———————————————————————-Page1あたらしい眼科Vol.25,No.4,2008???私が思うこと●シリーズ⑩(95)「論文を書くこと」は専門医として認定されるための必須条件です.専門医を受験するためにはどうしても学会で発表して,論文を書かなければなりません.でも,なかには筆不精な方もいて,学会発表はしたけれど論文を書こうと思ってもなかなか筆が進まない,と言う方もいるのではないでしょうか.私も最近,極端な「筆不精」になり,せっかく依頼を受けた原稿の締め切りを過ぎてしまい,「催促」という名の「お叱り」をいただくこともしばしばです.近年では,「どうせ論文を書くなら英語で」という風潮も強く,日本語の論文の投稿数が減った,というような話も耳にします.論文が実際に活字となって掲載されるまでには非常に長い工程があります.「この薬剤の効果についてまとめてよ」と教授から言われてから,仮にレトロスペクティブだとして,どうやってまとめればよいかを考えて実際にカルテからデータを収集し,エクセルの一覧表を作るのに早くても1カ月はかかるでしょう.いや,6カ月以上要する人がいても私は否定しません.それから統計的な解析をして学会で発表しなければなりませんが,とりあえず結果を出して,指導医に見せ,学会プレゼン用のパワーポイントファイルを作成するにはまた1カ月を要するでしょう.もし,6カ月以上かかった人がいたとしても私はあなたを否定しません.それから学内,教室内で予演会が開かれます.そこで一発でOKがでなくても私は,あなたを否定しません.ここで再度,いや,数回のプレゼンの作り直しを必要とし,やっと形になって,質疑対策に取り掛かります.関連する論文を読み,どんな質問がきてもOK,と言えるようになるにはそれ相当の時間を要します.そして,いくら準備しても「完璧」はありませんが,容赦なく発表の時間はやってきます.スーツを着て,壇上に上がり,用意した原稿を読み,質疑に対して緊張しながら対応する,本番の時間はあっという間に終わります.学会に参加している人たちがその発表に熱心に耳を傾けていたかというと,決してそんな方ばかりではなく,人によってはその10分は暗い会場で寝ていたり,あるいは廊下で久々に再開した友人と近況報告を交わしている瞬間でしかない場合もあります.あとから振り返ると,「何でたった10分のためにあんなに時間を要したのか」と思ってしまうほど,たくさんの準備時間を要した発表は本当に時間通りにあっけなく終了してしまうものです.週末に開催される学会も,楽しい打ち上げとともに終わり,月曜日からは日常が戻ります.「この前の発表,論文にして“あたらしい眼科”に投稿しておいて」と教授に言われてから,実際に原稿をひ0910-181008\100頁JCLS原岳(????????????)原眼科病院副院長東京大学眼科医局長,さいたま赤十字病院眼科副部長,自治医科大学講師を経て実家に戻る.原眼科病院は1913年に曽祖父が現在の地に設立し,自身が四代目.白内障手術の歴史が長く,長期通院する患者も珍しくなく,本院で眼内レンズを挿入し20年以上の患者も少なくない.大学病院や基幹病院ではできない,「同一患者と長く付き合う」ことを開業医の一つのテーマと考えている.(原)最近思うこと─論文が世に出るまでには▲第16回日本緑内障学会にて座長の筆者論文を書いていて,一番嬉しいのは,書いた論文が印刷されて世に出たときではなく,むしろ,他の方の発表で自分の書いた論文の内容が引用されているのを見つけたときであり,他の方が書いた論文に自分の論文が引用されているのを見つけたときです.そんなとき,自分の書いた論文が「生き続けている」ことを実感します.———————————————————————-Page2▲父(左,三代目),祖父(中央,二代目:故人),と一緒の筆者(右,四代目).地域医療を代々継承しながら原眼科病院を細々と続けています.ととおり書き終えるのには,まず対象と方法,結果を書いて,その考察を書き,それから緒言を考えて,必要な文献や図を揃え,一覧表にして,解説をつけ,印刷してまず指導医に見せます.この工程は,早い人なら1週間くらいで終わるかもしれません.慣れた人なら学会発表時にすでにここまで終わっている人もいますが,多くの方は発表後にやれやれ,という感じで始めることになるでしょう.もし,教授に原稿を見せるまでに3カ月以上かかる人がいたとしても私はその人を冷視することはないと思います.仮に6カ月要する人がいたとしても,私はその方との交流をやめようとは思わないでしょう.教授,あるいは指導医からのOKが出る,すなわち投稿にGoサインが出るまでには人によってさまざまなシチュエーションがあります.あっけなく「じゃ,これで出しておいて」と言われることもあれば,「顔洗って出直して来い」というようなことまで.私は若い頃からこの過程が一番嫌いで,せっかく自分が書いたものに「朱筆」を入れられることが「大っ嫌い」でした.そんな自分ですが,いざ投稿された論文を査読する立場に立ってみると,「この部分はどうしてそう言いきれるのか?」とか「この結果の出し方でこの考按には無理があるのではないか」など偉そうなコメントをつけてしまうこともあったりするので,大変申し訳なく思うこともあります.とにかく,論文を世に出すためには,多くの人から「認められる」課程を通過する必要があります.ある時期から僕は,論文を書いて有名なジャーナルに掲載されると言うことは,似顔絵を描いて少年ジャンプに掲載されることと同じことだ,と「理解」するようになりました.「週刊アサヒの似顔絵塾」などもそうですが,格式の高いジャーナルに掲載されるためには,ある「基準」をクリアすることが必要で,その「基準」を掴んだ人は次回作も掲載されやすくなる傾向があり,いつしか「常連」が出てきます.一旦,基準をクリアしてしまえば,あとは良い題材を見つけるだけでよいのですが,その基準が「似顔絵」ほどはっきりしないのが「学術論文」のむずかしさで,なぜかと言うと,審査をする人が「週刊アサヒの似顔絵塾」では山藤章二氏一人だけ,ですが,眼科ジャーナルの場合は査読する立場の人がその分野の「複数」の有識者であるからでしょう.誰にも共通するところの「最低の基準」はクリアしても,それ以上になると,査読が誰であるか,の相性の良し悪しがある,というのがむずかしいところだと思います.査読者のコメントに打ちひしがれて投稿を途中であきらめてしまう人がいたとしても,私はその人を決して責めません.しかしながら,実際には多くの場合,非は著者にあることが多いようです.その場合は別の雑誌に投稿することになりますが,どこで「安住の地」を得られるか,これまたむずかしい問題です.最初の投稿をしてから受理されるまでに1年以上経過した人がいたとしても決してそれを笑える研究者はいないでしょう.きっと多くの人が自らの経験談を語ってくれるはずです.「あなたの論文はこのままでは受理できません」というような対応を何度となく経験しているうちに,たまには,「原稿を書いてください」という依頼を受けることもあります.それなりに「自分の実績が認められたのかな」と感じる嬉しい瞬間ですが,あまり調子に乗って安請け合いをすると,締め切り間際になって「本当にこんな文章が人様の目に留まってよいのか?」などと,自分自身の「自己査読」で悩むようになります.それでも締め切りは容赦なくやってきます.私は今,そんなことを思いながらこの原稿を書いています.原岳(はら・たけし)1963年生まれ1988年岩手医科大学卒業,東京大学眼科に入局1993年さいたま赤十字病院眼科2001年自治医科大学眼科講師2005年原眼科病院現在に至る(96)