特集●眼の先制医療あたらしい眼科33(4):491〜495,2016緑内障の先制医療─その夢とハードル─PreemptiveMedicineinGlaucoma─HopeandHurdles─田代啓*はじめに緑内障の先制医療には大いなる夢もあり,ハードルもある(図1,表1).緑内障は日本人の中途失明原因1位の疾患であり,有病率は加齢に伴って増加し,多治見スタディによると40歳以上で約5%,70歳以上では約10%を占める1).日本人の緑内障の約7割が主病型の広義原発開放隅角緑内障(正常眼圧緑内障と狭義原発開放隅角緑内障からなる)である.本稿では主として広義原発開放隅角緑内障について述べる.I緑内障の先制医療の課題とはQOV(qualityofvision)やQOL(qualityoflife)にかかわる重要性のみならず,高齢者が外傷を負うおもな原因の一つが視野欠損を含む視覚の障害であるところから,高齢者が社会のさまざまな役割を担う必要が議論される昨今,疾病や外傷の後遺症のために高齢者の社会参加が阻まれることを防止するためにも,緑内障の先制医療の実現が強く望まれる疾患である.同様にニーズが高いアルツハイマー(Alzheimer)病の先制医療の実現が,患者のケアと家族への支えの医療福祉負担軽減につながることがおもに期待されるのに対し,緑内障の先制医療の実現は,社会貢献を担う勤労可能な労働人口を増加させることも期待されるという特色を有する.先制医療の必要性が痛切に理解されながらも,利用可能な介入方法候補に乏しい疾患が多いなか,緑内障の先制医療は,すでに主流の緑内障対策のコンセプトになっている早期発見と早期治療を前倒しして発症前の介入をすれば,比較的低侵襲,低コストで先制医療スキームが成り立つのが特色である.緑内障は先制医療の実現までの技術的ハードルが比較的低い疾患の一つである.緑内障の先制医療の実現のために必要なのは,発症リスク予測である.緑内障のゲノム研究の進展によって,発症リスクの予測は原理的には実現可能なレベルに近づいている.視野欠損を起こしていない未病状態での介入開始基準の策定が今後必要である.緑内障薬の発症前投与の安全性に配慮したガイドライン策定と,緑内障薬の発症前投与による長期予後の評価方法の確立も課題である.先制医療の全過程に関するガイドラインなどの制度と倫理の整備性も,7年以上の長期にわたるフォローと評価など,従来の制度や倫理の枠に収まらない部分もあるので,これからの努力によって越えてゆくべき重要なハードルである.発症リスクの予測方法が近い将来に確立されることによって,緑内障の先制医療は実現可能な多くのステップの積み重ねでトータルとして実現可能となる.それは,眼科医とその周辺がこれまでよりも多忙になることを意味するが,眼科学的なQOVとQOLのみならず,社会貢献を担う勤労可能な労働人口を増加させる貢献するという点にも理解を深めて対応されることを願いたい.また,先制医療で緑内障対応を前倒しにすることは,有病率が5%ならば,発症リスク検査の参加者の5%に視野欠損が見いだされ,眼底像や眼圧など諸所見とあわせて緑内障と診断されることが想定され,早期発見,早期治療の充実に直結する(図1).II緑内障の発症のメカニズム広義原発開放隅角緑内障は,網膜の神経節細胞とよばれる1種類のニューロンが死滅することで,その責任範囲の視野欠損が起こる.視野欠損は病態のfinalcommonpathwayであり診断の必須項目でもある.視野欠損緑内障の原因が多因子であっても,網膜の神経節細胞の死滅が共通する発症機序である.網膜の神経節細胞が死滅する原因の一つは,高眼圧である.現在使用されているすべての緑内障点眼薬は根治療法ではなく対症療法であり,眼圧降下を効能としている.高眼圧になると網膜の神経節細胞死が起こる機序は不明である.しかし,眼圧が「teenagerange」といわれる13~19mmHgの「高め」の範囲以下の正常とされる眼圧でも網膜の神経節細胞の死滅は起こり,正常眼圧緑内障を発症するので,眼圧以外の神経節細胞死の原因も想定されるが,現時点ではその詳細は不明である.既存の緑内障点眼薬が,高眼圧の狭義原発開放隅角緑内障のみならず正常眼圧緑内障に対しても視野欠損進行を遅らせることに有効であることも興味深い.神経節細胞死の機序と眼圧を高める機序が一部重複している可能性と,眼圧は正常とされている範囲からさらに低下させると神経節細胞死が減る可能性の2つの仮説が想起されるが詳細は不明である.網膜の神経節細胞死滅の原因が多因子であることが,広義原発開放隅角緑内障を多因子疾患たらしめている本質だと言い換えることができる.