特集●糖尿病網膜症2015年あたらしい眼科32(3):331.337,2015特集●糖尿病網膜症2015年あたらしい眼科32(3):331.337,2015眼循環に着目した糖尿病網膜症・黄斑浮腫の病態と新規治療法開発の可能性OcularBloodFlowinDiabeticRetinopathy長岡泰司*はじめに平成24年の厚生労働省による国民健康・栄養調査の結果によれば,「糖尿病が強く疑われる者」の割合は,男性15.2%,女性8.7%,「糖尿病の可能性を否定できない者」の割合は,男性12.1%,女性13.1%であった.これよりわが国では「糖尿病が強く疑われる者」は約950万人,「糖尿病の可能性を否定できない者」は約1,100万人と推計された.両者を合わせると約2,050万人であり,調査が開始された平成9(1997)年以降初め(万人)て減少に転じたものの,依然として高い水準にあり,この15年間でおよそ50%も増加している(図1).糖尿病の細小血管合併症のひとつである糖尿病網膜症は,未だわが国における成人の失明原因の主因であり,近年の外科的治療法の目覚ましい進歩にもかかわらず,年間3,000人もの糖尿病網膜症患者が失明に至るという事実は,眼局所での外科的治療法のみでは限界があることを示しており,より早期から糖尿病網膜症の病態を把握し,適切な介入を行い,視力障害を未然に防ぐための2,0001,5001,0005000H9H14H19H24H9H14H19H242,5001,3701,6202,2102,050H9H14H19H246907408909506808801,3201,100糖尿病が強く疑われる者糖尿病の可能性を糖尿病が強く疑われる者と否定できない者糖尿病の可能性を否定※平成24年のみ全国補正値.できない者図1糖尿病網膜症診療の現状糖尿病が強く疑われる者:HbA1>6.5%または医療機関で指摘.糖尿病が否定できない者:HbA1Cが6.0.6.5%.(厚生労働省ホームページ平成24年国民健康・栄養調査結果の概要より)*TaijiNagaoka:旭川医科大学眼科学講座〔別刷請求先〕長岡泰司:〒078-8510旭川市緑が丘東2条1-1-1旭川医科大学眼科学講座0910-1810/15/\100/頁/JCOPY(21)331332あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015(22)なく(中心窩無血管領域),主に脈絡膜循環に支配されており,黄斑機能には脈絡膜循環動態も大きな影響を及ぼすと考えられる.われわれ眼科医が日常診療で観察している網膜血管は,もっとも太い第一分枝でも血管径100~200μmであり,生理学的には細動脈・細静脈に分類される.細動脈は厚い平滑筋層を有しており別名抵抗血管といわれ,全身血圧を規定する因子である末梢血管抵抗の大部分を司る重要な「臓器」である.言い換えると,細動脈の血管緊張の程度により全身血圧は変動し,組織への血液供給が決定する.このため,この部位の調節機構は非常に重要である.網膜血管は,糖尿病網膜症や網膜動脈・静脈閉塞症,さらに網膜細動脈瘤など網膜疾患の病態の主座であるとともに,生体内で唯一非侵襲的に観察可能な細動脈であり,古くから動脈硬化の評価などにも用いられてきた.一方,末梢の毛細血管は,血液と周囲組織や細胞との間で物質交換が行われる重要な部位である.網膜毛細血管は無窓性毛細血管であり,血管内皮細胞はタイトジャンクション(tightjunction)で接着し,物質の能動輸送を行うことで,網膜組織内への物質移行を選択的に行っている.また,糖尿病状態では毛細血管レベルでの病変から異常が始まるとされているため,網膜大血管のみならず毛細血管レベルの循環動態を把握することは,糖尿病網膜症や黄斑浮腫の病態を考えるうえで重要であると考えられる.取り組みがわれわれ眼科医にも求められている.しかし,糖尿病網膜症に関しては,早期には血糖や血圧のコントロールといった内科的治療が中心であり,眼科医は多くの場合,視力に影響を及ぼすような重症化した状態から網膜光凝固や硝子体手術,さらにはステロイドや血管内皮増殖因子(vascularendothelialgrowthfactor:VEGF)阻害薬などによる眼局所薬物療法などを組み合わせて,糖尿病患者を視力障害から守るために治療を開始しているのが実情である.こういった現状を踏まえ,より早期から微細な網膜血管の異常を鋭敏に捉え,適切な介入を行い,網膜症・黄斑浮腫による視覚障害を未然に防ぐためにも,眼循環測定の重要性が広く認識されている.本稿では,糖尿病網膜症・黄斑浮腫における眼循環の評価法とこれまでに得られた知見を概説し,眼循環に着目した治療法開発の可能性について述べる.I糖尿病網膜症・黄斑浮腫の病態と眼循環1.眼循環の基礎知識(生理・解剖)解剖学的に網膜は内境界膜から網膜色素上皮細胞層まで10層で構成されているが,内層を網膜循環,外層を脈絡膜循環に支配されている.さらに網膜毛細血管は解剖学的に浅層・中間層・深層の3層構造をとっており,前述の通り糖尿病網膜症の初期病変は毛細血管レベルで引き起こされているため,糖尿病患者における網膜循環動態は3次元的に考える必要がある(図2).