———————————————————————- Page 1あたらしい眼科Vol. 26,No. 12,20091663私が思うことシリーズ⑳(87)Change私は 2005 年 4 月に(株)アールテック・ウエノ(http://rtechueno.com)に取締役として入社しました.アールテック・ウエノは,慶應義塾大学医学部の同級生である上野隆司先生(医師,医学博士,薬学博士)が 1989 年に設立した医薬品開発のベンチャー企業です.上野隆司先生は 1980 年代に発見したプロストン(機能性脂肪酸)をテーマとして臨床開発を行い,1994 年に世界で初めてプロストン系医薬品であるレスキュラR点眼液 0.12%(ウノプロストン:BK channel activator)が,緑内障・高眼圧症治療薬として開発され,日本から世界に発信されました.その後 1996 年に,上野隆司先生はメリーランド州のベセスダで Sucampo Pharmaceuticals Inc.(http://www.sucampo.com)を設立しました(2007 年 8月米国ナスダック市場に上場),第 2 のプロストン系医薬品である AmitizaRカプセル(ルビプロストン:Cl channel activator)を臨床開発し,2006 年 1 月に FDA(食品医薬品局)から慢性特発性便秘症治療薬として販売許可を取得し,現在アメリカで販売しています.2008 年には便秘型過敏性腸症候群にも適応が拡大され,アールテック・ウエノは AmitizaRカプセルの受託製造を行っています.私がアールテック・ウエノに入社する 2 年前の 2003年に医薬品事業部が開設され,その後上野隆司先生からアールテック・ウエノは今後,新規医薬品の開発,製造,販売を行い,会社を大きくし,グローバル化したいという考えを聞いていました.2004 年頃,私はいくつかの大学教授選を考えていましたが,一方で,1 人の医師として治療できる患者さんの数には限りがあり,もし,有効な治療法のない領域で画期的な治療薬が開発できれば,多くの患者さんを治療することが可能になるという思いもありました.大学にいる限り非臨床までは薬剤の治療効果の評価は可能ですが,臨床開発まで進めていくことに限界を感じていました.教授選を考えていた当時に,上野隆司先生と当時のアールテック・ウエノの社長であった久能祐子博士の語る 21 世紀における大きな夢に引きずりこまれ,リスキーではありましたが,チャレンジブルなアールテック・ウエノに参画することを決めました.Physician Oriented Companyの誕生私は 2006 年 4 月からは専務取締役として経営陣の一角に参画すると同時に Medical Director として,レスキュラRの薬理作用の解明,販売プロモーション企画,学会セミナー企画や講演,臨床試験の企画などを行ってきました.2008 年 4 月にアールテック・ウエノは大阪証券取引所ヘラクレスに上場しました(証券コード4573).しかし,アメリカのサブプライムローン破綻やリーマンショックに端を発した世界的な金融危機,経済危機により最大の医薬品市場であるアメリカではマイナス成長となり,日本の医薬品業界においても医療費削減,薬価引き下げ,2010 年問題(大型医薬品の特許切れ),後発品の普及促進など急激な変革期を迎えており,各製薬会社は生き残りのためにそれぞれの方向性を打ち出しています.このような医薬品事業環境のなかで,私は 2009 年 6月 26 日のアールテック・ウエノ株主総会および取締役会で代表取締役社長に任命されました.上野隆司先生がアールテック・ウエノを 1989 年に設立した当初の経営0910-1810/09/\100/頁/JCOPY真島行彦(Yukihiko Mashima)(株)アールテック・ウエノ 代表取締役社長慶應義塾大学講師(非常勤)2005 年に慶應義塾大学助教授から,創薬バイオベンチャー企業のアールテック・ウエノの取締役に転職し,2009 年 6 月に代表取締役社長に就任.私の父方は学者が多く,一方,母方は実業家が多いことから,ハイブリッド社長と呼ばれている.社長になって変わったことは日本経済新聞を毎日読むようになったこと.アンメット・メディカル・ニーズに応える新薬を開発したいと思います.大学からベンチャー企業への転身———————————————————————- Page 21664あたらしい眼科Vol. 26,No. 12,2009理念である「医師目線の経営」という原点に戻ったものです.すなわち,製薬企業は医師に医薬品を売っていますが,医薬品の最終ユーザーはもちろん患者さんです.厳しい医薬品事業環境のなかで,これまでのように研究所からの発想で開発された新薬が必ずしも医療現場で必要とは限らない時代になってきました.殊に作用機序は同じ場合,二番目はともかく,三番目,四番目の新薬は国の後発品の普及促進政策から今後の医療現場では必ずしも必要ではないかもしれません.特にアメリカではその傾向が強くなるといわれています.今後は,医療現場で医師や患者さんが本当に必要としている薬を開発することが重要で,それには医療現場に精通した医師の目線や発想からどのような新薬(First in class)を開発するかが重要です.医薬品の開発は量から質の時代になったといえます.