResearchGroup:Theeffectofintensivetreatmentofdiabetesonthedevelopmentandprogressionoflong-termcomplicationsininsulin-dependentdiabetesmellitus.NEnglJMed329:977-986,19935)KleinR,KnudtsonMD,LeeKEetal:TheWisconsinEpidemiologicStudyofDiabeticRetionpathy:XXIIthetwenty-five-yearprogressionofretinopathyinpersonswithtype1diabetes.Ophthalmology115:1859-1868,20086)RemaM,SrivastavaBK,AnihtaBetal:Associationof(14)あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015325(15)26:349-354,20039)KleinR,KleinBE,MossSE:Isobesityrelatedtomicro-vascularandmacrovascularcomlicationsindiabetes?TheWisconsinEpidemiologicStudyofDiabeticRetinopathy.ArchInternMed157:650-656,199710)TheDiabetesControlandComplicationsTrialResearchGroup:Effectofpregnancyonmicrovascularcomplica-tionsintheDiabetesControlandComplicationsTrial.Dia-betesCare23:1084-1091,2000serumlipidswithdiabeticretinopathyinurbanSouthIndians-theChennaiUrbanRuralEpidemiologyStudy(CURES)EyeStudy-2.DiabetMed23:1029-1036,20067)WongTY,CheungN,TayWTetal:Prevalenceandriskfactorsfordiabeticretinopathy:theSingaporeMalayEyeStudy.Ophthalmology115:1869-1875,20088)HenricssonM,NystromL,BlohmeG:Theincidenceofretinopathy10yearsafterdiagnosisinyoungadultpeoplewithdiabetes:resultsfromthenationwidepopulation-basedDiabetesIncidenceStudyinSweden.DiabetesCare