また,視力に重大な影響を及ぼす黄斑部(中心窩)には網膜血管が図2網膜の毛細血管網(4層構造)中間層~深層の毛細血管網は内顆粒層(INL)~外網状層(OPL)のあたりに位置する.RPC表層毛細血管網深層毛細血管網中層毛細血管網外層毛細血管網内境界膜外境界膜桿体錐体層網膜色素上皮神経線維層神経節細胞層内網状層外網状層内顆粒層外顆粒層脈絡膜循環網膜循環図3周辺部無灌流領域に対する選択的光凝固超広角眼底カメラによる蛍光眼底造影で認められた周辺部無灌流領域に対して,選択的に光凝固を行うことにより,黄斑浮腫に対する薬物治療効果を向上させることができる.(文献1のFigure2より引用)図4レーザースペックルフローグラフィLSFG-NAVIとして現在市販化されている.(文献4のFigure1より引用)を用いて中心窩の脈絡膜血流を測定したところ,網膜症のない患者や網膜症早期の患者では正常人よりも血流は低下しており,黄斑浮腫を伴う患者ではさらに低下していた9).中心窩脈絡膜血流障害が浮腫の原因か結果かは不明であるが,黄斑浮腫の成因に眼循環障害が関与している可能性が示唆された.現時点では糖尿病黄斑浮腫に対しては決定的な治療法が確立されておらず,今後は眼循環改善という観点からのアプローチによる新しい治療法の開発も期待される.3.糖尿病網膜症における眼循環に影響を与える因子それでは,どうして糖尿病患者の眼循環は網膜症早期から低下するのだろうか.これに関しては,糖尿病モデル動物を用いたジョスリン糖尿病研究所(JoslinDiabetesCenter)のグループから,一連の仕事として報告されている.それらをまとめると,高血糖の持続により,終末糖化産物(advancedglycationendproducts:AGE)が産生され,ジアシルグリセロール(diacylgycerol:DAG)-proteinkinaseC(PKC)の活性化を介して,網膜血管障害が引き起こされると考えられる10,11).糖尿病ラットでは,早期から網膜血流が低下するが,これにはエンドセリンの増加や酸化ストレスの亢進に加え,PKCbIIの特異的活性化が関与するとされる(図5).実際にこのPKCbの阻害薬が開発されており,臨床研究も行われ,糖尿病網膜症の抑制効果とともに網膜血流改善効果が報告されてはいるが12),現在のところ臨床応用には至っていない.筆者らも2型糖尿病患者では,AGEの一種と考えられるペントシジンの血中濃度が網膜血流に逆相関することを見いだしており13),AGEが血流低下に関与している可能性が示唆される.さらに善玉アディポカインの一種であるアディポネクチン濃度と網膜血流が2型糖尿病の男性患者において有意に相関しているという結果も得ており,生活習慣病を背景とした2型糖尿病においては高血糖以外の全身因子の影響を考える必要があると推測される.わが国のJapanDiabetesComplicationsStudy(JDCS)の結果から,2型糖尿病患者のうち微量アルブミン尿と網膜症が合併した患者では腎機能がより早期に高血糖DAG合成AGE蓄積酸化ストレス亢進PKC活性化網膜血管障害/毛細血管閉塞血管透過性亢進糖尿病黄斑浮腫網膜血流低下組織低酸素VEGF産生亢進血管新生増殖性変化視覚障害図5糖尿病網膜症における眼循環に影響を与える因子低下することから,網膜症は2型糖尿病の腎機能低下の危険因子であることが明らかとなった14).そこで筆者らは,この腎機能と網膜循環との関連に着目し,臨床研究を行った.網膜症を有さない,あるいは軽度の網膜症を有する2型糖尿病患者169名を対象として,LDVを用いて,網膜血管径・血流速度・血流量を測定した.さらに,血清クレアチニン値と年齢から算出される推定糸球体濾過量(estimatedglomerularfiltrationrate:eGFR)に基づき,慢性腎臓病(chronickidneydisease:CKD)分類を行って,腎機能を評価した.その結果,CKD分類ステージ3の糖尿病患者では,CKDを有さない糖尿病患者よりも網膜血管径と血流速度が有意に低値であった.これより,腎機能が低下した患者では網膜細動脈の収縮により網膜血流量が低下する可能性が示唆された15).腎血管における内皮機能障害がアルブミン尿やGFRの低下に関与すると考えると,微小血管障害が網膜症・腎症の発症早期の共通した危険因子であると考えられる.(25)あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015335336あたらしい眼科Vol.32,No.3,2015(26)以上,筆者らの基礎研究から得られた知見を概説した.もちろん基礎研究の結果に過ぎないが,今後,糖尿病網膜症・黄斑浮腫への適応拡大をめざした臨床研究での検証が期待される.おわりに日常臨床で広く用いられている内服薬の中で,網膜循環を改善させる作用を有する薬物が存在することが示された.一方,網膜血管にまったく変化をきたさない薬物も数多く存在する.筆者らの研究成果より,網膜循環改善に着目した内服薬の選択という,新しい網膜症治療戦略を開拓できる可能性が示唆された.今後の臨床研究において,この可能性について探っていきたい.