網膜の1個1個の神経節細胞死自体は直接に観察または計測不可能であるが,神経節細胞死の結果による眼底像の変化は観察可能と考察されている.また,もともと視神経径や視神経形状には個人差があり,これら眼底所見を総合してある程度の発症リスク予測が可能になることは語られ続けているが,まだ実現していない.III緑内障の病因ほかの多因子疾患と同様,緑内障の病因は,ゲノム寄与と環境寄与に二分できる.緑内障は家族歴,遺伝傾向が古くから知られていて,疫学的にも血縁者の一致率が高いのでゲノム寄与率が高いことが想定される2,3)が,養子縁組が多い欧米諸国での「身長のゲノム寄与率は8割から9割である4)」といったゲノム寄与率の決定に威力を発揮している「双子養子追跡研究」の結果は,緑内障ではまだ報告されていないので,緑内障のゲノム寄与率は未確定である.広義原発開放隅角緑内障の原因遺伝子同定研究は,緑内障を自然発症する遺伝的発症モデル動物が知られていないので,もっぱらヒトでの解析に頼っている.ほかの多因子疾患と同様,2008年以前は,家系を利用するアプローチと候補遺伝子を調べるアプローチによって研究結果がもたらされた.当時話題になったオプチニューリンやミオシリンやWDR36などの緑内障関連遺伝子候補は,大規模ゲノムワイド関連解析(genomewideassociationstudy:GWAS)ではどの人種でも再現されなかった5~10).小集団での疾患とのかかわりが否定されたわけではないが,広汎な緑内障の一般的な変異としては確認されなかった.2009年以降,使用する検体数と関連解析結果の信頼度をオッズ比の関数として算出する検出力計算が,現実を強く反映することがわかってきた.たとえばオッズ比1.4のマーカーsinglenucleotidepolymorphism(SNP,一塩基多型)をGWASで検出した際,それが40%以上の確率で真であるために必要な検体数は2,000例以上である.Affymetrix社とIllumina社は,2004年のヒトゲノム全塩基配列決定プロジェクトとその後のゲノムの個体差同定のためのHapMapProjectの重要な成果であるヒトのSNPの位置の同定結果を素早く反映したマイクロアレイを開発した.それを用いたGWASの結果が,筆者らの2009年の世界初の広義原発開放隅角緑内障のAffymetrix社500Kチップと別集団バリデーションのIllumina社チップを用いた症例1,519例と陰性例857例を解析した本格的GWASの報告を嚆矢として5),2015年までに世界で22論文発表されている6).広義原発開放隅角緑内障とCDKN2B-AS1領域の関連を見いだしたメルボルン大学のBurdonらの報告7),CDKN2B-AS1領域は広義原発開放隅角緑内障全体と正常眼圧緑内障に関連するが,狭義原発開放隅角緑内障には関連しないとする筆者らの報告8)あたりが,正常眼圧緑内障と狭義原発開放隅角緑内障は別疾患なのか,眼圧は異なるが一つの疾患単位なのかという眼科学的課題へのゲノム学からの答えとして学問的に重要である.一方で,例数が多く検出力の計算上は正しい結論を導ける可能性が高い多施設共同研究では,CDKN2B-AS1領域は広義原発開放隅角緑内障全体,正常眼圧緑内障,狭義原発開放隅角緑内障のいずれとも関連するとの結果となる傾向がある9,10).多施設が参加する共同研究では臨床的診断の基準を一定に揃えることが困難で,正常眼圧緑内障,狭義原発開放隅角緑内障の境界が曖昧になった結果を反映してしまっている可能性があるので,今後注意深い議論が必要である.広義原発開放隅角緑内障のGWAS結果は,他の多因子疾患GWAS結果と同様に別研究や別人種で再現性が高く6~10),信頼性が高い.疾患の病因を考察していくうえでの千年後も結果が揺るがない人類にとっての知的な資産として,緑内障SNPマーカーがGWAS研究によって蓄積されつつあるといえる6).しかしながら,ほかの多因子疾患のGWAS結果の活用が地味なのと同様,GWASで得られたSNPマーカーの相互の関係を紡いで緑内障の病因論に寄与することはまだ実現していない.その理由として,他の多因子疾患のGWAS結果と同様,信頼できるGWAS研究の結果同定されたSNPマーカー群の以下の2つの特色がある.①大半がイントロンや遺伝子間領域など非翻訳領域に存在するため,遺伝子にコードされた蛋白質の機能を緑内障の病因説明に使えない.