一方,新薬の開発が現在世界的に困難になってきていますが,その代わりに開発した新薬のライフサイクルマネージメントが重要視されるようになってきました.簡単なものでは剤型変更などですが,重要な一つのテーマに適応拡大があります.これは医療現場の医師に期待されるテーマです.すでに薬剤の安全性が確立しているわけですから,安全域内で新たな疾患への適応は医療現場で活躍されている医師の目線が今まで以上に重要とされる時代になると思います.製薬会社のクラス分けが進むなかで,アールテック・ウエノは「医師の目線で医薬品販売・開発する分野特化型(眼科・皮膚科)のグローバルな医薬品会社」を目指すことになります.アールテック・ウエノに入社して以来の Medical Director としての実績,また慶應義塾大学医学部時代から現在まで続く最先端の医療現場での経験および数多くの研究成果をもとに,今後は会社のトップとして Medical A airs(メディカルアフェアーズ)の視点から医療環境や社会環境の急激な変化に迅速に対応して,さらには医薬品の最終ユーザーである患者ニーズの変遷にも対応していきたいと思います.社長に任命されただちに行ったことは,アールテック・ウエノのホームページの刷新です.上場会社として,私の考える経営方針の透明性を高める必要があると判断し,全面改変しました.わかりやすくなったと良い評価を得ていますので,興味がある先生方は一度ご覧ください(http://rtechueno.com).Medical Advisory Boardの設置この経営方針をより明確なものにするために,私は眼科各領域の 10 名の専門家で構成される Medical Advi-sory Board を設置しました(10 名のメンバーはホームページに掲示しています).今の医療が抱える問題点や将来の眼科医療の方向性などテーマ別にさまざまな角度での意見を交換し,医師である私(社長)の諮問機関として直接経営会議に提言していただき,その意見や提言を医薬品会社として有効に活用し,眼科医療にフィードバックすることで医師の目線での経営活動がより生かされると思います.写真は 10 月 11 日に開催された第一回目の会議でのメンバーの面々です.Yes, We Can今後新薬が優先的に開発されることが期待される分野の一つに「治療法がない領域」があります(アンメット・メディカル・ニーズ).現在,私が先頭に立って行っている臨床治験(フェーズ 2)は,オーファンドラッグである網膜色素変性治療薬の開発です.これは,1994 年に緑内障治療薬として販売されたレスキュラR点眼液(アールテック・ウエノ製造,販売)のライフサイクルマネージメントの一つとして適応拡大を狙ったものです.レスキュラR点眼液の網膜色素変性に対する治療効果は,1996 年当時眼科学教室の小口芳久講師(現名誉教授),緋田芳樹先生とともに見い出した成果で,特許を申請しました.その後,網膜色素変性にレスキュラR点眼液を使用し,視野維持または視機能の改善の臨床報告が散見されるようになり,10 年後に臨床治験にまで至ったことは,大変感慨深いものがあります.私は 2005 年にアールテック・ウエノに取締役として(88)▲第一回Medical Advisory Board会議光景———————————————————————- Page 3あたらしい眼科Vol. 26,No. 12,20091665(89)入社しましたが,オーファンドラッグとしての開発を現場医療に精通した企業の医師がプロトコール作りから患者登録までトップで指揮することで,医師指導型に近い臨床試験として効果的に実現してきました.今年の 8 月に症例登録は完了しましたが,短期間の間に多くの症例が登録できたのは,私も含め全国 6 カ所の治験参加病院の治験担当の先生方が,網膜色素変性患者の方に対して誠実な思い入れがあったことが効を奏したと思っています.キーオープンは来春になると思います.オーファンドラッグの開発は企業の視点から見れば採算性が取れない,または収益性が低い事業には消極的にならざるをえませんが,現場医療からすればアンメット・メディカル・ニーズは高いので,患者さんの QOL 向上にチャレンジしたいと思います.画期的な新薬が開発されにくい時代においては,先発医薬品のライフサイクルマネージメントが重要視され,その発想には医師目線が絶対必要です.さらに,治療薬がないオーファンドラッグの分野では,製薬企業のなかでも医師が中心になって開発していくことの重要性を自ら経験しました.これからの製薬会社,特にアールテック・ウエノのようなベンチャー企業においては,患者さん本位の医師目線での画期的な新薬の開発が重要であり,私にとって大学医学部在籍で得た医療技術,知識,特に人間関係のすべてが総合され,現在の企業の経営に役立っていることを実感しています.治療法がない領域で,再び日本から世界に向けて患者さんの未来にチャレンジしていきますので,いっそうのご指導のほどよろしくお願い申し上げます.真島行彦(ましま・ゆきひこ)1980 年慶應義塾大学医学部卒業1997 年慶應義塾大学助教授(医学部眼科学)2005 年(株)アールテック・ウエノ 取締役(Medical Director)慶應義塾大学講師(非常勤)2006 年(株)アールテック・ウエノ 専務取締役2009 年(株)アールテック・ウエノ 代表取締役社長☆ ☆ ☆