文献1)TakamuraY,TomomatsuT,MatsumuraTetal:Theeffectofphotocoagulationinischemicareastopreventrecurrenceofdiabeticmacularedemaafterintravitrealbevacizumabinjection.InvestOphthalmolVisSci55:4741-4746,20142)YoshidaA,FekeGT,MoriFetal:Reproducibilityandclinicalapplicationofanewlydevelopedstabilizedretinallaserdopplerinstrument.AmJOphthalmol135:356361,20033)RivaCE,CranstounSD,GrunwaldJEetal:Choroidalbloodflowinthefovealregionofthehumanocularfundus.InvestOphthalmolVisSci35:4273-4281,19944)SugiyamaT,AraieM,RivaCEetal:Useoflaserspeckleflowgraphyinocularbloodflowresearch.ActaOphthalmol88:723-729,20105)ShigaY,AsanoT,KunikataHetal:Relativeflowvolume,anovelbloodflowindexinthehumanretinaderivedfromlaserspeckleflowgraphy.InvestOphthalmolVisSci55:3899-3904,20146)GrunwaldJE,RivaCE,SinclairSHetal:Laserdopplervelocimetrystudyofretinalcirculationindiabetesmellitus.ArchOphthalmol104:991-996,19867)FekeGT,BuzneySM,OgasawaraHetal:Retinalcirculatoryabnormalitiesintype1diabetes.InvestOphthalmolVisSci35:2968-2975,19948)NagaokaT,SatoE,TakahashiAetal:Impairedretinalcirculationinpatientswithtype2diabetesmellitus:retinallaserdopplervelocimetrystudy.InvestOphthalmolVisSci51:6729-6734,20109)NagaokaT,KitayaN,SugawaraRetal:Alterationofchoroidalcirculationinthefovealregioninpatientswithtype2diabetes.BrJOphthalmol88:1060-1063,2004IV眼循環に着目した新しい糖尿病網膜症・黄斑浮腫の治療法開発の試み上述の臨床研究の結果から,糖尿病網膜症の早期には網膜微小循環障害が引き起こされている可能性が示唆された.この微小循環障害を改善させることにより,糖尿病合併症の発症・進展を予防できるのであれば,微小循環改善に着目した新しい糖尿病細小血管合併症の治療法を開拓することができると筆者らは考えている.そこで,網膜循環を改善させる薬物の探索をめざし,ブタ摘出網膜動脈を用いたexvivo実験系を導入した16).この方法は,ブタ眼球から網膜血管を.離・摘出し,ガラスピペットの先端に網膜血管を結紮し,顕微鏡下で実際の血管の反応を直視下で観察することができる.筆者らの方法では,薬物による前収縮ではなく,生理的な血管内圧をかけることにより血管緊張を得た状態(基礎緊張)で実験を行うため,より生理的な条件に近い結果を得ることができる.次に筆者らは,この実験系を用いて網膜血管を拡張させる薬物の探索を行った.すぐに臨床に役立つ知見を得るため,内科領域ですでに用いられている薬物の中で,内服で網膜循環を改善させる薬物があれば,糖尿病網膜症はじめ眼科疾患への適応拡大が期待される.実際,これまでの筆者らの研究成果より,脂質異常症治療薬シンバスタチン16)やインスリン抵抗改善薬ピオグリタゾン17),さらには赤ワイン含有ポリフェノールのレスベラトロール18)などが網膜血管を拡張させることを報告した.さらに最近,FenofibrateIntervention&EventLoweringinDiabetes(FIELD)試験などで網膜症進行抑制作用が報告されたフェノフィブラートも,網膜血管拡張作用を有していることを見いだした19).このフェノフィブラートの網膜症抑制作用のメカニズムは未解明であるが,筆者らの研究成果より,網膜循環改善作用もその一因ではないかと考えている.さらに筆者らは最近,前述のアディポネクチンが実際に摘出網膜血管を拡張させること,網膜動脈血管内皮細胞にアディポネクチン受容体AdipoR1とR2が発現していることも確認しており20),今後,受容体作動薬が開発されれば,網膜循環改善作用を介した新しい糖尿病網膜症治療薬にもなりうると期待している.