周辺500kbに遺伝子が存在しないことすらある.GWAS研究の結果同定されたSNPマーカーは発現制御にかかわると推察されているが,現時点では制御の対象遺伝子が不明である.CDKN2B-AS1領域の場合も,ノンコーディングなので,なんらかの発現制御をしていると推察されるが詳細は不明である.②同定されたSNPマーカーのオッズ比の平均値は1.1と1.2の間であり,かなり低い.多因子疾患は本当に多因子だと明らかになってきた.実は,CDKN2B-AS1のオッズ比は諸研究で1.6~2.1と報告され6~10),その値は有病率が3%以上の大型多因子疾患のGWASで同定されたSNPマーカーのオッズ比としては最高値なのであるが,それだけでは医学的に有効な発症リスク予測は困難である.それ以外のSNPマーカーは1.4以下のオッズ比であり,平均値は結局1.2以下となる.今後さらに,集団における頻度が低い(minorallelefrequencyが低い)SNPマーカー多数の寄与を念頭に,国際協力を含めたGWAS研究の進展によって同定されるSNPマーカーが増加するとともに,緑内障発症SNPマーカー群と病因との関係が解明されて人類にとっての医学的価値が高まっていくことが期待される.そこには,神経節細胞死阻止などを機序とする新しい治療薬開発のシーズが含まれていることが推察され,今後の展開が待たれる.IV原発開放隅角緑内障の先制的介入法加齢と飲酒と喫煙を除くと,原発開放隅角緑内障の先制的介入に使える生活習慣は現時点では知られていない8).運動や塩分摂取制限のようなほかの多因子疾患で介入に使用される生活習慣の改善指導の候補が,原発開放隅角緑内障では見当たらないので,介入方法としては1日30秒ほどの点眼が中心となる.粘り強い努力を要する生活習慣の改善を求められないということを,むしろメリットと捉えることが可能である.V緑内障に対する先制医療の可能性緑内障の先制医療の実現が有望視される理由(表1)は,安価で簡便で検出力に優れた発症リスク予測の実現が有望であること,フォローで発症と進行を検出・確認する低侵襲で信頼度の高い検査がすでに確立されていること,海外の臨床試験EarlyManifestGlaucomaTrial(EMGT)などの結果から,点眼薬による介入で眼圧を下げることにより長期予後が改善されるとのコンセンサスがあること11),先制的介入に使用できることが大いに期待できる点眼薬が多種類存在することによる.有害事象への対応をしっかりすることを前提に,点眼の侵襲性は,さまざまな他の多因子疾患の先制医療の介入方法に比べて低い部類と考えられることと,その費用が比較的安価であることも実現が有望視される理由である.視野進行をフォロー検査することにより,介入の効果を緑内障の病態のfinalcommonpathwayで診断の定義でもある視野欠損を指標に評価できることも,緑内障の先制医療が他の先制医療に先行して実現して,手本を示すような発展を期待される重要な点である.しかもそれは,患者にとって肝心なQOVとQOLの向上と完全にオーバーラップする.おわりに緑内障先制医療と同様に待ち望まれるアルツハイマー病の先制医療と緑内障の先制医療の展望を比較すると,緑内障の先制医療の実現可能性に向けての立ち位置が恵まれていることが読み取れる(表2).介入方法が存在していて,先制医療にも有効性と安全性を確認したうえで転用できる可能性が大いにあることは意義深い.恵まれた立ち位置にある緑内障の先制医療の実現が期待される.文献1)IwaseA,SuzukiY,AraieMetal:Theprevalenceofprimaryopen-angleglaucomainJapanese:theTajimiStudy.Ophthalmology111:1641-1648,20042)TielschJM,KatzJ,SommerAetal:Familyhistoryandriskofprimaryopenangleglaucoma.TheBaltimoreEyeSurvey.ArchOphthalmol112:69-73,19943)WangX,HarmonJ,ZabrieskieNetal:UsingtheUtahPopulationDatabasetoassessfamilialriskofprimaryopenangleglaucoma.VisionRes50:2391-2395,20104)SilventoinenK,SammalistoS,PerolaMetal:Heritabilityofadultbodyheight:Acomparativestudyoftwincohortsineightcountries.TwinRes6:399-408,20035)NakanoM,IkedaY,TaniguchiTetal:Threesusceptiblelociassociatedwithprimaryopen-angleglaucomaidentifiedbygenome-wideassociationstudyinJapanesepopulation.ProcNatlAcadSciUSA106:12838-12842,20096)Abu-AmeroK,KondkarAA,ChalamKV:Anupdatedreviewonthegeneticsofprimaryopenangleglaucoma.IntJMolSci16:28886-28911,20157)BurdonKP,MacgregorS,HewittAWetal:GenomewideassociationstudyidentifiessusceptibilitylociforopenangleglaucomaatTMCO1andCDKN2B-AS1.NatGenet43:574-578,20118)NakanoM,IkedaY,TokudaYetal:CommonvariantsinCDKN2B-AS1associatedwithoptic-nervevulnerabilityofglaucomaidentifiedbygenome-wideassociationstudiesinJapanese.PLoSOne7:e33389,20129)WiggsJL,YaspanBL,HauserMAetal:Commonvariantsat9p21and8q22areassociatedwithincreasedsusceptibilitytoopticnervedegenerationinglaucoma.PLoSGenet8:e1002654,201210)ChenY,LinY,VithanaENetal:CommonvariantsnearABCA1andinPMM2areassociatedwithprimaryopenangleglaucoma.NatGenet46:1115-1119,201411)LeskeMC,HeijlA,HymanLetal:EarlyManifestGlaucomaTrial:designandbaselinedata.Ophthalmology106:2144-2153,1999*KeiTashiro:京都府立医科大学大学院医学研究科ゲノム医科学〔別刷請求先〕田代啓:〒602-0841京都市上京区河原町通広小路上ル梶井町465京都府立医科大学大学院医学研究科ゲノム医科学0910-1810/16/¥100/頁/JCOPY(9)491先制医療用緑内障発症予測健診は未実現研究進行中発症リスク予測が実現すれば眼科医による眼底検査・視野検査点眼による先制介入既に発症介入せずフィードバック従来通り介入へ発症遅延をモニターする追跡研究発症可能性「低」発症可能性「高」欠損陰性欠損陽性発症可能性「高」or「低」図1緑内障に対する先制医療の可能性492あたらしい眼科Vol.33,No.4,2016(10)表1緑内障の先制医療実現に向けての課題現状と展望発症予測ゲノム検査による発症リスク予測が研究中診断方法発症リスク予測で可能性が高い場合の精密検査として視神経乳頭形状と視野検査がすでにある介入方法緑内障点眼薬がすでに存在する.先制医療での有効性は未検証介入方法の侵襲性比較的低い.安全確保と安全なプロトコール策定が課題介入の有効性検証7〜20年スパンの追跡研究による検証が大切より良い介入方法より良い発症遅延と進行遅延効果を示す新しい点眼薬の開発が望まれる表2緑内障とアルツハイマー病の比較緑内障アルツハイマー病Finalcommonpathway網膜神経節細胞死脳内(コリン作動性)ニューロン死症状視野欠損痴呆ゲノム寄与高有画像眼底像読影MRI,CTによる脳萎縮,老人斑,神経原線維変化のPETスキャンによる画像検査が進歩原因一部で高眼圧アミロイドb質沈着,タウ蛋白質沈着,一部で循環障害予兆一部で高眼圧軽度認知機能障害介入方法点眼薬が存在医薬品が4種類許可されているが,広く有効な介入方法は存在せずより良い介入方法さらに有効な点眼薬開発を期待開発を期待(11)あたらしい眼科Vol.33,No.4,2016493494あたらしい眼科Vol.33,No.4,2016(12)(13)あたらしい眼科Vol.33,No.4,2016495